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モンゴメリらしい作品で楽しめましたが、やっぱり村岡花子さんの訳じゃないと微妙なニュアンスが伝わらないというか、つまらないな〜と感じてしまいました。
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1911年にキリスト教圏で書かれたお話なので、へぇそうなんだという異文化に対する新鮮さと、万国共通の少年少女の思いとが半々で混ざっているような感じでした。それぞれ全く違った性格の女の子たちが小競り合いしながらもひと夏を仲良く過ごすという上質な小説です。とても読みやすかったです。
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赤毛のアンを彷彿とさせるような、お話好きの女の子が登場。主人公の男の子の視点から、書いている。プリンスエドワード島の自然や暮らしが丁寧に書かれており、赤毛のアンが好きな人なら、馴染みやすく楽しく読める。
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赤毛のアンを彷彿とさせる物語。語られる物語と描写される自然の風景の美しさが心地よいです。
続編も読みたい。
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赤毛のアンの時代にも中二病はあったんだなあとなんだか嬉しくなった。
今よりずっと純朴で信仰深かった人々。窮屈でもあり自由でもあった古き良き時代。
得るものと失うものは等価なのだと感じた。
昔よりずっと便利で豊かで自由で、それでいて制約が多くて貧しい現代。幸せでもり不幸せでもある今を生きるしかないとわかっているのだけれど。
この時代に行ったら今以上に不平を言うのもわかっているのだけれど。
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いなか暮らしに憧れる作品。
言葉回しがきれいで最初はうっとりと楽しめる。
・・・・・・が、延々少年たちの生活やストーリーガールの語りばかり綴られておりシマリがない。
だんだん読むのがかったるくなった。
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舞台はカナダ、プリンス・エドワード島。
トロントから父親の仕事の都合でその島に預けられることになった13歳と11歳の兄弟が、美しい「キング農場」で年の近い従兄妹たちと暮らす日常の風景が描かれます。
男の子が語り手なんてモンゴメリの作品には珍しい…
美しくうぬぼれ屋のフェリシティーに、優しくおとなしいけれどじれったいセシリー。いつも妹のフェリシティーと言い争ってばかりいるダンに、農場の雇い人で学はないけれど夢を持っているピーター。
その中でも極めつけは、「ストーリー・ガール」と呼ばれるセーラ・スタンリーです!
彼女の口で語られる物語の魅力っていったら!!
北欧神話やギリシヤ神話、祖先にまつわるお話に近所の住人の隠されたロマンスまで、少年少女たちは農場のリンゴの木の下で固唾を呑んでストーリー・ガールの紡ぎ出す世界に酔いしれます♪
子供っぽいイタズラや大人顔負けの悩みや葛藤を抱えて成長していく子供たち。
「もうひとつの赤毛のアン」と呼ばれる作品なだけに、モンゴメリの魅力が満載。とても楽しく読めました☆
こういう作品を読むと人間もまだまだ捨てたもんじゃないなと思えます。
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プリンス・エドワード島に父親の仕事の都合で預けられた13歳の少年の目からみた5月から11月までの出来事。ストーリー・ガールが話すお話を挟みながら書かれてあって読んでて楽しかった。
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19世紀の終わり頃?のプリンス・エドワード島の農園で暮らす子どもたち8人が織りなす日々が、ストーリー・ガールというお話上手な女の子の物語を交えつつ描かれる。子どもたちは生き生きとしており、その頃のカナダや大英帝国の様子もチラリと見え隠れする。「もう一つの赤毛のアン」という呼び方も「究極のラブストーリー」という帯の広告文言もこの物語の魅力をかえって台無しにするちぐはぐなものに思えた。才能と個性が豊かな子どもたちの、そして彼らを育む一族の、面白くもばかげた、そして真剣で無邪気な物語である。
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この本は赤毛のアンを読んだ方なら多分あの雰囲気に浸ることが出来て満足するでしょう。舞台は夢見がちの女の子の憧れであるカナダのプリンス・エドワード島であることも一層その想いを強くする点です。
お話の上手な大人びた14歳の少女、セーラ・スタンリーが本の題名になった ストーリーガールそのひと。彼女は母を早くに亡くし父も放浪癖のため一緒に暮らしてはいません。そのため、プリンス・エドワード島のおじやおばのところで暮らしています。この辺りの事情もアンの境遇と似通ったところです。そして、この本の語り手である僕、 べバリー・キングは13歳の少年ですが、父親の仕事の都合で弟のフェリックスと一緒に プリンスエドワード島に住むおじに預けられるところからこのお話は始まります。こんな設定のもとのストーリー・ガールとの出会いだけにぐんぐんお話に引き込まれます。 おじのところには、年の似通った3人のいとこ達がいて、その他に彼らの友達の少女、そしてストーリー・ガールの家の雇い人の少年も登場し、色んな”事件”に遭遇します。 彼らの友情を元に日常の喜怒哀楽が繰り広げられるのです。大人になるにつれて失ってしまいがちな感情が呼び戻されます。 モンゴメリの作品は登場人物がいきいきとしていること、そして、彼らに人生の本質を何気なく語らせているところが読者を惹きつけてやまない点です。 その意味では、この本も道の曲がり角に手元に置いておきたい一冊といえます。
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帯付に究極のラブストーリーと書いてあって
それに興味を注がれたのだが、どこがラブストーリーなのか判らなかった。いったいどのあたりが?子供たちの日々の生活の中でのささいな出来事を書いてある感じで自分もこんなときがあったな~的なことは感じられたけれどとてもラブストーリーとは思えなかった。(ちょっと恋愛小説を読みたかったので物足りない)
個性豊かなキャラクターはよかったと思うけれどね
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いかにもモンゴメリらしい、ほのぼのした作品。
これの前に読んだ『青い城』が自分にはすっごく気に入ってしまったので、恋愛の要素のないこちらの作品は少し物足りなく感じてしまいました。もちろんモンゴメリ好きにはおすすめですが。
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モンゴメリが赤毛のアン以上に愛していたというストーリーガール。昔よんだが、還暦を迎えて再び読もうとは❗
ストーリーガールことセーラ スタンリーをはじめ、ベバリー、フェリックス兄弟、フェリシティ、セシリー、ダン、友達のセーラに雇い人のピーター。この8人の子供たちのプリンスエドワード島での日々が美しい風景描写と
共に描かれている。
読んでいて、子供たちに共感しつつ、自分は彼らの親の世代すら越えてしまったというこの現実!
昔読んだとき、図書館建設費用の寄付金を集めて回ったストーリーガールが、キャンベル氏に掛け算表を読み上げるよう求められるシーンが印象的だったが、今回もこのシーンが素晴らしい!彼女が口に出して言うと、3×3はじつに馬鹿馬鹿しく、5×6は目に涙を誘い、12×12は勝利を告げるトランペットのように響き渡った❗
どんな声でどのように読み上げるのか、私も聞いてみたい。
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カナダで一九九〇年代に制作され日本でも放送されたテレビドラマシリーズ『アボンリーへの道』が大好きで、最近またDVDを少しずつ見直し始めた。そのドラマの原作がこの本とその続編だというので、ずいぶん前に買ってあったのをやっと読んだ。
原作といっても“ベースにした”という程度で、人物一覧の時点でドラマとはまあまあ異なる。私は育休期間中にシーズン7までの全話を見て全話の感想メモをブクログに書いているので、一度しか見ていないわりにはこのドラマに関しては記憶がはっきりしている。そのため、ドラマのあのエピソードは原作のこれが元ネタなのだなとか、あのキャラクターは原作のこの人とこの人のこんな要素を引き継いでいるのだな、などと勝手に納得しながら読むのが楽しかった。続編『黄金の道』や、『赤毛のアン』シリーズ(私は第一作しか読んでいないのでよく知らないが、ドラマはアンが去った後?のプリンスエドワード島が舞台となっており、マリラやリンド夫人も準レギュラーとして登場している)を読んでいけばもっともっとこういった発見に出会えるのだろう。その時が来たら読んでみよう(今はいいや、という気分)。
セーラ・スタンリーという十四歳の少女がいて、この子はたいへんお話がうまく、決して美人ではないが彼女が話すと不思議な魅力で誰でも惹き込まれてしまうため、タイトルにもなっている「ストーリー・ガール」というあだ名で呼ばれている(つまりアンっぽいわけだが、私はレオ・レオニ『フレデリック』のことも思い出す)。セーラの他にも似たような年頃の子どもたち七人が登場し、それぞれ主役ばりに長所と短所を存分に発揮して活躍する。それだけにやや散漫な印象はあったが、美しい子ども時代の終わる直前の眩しさを描きたかったのかもしれないと思うと、少女たちの髪や素足の美しさ、服装や料理といった生活様式のリアリティ、果樹園に吹く風の匂い、空の色、小鳥のさえずり、全てがなんだか切ない。
男の子たちの中では、ただ一人「雇われ人」であるピーターが印象的。貧しいし学校にも通っていないけれど、紳士であり、おばの本をよく読んでいるため教養もあり、宗教についての意識も誰よりも深い。ドラマではピーター少年は序盤に出てきてすぐフェイドアウトするのだが、もしかしてシーズン2から登場するあの人は、原作ピーターから生まれた第二の人物なのかな。続編も読んでみないと確かなことは言えないが、そんな気がしている。ドラマ『アボンリー』ファンとしては、ドラマ化スタッフがなんと良い仕事をしたか…!という感動の大きい読書だった。