紙の本
二つの像
2010/05/09 17:03
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うみひこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
代々続く学者の家として名高い家に生まれ、四歳の時から内親王のお相手を務め、女子学習院でも同級生として過ごし、結婚後、姑、大姑を見送った後に、独学で学問を始め、論文を投稿し続けて、後に、大学教授となった女性。
夫の死後、国会図書館に非常勤で務め、その間、非常勤職員の待遇改善運動をした女性。大学教授を辞めた後には、清泉女子大学の第二次セクハラ事件裁判を支援する研究者の会の代表として、裁判に関わり、勝訴を勝ち取った女性。
何だか、名家に生まれたお嬢さま学者というレッテルを貼られてしまいそうな前者の見方が先行していた彼女の人生には、一種の闘士のように思える後者の女性が同時にいるのだ。
本書を読んでこのことに驚くと共に、一人で学び続けることの力というものを、しみじみ感じさせられた。
たとえば、戦中学びたくても学べず、勤労奉仕の日々の中で、仲間をつのって、先生のお宅で直接講義を受けていた、という話の中で、みんながお菓子を焼いてお礼に持って来たということが書かれている。家が焼かれてしまったので、私は作らなかったという言葉に、思わずはっとさせられる。家が焼夷弾で焼かれても、勉強はやめていなかったのだ、と。
又、戦後、論文を書いても、女子学習院出では、大学に論文を発表することも出来なかったということにも、驚かされた。そんななかで、常に、審査を受けて、機関雑誌に投稿し続けてきたのだ。
そして、心身共にくたくたになるようなセクハラ裁判の中でも、幾多の本を刊行してきた。それどころか、その仕事があったからこそ、もったようなものだった、
「勉強はいつも逃げ場です」
と、言い切るのだ。
大正、昭和、平成を生き抜いた彼女の眼が見た、そして、宮様のお相手をしてきたからこそ見える、皇室のあり方。そして、学問の仕方。
彼女の言葉の中に、余人には決して語れない重みのある視点がある。だからこそ、この本の題名は、『岩佐美代子の眼』なのだろう。
今後の岩佐美代子氏の著書を読み進めるのにとても役立つ、ご本人による全著書の解題(語り)付きのこの本は、学問をすることの楽しさと力を教えてくれ、古典研究に進む人びとの肩を、力強く押してくれるだろう。
私自身が彼女の著書を読むきっかけにもなった「萩の戸」の新説を生んだ彼女の眼、平安時代の世界を見事に立体構成して見せたその眼力の強さの秘密を、少し教えてもらったようで嬉しい。そんな風に、感じさせてくれる、魅力に満ちた聞き書きの書物である。
紙の本
光厳天皇と照宮。
2011/01/02 23:26
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「光厳院御集全釈」をはじめ、持明院統系の歌人を評価して仕事をされている方だ。伏見院や永福門院、光厳院への強い思い入れを行間ににじみ出している。
花園天皇は「花園天皇宸記」や「誡太子書」といった著書を通じてみる事が多い。「風雅和歌集」は光厳院と共に花園院が編纂されているので、歌人としての花園院について意見も聞きたいところだ。
昭和天皇第1皇女照宮成子内親王の学友を務めた著者は穂積陳重、渋沢栄一、児玉源太郎といった人々の血を引く明治の新華族の家柄の出身であり、一人の国文学者の見た近現代史としても読める。
国文学者とマナーの指南役という戦後の生き方は随分と違ってはいるが、一つの時代を生きた女性の生き方を書いた点は、同じように照宮の学友出身だが武家華族出身の酒井美意子氏の著作にも通じるところがある。
光厳天皇について著作がある方は西野妙子氏もいるが、光厳天皇の生き方について共感しているところは似ている。
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『週刊読書人』に載った武藤康史さんの書評があまりに面白かったので買って読んで見た。後半に岩佐自身の自分の著書への回想が1章設けられているが、実に多作な人である。にもかかわらず、今までわたしは全く知らなかった。ということは、ちょっと分野が違えば知らない人がたくさんいるということだ。もっとも、本書に出て来る谷山茂という先生は大阪市大の先生で、ああ、この人は知っているとは思ったが。本書は岩佐美代子への聞き語りを、岩佐のお弟子さんにあたる岩田ななつがまとめたものだが、岩田の質問が出ているわけではなく、全書、岩佐の語りが中心になっている。この岩佐美代子という女性は法学者穂積重遠の娘だが、その父は『法曹夜話』を書いた穂積陳重である。岩佐は学習院に学んだことで、4歳の時から昭和天皇の内親王(長女)に「つかえ」、家での教育もあいまって、ちいさいときから和歌に親しみ、まるで平安朝の女房のような風格を身につけた。岩佐は夫に先だたれたあと独学で、それまでほとんど見向きもされていなかった北朝の貴族の歌集を研究し、論文を発表し56歳のときに鶴見大学に就職する。それ自体破格なことであるが、二代にわたってリベラルな法学者を生んだ血筋はあらそえず、鶴見大に就職する前に努めていた国会図書館では非常勤職員の権利闘争をするし、鶴見大では、セクハラ闘争にも加わる。また、天皇は終戦の際に退位すべきで、これからの日本には天皇はいらないとまで言う。たいした人である。本書を読んでいると、岩佐の研究はまるで、彼女自身が中古の歌の教養を備えた女房のような気がしてくる。さめた客観的な研究もあるだろうが、岩佐の語りを聞いていると、岩佐の方法は、まるで中古の歌人たちと同じ空気を吸っているかのような錯覚を人に与えるのである。
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(2010.08.30読了)(2010.08.18借入)
岩佐美代子さんという方は何をする方なのか全く知りませんでした。週刊ブックレビューで紹介されていたので、図書館から借りて読んでみました。
国文学者ということなのですが、大学に入って国文学を学び、国文学者になったわけではありません。女子学習院高等科を卒業してその年に見合いし、19歳で結婚しています。
高等科のときに久松潜一先生の講義で、永福門院の歌を二首教えてもらった。
花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしにかげ消えにけり
真萩ちる庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消えゆく
難しいこと、何にも言っていない、今だってそこいらにいくらでもあるような景色なのに、こんな歌、見たことがなかった。いっぺんに好きになりました。(48頁)
この歌の入っている風雅集という勅選集は、正統とされる南朝方に反対した北朝方の天皇によって作られた歌集ということで無視されていた。
(万世一系誇る天皇家にとって、南北朝を論ずることはタブーだった。)
29歳になった時、夫が留学でアメリカに行き、子供も学校に行くようになったので、暇が出来たので、永福門院の勉強を開始した。
36歳のときに、久松先生の指導を受けながら「永福門院の歌の全部の評釈」に取り組み始めた。
52歳で、立教大学の講師を一年間務め、59歳で、鶴見大学文学部教授になっています。
「はじめに」によると、
岩佐美代子といえば、京極派和歌、中世女性日記の研究者として名高い。父は民法学者穂積重遠で、学問の家・穂積家に生まれ育ち、結婚後独学で研究者になった人。四歳より13年間、昭和天皇第一皇女照宮成子内親王のお相手を勤めた、女房の目をもった国文学研究者として知られている。
と書かれています。
この本は、岩田ななつさんが岩佐さんにインタビューして、まとめた本です。岩佐さんの生い立ちや研究の様子が綴られています。実に興味深い内容です。
●困った時には(152頁)
私は今迄の経験で、困ったことを自分で解決してきて、身にしみて思ったのはね、何によらず困ったときに、一番欲しい人は、まずこちらが、「こういう風にしてください」と言ったら、その通り正確に早くやってくれる人。それともう一つは、黙って入り用な時に、お金を出してくれる人。それからもう一つ言えば、何でも文句言わずに、「そうかそうか」と聞いてくれる人ね。
●電話での相談は1時間と4分(153頁)
相談ごとの電話は、向こうがいうことに対して、反対したり自分の勝手な意見を言わないで、とにかく聞いていること。本人が口に出して言うと、自分でその間に考えがまとまる。それが、1時間以内では駄目。絶対、1時間と4分。1時間4分聞いてあげればそこまで行く。
●4歳の辞令(172頁)
母の箪笥の中に、巻いて赤い紐で結わえてあるものがあって、開けたら、一番初めに宮様のお相手をするときの辞令だったんですね。4歳の頃の私の名前で。
●昭和天皇は退位すべき(184頁)
終戦の時に、天皇制なくさなかったのは、残念なことだったと思います。どんなに辛くても当時の時点で天皇の戦争責任をはっきりさせるか、それをうやむやにして、いつまでも後遺症を引きずるか、どっちがいいかということですよ。少なくとも、昭和天皇は退位すべきでした。
●天皇制廃止を(185頁)
天皇、そしてご一家は、お幸せかと言ったら、そうじゃないんですから。基本的人権はおありにならないし、止めたくてもその自由もおありにならない。個性も発揮できないで、したいことはできず、公式的に御立派、と認められるような人格だけが要求される。
●文学研究に必要なこと(190頁)
センスがなかったら、文学の研究はできません。
沢山読むこと。古いものから、新しいものまで。ジャンルを問わずね。
読書とは、目で読むんじゃなくて、朗読、口で読むんです。
古典文学に興味をお持ちの方にお勧めです。
(2010年8月31日・記)
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古典文学研究者岩佐美代子さんの聞き書き。NDLでの非常勤職員の時に組合活動。1970年代から運動があったんだ。
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今年2020/1/17に亡くなられた、和歌研究家の岩佐美代子氏への2005年の聞き書き記録。
正直なところ和歌研究に無知な私は全く存じ上げない先生なのですが、この本を褒めるツイートがおくやみ報道時に相次いだため、少し興味を持ちました。
この本でいちばん興味を持った一文は「第七章 セクハラ裁判支援」の中の文。これは鶴見大学退官後に「清泉女子大学セクハラ事件裁判」の原告(二次セクハラ被害者)を支援しておられたときに、原告への対応方針として語った部分。
「私は今までの経験で、困った事を自分で解決してきて、見に染みて思っていたのはね、何によらず困った時に、一番欲しい人は、まずこちらが、「こういう風にして下さい」と言ったら、その通り正確に早くやってくれる人。それともう一つは、黙って入り用な時に、お金を出してくれる人。それからもう一つ言えば、何でも文句言わずに、「そうかそうか」と聞いてくれる人ね。(p. 152)」
ということで、原告からの電話があったらいつ何時であろうと話を聞いて、自分の意見は言わずに「そうかそうか」に徹したのだそうです。そうするとこうなる。
「ただ、本人が口に出して言うと、自分でその間に考えがまとまる。何にも私が言わなくても、最後に「ああそうか、こうすればいいんだわ」と向こうが言うんです。そこまで聞いてあげる。それが、一時間以内では駄目。絶対、一時間と四分。一時間四分聞いてあげればそこまで行く。(中略)無責任なようで、実はとても疲れる仕事ですが。(p. 153)」
聞いていて、本当に聞くことだけに徹するのは、とてもとても大変だと思います。
余談ですが、清泉女子大学にそのような事件があったことはこの本で初めて知りました。原告の方(秦澄美枝氏)はこの事件に関連した本を3冊書いておられるとのことなので、そちらもいつか読んでみたいと思います。
(長文になったので残りははてなブログに書きます。→ 2020/6/14やっと書きました https://riocampos.hatenablog.com/entry/20200614/iwasamiyoko )