投稿元:
レビューを見る
『あかんやつら』で書かれていたようにひとつの文化やジャンルの衰退は人気がなくなりやがて次世代がいなくなっていくことであり、消滅していくことである。
次世代を育てられない文化は継承されていかないから終わる。この新書では現場の人たちに時代劇への想い故に挑発をしてかかってこいと言っている。もちろん作品を作って俺をひれ伏せさせてくれと時代劇を愛している人間がここまでいろんな人から文句が出そうなことをガッツリ書いてしまうほどに終わりが近いのだとも読んでいて感じる。
僕のように時代劇に親しみのない人間ですらここに書かれている時代劇の凋落の原因はわかりやすく時代の変化と共にあったことがわかる。大事なのはやはり人なのだ。現場にいる人たちがいかに機能するか。
監督にしろ脚本家にしろ役者にしろ、理解あり知識のあるプロデューサーにしろ、それらは現場があってこそ熟成され育っていく。これはどんなジャンルにおいても共通することであるはずだ。
春日さんは本当に介錯しようとしているのだと思う、怒りながら泣きながらも。
そういう想いのある本はジャンルを越えて伝わると思う。
投稿元:
レビューを見る
ここ1年ほど昭和40年代頃までの日本映画を集中的に観ていて、当時の時代劇の面白さにびっくりしていたが、なぜそれが衰退してしまったのかはよく分からず、本書を読んで腑に落ちた。時代劇が衰退した原因はいくつも挙げられているが、これはアニメやマンガ・音楽・TVなどの他のメディアにも共通するリスクだと思う。興味深いのはマーケティングの細分化・効率化であり、たとえば1996年から視聴率調査の細分化が行われて年齢別の視聴率が明らかになり、それによって時代劇のターゲティングが大きく変わっていったなど、これはアニメや音楽にも通じるのではなかろうか。また、TV産業が肥大化するにつれて効率化から過度のリスクヘッジを行うようになり、企画がどんどん無難になっていき、結果的にコンテンツが貧しくなるという流れも興味深い。コンテンツを持続可能な形で生み出すエコシステムというものを考えてゆかねばならず、たとえばディズニーなどは(成功しているかはともかくとして)そのような視野を持って世界戦略を行っているが、日本のTV・映画産業ではそこまでグランドデザインを持つことができなかった。これは戦略的な無知による必然的な結果であり、時代劇が衰退する布石はいずれも十数年以上前に蒔かれていて、昨今になって生じたものではない。人材が豊富である時期に、その豊饒さに甘えて、焼き畑的なコンテンツ制作方法に陥ってしまうリスクを乗り越えることはできないのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
いいね。
視聴率至上主義、まあ、スポンサーが付く以上しょうがないところはあるが、そこからスタートして、あらゆるレベルので人材不足を招いてしまった。
何が起きるかというと、受け取る方の質の低下と、均質化ではないかという気もする。
そのフィクション仕立ての考え方はSFと通じるところがあると思うのだが、日本の映画、ドラマがもうちょっとマシになるためには、この分野で鮮やかな何かが起きることが必要なのではないかと思わせる。
投稿元:
レビューを見る
著者の「時代劇への愛」を感じずにはいられない。
愛を持つ、ということは、トコトン研究することだと思い知りました。
投稿元:
レビューを見る
時代劇の衰退を嘆いて、その現状を分析する。時代劇への熱い思いがあるだけに痛切だ。
作品名や実名が出ている点で手厳しいと感じる部分もあるが、それも現状への憂いの強さの表れだろう。
確かに大河ドラマぐらいしか見なくなったなとの思いはある。
時代劇はファンタジーであるとは思わずうなづいてしまう説である。
投稿元:
レビューを見る
水戸黄門の放送終了をもってマスコミはこぞって「時代劇の危機」を記事にした。 しかし、時代劇の滅びへの道は、30年前から約束された道だった。
時代劇への愛ゆえに、時代劇の危機を徹底して分析した一冊。
指摘する項目によっては「それは時代劇に限らず、普通のドラマも抱えている問題では?」と思うものもいくつか。
投稿元:
レビューを見る
日経夕刊のレビューで文芸評論家の縄田一男さんが五つ星を付けて絶賛していた。「この書評コーナーの最高点は星5つだが、この一巻に限り、私は10でも20でも差しあげたい。……(中略)本書を読んでいる間、私の心は泣き濡(ぬ)れていた。いや、時に号泣していた。春日よ、死ぬ時は一緒だぞ――。」。著者のあとがきに縄田さんの批評が引用されているのを読んで、このレビューの真意が分かった。著者が2011年に出した「時代劇の作り方」の縄田さんの批評に対する返歌がこの本であり、それに対して縄田さんが再び、日経のレビューで答えたということになる。
映画・テレビで盛んだった時代劇はなぜ衰退したのか。著者はかつて視聴率30%以上を誇った「水戸黄門」終了の理由から説き起こして、さまざまな要因を挙げていく。製作費がかかる割に時代劇は視聴率が取れなくなった。その理由は内容のマンネリ化だ。テレビのレギュラー番組は徐々になくなり、次第に時代劇が分かる役者も監督も脚本家もプロデューサーもいなくなった。レギュラーがないから時代劇のスタッフは時代劇だけでは食べていけない。人材を育てる場もなくなる。こうした負のスパイラルが進み、今や時代劇は風前の灯火なのだそうだ。
今年2014年は映画「るろうに剣心」2部作や「柘榴坂の仇討」「蜩ノ記」という良質な時代劇が公開されたのでそんなに衰退している感じは受けないのだけれど、時代劇を巡る状況は相当に深刻らしい。時代劇の分からないプロデューサーが作ったNHK大河ドラマ「江」や時代劇の演技を拒否した岸谷五朗主演の仕事人シリーズを著者は強く批判する。時代劇を愛する著者の危機感は大きいのだ。
ただ、時代劇衰退の理由と現状はよく分かるが、ではどうすればいいのか、という提言がこの本にはない。テレビでレギュラー枠を復活させるのがいいのだろうが、視聴率が取れない以上、いきなりは難しいだろう。単発で質の高い面白い時代劇を作り、視聴率の実績を挙げ、レギュラー化を勝ち取っていくしかないと思う。これは相当に困難な道だ。
投稿元:
レビューを見る
かつて、時代劇は娯楽劇の王道であった。
しかし、映画で衰退し、そしてテレビでもレギュラー枠から消えてしまったのが、偽らざる現在。
その現状を憂い、そして原因を、様々な視点から著者は徹底的に追究する。時に厳しく、時には弾劾も。
正鵠を射るその指摘は、とりもなおさず著者が時代劇をこよなく愛するが所以。
そして、「おわりで」で著者はこう記す。
「恐らく、時代劇はこのままではそう時間がかからないうちに『死ぬ』だろう。人を育てることを放棄し、若者が希望を持てない業界に未来はないからだ。」
この文言の「時代劇」あるいは「業界」という言葉の裏に、日本あるいは社会という言葉を、連想してしまった。
投稿元:
レビューを見る
本来なら、こういう言論はあまり好きではない。
時代や人材に恵まれていた黄金時代、そのレベルを求めるあまり、(結果はどうあれ)今頑張っている人達を無能と切り捨て、少なからず存在する「今のファン」を観る目が無いとなじっているよう思うからだ。
しかし作者自身もその点は覚悟の上で本著を描いているわけで、時代劇の置かれている状況は本当そこまで危機的なんだろうなぁと言う気がしてくる。
作者自身も、多くの俳優や裏方の人々に直接聞いた言葉の上に本論を挙げているのであり、単なる「いちファンの思想」と切り捨てるのも難しいだろう(少々意見は裏方より…技術を残す的な…な気はする)。
個人的な意見としては、「時代劇」というジャンルは残ると思う。数々の創作を見ていると、やはり「時代劇」的な舞台や設定を用いた物語はいまだ老若男女惹きつけている。ただそこには"京都で培われたノウハウ"は残ってはいないかもしれないけど。(それが良いか悪いか、それを判断できるほどの思い入れは正直言えば無い)
また、本著は「一つのジャンル、組織が先細っていく過程」を描いた本としても興味深い。どんなに苦しくても、未来への投資を怠ればこのようになっていくのだろう。
投稿元:
レビューを見る
なんで時代劇がつまらなくなったのか、はやらなくなったのかと感じている人は多いはずで、それがああ〜、やっぱりか〜!と一章読み進めるごとに、納得&悲しみが襲ってくるという、非常に辛い一冊でした。
82年生まれの私は時代劇オタクではないものの、時代劇は普通に観ていて普通に好きだった類いの人間です。座頭一でかつしんってすっげえかっこいいんだあああ!と思ったり、必殺仕事人の前口上にたまらねえと思ったり、名前も覚えていない(たぶん八丁堀とかだと思われ)結構な量の時代劇をミーハーに楽しんできました。
で、女子高生時代だの女子大生時代だのにも、周りの女子にはけっこう時代劇スキーが居て(私よりはるかに詳しかったり)、時代劇って普通にいいよねってモンだと思ってたんですけど。
どうにも元気がないじゃないですか。何でだろうって悲しんで、それにしたって役者がひでえよなんでそれで飯喰ってんのに始めて時代劇入るなら所作とか歴史的背景とか学ばねえの?イミフ!とか、きっとカネとか局とか人とかいろいろあるんだろうなあとか適当な予想を立てては嘆息したりしてるわけです、こんな素人でも。
それがきっちり証明されてしまって、ああ辛いなって。そういう一冊でした。
あと、なんて言うかミーハーファン的には、ファン層のめんどくささはやっぱ…。時代劇ならこれ観なきゃ嘘でしょ的な。自分の好き嫌いのフリをして「やっぱ」とか言う人は本当にそのジャンル・業界・世界において垣根を高くし駄目にしてると思う。迷惑なマニアックさいらないんですよ、ミーハーなくらいでいいんですよ、コレおもろいよーってそんなんでいいんですよ…たのしむものなんだから。自己肯定の道具にされるとほんとしらけるんですよ。
言うても、時代劇モノに挑戦したいなあと思ってもできないくらいの不勉強は自戒しかないです。時代劇はファンタジーですよね。時代劇好き女子は軒並みロードオブザリングとかのファンタジー愛好家でもありました。
そして、今我が家にはおかーさまの(漫画経由での)鬼平&剣客商売ブーム到来により、延々と池波正太郎アワーが録画されては上映されています。それでいいんじゃないと思ってしまうと滅びるのかしら。。。時代劇チャンネルは昔から重宝しております。はい。
時代劇観たくなります。テレビでいっぱい流れてたころには自分で好き嫌いで観ることができていたけど、そうじゃなくなるととんと離れてしまっていたので、新たな好き時代劇を発掘したくなります。ので著者次回作の時代劇100作だっけか、これも楽しみに買います。
なんとかならねえかなあ、時代劇。
投稿元:
レビューを見る
タイトルのとおり、時代劇衰退の要因を抉っている本。
もう見応えのある時代劇の新作は出てこないのかもしれない。そうならないことを期待はするが。
しかし、本書が指摘した諸問題は、時代劇だけに留まらず、現代劇にもかなりあてはまる。
だから、最近の地上波ドラマは見る気がしないのである。
投稿元:
レビューを見る
著者の時代劇に対する熱い気持ちがひしひしと伝わる。気がつけば時代劇を見なくなっていた。単調でお決まりにのパターンで飽きたことに理由があるが、その原因がよく分かった。監督、脚本家、役者の不在…。
技術の承継ということも念頭において頑張って欲しい
投稿元:
レビューを見る
いやあ、久しぶりに熱いのを読んだ! 高野秀行さんが「こんなに悲しくも面白いレポートは珍しい」と紹介していたのだが、まさにその通り。著者の悲憤がストレートに伝わってくる。
著者は1977年生まれ。おやまあその若さで時代劇研究家?と思うのだが、その「時代劇=高齢者向け」という状況こそが今日の惨状を招いたのだと著者は言う。若者が見ない番組に大手スポンサーはつかない。何故若者は時代劇を見ないのか? ずばり「つまらないから」。じゃあ、何故時代劇はつまらなくなったのか?
撮影所が下請け化し技術も停滞している・時代考証をやかましく言い立てることで表現が窮屈になっている・人気者に頼るドラマ作りで、時代劇をやれる役者がいない・プロデューサーも監督も脚本家も、時代劇というものをよく知らない人が多くなっている……、著者のあげる理由にはすこぶる説得力があって、こりゃほんとに時代劇は瀕死だなあと思わされる。
確かに近年の時代劇といえば、「水戸黄門」に代表されるお約束的ワンパターンのものばかりが思い浮かぶ。かつてはそうではなかった、現在を舞台にしたのではありえない絵空事になってしまうような、ギリギリの厳しい状況での人間ドラマを描ききった秀作が数多くあった、滅びようとしている時代劇について、ノスタルジーではなく語りたい、この思いを共有したい、という気持ちがほとばしる一冊だ。
俳優や監督、番組等について、名前を挙げて厳しく批判している。でもそれは「ためにする」ものではないから、イヤな感じがない。最終章に書かれた、このところのNHK大河への批判には、うなずくところが多かった。まったく「江」はひどかった。上野樹里ちゃんが主演するというものだから久しぶりに大河を見る気になったのに、なんじゃこりゃ~!これ本気?ギャグじゃないよね?って感じで。まあテレビドラマが見るに堪えないのは時代劇だけではないわけだけど。
このままだとそう遠くないうちに時代劇は死ぬと著者は言う。それでも自分なりにこの状況と闘いつつ、「春日。お前は間違っている!」と現場から(作品という形で)声が上がることを願っていると書かれていて、心からの言葉なのだと思った。
投稿元:
レビューを見る
日本映画の盛衰と一蓮托生だった時代劇。失われたものへの憧憬を綴るのでなく、実証をあげて羅列された多くの問題点は強い説得力を持って存続の危機を訴え、エンターテインメントとして維持するための処方箋にもなっている。なにより行間には時代劇への愛着が溢れんばかりだ。
投稿元:
レビューを見る
時代劇がマンネリ化していった原因、大河ドラマが平板化していく過程、時代劇が陥っていった衰退の渦をひとつひとつ解きほぐし、唇を噛み締めながら詳述した本。論評対象が実名なのも素晴らしい。