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猫下僕はいつの時代も同じですね。
許容を越えた子を捨てに行かせたり、いけないことをした子を叩いたり、という辺りに時代を感じました。
ご近所にこんな家があったら毎日覗きに行くな。
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初読みの作家ではあるが、若輩の頃に「だいぶつじろう」と読んで恥をかいたという意味では馴染み深い著者。猫エッセイということで購入し、戦前から戦後にかけての文章表現の移り変わりも楽しめた。家に最大で15匹の猫がいる生活があまりに飄々と書かれているが、たいへんだったろうと思う。巻末の小説、童話も味わい深い。
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良質なエッセイだったかと思います! 巻末に収録されていた猫の目線からの短編も良かったと思います…。
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、エッセイなのでそんなに山あり谷ありといった感じのお話ではないのでアレですが…おまけに猫好きではない人が読んだら何が面白いのかもはや理解されませんね!
ヽ(・ω・)/ズコー
それでもまあ、僕は猫好きなので読みましたけれども…僕も猫と暮らしてみたいですけれども、実際暮らしたら暮らしたで色々と大変そう…それに大佛氏が生きた時代と今は違う…放し飼いとか今、されているんでしょうかねぇ? 猫の糞尿問題…昔の人はこれらの匂いは気にされなかったのでしょうか?
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、そんなわけで…推計500匹の猫と暮らした作家さんですけれども、猫との距離感は抜群だったそうで…あんましベタベタしない関係…良いですねぇ…。
さようなら…。
ヽ(・ω・)/ズコー
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『「他の動物の全部がお釈迦様の臨終を囲んで泣いたと云うのに猫だけはどこかで日向ぼっこをしていたのか虫を追って遊んでいて考えなかったのか出て来なかったと云って非難されている。お釈迦様の臨終と云うような重大な瞬間に居合わせなかったことを勝手に人間が猫の落度としたのである。としてもこの怠けっぷりは可憐で美しい。またエゴイスティックな小動物が決して偽善家でないと云う証拠にもなるように思われる。知っていても猫はアンリ・ルッソウが好んで描いたような青い熱帯の森の涼しい草の中に柔らかく前肢をまるめて祈って坐り、ひとりで静かに大きな蝶の夢でも見ていた方が仏の御心にかなっていると信じていたのではないか?」』
ほんとに猫が好きなんだ。もうほんとに猫を愛している。
常時15匹前後、「住み込み」と「通い」をふくめ生涯傍らを通り過ぎた猫500匹。
つかず離れず、微妙な距離を置き、心から尊重している。
いろいろな猫の最期や、愛猫家の友人の最期に胸が詰まる。
『「風邪でもひいたのか、二三日、めっきり弱りが見えていたと思ったら、昨夜は便をするのにも私に戸をあけさせて、悠々と外へ出て行ったが、今朝になって見ると炬燵の隅に置いた果物の空籠の中で冷たくなっていた。
猫としても立派な奴だったと思う。小さい時から不幸で惨めな一生だったのに、卑屈ではなかったのが気持ちがいい。庭の白い梅の木の根もとに穴を掘って葬ってやった。」』
『「お棺におさめた木村さん(画家の木村荘八氏)は、生前より顔も若く色までよく見えた。しかし口をきかなくなったとは、何とも冷たく静かなもので、別れたさびしさが身に染みて感じられ、涙をこぼした。
猫の奴は、一向、平気でしたよ。木村さん。そう知らせることが出来たら、木村さんは答えるだろう。
『それで、たすかりますね』」』
歌舞伎座に住み着いて、本番の舞台を横切った猫の話は、今は昔、おおらかな時代の記録としても貴重だ。
猫の童話も書いている。
『「ほんとうに、まもなく冬がくることでしょう。この夏生まれたばかりの子ねこたちは、まだ冬に会ったことがなく、しもや雪も知らないのでした。しかし、じょうぶで生きていれば、この世の中がどんな時もたのしいし、よいものだと知っていましたから、朝起きるのをたのしみに、ぐっすりと、よくねむるのでした。いつも目をさますと、きのうとちがう新しい朝が来ています。白吉もスイッチョのことを来年の秋がくるまで思い出さないで、あしたは元気に庭をとびまわって遊ぶことでしょう。美しい秋晴れの日がつづいています。」』
この世界に対する全幅の肯定感と、今を生きる感じは、猫そのものでもあり、児童文学の神髄でもあると思います。
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ねこねこねこ、でした。
猫好きさんならば、
ずーっと読んでいたい甘い蜜。
(ねこは私にとって甘い蜜)
筆者にとってねこは、同胞であり、
子供のようなものであったと思うけれど
(ここまでは私も同じ)
少し離れた場所から、
淡々とお話されるのが良いのでした
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とても親しみの持てる、大佛次郎氏による猫のエッセイと小説。WW2と時期が重なっていた、つまり戦時下の猫たちの様子も語られている。なんといっても良いのは、軽妙で味わい深く、「こいつめ」と愛情深く猫を見ながら語るような眼差しだと思う。大佛さんの猫好きはちくまの「猫の文学館」から知ったのだが、本著はそれで語られたよりずっと多くの、いとおしく面白く、小狡く、聡く、ときに滑稽な猫たちを見せてくれる。哀惜のようなものも漂っているが、読んでいて重石をかけられたように感じないのは巧みな筆致と文学的猫愛(?)のなせるわざだろう。
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大佛次郎記念館に先日行ったので。
猫に関するエッセイや短い物語、童話がたくさん詰まった本。
生涯に飼った猫の数500以上はすごすぎる…
私もねこに黙って囲まれながら死にたいなぁ。
猫への深い親愛が感じられた。
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著者、大佛次郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年(明治30年)10月9日 - 1973年(昭和48年)4月30日)は、日本の小説家・作家。大仏次郎(新字体)とも書く。神奈川県出身、本名:野尻 清彦(のじり きよひこ)。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影(正英)は兄。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
私の家に住んだ猫の数は五百匹に余る。
黒猫ばかりふえた時代があるかと思うと白猫ばかりの天下があった。両統対立の時代もあった。
仕事に向かうと、極端に無口で怒りっぽくなる心をなごませてくれるのが、猫であった。猫は人間に冷淡なので好きだ
――そう述懐する著者の猫への眼差しは、どこまでも暖かい。
文豪の、猫に関する小説、童話、随筆を集大成した不朽の名編!
---引用終了
著者の友人で猫好きな方として、豊島与志雄さんと木村荘八さんがいます。
生年没年を見ておきます。
・大佛次郎(1897~1973)
・豊島与志雄(1890~1955)
・木村荘八(1893~1958)