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平松さんと言えば、『サンドウィッチは銀座で』『焼き餃子と名画座』などで、独特の食体験を端正で、かつ息遣いのある文体で表現していた覚えがあります。
この本では、旅行、映画、文学など、幅広く自身の体験を、周囲の人々の観察も交えながらつづっています。
こちらの本は、端正さよりも、より自身の失敗、迷い、感情などがストレートに出ています。もともと雑誌掲載のエッセイをまとめたものなので、幅が広すぎてちょっととらえどころがない感じもします。
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初めて読む作家。断食1週間の体験の話題がなかなか興味深かった。断食しながら散歩、気功、ヨガをする。自分の身体のことだけに関わっているうちに1日が終わる。自分の身体であるのに現代人はなかなか自分の身体だけに関われないことを実感した。
また「お弁当」について、お弁当はただお弁当というだけでどうしてあんなに響くのかという一文に深く共感。ちくわにきゅうりを挟んだだけでも美味しいのである。
最後に「野蛮な読書」というタイトルがなぜついたのか。
読書をしているとそこから次読みたいものに繋がっていくことがある。全然脈略がないようにみえて実は繋がる。思いもかけない繋がりと広がりというワケのわからなさこそが「自分なりの野蛮な読書」の嬉しさ と書かれてあった。
そしてわたしもこの本から何冊か読みたいものを見つけた。その一冊はロランバルトの「明るい部屋」だ。
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ところどころに面白い本が出てきて、最後まで読んだけど、すごく好みのエッセイストではないなぁ。でも、知識やっぱり興味の深さが面白く、出会えなかったであろう本に出会えるのがよかった。
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「野蛮な読書」、嬉しい本との出会いでした。①池部良の話。原節子や高峰秀子に見送られ軍隊生活約5年、高倉健とのあの昭和残侠伝「死んで貰います」(1970)が生まれたのか!今の肉食女子にはたまらない映画だそうですw②食の随筆、吉田健一、小島政二郎、北大路魯山人、池波正太郎など数多けれど、獅子文六(岩田豊雄)ここにありかw③三浦哲郎「忍ぶ川」「雪国ではね、寝るときなんにも着ないんだよ」女子高校生は呆然としたそうですw。読了して、数十冊の書を読んだ気持ち、とても濃密な時間を楽しみました(^-^)お薦め致します!
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この本は著者の日常を綴りつつ同時に、思わず読んでみたくなる珠玉本103冊の一番美味しいところを我々読む人に対して、さらりと小皿にとりわけてくれるみたいな感覚の、なんとも素敵な読書エッセイです。
著者は根っから本が好きみたいです。
↓
「こどもの頃、布団にもぐりこんで本を読むのが好きだった」
というところからスタートの本好き。
だからなのか、愛書家とか名著をありがたがる、というスタンスではないですね。
批評でも敬服でもなくて、こんな面白い人がいたんだよ、びっくりするような人がいたよ、みたいな感じで、いろんなジャンルの本の事を教えてくれます。
たくさんの美味しい引用もありますが、メインは著者の日常と、本からもらった多くの言葉に助けられたという、著者自身の気づきでしょうか。それはとても温かく謙虚な人生観です。
若い頃に読んで衝撃を受けたという三浦哲郎のある言葉を、23年間一緒に暮らした猫との死別の際に思い出し、その言葉の本当の意味を自分自身で体感するという一編「雪国ではね。」と名付けられたエッセイには、芯からやられました私は。
そしてラスト近くのこんな言葉も印象に残りました。
以下引用
↓
「生きるというのは、いつも宙ぶらりんなのだ。いつだって宙ぶらりんの状態だから、なにごとか勃発すればあたふたおたおた、そこをなけなしの経験やら知恵やら動員してどうにか波間を渡ってゆくのが人生というものだろう。あわてず騒がずスイスイ泳いでゆく人生の達人などといものはどこにもいないのだ。いなくていい。
人生の達人などどこにもいない。いないのに
そんなものになろうとするから人間ややこしくなる。」
2017/01/04 13:07
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優れた本読みの人。
食欲旺盛な人がもりもりと食べているのを見るのは、とても楽しい。著者の読書の仕方もそれと似ていて、すっきりする。
紹介された本のみならず、写真や映画、俳優に興味を抱いた。
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著作きちんと読むの初めてだったけど、すごく好きだったので、遡っていこうと思う。食べるように読んで、読むように食べる。そのうちどっちがどっちだかわかんなくなってくる。
そうだ私も本読むの好きだった。もっと熱狂して、本から顔を上げたらぽかんとなるような、体験をずっとずっとしてたいんだったと思い出した。
伊豆断食道場が気になった。自分の身体の事だけ考える時間。いつか行きたいなぁ。
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野蛮な読書とは何か。
丁寧に作られた食事を楽しんだ後、頂きものの「カステイラ」の包みを開けて、箸でそのまま食べるような読書だそうです。
”野蛮を許しあえる関係は、余裕のないガチンコ勝負とはちがう。もちろん、ただの粗野ともちがう。いってみれば、おたがいを知ったうえでの懐のふかさの競い合い(化かし合い、含む)。”
分かるような分からないような。
とにかく著者は、他分野に渡って造詣が深い。
そして基本的に丁寧な人なのであろう、本の読み方も非常に丁寧。
新刊本ではない、何度も読みこんだ本を、丁寧に、深いところまで読み取って紹介する。
だからタイトルに騙された、と私は思った。
こういう文章を書く人だと知っていたら、このような書き方をするのであれば、明治の文豪の文章を読むような、ちょっと力の入った読み方をしたと思う。
けれど「野蛮な」読書というので、全く無防備にこの本を手に取ってしまった。
う~わ~。
野蛮なんてとんでもない。
次から次へとするすると紡がれる、本や絵画や映画に関するあれこれが、気がつくと見事に織りあわされて差し出される。
「春昼」というタイトルで書かれたエッセイ、いや随筆と言ってしまおう、で、泉鏡花に辿り着くまで16ページも費やしている。
全部で18ページなので、実質1ページ程度しか「春昼」という作品には触れていない。
室生犀星からの、小川のような文章のたゆたいが、既に「春」なのである。
んむむむ。
”書店の棚のあいだを巡りながらほしい本を何冊も腕のなかに重ねてゆくとき、私はそっと神様に問うてみる。
(贅沢してもいいですか)”
これだけは、私にもわかる!
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おもしろくも真実
固有名詞だけの会話はつまらない。何が起きたか、何を見たか、それだけじゃつまらない。何を思ってどんな気持ちになったか、あなたがどんな人なのか知りたいいつでも。
エッセイはそういう要求が満たされるから好き!
何歳になってもドタバタと新しい発見があっていい。歳をとることが楽しくなる
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10年前のエッセイだけど、とても共感出き、引用されている本や写真集などにも興味津々。古い映画などは見るのが難しそうですが。
特に池部良さんのエッセイは私も昔から大好きで嬉しかった。佐野洋子さん、山田風太郎さんに触れた「すがれる」の章、我が意を得たりという感じでした。