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「新訳でよみがえる」ということであるが、実はチェーホフを読むのはこれが初めてである。
翻訳物でしかも古い時代の戯曲の場合、まずその言葉遣いからして馴染めない事が多いが、本書は、現代の俳優に向けての新訳であるということで、非常にセリフが現代的であった。思わず何箇所か声に出して読んでしまった。大変刺激的で演劇的興奮をもたらすセリフばかりである。
演劇界や文学界の事情に疎いため、この作品が「悲劇」として捉えられているということを知らなかった。「かもめ」についてレクチャーしてくれた人も、この作品の喜劇性について言及していたため、最初からそういった目で読んでしまったということもあるがが、しかし読後の感想としてはやはりこれは喜劇だと思った。チェーホフ自身もこの作品は喜劇であると位置づけているそうだが、人間の営みや精神の有り様を俯瞰してみれば、すべての人生は喜劇であるともいえるわけで、華やかな名声に憧れて都会へ行ってしまうニーナも、空虚なトリゴーリンも、自滅するトレープレフも、自己中のアルカージナも、その他すべての登場人物がなにがしかの喜劇性を持っている。そして本人たちがそれを自覚していないところがまさに喜劇なのである。
これをベタな悲劇として上演したらさぞやつまらない芝居になるんじゃなかろうかと、そんな不遜なことを思ってしまった。
チェーホフはセリフが面白いのだ。以前見た「羆」を思い出した。あの作品もまたセリフのやりとりがなんとも言えない面白みを含んでいたのである。
まったくいまさらであるが、チェーホフは面白い。
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ロシア演劇史上不朽の名作が、沼野充義の新訳で甦る! 20012年9月 毎週水曜日!NHK Eテレ「100分de名著」で『かもめ』を紹介予定 (帯より)
“かもめ”は本書が初めて。
ラストがあれ・・・なんで悲喜劇とでもいえるのだろうか(?_?)
配役に好みの俳優さんをイメージして読むというのもまたいい。臨場感がありますよ~!
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率直に感想を書くと、よく分からなかったに尽きます。人物の紹介が始めにあるのですが、図とかしてくれていたらもっと分かりやすくなると感じました。もう一回読んでみようと思いますが、分からないなりに読んだ感じでは悲劇としか思えませんでした。これを喜劇というチェーホフの考えが読みとれませんでした。
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素敵な女性を待っている間にバーで少しだけ飲みながら読んじゃったものだから、ドッブリと感情移入してしまいました。
悲劇か喜劇かが問われる本書だそうですけど、さて、どっちですかね。
まあ、私の場合、こんな状況で読んじゃうのは喜劇ですよね。
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「理解できない」というのが、正直な感想。
まず主人公が不在のため、どこに焦点を当てて読んでいいのかがわからない。焦点が定まらないためどの人物にも感情移入ができず、作中で起こる悲劇にも共感できない。
また、チェーホフは登場人物の悲劇を笑いに変えるシニカルな描きかたをするのだが、私には悲劇は悲劇としか感じられず、笑うポイントがわからない。
他の作品も読み進めているところだが、私には高度すぎて理解できそうにない。
ただひとつ言えることは、ドストエフスキーやツルゲーネフの去ったあとの時代を生き抜くために、主人公不在の気分劇を産み出したチェーホフの革新的な取組みはとても面白い。
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NHKの「100分de名著」にチェーホフの「かもめ」が取り上げられているのを知り、ミーハーなオレはこの年になって初めて「かもめ」を読んでみた。もう100年以上の前の戯曲なのに、この新鮮さは何だろう。色んな登場人物にチェーホフの作家としての心情を投影しているさまも面白い。今度は神西訳も読まないと。
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登場人物全員が、それぞれがそれぞれを片思い。
そして誰もの気持ちも報われない。
登場人物の気持ちの移り変わりの軽薄さに
気持ち悪さを感じた。
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「ジャケ買いですけど、何か?」
19世紀末のロシア。ソーリンの屋敷の庭の仮設舞台で上演されようとしている劇を見るべく、集う人々。作家志望の若い男・トレープレフ、その母で女優のアルカージナ、その夫で作家のトリゴーリン、女優を夢見るニーナ、お抱え医師のドルン等…。彼らの胸に秘めた思いが、互いに複雑に絡み合って交錯する。
チェーホフ先生、白状します。
本書は完全にジャケ買いでした。
この表紙のかもめ、絵も字もほんとに可愛くてどうしても欲しくなってしまった。
それでとりあえず買ったので読むことにしました。
読んでびっくりした。
「かもめ」ってこういうお話だったのね。
大いなる変則六角関係?!
ああ…。
このかわいい「かもめ」の表紙と内容とのギャップがー
チェーホフ先生は、本書を「喜劇」と称してはばからない。
読み終えても、自分にはこれがどうして「喜劇」なのかよくわからなかったのだが
本書「かもめ」の新訳にあたったという沼野氏の解説に
「多くの登場人物の間で意志の疎通がうまくいっておらず、互いにどこまで相手の気持ちがわかっているのか、観衆にもよくわからないような書き方になっている」
とあってようやく合点がいく。
彼らの思いが連鎖していくにつれて、何か少しづつ少しづつずれていく感じがたまらないのだ。
そのひずみが、幕切れにどかんときてるんじゃなかろうかと。
私の想像はみごとに裏切られましたから。
思わず言っちゃいましたから。
「なんだ、そっちかよっ!」
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トリゴーリンの台詞に思わず胸がチクチクとした。いつも“そのこと”しか考えられなくて、一つ仕事が終わればまた次の仕事をしたくてしようがない…。大嫌いだけど、そうしなくちゃいられないっていう麻薬みたいな中毒性が創造することを生業とする人には付きまとって離れないみたいなんだ。そのこと、最近になったようやくわかってきた。
大作家ではないけれど、ある程度の成功を手に入れたトリゴーリンの苦しみと、まだ何も手にしていないニーナの彼への憧れ、やりたいことも中途半端で、周りからも認めてもらえないトレープレフの憂鬱…本当に共感できる。どれもこれも、一生涯のなかで散々味合うことになるんだろうな…。
ニーナの有名になるためだったら友達や家族から悪口を言われたってがまんするっていうくだりのあたりは、ほんと、なんか、胸が痛くなるくらい。否定したいけど、否定しきれない自分がいるから…なんともいえない。そりゃ、有名になりたいもんね。だけど、それには犠牲も伴うってこと。
でも、あがいても自分を囲い込む世界を打ち壊せなくて、最後に自殺してしまうトレープレフの気持ちが、一番、今の自分には共感できるかな。
ニーナみたいに、逆境を乗り越えて、自分の弱さに立ち向かう強さを、手に入れなければなと…読んだ後に思う。
ふぅぅー…
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四幕構成の脚本。自称大女優で着道楽のくせにケチな母アルカジーナ、その愛人の三流作家トリゴーリン、作家志望の息子コースチャ、女優志望のニーナが軸で展開し、コースチャが自殺したらしい所で終わる話である。コースチャはニーナに惚れているが、ニーナはトリゴーリンを追って家出、一応結ばれて子供もできるが、子供の死を期にトリゴーリンと別れ、どさ回りの女優をつづけていく。トリゴーリンは作家家業に嫌気がさしており、アルカジーナとニーナの二股をだらだらつづけ、あげくに元の鞘におさまる。コースチャは観念的なものしか書けない頭でっかちで、母からはバカにされていたが、なんとか作家のはしくれになる。なぜか医者のドルンはコースチャには才能があるとしている。ドルンはアルカジーナの兄ソーリンのかかりつけ医で、ソーリンの治療はいいかげん。ソーリンは司法省に28年勤務した官吏で作家になりたかったとぼやいている。コースチャを愛していたマーニャは、「人生の喪服」をつけている陰気な女で、貧乏な教師メドベジャンコと結婚し、赤ん坊ばかり気にする夫を軽蔑している。要するに愛情はたくさん存在するが、互いに結びつかない話でである。「カモメ」は遊びで打ち落とした鳥で剥製にされている。トリゴーリンが剥製にすることを命じたらしいが、彼には覚えがない。ニーナは自分のことを「カモメ」と呼んでいる。チェーホフはこれを「喜劇」としている。
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登場人物達の心象風景の描写が見事。
自由なかもめだったはずのニーナが、嵐の日に傷ついて帰ってくる名場面は、何度も読み返したくなる。
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チェーホフはなんかおもしろい。
みんながみんな片思いで報われないなんて筋書きだと、ふつうは悲劇色が強くなりそうなものだけれど、チェーホフはそんな状況を茶化しておどけてるように思える。
冷笑というよりブラックユーモア。そういえばウディ・アレン的と言えなくもないかも? まあそれはいいや。
決して書きすぎず、かわりに「間」をいれるのもかっこいい。
自由なかもめの象徴としてのニーナ。彼女はある日のかもめのようにトリゴーリンという文学者によって他愛なく抹殺される。でもトリゴーリンはそのかもめのことをまったく覚えてない(「覚えていないなあ!」の反復がいかにもおもしろい)。辛気臭いトレープレフはその死すら報われないなあ。
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チェーホフの戯曲。
チェーホフ本人は喜劇だと言っているそうだが、私からしたらコースチャ、ニーナ、トリゴーリン、アルカージナのドロドロメロドラマという感じ。
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宝塚星組公演で初めて「かもめ」を観た。それがとても良い公演で、久し振りに宝塚で良いお芝居を観た!という気持ちになったし、特にラストシーンは、今思い出しても胸がざわっとする。
それで、すごく好きになったので原作に興味をもったのと、宝塚版では喜劇としての演出ではなかった(と思う)ので、喜劇としてはどんななのかしらと思ったのだった。
でも結局公演の印象が鮮烈で、それが蘇るばかりで、それはそれでとても良かったし、あっけないけど恐ろしい幕切れはやっぱりたまらないんだけど、わたしの力では違う読み方がいまいち出来なかった…。もう一度読んでみようかなぁ。
他の舞台を観てみたい。
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(2014.10.28読了)(2012.12.05購入)
訳者の沼野允義さんが、Eテレの「100分de名著」で講師を務めることになって、その放映に合わせて出版された新訳のようです。
「100分de名著」のテキストを読んだついでに読んでみました。
戯曲の本は、舞台や映画で演じられるとよくわかるのですが、本で読むと人物を掴みがたくて、よくわからないことが多いのですが、この本もそうでした。
シェイクスピアやモリエールなどを読んでも同様なので、戯曲を読むときの読み方のコツみたいなのがあるのかもしれません。
登場人物については、本の頭の部分に名前、職業、人物間の関係、年齢などが書いてあるので、何度も確認しながら読むのですが、…。
主役は、女優のアルカージナ(43歳)とその息子のトレープレフ(25歳)なのでしょう。
トレープレフは、作家になろうと、戯曲や小説を書いているようです。
アルカージナは、作家のトリゴーリンがお気に入りで、よく家に連れてきているようです。
近所の娘、ニーナは、女優志望で、アルカージナの家の庭の舞台で、トレープレフの書いた戯曲を演じたりしています。
登場人物たちは、片思いの人達ばかりで、トレープレフは、ニーナが好きなのですが、ニーナは、トリゴーリンにあこがれています。
チェーホフは、この作品を喜劇と呼んでいるそうですので、片思いの人達ばかりなのも、そのためなのかもしれません。
物語の結末からすると、悲劇と呼んでもいいように思うのですが。
この作品が舞台や映画で演じられるのを見てみたいものと思います。
【目次】
登場人物
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
訳注
訳者解説 かもめはいまでも飛んでいる
●死の恐怖(122頁)
死の恐怖は、動物的な恐怖です……。押さえこまなければなりません。死を意識して恐れるのは、永遠の生を信じる人たちだけですよ。こういう人たちは自分の犯した罪がこわくなるんですね。
●耐える能力(148頁)
舞台で演技をしようと、小説を書こうと、私たちの仕事で肝心なのは、名声とか、栄光とか、私が夢みていたものじゃないの。肝心なのは絶える能力なの。自分の十字架を背負う力がなければいけない、そして信じなければいけない。
☆関連図書(既読)
「可愛い女・犬を連れた奥さん」チェーホフ著・神西清訳、岩波文庫、1940.10.11
「三人姉妹」チェーホフ著・湯浅芳子訳、岩波文庫、1950.02.25
「桜の園」チェーホフ著・湯浅芳子訳、岩波文庫、1950.12.20
「チェーホフ『かもめ』」沼野充義著、NHK出版、2012.09.01
(2014年10月29日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
19世紀末ロシアを舞台に描かれる作家志望の男と女優を夢見る女の恋。35歳のチェーホフが“恋だらけの物語”として構想した戯曲は、様々な演出家や時代によって形を変え、100年以上の時を経てなお、世界各地で愛され続けている。「人生の本質を見る真の繊細なまなざしを獲得した」と評された演劇史上不朽の名作が今、現代を生きる人々のための瑞々して名訳となって甦る。