投稿元:
レビューを見る
この頃、星空を見上げると、ある感慨にうたれる。この宇宙にはいろんな世界がある。他の星の生命もいるかも知れない。宇宙人もいるかも知れない。
もしかして自分もそこに到達できるかも知れない。と思ったのは子どもの頃。
星々の世界があると思っても、もはや自分にはあの星々に到達することはあり得ないと今は思わざるを得ない。そのことにある感慨を覚える。ましてやこの宇宙の外など。しかしそんな小説を読もうという気はある。なぜだかよくわからない。
すごいSFだけど、とても読みにくい。
という評言はまあ正しい。私も最初の三分の一くらい読んだまま、数年うっちゃっておいた。
まず最初のアイディアは、人間がその精神をソフトウェア化し、ヴァーチャル環境に移り住み、肉体人と二極化するという未来(ソフトウェア化しつつも、機械の身体にその精神を収めるグレイズナーの存在も)。そのヴァーチャル都市、《コニシ》ポリスで人工知性ヤチマが生まれるさま、ヤチマが《コニシ》ポリスを見聞きするさまが描かれる。
次のアイディアが中性子連星の想定外の崩壊によるガンマ・バーストで地球上の生身の生命が死滅してしまうというもの。当然、ポリスに逃げ込むしか生き延びる方法はない。私はこの辺で挫折していたのだが、このあとあたりから、疑似科学理論はとても難しいものの、話は快調に進んでいく。作品世界での時間もどんどん流れていく。
現実世界との接触を失うまいとするポリス《カーター・ツィンマーマン》に舞台が移る。ここで登場するのがコズチ理論という物理学。空間に時間を加えた4次元にさらに6つの次元を加えた10次元がこの宇宙であり、素粒子はそれらの次元を結ぶワームホールの口であるという理論。コズチ理論に基づき、ワームホールを抜ける超高速航法を生み出して,他の知的生命を探しに行こうとするがうまくいかない。そこでポリス住民の志願者すべてが千のコピーを作って、千の方向に宇宙船を飛ばす「ディアスポラ」計画が発動する。
「ディアスポラ」計画により、知性体・トランスミューターの足跡が捉えられ、彼らがこの宇宙より上位の宇宙に移動していることがわかり、修正コズチ理論を駆使して、彼らもその宇宙、時間1次元と空間5次元の宇宙に移る。ここの描写がまたすごいのだが、トランスミューターはさらにその宇宙もすでに去っている。ここから先、『タウ・ゼロ』以上のスケールになって、唖然と口を開けている他ない方へ話は進んでいく。
そして結末まで開いた口がふさがらないものと覚悟すべし。
そして、今日もまた口を開けて夜空を見上げるのだ。スカイツリーを、じゃなくて。
投稿元:
レビューを見る
30世紀を舞台に、ソフトウェアによって生み出された
主人公ヤチマの冒険譚。
ヤチマの誕生を描いた第1章では、
ソフトウェア上での知性・人格・自我の生成プロセスが丁寧に記述されており、
難解ながらも読み応えあり。
その後、章ごとに、情報科学、数学、遺伝子工学、天文学、と、
多岐にわたる科学分野を横断しながら、
人格をアップロードしなかった肉体人とのコンタクト、
宇宙へのディアスポラ、ワープ航法の技術開発、といった旅が展開。
物語が進むにつれ、身体的、時間的、空間的な制約が次々と外され、
人類はどこまで行きつけるのか?、想像力をかきたてられた。
本作にテーマや世界観が近い作品を、関連順に。
・『アッチェレランド』(チャールズ・ストロス)
・『順列都市』(グレッグ・イーガン)
・『都市と星』(アーサー・C・クラーク)
・『know』(野崎まど)
・映画『マトリックス』シリーズ
投稿元:
レビューを見る
これでもかとSFが詰め込まれつつどんどんとスケールが大きくなっていく物語が、よくわからない部分がありつつもとにかく良い。
投稿元:
レビューを見る
これを読んだシチュエーションが良かったんです。羽田から沖縄に飛ぶ2時間の間に、駆け抜けるように全部読みました。その500ページで、100万年くらいの旅ができるんですよ。飛行機に乗りながら、未来の旅ができるっていうのが楽しくて、ドキドキしました。
(石田衣良公式メルマガ「ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』」7号より一部抜粋)
投稿元:
レビューを見る
グレッグ・イーガンの作品は、それを読む前と後で読者の考え方を大きく変える程の力を持っているが、この本も例外ではない。
ストーリーを支える設定としての科学的考察があまりにも専門的すぎる(しかもあらゆる科学ジャンルを横断する)ため、1ページめくる毎にWikipediaを開くなんてことがしょっちゅう起こる。
しかし、文章の向こう側で何が起こっているのか、用語を調べながら必死に内容を咀嚼するのは、それでとても楽しい作業だった。
どうしても理解できないと、ものすごく悔しいし、もっと理解したいと思う。それで関連する本を買って読み漁ったこともある。
もちろん詳しい考察は適当に読み飛ばして、想像力でストーリーを補うこともできる。そしてそれでも十分に内容を楽しむことが出来る。
表面的にストーリーを楽しんだり、反対にどこまでも科学的考察に深入りしたりすることも出来る。つまり複数のレベルで楽しむことが出来る。何度読み返しても新しい発見があるので飽きない。
「ディアスポラ」は、そのように複雑な魅力を備えた良書だと思った。
投稿元:
レビューを見る
まさに、ハード・SF。圧倒的な時間とスケールの世界が描かれる。章立てが変わるたびに次元が変わってその世界観にクラクラした。
原子やワームホールの理論的に難しい話はさておき(しかも話の核ではなかったし、よく出てくるコヅチ理論の位置付けも謎だった)、肉体を離れた後の人類が、ソフトとして「生み出され」、人の「意識」や「思考」を持ち「交流する」。肉体を持つ人々は肉体、遺伝子、神経に手を加え進化を遂げている。
そんな世界の話だけでも充分夢中になれるのに、次々に高次の宇宙が現れて、その宇宙の真理を知っているのは、真理は何なのか…私たちの想像を超えた思考と宇宙の話。ひたすら圧倒される。
でも物理空間をせっかく脱却できたのに、自分たちがトカゲ座の二の舞にならないよう肉体に近いCZポリスとクローンで、宇宙空間に出なければならないことが皮肉な感じがした。肉体を持たずに広域に散らばるイメージがなんか矛盾している。
理論やストーリーが、綿密で面白いかはちょっと微妙だけど、こんな宇宙の捉え方、発見があるのかもしれないと垣間見られただけでも熱くなれる!
アーサークラークの「幼年期の終わり」をちょっとだけ思い出した。
投稿元:
レビューを見る
大変な大作。作者はもちろんのこと、読む方にも根気と体力が強いられる。
好きな場面はヤチマが自身の精神を統合し、「ヤチマ=自分」と理解する場面。というか、それまでの分裂した自我と子宮プログラムの中での精神の産出の描写。嵐の中の船のような気分になるけれど、いつ、どうやって私たちが、自己という世界とのリンク媒体を手に入れたのかが想起される。
グレッグ・イーガンの小説では、緻密なSF描写・設定に加えて、人間の心理を暴くような哲学的命題が魅力の一つになっている。今回は哲学的・心理的描写は二の次に置かれ、高次元宇宙への限りない飛躍を主題にしている。(ただし、それが出来るのはポリス生まれのヤチマのみで、肉体を持っていた人類は自身の変化に限界を見いだして果たせない。その点が人間の心理と科学との摩擦を扱うイーガンらしい)
人間の好奇心の可能性を最大限に描き出す内容は訳者解説者等の言にあるように王道SFでもある。ただその主題を全うさせるための設定が難解すぎて、万人受けどころか、SF好きにも読むにはかなりの苦痛を強いられる。正直ワームホール理論あたりは全く理解できなかった。
でも! グレッグ・イーガンのそんな作品への真摯な姿勢は、私は個人的に大好き。気の遠くなる宇宙への冒険は、読むだけで辛いしキツいし大変だけど、壮大で好奇心を満たしてくれる。自分を複製して宇宙の果てへ送り出すところと、5次元だったかな、ヤドカリが高次元生命体として出てくるあたりは「アッチェレランド」に似てた。また「ポリス」の住人であるガブリエルとブランカのカップルが、その知能のために生きていくことに意味を見いだせなくなって自殺してしまうのも好き。
個人的にはポリス生まれの生命体の心理描写をもっとして欲しかったかなぁ。人類の模倣でなくて、もっと独特な思考形態の生き物として。そういった意味で、「絨毯」の閉じた精神世界は興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
残念ながら私には読みこなせませんでした・・
表紙 4点小阪 淳 山岸 真訳
展開 4点1997年著作
文章 4点
内容 454点
合計 466点
投稿元:
レビューを見る
あまりの壮大なスケール。はっきり言って難しすぎてついていけない所があるが見事な大法螺イーガン節である。すばらしい。
これまで読んだ作品と比べるとユッタリとしたストーリーで、解説の大森望氏が指摘するようなビークル号的古典的冒険譚の香りもある。もう少し異世界の細部をギリギリ書いて冒険譚風味を出して、という気はするが、それじゃテーマとそれるし冗長か。
投稿元:
レビューを見る
難解さで知られるイーガン作品のなかでも、比較的とっつきやすいと思います。
人間の、というより知性のアイデンティティを極限まで突き詰めた小説です。
ちなみにとある漫画で「イーガンを理解している人はいないけど、理解したふりをするのが通の読み方」みたいなことを、さもSFあるあるっぽく言ってました。
そういう斜に構えた読み方はせず、純粋に楽しみましょう。
投稿元:
レビューを見る
順列都市が面白すぎて期待値を上げて読んでみたが,完全に置いていかれた..
話が全然入ってこなかった.
投稿元:
レビューを見る
順列都市が私達の精神がデータ化されるまで、また自律するAIが誕生するまでの話だとしたら、これはデータ化された私達が幾重にも別れて(データ化されているので、クローンを生み出すのは簡単です)さまざまな宇宙に拡散し、探索をするさらに未来のお話でした(根源的には、未来の滅びを避けるための手がかりを探索の目的にしています)。
私達が気づいていないだけで、私達の生きる空間はトランスミューターのような存在とは既に繋がっているのかも。トランスミューターが進化の果てに獲得したのが、あらゆるものに干渉しすぎない「自制」の力であったことがとても印象的でした。
3次元以上の世界って想像するのが難しいですが、かなりイメージが掻き立てられます。
あと、主人公のヤチマのようにマイペースに生きることは辛くなく生きるコツなのかなと思いました。イノシロウ、オーランド、パオロ…様々な人物の末路が描かれますが、自分の中に生きることの答えを見出したヤチマの行き方は最も自分自身という存在にとって幸福なことのように思います。
投稿元:
レビューを見る
ディアスポラ=離散
宇宙(多次元)の様々な方向に自分たちのコピーを1000個派遣して知的生命体、生存をかけて可能性を探検する。
人間存在が究極に不滅になったときの最終的な人の行き先。
これを作者なりに推し進めている
・自分の全ての可能性を探索しつくす(完了)
・自分の人生の中で不変の箇所を探し続ける(アイデンティティの探求)
・自我を維持できなくなり消滅、霧散、停滞
自分の夢想した問題意識が表現されていて興味深かった。
”価値”は、自分の視点中心に”現れる”のであって、それ自体存在しない
残るのは、自分への探求か、全て(個々に優劣が無いため)の外部の探求。
やはり不死/長命は、普通の人間存在(=自分)には耐えられない。言いかえると、自分のアイデンティティは維持できない(ある意味での死)
あらためて有限の生(死)に向き合う生き方をしたいと感じた
グレッグイーガン全てに通底するテーマであるが、改めておもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
めちゃくちゃ読むのに時間かかった。そして全部理解できたとは言い難い。それでも「読んでよかった、SFってすごい」と唸らせる。宇宙はどのように広がっていて、人類はそれをどのようになら体験・知覚できるだろうかという想像力の限界に挑むハードSFの極地。
投稿元:
レビューを見る
ディアスポラ、ようやく読みました。正直今までのイーガンの本の中では一番わかっていないで読んでいる部分が多かったと思うのだけど、話自体はなんとか追っていました。作中人物ほど、何かが明らかになった時に驚嘆できないのが残念だけど仕方がない笑
解説の大森望の言葉が最大級の賛辞でぜひ引用したい。
グレッグ・イーガンは、疑問の余地なく、現在の地球上で最高のSF作家である。…SF史全体を見渡しても、思考の徹底度においてイーガンを凌ぐ可能性があるのは、かろうじてスタニスワフ・レムぐらいだろう。イーガンはほとんど独力で現代SFの最先端を支えている。…「グレッグ・イーガンがSF作家でいてくれてよかった」という気分になるのが主観的宇宙論三部作だとしたら、SF読者にとっての『ディアスポラ』は、「いままでSFを読んできてほんとうによかった」という気持ちにさせてくれる小説だ。イーガンと同時代に生きているしあわせを心から喜びたい。
ここでもう全部述べられている気はするのですが、残念ながら『ディアスポラ』を読んでも、「いままでSFを読んできてほんとうによかった」という深い感慨にまではたどり着けなかった。おそらく先に三体を読んでいるからで、もし三体以前に読んでいたらきっとそういう気持ちを得ていたのではないかなと推測している。三体の方がわかりやすかったのもあり、途方もない彼方まで飛んでいくということに対してドーパミンドバドバにはなれなかったよう。それを考えると三体、それから他のSF作品で『ディアスポラ』に影響されている作品は山ほどあるんだろうなあと思う。とはいえ最後読み終わった後の読了感は何とも言えない、じーんとしたものだった。どうしてここまできたのか?に対する答えが態度として理解されたときの感動(言葉でなく)がそこにあった。
といいつつ、私はむしろ最初のヤチマが自我を持つまでのシーンに感動を覚えていた。生命の誕生ともいうべき工程が丁寧に描かれ、そこで自分なるものが発生する神秘・不思議に惹かれた。
あとはオーランドとアトランタで会うところもそのあとのトカゲ座の災害のシーンも好きだったな…。イノシロウ…(ちょこちょこ日本っぽい名前出てくる)
そして本作でもメインテーマの一つは「私とはだれなのか?」というアイデンティティの問題。
「別の目標を見つけて、それを新しい目標に決めることはできるだろうけれど…そのときもぼくはぼくなのか?」(p.237)
「ぼくらの現状は、それとは正反対だ。際限のない選択肢がある。ぼくらがほかの宇宙航行文明を見つけることの必要な理由は、それだ。…ぼくらは同じ決断に直面して、いかに生き、なにになるべきかを理解した他者を見つける必要がある。ぼくらは、宇宙に存在することの意味を知る必要がある」(p.290)
ここは後のパオロ・ヤチマの先へ先へという原動力に繋がる場面でもあるけれど、心打たれたシーンだった。ともすると、もうなんとなくやるべきことをやったと思いがちな人生において、まだまだやるべきことがあるだろうと叱咤激励してくれる。まあパオロは最後やるべきことはやりつくしたとなるのだけど、それはあそこまで行ってこそ、そう思っていい��だと思いました。
それにしてもイーガンはどうしてこんなに彼方まで自分の想像力を飛ばせるのか、不思議でならない…
「…だが何兆タウものあいだに、ハーマンは人生経験の記憶の大半を消去し、十回以上も人格を書きかえていた。以前パオロはきかされたことがある。「おれは自分自身の曾々々孫だと思っている。死ぬのもそんなに悪いものじゃないね、何度にもわけて経験するなら。それは不死と同じだ」(p.298)
次は残していた主観的宇宙論三部作の三作品目である万物理論を読む予定。