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必読。これはいい本。何度も何度も読み返して、自分を戒めたいです。
「生きることの最大の障害は希望を持つということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである」
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長寿社会といわれて久しいが、せいぜい平均年齢は70年だか80年である。年数の解釈によるものであるが、「人生は長い」という感覚にかまけすぎたがために、人生は儚く、そして短く終わってしまう。
紀元前の哲学者であるセネカはその人生の短さを嘆き、それを「哲学」という形で受肉とした。その結晶が本書である。
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心の師 森信三先生の言葉がどんどん還ってくる一冊。
2013年プラス100年強前 の段階では、今我々の知るアマネ・ニシの「哲学」と、セネカの指す哲学は違ったであろう。 即ち、哲学とは実学であり、実践を伴った歴史学にこそ、限られた人生の時間を超越し、即今に資するエッセンスが包含されていたのだと思う。 このエッセンスを燻り出す術こそ哲学と呼ばれたのではあるまいか。
「思慮深いと自惚れる人間は、結局、生きるための準備だけで人生を使い果たしてしまうのです。」
あるいは「未来に確実なものは何もないのです。今、ここを生きようとしなさい」
これは、”カーベ・ディアム”に全てのノイズを振り払って向き合った人だけが達せられる、二度とは無い人生のための生活を示唆する言葉といえるのではないでしょうか。
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今を生きる。無意味なことに時間を割くのをやめ、自分の中で価値のあることに時間を使う。
時間は誰にでも平等で、それ故にその大事さに、失うことを最も価値のあるものだということを忘れがちになってしまう。
時間が有限であるということを常に意識して生きるべき。
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「他人に時間を奪われるな」と説いた著者が皇帝に殺されるという形で「他人に人生を奪われた」事を考えると、生きる事の難しさを痛感する。
人と関わるという事は時間を奪われる事であり、それは読書における著者との対話にも言えるし、絵画・映画・音楽・芝居・スポーツ等々の他人の創作物・表現活動を鑑賞する事も含まれる。何かに関わっても、瞑想・内省しても、同じように時間は過ぎ去っていく。結局は何とどう関わるか?または関わらないようにするか?が問題なのだろう。無駄に過ごせば人生はあっという間に終わる。時間は限られる。基本的にやりたい事だけをやる。やりたくない事は極力しない。これから気をつけたい。
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2000年経っても人間は大して進歩してないって知ったなら、セネカはなんて言うだろう。
セネカの時代よりも、人間は人間のことを、いくらか分かるようになってきたけれど、2000年は進歩するには短すぎる時間らしい。
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現代語訳になっていてとても読みやすい。
人生は短いというけども、他人に自分の時間を使われるような生き方をしていなければ十分時間がある。他人に時間を奪われるような生き方をやめて、残り少ない人生なんだから、哲学をやって過去の賢人と語らい人生を有意義にすごそうじゃないかという話。
身に沁みる。
2千年前から人生最後の日のように毎日大切にしているのかという問いかけをしていたのか・・・・
スティーブ・ジョブズがオリジナルと思ってたわ。
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人生で迷子になったときは、この本を開こうと思う。友人や仕事との付き合い方、自分との向き合い方。古代から人類が持つ悩みというのは、ほぼ変わらないんですね。
予期せぬ不運に見舞われたとき、どう対処すればいいか、才能とは何か。仕事へ情熱を注ぐとはどういうことなのか。あらゆる疑問について独自の視点で書かれており、学びが多かった。たとえば、適度に自分を甘やかすとは一体どういうことか。今日に至るまで、まったく理解できなかったことに気づく。
大事なのは、正解を追い求めることではなく、生き抜くために常に考えることだ。忙しくて自分の時間を取れないと思っている人ほど、今すぐ読むべき。きっと明日から、働き方が変わる。
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愛すること、徳を実践すること、激情を忘れること、いかに生き、いかに死ぬかを知ること、そして深い安らぎの境地に達すること
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人生は短くはなく、湯水のように浪費しているに過ぎない、気づいた時には過ぎ去ってしまい見放されたと思うのである。
人のため、名誉のため、お金や物欲のために、それを欲することに忙しく過ごすことは哀れであり本当に人生を生きてはいない。
悠々自適に過ごすには哲学に時間を割くことである。
これは2000年前に生きた人の話であり現代とは違うとはいえ、否定できるものでは全くなく、ただ漠然と運命に身を任せているのは人生を生きていないんだな、と感じた。
106冊目読了。