投稿元:
レビューを見る
エントロピー増大が不可逆である、というのは確率論であるということが非常に良く分かる。人間が生きている以上、まったく考慮の範囲外に置いてよいほどの確率しかない、という考えが支えているのだが、それは逆に、宇宙の出で立ちなどを考えるとそこにビッグバンの可能性をはらむのかな、と思う。
投稿元:
レビューを見る
いやあ、文系人間には難しいよ。
挿入されてるイラストがまた判りにくいのがどうかと思うなあ。
エントロピーの展開の歴史、キーになる人間を取り巻いて展開するのはいいと思うんだけど。
投稿元:
レビューを見る
熱力学を学習し終え、統計力学を今、学んでいる私にとって、とてもタイムリーで、目から鱗の連続だった。
人間模様も興味深い。理論的なつながりは分かっても人間的なつながりが分からない場合が多いからだ。
・カルノー:熱から仕事の変換には限界がある。ジュール:熱と仕事は等価。この矛盾をエントロピーの概念でクラジウスが乗り越えた。
・二つのエントロピーの定義の違いは、〈温度〉とは何か、を問うている。熱の流れを理解するために温度が生まれた。
・ヘルムホルツの自由エネルギーの意味。反応の進む方向の見極めができる。
・エンタルピーの意味。圧力による仕事を繰り込む。ギブスの自由エネルギーも同じ。
投稿元:
レビューを見る
カルノー、ボルツマン、ギブズらはいかに闘い、自然が隠しもつ神秘を見つけだしたのか?彼らの試行錯誤を追体験することで、エントロピーを理解しよう。
投稿元:
レビューを見る
エントロピーについてはみんな口を揃えてよくわからんという。確かにつかみどころがないよなあ。どこをとっかかりにすれば良いのか...
投稿元:
レビューを見る
私はエントロピーに関しての理解の補助になると考え本書を手に取りました。
たしかにエントロピーの概略の説明はあります、ただそれをまだ私は十分理解できるレベルに達していなかった…ということが理解できました。
ただ、エントロピーにまつわる化学史的な記述は大変興味深いものもありその部分には引き込まれました。特にサディ・カルノーの
【引用初め】
「知っていることは最小限を語れ。知らないことは沈黙せよ。」
【引用終わり】
という言葉は私は非常に共感し、私自身もそうありたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
エントロピーとはなにかを問い求める旅の手引書。乱雑さ。分子の順列組み合わせの総数の桁数。分かったような分からないような気持ち(汗)。再読が必要かな。
投稿元:
レビューを見る
絶賛したい。
過剰とも思える表現が全編にあふれている。だが、こういう驚きやトキメキそのものが、科学を志す人にとっては大事になる。そうでなければ、数学や基礎理論の勉強という、とても面倒くさい修行に耐えられはしない。
この、エントロピーをめぐる科学史では、カルノーとギブズを特にフォーカスしている。
投稿元:
レビューを見る
エントロピーに挑戦、2冊目。
科学読み物として面白かった。
エントロピーは相変わらず?だが、
なんとなく掴めてきた気がする。
科学の進歩を世界史に絡めて書かれており、
科学読み物一般としても面白いと思う。
投稿元:
レビューを見る
鈴木炎『エントロピーをめぐる冒険』。「エントロピー」をテーマに、科学史も含めて解説されてておもしろかった。エントロピー、取り得る状態の数なのね。でも、説明が比喩満載で、その比喩で説明するものだから、逆にわからなかったところもけっこうあった。つぎは統計力学の本を読むといいのだろう。
投稿元:
レビューを見る
https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000057361
投稿元:
レビューを見る
1100
鈴木炎
富山大学理学部化学科准教授。専門は溶液化学・レーザー光化学。理学部化学科の学生を対象とした化学熱力学、並びに経済学部の学生を対象とした一般化学の講義を担当している
サディ・カルノーとはどんな人間だったのか。もともと非社交的な性格で、友人は少なかったようだ。かと思えば、腹を割って話せる仲間には親切で、屈託がない。そればかりか、ときに恐ろしく大胆な言動をとって周囲を驚かせた。弟の評するところでは、悪意はないが辛辣、偏屈ではないが奇抜。父の没落や復活のたびに猫の目のように態度が豹変する取り巻き連中にはほとほとうんざりしたらしく、美辞麗句や虚栄を極端に嫌った。「知っていることは最小限を語れ。知らないことは沈黙せよ」が信条だったという。政界からの誘いもあったらしいが、親の七光りを嫌悪し、共和主義劣勢の世の中にも失望して、自分の世界に閉じこもった。 サディが 勤しんでいたのは、科学の研究と芸術の鍛錬だったというが、科学に関しては、考えていることを弟にすら一切話さなかった。ただ、敵国イギリスで1769年にワットが開発していた蒸気機関には並々ならぬ関心を示し、工場巡りなどもしていたようである。 そのほか、ルーブルや博物館、図書館へも足しげく通い、自然史、工業、経済学を学び、バイオリンの演奏に習熟、体操・フェンシング・水泳・ダンス・スケートにも玄人並みの腕を見せる。「花の都のすてきな生活」をエンジョイ、というところだが、よくいえば高等遊民、悪くいえば「エンジンおたく」。極端な話、ニートや引きこもりといった印象さえ受けかねない。救国の英雄ラザール・カルノーの息子は、父の失脚と政変で 腑抜けに成り下がってしまったのだろうか。 むろんそうではなかった! 当時、〈蒸気機関〉は国運を左右する産業革命の 要 であり、「七つの海を支配する」大英帝国の栄華を支える屋台骨であった。そして同時に、惨めに後れをとっている祖国フランスの劣勢挽回という可能性を秘めた鍵でもあった。
──あらゆる時代、あらゆる国の、あらゆる人間が考え出すであろう、いかなるエンジンにおいても、例外なく成り立つ法則、絶対の法則を見いだすこと。 ここに、具象から抽象へと舞い上がる、父譲りのサディの数学者魂が炸裂したのです。
世界を変える鍵はエンジンにあるというサディの洞察は、確かに慧眼であった。だからこそ今日でもわれわれは、エンジンを操る者を技術者(エンジニア)と呼び、エンジンを司る学問を工学(エンジニアリング)と呼ぶのです。
サディの父ラザールも、その主著である数学書において水力に精密な分析を加え、永久機関の不可能性を論じていたのであった。こんなエピソードもある。ナポレオンの別荘で、サディの姿が見えなくなった。ジョゼフィーヌが慌てて捜したところ、4歳の幼子は水車小屋で、水車のしくみについて小屋番に熱心に質問していたという。この水車のイメージこそ、若きサディが蒸気機関の考察を進めるにあたって出発点としたアナロジーだったのである。 いうまでもなく水車とは、流れ落ちてくる水の力によって駆動する動��機関である。だが、水車に注がれた水はことごとく、また水車から流れ出てゆく(図1‐7)。そのイメージをサディは、驚くべき洞察力によって、水車とは一見似ても似つかぬ蒸気機関の本質をあぶりだす理論に重ね合わせたのです。
あのころ、高等師範学校の生徒だった私は、大学で理科の講義を受けたいと思っていて、とっても苦労したものだった。いまの時分とは違って、大学当局は女性に実に冷たかった。男子学生の気が散るし、だいたい女の頭には科学は無理だよと頭ごなしに言われ、何度も断られた。けれどルートヴィヒは優しかった。両親を亡くした私は不安でいっぱいだったけれど、この人についていけば大丈夫という気がしていた。それがいまは……。 去年、カリフォルニア大学まで一人旅をしたときの無理が 祟ったのかしら。クリスマス以降、夫の具合は最悪になってしまった。もはや物理学にも哲学にも関わることができなくなった。だけどトリエステに来たのは正解だわ。よくなる。
ボルツマンの自殺は、今日でも、物理学史上最大の悲劇の一つといわれている。しかし、念のために断っておくと、当時のウィーンやオーストリア、ドイツでは、著名人の自殺は決して珍しいものではなかった。ボルツマン一家が避暑に出かける直前にも、就任したばかりのベルリン大学物理学研究所の所長、金属の自由電子モデルで有名なパウル・ドルーデが、謎の自殺を遂げている。リングシュトラーセに面するオペラハウスの建築家も、入口のできばえに関する皇帝の些細なコメントに傷ついて自殺した。その皇帝の息子、皇太子ルドルフが愛人と拳銃自殺したのは 17 年前の1889年であった。社会的地位や財産の有無にかかわらず、世紀末のウィーン人は驚くほどの頻度で死を選んだ。
ケンブリッジ大学卒業後に教壇に立つが、講義はきわめて不得手で、黒板の前に無言で立ち尽くすことしばしばだった。幸い、大地主の生まれなので生活には困らず、早くも 34 歳でキングスカレッジから引退、田舎暮らしを始める。だが研究は続けていた。その論文のスタイルは、とにかくエレガントで簡潔、厳密にして明晰。客観的・批判的に自分の思考を検証し、すべての可能性を考えつくして議論することができた。 39 歳にしてケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の初代所長となるが、それから8年後、 48 歳の若さで死去。母親と同じ腸の癌だった。たぶん症状に心当たりがあったのだろう。余命1ヵ月と宣告されたとき、あまりにも冷静だったので主治医のほうが逆にショックを受けたという。自分のことより病弱な妻のことばかり心配し、激痛に耐えつつ最期まで快活さを失わなかった。
プランクの量子仮説は、1900年の発表から2年たち、3年たっても、ニューヘヴンではまったく話題になっていなかった。ギブズは生前、それを知ることはなかったらしい。だが、そのころの発言を友人は記憶している。 「あのねえ。分子や原子はみんな、何かの雰囲気みたいなものをまとっていると思うんですよ。地球の大気圏みたいにね。根拠はないんだけど──科学的根拠はね。だけど私には確信がある。そう考えれば、すごくいろんなことが、うまく説明できるんだよ」 ギブズの眼には、いずれ見いだされるべき電子雲の姿が見えていたに違いだ。
その答えはもうおわかりのはずだ。あなたは毎日、エントロピーを見かけている──省エネや人類の未来を考えない日でも。毎日、毎分、毎秒、いまこの瞬間にも、あなたの目の前に展開しているのは、エントロピーが踊る世界、〈不可逆〉の世界だ。あなたの指先の筋肉がATPを消費しつつ動き出すとき、本書のページをめくるあなたの指から紙の分子へ熱が流れるとき、紙が動いて気体分子へとエネルギーが移動するとき。そのいずれの瞬間にも、分子たちは、開かれたゲートの先の、新たなる〈可能性の王国〉へと疾走してゆく。見えない分子のダンスが、見える世界を支配する。あなたの指をいま動かしたのも、実はエントロピーなのだ。エントロピーの力は誰にも止められない。だからこそ、世界は、宇宙は、このように動く。われわれは、そしてあらゆる物質は、エントロピーの背につかまって、はらはらしながら旅を続けてゆくよりほかにないのです。
あるいは、とある雑誌のコラムで「栄誉と賞金を拒否した世捨て人」といった見出しに目を引かれるかもしれない。場所は現代のロシア。グリゴリー・ペレルマンという数学者が、ポアンカレが残した数学の難問に100年のちに挑み、ついにその証明に成功した。だが、この変人は、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞の受賞を拒否し、クレイ研究所の賞金をも受け取らなかったという。名誉欲と先陣争いが渦巻く学界に嫌気がさして、彼はモスクワ郊外の家に引きこもった。「証明が正しいとわかればそれでいい」とのコメントを残して──。 この男の背中には、どこか、あの「英雄の息子」を思わせる空気が漂っている。あなたはちょっとインターネットを覗いてみる。カルノーの時代と違って、論文は簡単に手に入る。しかも、3本あるペレルマンの論文は、誰でも自由にダウンロードできる。難しいんだろうな……と覚悟しつつ、目を通す。実際、内容はさっぱりわからない。しかし、ふと論文のタイトルに目を移したとき、あなたは驚く。そこに〈エントロピー〉の文字があるからだ。 実は、ペレルマンは数理物理学の専門家でもあり、ポアンカレ予想という純粋数学の問題に挑みつつも、同時に物理学上の問題にもアプローチしようとしていたのだ。証明の核心部分で利用したのが、エントロピーの概念だったのです。