投稿元:
レビューを見る
どちらかというと食にまつわるエッセイで知られた平松洋子さんのジャンルにとらわれない書評集『のようなもの』。
のようなもの、というのは正統な書評集とはいいにくいからだ。
普通、主題の本を決めたらそれにまつわる感想やエピソードなどで構成するのが、普通の書評ならこの本は一冊から五冊十冊と広がっていく連想ゲームのようなエッセイなのだ。
たとえば冒頭、向笠千恵子さん(この人も有名なフードライター)が『日本の朝ごはん』で紹介されているさかもとという民宿に宿泊し、そのすばらしい経験を書きながら読んでいる本の内容にふれていくのだけれど、無理が無い。
これはかなり難しいテクニックの書評…というより読書日記だ。
一冊の本を読みながら十の本を思い出し、それを織り込みなおかつ日常のスケッチをいれ、なおかつ芯にしている本に最後は帰結していく。
だんだん読みたい本が増えてきてしまうのは、それぞれを的確においしいところを引っ張り出しているから。
俗物の極みと評されそうな叶野恭子お姉さまの著作と山下清の本の内容を同じ章につづる強引さ、しかもそれがしっくりくるという。
一冊読んで、別の本のことを思い出して取りに行くタイプの本読みならこの本はわかるわかるのかたまりだと思う。
投稿元:
レビューを見る
読書エッセイを読むと、自分では興味を持たないような本の存在を知れるし、本の読み方を知れます。
”本は本を連れてくる”という表現に共感を覚え、この本は次にどんな本を連れてきてくれるのだろうかと楽しみに思いました。
投稿元:
レビューを見る
読書エッセイだけど、文章の味わい方が食エッセイでちょっと驚いた。
“味の記憶”のような“感覚”を文字で説明するのように、本や作家の風味を分析していく共感しやすい読み心地。
投稿元:
レビューを見る
武田百合子、池澤夏樹、森茉莉、沢村貞子、宇能鴻一郎、小山清、開高健、獅子文六、室生犀星、古屋誠一などなど、気になる本がたくさん。メモしながら読んだため時間がかかった。平松さんの生活に本が溶け込んでいて、とてもうらやましく思った。特に好きなのは沢村貞子についての章。
投稿元:
レビューを見る
うむ。
私にはまだ早すぎたようです。
最初のうちはスラスラ読めて、おいしそうな食べ物のこともたーくさん出てくるので、お腹空いたなー、あ、これも読んでみたいなーなんて、巻末の一覧にチェックつけてたりしたのですが、途中から全然読めなくなって断念……。
もうちょっと年をとったときにまた読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
著者の読書エッセイ。昔の本がたくさん紹介されていた。読みたい本がいくつかあったが、昔の本なので探すの大変そう。でも、見つけ出して読みたい!
投稿元:
レビューを見る
読書にまつわる少し長めのエッセイ。読書だけでもないし、生活だけでもない。平松洋子さんの文章は初めて読んだけれど、構成と比喩がダイナミックで迫力がある。「わたしの断食一週間」で子規の『仰臥漫録』を読むっていうのはよーくわかる。私はやたら恋愛ものが読みたくなった、断食中。食を意識せざるを得ないからストレートに食の本に走るか別の欲求で埋めるかは性格が出るところだろうと思う。あと、「クリスティーネの眼差し」!写真集についての章が素晴らしい。実際写真見たことあるのは森山大道ぐらいだけど、恐ろしい鴉の写真を、是非見たいと思いました。宇能鴻一郎って芥川賞作家だったのか、知らなかった。
投稿元:
レビューを見る
「読みたい」力を掻き立てる、洋子さんが日常に平行して野蛮に103冊の本を紹介していくエッセイ。
フードジャーナリストなだけあって、食の描写が凄いんです。書評も秀逸…。叶恭子の本が紹介されたと思ったら官能小説を紹介したり、平松さんの気取ってない柔らかな文章、クスッと笑えるユーモア。
個人的に"わたしの断食1週間"での断食中のひもじさと断食後の食への感謝と断食中の夜に読む正岡子規が印象的だった。
自分の表現力じゃこの魅力は伝わらない…贅沢すぎて感無量!読みたい本がまた増えました。読書好きな方(そうでない方も)是非是非是非是非絶対読んでみて下さい!平松洋子さんのような母親がいたらなあ…って心から思った。何度も何度も読み返していきたいエッセイでした。
投稿元:
レビューを見る
事物の価値を見極めたい。
自慢していたのが後々考えれば恥ずかしいと思うようになった
青年時代に与えられた特権
これから先 みっともない大人になりたくない
「私本好きなんです、蔵書も800冊程持ってます。
この世界{読書)のうちに入る前には憧れの対象だった人たち
読書家の分類もしていなかった。ただたくさん本を読めば賢くなれると思っていた。なんて浅はかな考えだっただろうと今では思うのだが、そのような下劣な動機でもこの世界に入れたことは、入ったことは一種の誇りでもある。やり通すこと、諦めないこと、それは取り組んでいるそのものが全部誤っているのではなく部分的であることを知り受け入れ、見落としている部分にも視野を広げ調整をしてつなげていくこと。
いいものもあれば悪いものもある。
本当があれば嘘もある。[それは本当があるから嘘があるかもしれないし、嘘があるから本当があるのかもしれない。だけれども、だけれども、そんなことは生きていくうえでは実にどうでもいい話だ。学問の上ではわからない。高尚なことをしているがゆえに己の過ちを認めたくないのはインテリの最もわるい性だ。そして自己弁解、弁護も同じく。きわめて美しくない。と言うよりも汚いといったほうがよさそうな気もする。]
読書の世界にもこの原理が全部でないにしろあてはまるはず。
悪害極まりない本読み(それもいい年した)は
自覚していなくても、むしろ自分はいいことをしているという認識でいる。
青い... みっともない.... はずかしい... そして何より美しくない...。
下種な商売して、いい暮らし。募金活動でもしやがれってんだい。
読書の世界に入る前にまず何から読み始めよう、どう読んでいけばいいのだろう?この問いから入っていった。
すでに本を読む方法がこの世界には樹立されていて、それをそのまま汲み取ろうとした。本の種類にはどういうのがあるか、どれだけあるか?さまざまの疑問への答えもこの世界にはすでに存在しているとそう思っていた。
おそらくそうであるのかもしれない。
だけど、空になった。中身を、味を、香りを吹き込んでいなかった。それは内の型・器に
もう少し乱らにしていてもいいかもしれない。
ただそれは副次的なものとして、まだ事物が始まるかどうかわからない位置にいる存在である今。己のうちに秩序を作りだてて制限するのは何か後々のことを考えると口惜しい気になってくる。
投稿元:
レビューを見る
日常的に読書をしている人の生活に関するエッセイ。
無理して読書をしているのではなく、自然と読書が入ってきている感じが好ましいです。
逆に、読書案内的に読むと物足りないかもしれませんね。
日常エッセイとしてはいつも通り高品質なので、読書が趣味じゃない人にもお薦め。
投稿元:
レビューを見る
書評。前半は軽い感じで、後半は重量感のある感じで進められていく。日常的だけれどだしとかにこだわった和食を食べてる感じの書評だった。酒井順子の書評はもっと洋食な感じ。
投稿元:
レビューを見る
経験も知識もものすごく豊富ですごい人なのに、飾らない、庶民感覚を忘れない、こんな私でも共感できてしまうような文を書けるのがすごい。
投稿元:
レビューを見る
書評集。
最初は合わなかったのか、ひとつの章の中にたくさんの本が紹介されていて、めまぐるしく話が変わるのでだんだん読み疲れてきて、途中で読むのやめよう…でももうすこしと頑張って写真集の章まで読んでみたらこれがすごいよかった…!!
重い話にぐーっと引き込まれて、その写真集がすごく見たくなった。
凄いのは、どんな写真か見なくてもその写真を想像までできたということ。
その写真を見て自分が心震えるところまで想像できた。
頑張って読んでよかった。
投稿元:
レビューを見る
平松さんと言えば、『サンドウィッチは銀座で』『焼き餃子と名画座』などで、独特の食体験を端正で、かつ息遣いのある文体で表現していた覚えがあります。
この本では、旅行、映画、文学など、幅広く自身の体験を、周囲の人々の観察も交えながらつづっています。
こちらの本は、端正さよりも、より自身の失敗、迷い、感情などがストレートに出ています。もともと雑誌掲載のエッセイをまとめたものなので、幅が広すぎてちょっととらえどころがない感じもします。
投稿元:
レビューを見る
初めて読む作家。断食1週間の体験の話題がなかなか興味深かった。断食しながら散歩、気功、ヨガをする。自分の身体のことだけに関わっているうちに1日が終わる。自分の身体であるのに現代人はなかなか自分の身体だけに関われないことを実感した。
また「お弁当」について、お弁当はただお弁当というだけでどうしてあんなに響くのかという一文に深く共感。ちくわにきゅうりを挟んだだけでも美味しいのである。
最後に「野蛮な読書」というタイトルがなぜついたのか。
読書をしているとそこから次読みたいものに繋がっていくことがある。全然脈略がないようにみえて実は繋がる。思いもかけない繋がりと広がりというワケのわからなさこそが「自分なりの野蛮な読書」の嬉しさ と書かれてあった。
そしてわたしもこの本から何冊か読みたいものを見つけた。その一冊はロランバルトの「明るい部屋」だ。