投稿元:
レビューを見る
長州人の悪癖を連ねられ、思わず苦笑。
・議論、思想ばかりで実践がない。
・手紙をよく書く。
頭でっかちでいざ行動すると過激に過ぎる。
あー、私は紛れもなく長州の末裔だわ。
長州育ちながら、武家でなく百姓の蔵六はその弊害に染まっていないから桂の信頼を得たのだろうな。
投稿元:
レビューを見る
主人公は医者なのに、流れるままに時代に流されていく。不運な形での登用でも、見てくれている人は上へと引き上げてくれる。とりあえず、めまぐるしい。
投稿元:
レビューを見る
2巻目。いよいよ大村益次郎となつて長州軍の指揮をとる。あいだに人間らしい蔵六としてイネとの逸話が入る。話はクライマックスに進みながら3巻目へ。
投稿元:
レビューを見る
大村益次郎の物語。
中巻は、長州の雇士から、桂小五郎の強い推薦により長州軍務大臣となり、第2次長州征伐で大村氏自ら指揮をとり、ことごとく勝つところまで。
大村氏が時代に必要とされ表舞台に出るまで、長州の狂騒とその維新における役割など、面白い。
特に士農工商の封建社会の崩壊が、システムではなく、ソフトの面で、しかも思想が世に出たのち、遍く社会に浸透していく長州藩の様子、それを日本社会から見たときの歴史上担う役割が興味深い。
革命とはこのように起こるのだな、と。
戦闘部分は、戦争とはこういうものか、となるほどと思いながら読んだ。大村氏の言う戦略と戦術の違い、いかに少数で長州が幕軍に勝っていったのか、戦線の行方を決めるのが武器の先進性と、合理主義、政略、情報であったことなど。
お琴さんが結構すき。
投稿元:
レビューを見る
(2016.04.24読了)(2003.04.04購入)(1997.03.15・65刷)
村田蔵六・大村益次郎は、技術者という扱いを司馬さんはしているので、なるほど、維新の表舞台に立つことはなかなかない。
吉田松陰や高杉晋作を主人公にした司馬さんの「世に棲む日日」や桂小五郎・木戸孝允の評伝「醒めた炎」(村松剛著)を読んでも、大村益次郎には、ほとんど触れられることはありませんでした。
この本でも、村田蔵六が主人公ではあるのですが、蔵六が世の中を動かしてゆくわけではないので、重点は、長州に置かざるを得ないのかもしれません。
ということで、長州が京都を追い出され、最後には、幕府軍に長州が責められる当たりの話が述べられています。
村田蔵六は、長州の仕事を始めてから五年目にしてやっと武士として取り立てられます。この時に、村田蔵六から大村益次郎に名前を変えています。
村田は、村医者としての仮の名字で、蔵六は、自分でつけた名です。
武士の名字は、土地からとったものが多いのだそうで、蔵六も、鋳銭寺村字大村の出身なので、大村という名字にし、父親が孝益なので、益の字をもらっれ益次郎と名乗ったとか。
幕府に勝つためには、施錠銃(ライフル銃)が一万丁あればいいといったのですが、日本に来るのは、一時代前の銃で、ヨーロッパでは不要になったものを持ってくるのだそうです。
それでも何とか交渉して、4千3百丁入手したようです。
四境戦争のころには、薩長同盟もできていたので、武器の入手に当たっては、薩摩も助けもありました。
四境戦争の石州口については、指揮を執る人物がいなかったので、大村益次郎が、自分で指揮を執って、勝ちに導いています。
芸州口については、大村益次郎が作戦を立て、その通りに戦って勝ちを納めています。
本の知識だけで、戦いの場所は実地に見るとして、戦い方を考え、指示するだけで勝ててしまうというのは、実に不思議な才能の持ち主です。
【見出し】
前途
凝華洞の砲声
長門の国
情縁
普門寺
四境戦争
石州口
●シーボルト(20頁)
「日本はヨーロッパにとって未知の国である。そこには奇妙な骨格の人種と、その人種がつくった社会や風俗、道徳、さらにはヨーロッパにはない草木や鉱物などがあるにちがいない」
と、ただそれだけの好奇心一個をバネにしてシーボルトははるばると日本へやってきた。そのあとシーボルトは自然科学的観察をヨーロッパの学界に報告したいという情熱を持って帰国し、思う存分に発表活動をし、それによって青春の情熱を満足させ、満足させたあとはかれは多分に青春の追想にふけるだけの形骸のような生涯を送った。
●長州の位置(27頁)
長州藩は一個の半島のように三方海にかこまれている。北は、日本海であった。その日本海岸に藩首都の萩があり、萩の沖をロシアの軍艦が出没しているのである。げんに海のむこうにうかんでいる対馬の一角が、ほんの一時ながらロシア軍艦の武力下に置かれたことがあり、この事実は長州人を戦慄させた。さらに下関海峡には、毎日のように外国の艦船が通行している。かれらは上海へゆき、あるいは横浜へゆく。さらにはまた幕府が結んだ通���条約により、日本の金銀相場が変動したり、物価が高騰したりして士民の生活がくるしくなった。そういう日本の経済体質の大発熱は、下関港の商況を見ることによってよくわかる。
●逃げる(40頁)
桂小五郎、木戸孝允という人は、生えぬきの剣客であった。が、かれはその剣を生涯殺人につかったことがない。かれが剣を学んで知った最大の事実は、剣をもって襲いかかってくるものに対しては、逃げるしか方法がないということであった。
●蔵六(111頁)
蔵六とは亀の異称であった。頭、しっぽ、それに四本の足を甲羅のなかに蔵してしまうためにその称がある。亀が、その六つの動くものをかくしてしまえば、河原の石ころとかわらない。
●上海へ(186頁)
「蔵六は、上海へ行った」
●天秤(200頁)
桂という男は、全体が一個の天秤のような男らしい。
魔術的政治才能という点では高杉晋作が、日本史上類のすくない天才であったし、また政治における処理能力では井上聞多のほうがすぐれていた。
桂は天秤における支点そのものであった。桂の感覚における支点の左右がつねにこまかくふるえていて、すこしでも左なら左が重くなると、そっと右に分銅を置いて釣合いをとろうという働きをする。天秤が無私であるように、こういう感覚のもちぬしは、つねに無私でなければならない。
●四民平等(210頁)
蔵六は元来、武士階級がきらいであった。かれは四民平等の世にする以外に日本を救い出す道がないとおもっていたが、しかしこの男はそれを口外したことはない。
●田能村竹田(214頁)
桂は絵が好きで、とくに竹田がすきであった。
―理由は、高にして簡である。
という。
●西洋医学(274頁)
この時代の蘭方で評価さるべきは外科のほうで、風邪がこじれたというこの症状については、漢方とさほどの違いはない。西洋医学が漢方を引き離すのは、こののちに来る医学的細菌学の成立以後のことであった。
●勝海舟(299頁)
勝は、
「長州に村田蔵六がいては、とても幕軍に勝ち目がない」
といった
●モトダネ(300頁)
海舟が蔵六を見ぬいたモトダネは、蔵六が江戸のころにやった兵書の翻訳や解釈を読んだところにある。その訳文が正確であることについては、海舟は驚かない。驚いたのは、欧米を見たこともない村田蔵六という男が、いきなり欧米の軍事技術の本質を掘りあげ、それを生き生き活写しているということに、
―これは怪物ではないか。
という感想を持ち、それによってこの名前を記憶していたのである。
●言葉の氾濫(323頁)
「長州には言葉が氾濫して、内実が薄い」
☆関連図書(既読)
「最後の将軍 徳川慶喜」司馬遼太郎著、文芸春秋、1967.03.25
「新選組血風録」司馬遼太郎著、角川文庫、1969.08.30
「燃えよ剣」司馬遼太郎著、文芸春秋、1998.09.20
「竜馬がゆく(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1975.06.25
「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
「司馬遼太郎スペシャル」磯田道史著、NHK出版、2016.03.01
「花神(上)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30
(2016年5月7日・記)
内容紹介(amazonより)
周防の村���から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く。
投稿元:
レビューを見る
いよいよ蔵六が歴史の表舞台に出ようという巻でした。
以前に『燃えよ剣』を読んだ時には戦いのシーンをつまらなく感じたものですが、今回はとても興味深く感じています。
なんだろう、成長したのかなー
投稿元:
レビューを見る
靖国神社に聳え立つ男:大村益次郎の物語(中) 戦略家としての頭角を現し始める。幕府が…崩れ始めた…。
蔵六は相変わらず蔵六であるけど、彼の周囲が彼を放っておかなかった。火吹き達磨を見出した桂小五郎のすごさが際立つ。
さらに、若かりし頃の明治の大物が次々登場するから読んでいてウキウキしてきます。
_____
p15,~18 開明論と攘夷論(司馬の見解)
開明論(漸次的な開国)は江戸幕府の国政制度を抜本的に改革するものではなかったはず。だからこの当時、日本が西欧列強に喰われない術は過激な攘夷論しかなかった。はず。
西郷隆盛は戊辰戦争で徹底的に戦争し、日本全土を焼き尽くして新しい国家を建設しなくてはならないとまで考えていた。それほど徳川300年の歴史は日本人の政治・思想・慣習あらゆるものを硬直化させていた。西郷は戦争が足りないと思っていたから征韓論派だったし、西南戦争も起こした。自ら明治の人柱になった。かっこいい。
鎌倉末期や室町末期も、崩壊した原因は腐敗した幕府や朝廷などによる国体の硬直化だった。江戸幕府も結局同じような結末を迎えることになってしまったのは、歴史の周期性を感じる。足利尊氏、織田信長、ペリー、硬直した国の在り方を破壊するものが歴史を作っていく。
p444 「哲学」の語を作った人
幕末期、外国の新知識をどうにかして日本語に訳さなければいけないから、いろいろな造語が生まれた。それがちょくちょく話題に出る。蔵六も軍事用語などいくつも造語した。
西周。島根の津和野藩に生まれた明治の哲学者。森鴎外の近所の子だったそうな。philosophyを頑張って哲学と名付けた男。この人のことは前から気になっていたからもっと知りたい。
装条銃…銃弾にスパイラル回転をつけ、弾道の安定と射程の長距離化を実現した。外国人商人は日本に旧式の兵器を最新式として売りに来ていたが、蔵六は世界の本当の最新式を知識として知っている。「情報」を持つものがいつの時代も勝者になるのである。
____
この間は著者の雑談が多かった気がする。紙面ですらついつい語りたくなってしまうほど、幕末期は話題豊富なのだ。
次巻で終結。残りはほぼ戦争の話だから読むスピード早くなりそう。
投稿元:
レビューを見る
大村益次郎を主人公にした司馬遼太郎の小説。全3巻の2巻目で、長州藩に取り立てられて医学から軍事の仕事をするようになり、幕長戦争では指揮官として活躍していく。
百姓だった主人公が自分の技術によって出世していく様は、現代のサラリーマンにも重なる部分を感じました。
投稿元:
レビューを見る
長州、極めてアクティブな藩に属したことが、村田蔵六の運命と日本の歴史に重大な変化をもたらしてゆく。攘夷という大狂気を発して蛤御門の変に破れて壊滅寸前の長州に再び幕軍が迫っている。桂小五郎の推挙で軍務大臣に抜擢された村田蔵六は百姓兵たちに新式銃を持たせて四方から押し寄せる幕軍と対峙し、自らは石州口の戦いを指揮して撃破する。
村田蔵六の力量を見抜いた桂小五郎の人物鑑定眼がまず凄い。村田蔵六の力量が長州藩に勝利をもたらした。近代兵制を翻訳していたので、それを幕軍に先駆けて導入させた功績は素晴らしい。実際に軍団指揮をさせるとことごとく勝利に導いた。石州口の戦いを読んでいると武士の世を終わらせて新しい時代を開く維新回天は革命だったと痛感します。
投稿元:
レビューを見る
村田蔵六の話であるが、幕末の長州側から見た小説。幕府側では無く、長州の村田蔵六、大村益次郎の側からの物語。
見方が違うことで幕末の話が良くわかる。坂本龍馬、中岡、西郷、勝海舟などが出てくるがやはり長州から見ているのでさらりとしか出てこず。まあ、長州征伐への幕府軍との戦いが新式銃でそろえた長州と旧式の幕府軍との戦いは戦い方さえ間違えない蔵六が率いて圧勝。そのまま下巻へ行き、明治維新か。結構内容は濃いな。良いね.4つ。
投稿元:
レビューを見る
大河ドラマになっていたというのは全く知らなかった。
"表舞台"に登場しない村田蔵六。
上中下の三巻に渡る物語の内の中巻。
多少冗長に感じるところもある。
司馬氏は地の分に普通に自分の考えを入れたり、
わからないことはわからないと書いたり、憶測を入れたりする。
それがまた、筆者の文章の独特の魅力にもなっているのだろうと思う。
武士ではない人間たちが動かした瓦解(明治維新)。
この時期の長州人の議論は過激なほど支持され、
過激であるほど内容が空疎であるというのは非常に納得。
関ヶ原からの因縁を持ち続け、海外への視点が広く、
徳川を敬う気持ちがないところが長州の特徴だと思う。
投稿元:
レビューを見る
上巻は蘭学関係中心の描写が多かったが、動乱の幕開けが近付くにつれて蔵六の立場も内容も軍事方面にゆるやかにシフトチェンジしていて、中巻の最後には四境戦争に突入し、気付いたら常勝総司令官になっていたとか本当に人生って不思議です。蔵六自身はそう大して変わる訳でもないのがこれまた不思議です。桂小五郎をはじめとした長州の偉人たちが蔵六に絡む様が面白かったです。
投稿元:
レビューを見る
蔵六だけにとどまらず、木戸孝允などの人間の描写がとてもきめ細かく、生き生きと伝わってくる。自分の性格にあった人物像を見つけられるのも、この本の醍醐味かもしれない。
投稿元:
レビューを見る
蔵六の軍師っぷりがわかる。
生まれて初めて戦に挑み、作戦通りに勝利し、一躍有名になる。
銃と上官の言うことを忠実にきき、その通りのことをすればいいので、戦は武士でなくてもできることがわかる。
明治維新での最大の変化の一つ、軍事革命はこうして起こったのかがわかる。
会社員として生きる私たちにも、乱世をうまく生き延びるにはどうすればいいかが詰まっている本。
投稿元:
レビューを見る
文久三年より、ようやく時代が回り出します。桂小五郎の要請を受けて、長州藩士に…そして、幕軍との戦の総大将として全軍を指揮する。
僕らの知る大村益次郎ここに誕生!
話のテンポが良くなって来て後半たのしいなぁ。