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[ 内容 ]
大哲学者たちが考えたことを信用できるでしょうか?
いつもはあまり信用されないツチヤ教授が挑戦的にこう問いかけた。
不信感を抱く学生を前にして、プラトンやデカルトなどに代表される哲学史に輝く深遠な学説に、誰にでもわかりやすい言葉で鋭く切り込み、哲学の初心者たちと共に一から考えた渾身の講義。
[ 目次 ]
第1週 哲学は深遠な真理を解き明かすものか?(哲学は何でないか;「われわれが時計で測っているものは、時間ではない」―ケース1 時間;「絵が美しいのは、そこに美が宿っているからだ」―ケース2 原因;「机の色や形は見えても、机そのものは見えない」―ケース3 何が見えるか;「ツチヤは、本当の意味では人間とは言えない」―ケース4 イデア論;絶対に疑えないもの―ケース5 「われ思う、ゆえにわれあり」;「われ思う」が疑えない理由)
第2週 哲学で何がわかるか?(コーヒーを注文する方法―言語ゲームが必要な理由;言語ゲームで哲学の問題はどう解けるか;「哲学の問題を全面的・最終的に解決した」究極の理論;哲学で世界を説明できるか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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ウィトゲンシュタインの「哲学的問題は言葉の誤用から生じる」という立場から、過去の哲学者は真理を分かっていなかったことが分かった、ということを語った本。専門外の人にはしっくり来ないかも。でも分かりやすい。
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解りやすく解説して、それを解りやすくバッサリ斬るといった感じでした。
後半少しこんがらがりましたが、入門書としても楽しめました。
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歴代の哲学者をざっくりと紹介しながら次々と否定。全ての哲学の問題は、言葉の仕組みによる罠という考え。11回にわたる講義方式で描かれている。
哲学を否定しているともとれる講義で、あまりスッキリとはしませんでした。でもユニークな考えだと思います。
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著者が大学でおこなった哲学の講義をもとにした本です。ベルクソンの時間論やプラトンのイデア論、デカルトやフッサールの知覚論などを題材に、それらの問題がことばの誤りに基づいて生じていることを指摘しています。後半は、前半の著者の議論のバックボーンとなっていたウィトゲンシュタインの思想について解説がなされています。
おなじく著者のおこなった講義にもとづく『あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か』(文春文庫)ともかさなるところがありますが、本書は哲学史上にじっさいに現われた思想を題材にしており、それらの思想についても学ぶことができます。ただし、どちらも著者の思想をつらぬいている根幹的な主張はおなじで、ウィトゲンシュタインの哲学観の実践というべき内容になっています。
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解説で哲学の入門書ではない、と書いてあるがわかりやすい解説書として読んでいけないわけがない。
原書を日本人向けにわかりやすく解説するだけでなく、どこがおかしいのかを説明している部分で理解が進むと思われる。
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ウィトゲンシュタインが論理哲学論考、哲学探究で何を述べているか、非常に分かりやすい例え話で、腑におちる。ウィトゲンシュタインというと言語学というイメージでしたが、要するにこれまで本質的な問いと述べたもうて、深遠ぶってきた哲学者達に一石を投じた、超重要人物なんですね。
『あたらしい哲学入門』と並んで、土屋氏の作品の中でも傑作だと思います。
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今まで哲学を大学で学んできたものの、理解しづらい用語も多く、苦慮することもあった。この本はそういった難しい概念をかい摘んで説明し、分かりやすくしてくれた。哲学の用語の解像度を上げてくれた。
「疑いながら読むように」とされた通り、分からないところは流したが、それでも得るところの多い本でした。