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どうせ死ぬならという開き直りを老人がしないのが以外という話にはっとした。
永井さんの話の方が論理的で分かり易い。
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うーん。。。よくはわからなかった。
前回のドラマ「相棒」で明示されてから、確かになんでだろうかと考えだしたことだけど、結局答えは見つからないままなのかなー。
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読み終わった、というのは全く正しくない。
随分前に買い、随分前に一度読もうとし挫折し、再び手に取ったが、やはりわからん。
概念とか哲学とか、知らずに買った私が悪いが、こんな興味を引く題名でださないでほしい。。。
処分だな。
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永井の『これがニーチェだ』(講談社現代新書)の刊行を受けておこなわれた、当時話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問をめぐる対談と、永井と小泉それぞれの論考が収録されています。
個人的には、小泉の問題提起の鋭さに感銘を受けました。対談のなかで「生活」と「生」という対概念が提出されていますが、永井は大江健三郎のような世間的な意味での道徳的言説を「生活」に、ニーチェの権力意志を「生」に割り振っています。これに対して小泉は、永井のそうした立場が、「生活」と「生」の境界線を引きつづけるという振る舞いを通じてのみ担保されるほかないということへの問題提起をおこなっています。これはいわばハイデガーのニーチェ批判を道徳の領域で再演したものということができるように思います。
こうした小泉の問題提起に対して、永井は「分からない」といいつづけていますが、けっきょくのところそうした永井の振る舞いもまた、小泉の言説を「生活」のほうに繰り込むことにほかならず、結果的に小泉の提起している問題をいっそう裏づけているのではないかと感じました。
小泉にしてもおそらく、こうしたみずからの永井批判の言説に何ら特権性がないことを理解しており、その批判が言葉にもたらされたとたん、否応なしに「生活」へと繰り込まれてしまうほかないことを十分に承知しているはずです。そのうえで、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対しては、後は殺す実践あるいは殺さない実践によって答えられるほかないと述べているのだろうと思われます。