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この巻では浮き沈みの激しい光源氏の生活が描かれている
2017/12/13 20:31
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
この巻3では、光源氏は冤罪のため官位を奪われ須磨まで流れてゆき、非常に苦しい生活を強いられる。いずれまた都へ華々しく復帰するのだが。この巻では浮き沈みの激しい光源氏の生活が描かれている。
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恩師が瀬戸内寂聴の源氏物語はいい!読め!とおっしゃったので手に取ってみた。源氏の君の浮気っぷりが腹ただしいやら爽快やら。目指せ全巻読破!
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明石の君登場!彼女は割といいポジションだと思うのですがどうなんでしょう?綺麗で教養もあって中々素敵な書かれ様だしね。また政治色が一層強くなり、源氏の君は藤壷の尼君と精神的により深く結ばれてる感じです。
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明石の君は本当に思慮深い方ですねえ…
でも紫の上のこともっと気遣いなさい!げんじ!
あ、でも一番好きな話は絵合せの回です。
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光源氏26歳の記録。プレイボーイ盛りの源氏は、異母兄弟である兄帝のご寵愛する姫に手を出してしまい失脚!遠く(といっても明石なんだけど)に流されてしまう。そんな危険を背負ってまで手を出さなくても…と思ってしまうのだが。
そんなこんなですっかり落ち込んでるかと思いきや、明石でも素敵な女性を見つけてしまうあたりがこの人のポジティブなところ。しかもそうこうしているうちにまた都に戻れることに。一件落着。
現代の私たちからすると物語がぶっとび過ぎていて「え~!!」の連続だけど、源氏の行動が大胆すぎて爽快で、彼を取り巻く女性たちの心理描写は「あるある!」と納得。まだまだ読み続けられそう。
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この巻で、印象に残ったのは、光源氏の愛した女たちのなかでただひとりブサイクで読者に強い印象を残す(?)「末摘花」。源氏にずっと忘れられていたのに、いつか思い出してもらえるはずと信じて、貧乏になって家は草ぼうぼうに荒れはて、そばに仕える者もいなくなっていっても、ただひたすら源氏を待っている。たまたま通りかかった源氏に思い出してもらえて、以後は面倒を見てもらえる(でも愛してはもらえない)ようになる。この末摘花という女、不器量なだけでなくて変わり者というか意固地というか、折々のお手紙なんかを出したりもしないから友人知人もいなくなって忘れられ、頼れる身内もなく、自分から楽しみや慰めを見つけるわけでもなく、ふっるい絵巻ものなんかをながめるくらいで、どんどん荒れさびていく家で泣きながらただただじっとしているという。なんか、他人とは思えない(笑)。瀬戸内氏が解説に書いていたように「純真」とはわたしはあんまり思わなかったけど……。まあ、紫式部もいろんなタイプの女を描いたものだなあ、と感心したり。ほかにも、六条の御息所、空蝉などのその後の話もあって、こういう後日談みたいのもあったのね、よくできてるなあ、とあらためて思う。
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やっぱり巻末の寂聴さんの解説が面白い!
朱雀帝の不憫さや、源氏の立ち回りのうまさがはっきり分かる巻。
明石の君にも紫の上にも良い顔をして調和をとろうとするあたりや、御息所の娘である齋院を利用して政略結婚を企てるあたり、この男のしたたかさがうかがえる…
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異母兄・朱雀帝の寵姫である朧月夜の君との逢瀬を契機に凋落していった源氏は、須磨への都落ちを決める。
身はかくてさすらへぬとも君があたり
去らぬ鏡の影は離れじ
別れても影だにとまるものならば
鏡を見てもなぐさめてまし
という源氏と紫の上のやりとりがとても美しい。
邸を須磨から明石へと移した源氏は、そこで明石の君という女性と結ばれ、子を産ませる。
後にこの明石の姫君を紫の上に引き取らせて育てさせるのだが、正妻であるにも関わらず子供ができない彼女の心中は穏やかではないだろう。
藤壷との罪の子・冷泉帝の即位、六条の御息所の死など大きな出来事が起こる3巻、および先の2巻は、『源氏物語』全体のなかでももっともおもしろい帖が多く収められていると思う。
「須磨」「明石」「澪標」「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」の7帖を収録
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光源氏は、帝の愛する人との密通現場を押さえられ、官位を剥奪され、流罪になる前に自ら都を出てから戻るまでの話。最後にある「源氏のしおり」で復習すると、物語がまた一層わかる。
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光源氏も随分失意の晩年の雰囲気になります。しかし、これが27歳の時の日々であるというのは驚きです。須磨、明石と、神戸周辺が寂しい処と表現されるのは誠に複雑な心境ですが、平家物語でもそのような地域ですから、やむを得ないのでしょう。藤壺、朧月夜、空蝉などのかつてのヒロインたちが再度登場しますが、特に藤壺の冷めた眼は歳月を感じます。朱雀帝から冷泉帝へと源氏の実子・幼帝の時代へと移り、光源氏が後見役へ!藤原道長を思い出させる地位への出世。これからドラマはどのように展開していくのか、佳境に入ります。
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不倫や不道徳の域をはるかに超越していて厄介過ぎる。さて、今後はどうやら光源氏はさることながら、藤壺の宮との間に生まれた二世・冷泉帝が父の遺伝子をしっかりと継承してご活躍のことと聞く。未だ全十巻中のうち三巻。いかにも先は長い。
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途中で「多崎つくる」を読んだため明石で中断していた。印象に残るのは須磨での嵐。「細雪」に出てきた嵐はさらに印象的だった。それは芦屋あたりだったか。谷崎はなんらか「源氏」を意識して書いたのだろうか。ここで、夢の存在が大きく影響する。「多崎つくる」は夢の中でシロと交わっていた。シロはつくるにレイプされたと言って、それでつくるは仲間から外された。「伊勢物語」には、「あなたが夢に現れないのは、あなたが私を思う気持ちが強くないからだ」ということばがあると聞いた。私の夢にパートナーが現れることはまずない。というか、身近な人間がほとんど登場しない。出てくるのは間遠になっている実家だったりする。最近は少ないが、自分が高校生くらいにもどって、授業を受けている夢を見ることも多かった。夢は考えるとおもしろい。明恵も漱石も読まないといけない。さて、明石の君に産ませた子どもを、紫の上が育てるというのが次の巻の話だけれども、二人の女性の思いというのはいかがなものなのだろう。明石の君の都での住まいは嵐山のあたり。もっとも、その辺は京の都には入れてもらえないと井上章一さんが言っていたから、源氏からすると、そう易々と会いに行ける場所ではなかったのかもしれない。それでも月に1回とか、お泊りで出かけていくダンナ様を見送る妻の気持ちはどんなだろう。一夫多妻というのは女性たちにとってはどんな思いがするものなのか。というか、それって男性は余っているということ?即興で歌が読めない男子はつらかったろうなあ。
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政敵右大臣の娘、朧月夜の内侍との密通現場を右大臣に抑えられたことで、源氏は官位を剥奪される。そしてこれ以上、流罪という恥をかかされる前に、源氏は自分から須磨へ都落ちする。
紫の上や藤壺の尼君や今まで情を交わした人や数々の女房や付き人との別れ。源氏はお供を数名だけ連れて、須磨の侘しい屋敷に引っ越す。
その別れの様子や須磨というところの侘しさを“あはれ”“悲しい”とあまりにも連発しているので、もう、源氏に同情する気持ちは無くなった。だけど、当時の須磨のような田舎の侘しい景色を“あはれ”と表現するのも日本独特の美意識だなあとしっとりした気持ちになった。
人間で私の心に沁みたのは、源氏よりも朱雀帝である。故桐壺帝とコキデンの太后の息子で、源氏の異母兄。源氏嫌いの母、コキデンや右大臣の言いなりで気が弱く、最愛の朧月夜も源氏に寝取られたのに、怒りを表さず、それでもずっとお側に付けている朧月夜に対して「私が死んでも、あの人(源氏)との生き別れほどには悲しんで下さらないのだろうね。」としみじみ話している。ああ、朱雀帝様おいたわしい〜。この人絶対いい人だよ。優しいところは、故桐壺帝に似たのかな。コキデンとは似ても似つかない。
源氏が須磨にいる間、都では朱雀帝が病気になり、帝位を東宮(藤壺と桐壺の息子とされるが、実は源氏との子)に譲ることを考え始める。そうすると、まだ若い今の東宮が帝になったときには後見人として政治を行う人物が必要→源氏が必要と考え、とうとう、コキデンや右大臣の反対を押し切って、源氏を都に呼び戻す。帰ってきた源氏やそのまわりの者は、官位が元に戻っただけでなく、昇進する。源氏は内大臣として活躍。
冷泉帝(元、東宮。自分と藤壺との息子)の後見人として面倒をみるだけでなく、二条院の側に自分が目をかけた女性(末摘花も)を何人か住まわせるお屋敷を新築したり、須磨時代の奥さん、明石の君を京に呼び寄せたり、亡き六条御息所の娘の元斎宮を入内させたりと忙しい。自分もそろそろ出家するつもりで、嵯峨にお堂も建てているが、仏の道になんて入れるの?
こんなふうに源氏天下になってきた中、いよいよ退位する前の朱雀帝は恋仇であるはずの源氏を何度も御前に呼び寄せて、政治の相談に乗ってもらったり、昔の思い出話を楽しんだりしている。勝ち組じゃないけど、いい人。そして、朧月夜にいうことには
「あなたは昔からあの人(源氏)より、私を下に見くびってられたけれど、私のほうは誰にも劣らない愛情をあなたに持ち続けていて、ただあなたのことだけをしみじみと愛しく思っていたのですよ。あの私より優れた人が再びよりを戻して、あなたのお世話をなさるにしても、愛情の深さということでは、なみなみならぬ私のそれとは比べものにならないと思います。」と誠実なお言葉。こういう人が一番自分を大事にしてくれているって気づかなきゃね。
源氏は明石の君を京に呼び寄せたことで、葵の上に嘘をついたり誤魔化したりして気を使っている。明石の君との間には姫君が生まれ、可愛くてしようがないんだけれど、紫の上との間には子供がない。紫の上は、あちこちの女の人のお世話で忙しい源氏をいつも待つばかり。
“当たり前にいてくれる人”のこともっと振り返ったほうがいいよね。源氏も。
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源氏の凋落と復権、娘が産まれたり六条御息所が亡くなったりと盛りだくさんの内容だったのに絵合の章の描写がめちゃくちゃ綺麗で目に浮かぶようだった。
娯楽の限られた平安時代にリアルタイムで連載されていたとしたら、もう脳にズドンだと思う。
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巻三は、26才~31才までの源氏を描いており、ここにきて、ようやく自己を見つめ直す機会も頂いたかに思えた彼が、ここから心機一転やり直していこうとするのかと思いきや・・・。
「須磨(すま)」
須磨とは今で言う、神戸市須磨区と思われ、前回、見事なしくじりをしでかした源氏は、早速、「弘徽殿の大后」の策略により、彼が謀反を企んでいるとして、まずは官位を剥奪された後、次は流罪だと予想し自ら須磨へ都落ちする。と、こう書くと、ついに覚悟を決めた、堂々たるさっぱりとした姿を予想されるかもしれないが、実際は、「ああ、なんか最近嫌なことばっかりだなあ。もうこんな所いたくないよー。でも、だからといって、女の子たちと会えなくなるのも嫌だしなあ~」と、こんな感じで未練たらたらな姿を見せる中、思ったのは、この人よく泣くなあということであり、瀬戸内寂聴さんの訳だと、一人一人の女性に対して多少の優先順位はあるものの、基本的には、ほぼ全員に毎回一途な愛を抱いているかのような泣きっぷりであり、彼の中でのその瞬間瞬間は本気なのだろうけど、結果として、それが本人にも彼女たちの為にもなっていないことに気付いていないことの悲劇を滑稽に描いている中でも、彼のこの本質的な部分の変わらなさは、ある意味凄いとも思い、こんな状況でも、「花散里」のお邸の修理を命じていく、その女性の為を思った心配りだけは流石である。
また物語としては、これまでの華やかな都の景色から、素朴な海と山が綺麗な須磨の景色へと舞台転換した流れも、読み手には新鮮に感じられ面白く、そのひっそりと佇む自然の美しさも印象的な中、突然降り出した肘掛雨から、たちまち未曾有の暴風雨へと変わる様に、私はまるで未来の暗雲を予見しているようにも思われたのが印象的だった。馬鹿なこと歌ってんじゃないよって。
「明石(あかし)」
一向に止まぬ嵐の中、お供のものたちは源氏の為に必死に神に祈り続け、「さまざまの快楽をほしいままにされ、得意になられたとは言え~」と、正直に言ったのが幸いしたのか、やがて嵐は収まるが、今度は源氏の夢枕に、父である「桐壷院」の霊が現れ、「どうして、このようにむさくるしいところにいるのか」と仰せになる、これには驚き、この世からいなくなった後もこうして息子の人生に介入してくる、その思いの強さは最早呪いとも感じられ、そこには子への愛情よりも、血統の高貴さを大事にするような当時の時代性を感じさせられた一方で、「明石の君」とその父の「入道」の親子の情も、また印象的で、特に入道の娘の為に自らの人生を投げ打ったような献身さには、当時のこの道しか娘の幸せは無いんだといった哀しみもあったが、そこには入道自身、かつて都にいたけれども、そこが合わずに、遠くに逃げ出してしまったという後悔の念があったからこそ、娘にだけはそんな侘しい思いをして欲しくない気持ちの強さは、いつの時代も変わらぬ親が子を思う愛の気高さであり、そんな献身さは、明石の君の歌からも感じさせられて、私の目にはとても感動的に映った。
『寄る波に立ちかさねたる旅衣
しほどけしとや人のいとはむ』
「澪標(��おつくし)」
まるで、昔から決められていたかのような謀により、都に帰られるようになった源氏だが、もうこうなってくると何でもありだよね。これでいいのかとは思ったが、これが後々の伏線になりそうな気もして、取りあえずそっとしておく一方で、これらのショックもあったのか、源氏の兄「朱雀帝」は「東宮」に帝を譲る。
そして、更に驚いたのが、「藤壺の尼宮」であり、ここでの彼女の発言には、いくら源氏の考えが元とはいえ、明らかに彼の背中を後押しする意図が感じられて、ここまで生きてきた苦しみが彼女を変えてしまったのか、それとも、それを超えた先に見出した達観なのか、この辺は表向きからは感じられない倫理的な問題が絡んでいるだけに、その強かさの裏にある生々しい感情は、いけないこととは思いながらも考えさせられるものもある。
それから、源氏に見られたちょっとした変化として、「紫の上」に他の女のことを色々と正直に報告するようになった事が、却って、彼女に嫉妬心を抱かせ、関係がこじれるきっかけとなっていく一方で、忙しくて自重していたお忍び歩きも再開する中、久しぶりに京に帰ってきた「六条の御息所」のあの台詞は強烈で、巻二でも見られた彼女同様に、他の女とはまた違う彼女自身の在り方を見せられた気がして、そこに幸せな思いは無かったとしても、その意志を貫き通す姿には、何か尊いものを感じさせられた。
「蓬生(よもぎう)」
「末摘花」のお話で、お付きの者も次第に出て行ってしまい、荒れ果てる一方の彼女の家に於いても、決して変わらぬ源氏への一途で燃えるような思いには心を打たれ、花散里を訪ねる途中で、そこを偶然見つけた源氏が訪れた時には、ひたすら恥ずかしそうにしている気品のある様子も印象的でありながら、『何につけても人並みでさえない』ナレーションに、ここまでコメディタッチにしなくてもいいだろと思ったものの、ここでの痛烈な皮肉が、手のひらを返したように豹変する人間の心の浅ましさであったことを実感し、末摘花に対するそれも、単に作者が、物事の一つの在り方として冷静に捉えていただけなのかもしれないと思うと、この作品に対する作者の決して妥協することのない思いも痛感させられたようで、改めてエンタテインメントという言葉の意味を頭に思い描くのであった。
「関屋(せきや)」
久しぶりの「空蟬」のエピソードに、彼女の弟の「小君」こと、「右衛門の佐」も登場し、源氏の新たな一面も感じさせられる中、最も印象的だったのは、登場する女性一人一人の個性が、より明確に見えてきたことで、作者が大事にしている彼女への思い入れも感じさせられるようだった。
「絵合(えあわせ)」
ここでの二組に分かれて、どちらの絵が素晴らしいのかを論じ合う様子には、まるで、どちらの小説が素晴らしい作品であるかをディスカッションしているようで興味深く、そこには、物語の元祖とも呼ばれている『竹取の翁の物語』をお互いに異なる視点で論じ合ったり、『宇津保物語』の現代風な面白さに加えて、『伊勢物語』は古風ではあるけれども、『在原業平』の名声を台無しにしてよいものかといった語りに、何とも言えない可笑しみがあり、こうしたメインストーリーの間に��っと入れた、ちょっとひと息入れましょう的なサブストーリーは、いい気分転換にもなって、紫式部は何でも出来るんだなと改めて感心しきりでした。
「松風(まつかぜ)」
自分の気になる女性を近くに置いておこうと、二条の院を次々と造営していく源氏に、いよいよ、やりたい放題の感が芽生える中、彼の思惑も徐々に顔を覗かせてくるようになり、ここに来て、彼の純情バカとは異なる新たな裏の一面を認識させられそうである。
寂聴さんの『源氏のしおり』にも書かれていたように、源氏が自ら都落ちしたのは、実は東宮の為であったことや、藤壺の尼宮との密談の野心の強さに加えて、これまで、どんなに機嫌を損ねられても変わらぬ愛を貫いてきた、彼女に対する接し方も変わってきたように思われ、これはいよいよ、風雲急を告げるというか、嵐の前の静けさというか、ちょっと怖くなってきたぞー。
というわけで、次回から、サスペンススリラーにジャンルが変わっているかもしれませんので、紫式部の物語の舵取りから、さらに目が離せない展開になりそうでドキドキしてきました(違った意味で)。
ちなみに、巻一の裏表紙に書かれていた、
『すべての恋する人に贈る最高のラブストーリー』が、いつ訪れるのか、それも楽しみです。