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牧野さんがいろんなとこに寄稿した文章を内容の重複を無視して寄せ集めた本で、少々表現を変えた同じ話を 10 回位繰り返し読まされるので、付箋を入れる場所を間違えたかと錯覚させられる本。
「草を褥に木の根を枕、花と恋して 50 年」この都々逸は傑作。
植物の愛人、草木の精と称して 95 年の生涯を植物研究に捧げた彼が、草木を好きになった具体的な動機というものは一切無くて、幼いときからただなんとなしに好きであったという。俺が植物を好きな理由も同じで、本当に好きなものには理由や動機が見つけられないものらしい。
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本書からの引用
博士が学者じゃないとバカなことは冗談にも言い給うな。この点では本職の大学がやはり、博士の博い学殖を一番知っていることだろう。なぜって、明治のころ、わが国の植物学者が、植物を採集して来ては、それを自分で学名がつけられないので、標本を一々外国に送っては、向うの先生に学名をつけてもらっていたころ、牧野博士が出現して、はじめて独力で、どしどし新学名をつけられ、後世の学者はそれを真似るようになったんだし、現に、いま六千種からある日本の植物のうち、千五百種以上の学名は、博士がたった一人で名づけ親になっているといわれているんだからね。また、ドイツの故エングラー博士、アメリカのべイリー博士などの世界的学者が、日本の植物学者に頭を下げたのは、ただ、わが牧野老先生だけだったんだからね。そんじよ、そこいらの自称学者先生とは、桁ちがいの大学者なんだ。三宅き一博士はかつて、牧野博士のことを『 百年に一度出るか出ないかの大学者』 とまで折り紙をつけて激賞されたんだ。事実、博士に一目にらまれると日本のどんな地方の植物でも、それが草の切れっぱし、葉の一片はおろかなこと、あの識別のもっとも至難とされているところの、ただの芽生えがあっただけで、その植物が何科の植物で、どんな性質のものか、いっペんで正体が暴露されてしまうというんだから、俗な表現だが、まったく天才というのほかないよ。… … 』
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43年前の1957年1月18日に94歳でまったく独学で日本の植物学研究を牽引した牧野富太郎が身罷った。躑躅★跳梁跋扈
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小学生の頃、学校の図書室にあった牧野富太郎の伝記を読んで、その植物への情熱に驚いた記憶がある。
というか、驚いた記憶しかなくて、内容は極めて不確かにしか覚えていなかった。
小学校を中退したのは家が貧乏だったから、と思っていたけれど、当時は結構なお坊ちゃんで、行きたくなかったから行かなかっただけ。
その代わり自分で植物だけではなく、物理や地学や地理なども自分で勉強した。
身体が弱かったのは幼少期までで、その後は人並み以上に健康であったこと。
なんだか勝手に牧野富太郎像を作り上げていたんだなあ。
小学校を自主的に中退したにもかかわらず、その後小学校で教師をしたり、後には東大で植物の研究をして学位を取ったりして、その才能は間違いないのだけど、この本を読んで思ったのは、人間付き合いの下手くそさ。
もちろん彼を庇護したり彼に師事したり友情を育んだりしている人は多くいるけれど、大学の研究室でことごとく上司に嫌われるというのは、彼の方にも問題があったのではないのかなあ。
権威におもねらないと言えば聞こえはいいけれど、上司に対して見下すような態度を取っていたのではないか。
というのも、文章の節々にそのような思いを感じとれてしまうから。
天才からすると世間的に権威のある人でも、才能がなければただの人なんだろうけれど、往々にしてそういう人の方が他人の評価に敏感なので。
小学生の時にはわからなかった、そういう読み方をしてしまう自分が淋しくはあるけれど。
この本は自叙伝として書かれた本というよりは、発表された多くの文章の中から自身について語っているものを選んで編集したもののようで、同じ出来事が何度も繰り返し出てくることに食傷。
また、最後の章は牧野富太郎の娘が父について語っているものなので、これまた自叙伝とは言えないと思う。
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自伝として評価するならば辛くせざるを得ない。
自分の興味・関心のあること、恨み骨髄な出来事だけを語っていて、偏りがひどいので。
山梨に疎開したこととか、満鉄に招待されて吉林省の山桜を調査したこととか、それなりのトピックかと思うけど自伝としては語られない。
まあそういう偏執的なところが学者らしくて面白いことは面白いけど。
第1部「牧野富太郎自叙伝」はそんな感じ。
第2部「混混録」は第二次世界大戦後(すでに84歳)に書かれたエッセイ集みたいなものだが「こだわり」が見えて面白い。
第3部「父の素顔」は晩年の研究を補助した研究者でもある次女が書いたもので、牧野の人物像をもっともバランスよく描いている。
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植物学の父、牧野富太郎が綴る波乱万丈の生涯。
第一部 牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録
第三部 父の素顔 牧野鶴代/文
牧野博士の創定した親属植物、牧野博士の代表的著作、
牧野富太郎博士年譜、有り。
朝井まかて/著の『ボタニカ』を読了した後、
では牧野先生本人は、自分の言葉でその生涯を
どう書き残しているのかと思って、読んでみました。
自叙伝、エッセイ的な混混録と、娘が綴る父の姿の
三部構成で収録されています。
幼少期からの学びと小学校中退、植物学への思い入れ、
東京帝国大学での研究と学内での軋轢、借金問題、
西洋音楽、亡き妻への想い、様々な人との関わりなどが
自叙伝と混混録には綴られています。
なんとも喜怒哀楽がはっきりしているというか・・・。
恨み骨髄な事や好きな事は、思い出すと筆が止まらぬようで、
何度もあちこちに顔を出しています。もうしつこいほどに。
植物学に生涯を捧げながらも、その偏屈ぶりは凄いなぁ。
でも、娘が綴る父の姿はエピソードに溢れ、人間臭い。
『ボタニカ』は執筆にあたり、この本も随分と深く読み込んだ
のかもしれません。
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〈本から〉
草を褥に木の根を枕、花を恋して五十年
「わが姿たとえ翁とみゆるとも心はいつも花の真っ盛り」
ナンテンの葉は有毒
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植物学の巨人、牧野富太郎。
なんでも近々、朝ドラの主人公にもなるらしい。
実家にもこの人の名前を冠した図鑑があったような記憶がある。
けれど、どんな人かは、この年になるまで全く知らなかった。
第一部はご本人の筆になるもの。
でも、七十代、八十代と別の時期に書かれているようだ。
同じ内容の重複がある。
第二部はいろいろな時期に書いた、内容もさまざまなもの。
お嬢さんの手になる回顧録も収録されている。
が、まあ、なんと磊落な人だろう。
文体も、書きぶりも自由な感じ。
(じゃがいものことを「馬鈴薯」と呼ぶのをずいぶん憤っているが、なぜいけないのかが書かれていないという、この自由さ!)
小卒の学歴で「帝国大学」の学者のお歴々に伍して成果を挙げ続けるのは痛快だ。
七十歳を超えても、日中は観察、毎日夜中の二時まで原稿を書く生活をしても健康。
なんという人だろう。
土佐の醸造業を営む、裕福な家庭で生まれた。
が、両親とは幼いころに死に別れ、やがて家業も整理せざるを得なくなる。
それでも、幼いころから好きだった植物一筋。
八十歳を超えても、やりたいことがあり、気力も体力もあるという人生は、すごすぎる。
恋女房の妻とは13人もの子供をもうけ、それだけでも大変なのに、研究には多額のお金がかかる。
借金額も相当なものだったようだ。
一時期は寿衛子夫人が待合を経営して家計を支えていたという話もある。
ちなみに、この件が大学にも知られ批判をされても全く悪いと思っていない。
すがすがしい。
最近、朝井まかてさんが牧野博士を主人公にした小説を出したと聞く。
そちらもいずれ読んでみたい。
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牧野博士は奇人変人の類いである。宮沢賢治『毒もみの好きな署長さん』に出てくる署長さながらである。自分の好きなことのために、ひたすら植物のことに夢中になる。きっと天国でも、植物の採集をしているのではないか。
方言文化にも理解のある研究者は、今では珍しいのではないか?当時でも稀な人だったとは思うが。山を半分にして構造を知りたいというのは、時計弄りに辿ることも出来そうである。
ただ親の顔を知らないことと我慢づよいことは関係していそうだ。精神分析で解明できるのではないか?「いつまでもあると思うな親と金」というが、金を散財させてしまうのは金にも価値を持たせられなかったことではないか?親がいれば金にケチになるのかもしれない。
しかし、死ぬまで一つのことに集中していることと自信を持って好きだといえることがあるのは一つの理想形である。基礎学力があったこともさいわいしていると思う。漢学に素養があるのも自己形成しているのではないか。
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「好きなことに邁進する」
彼の生き方が100年以上たった今、注目を浴びている。その秘密が、おおらかな人柄にあることを感じさせてくれる本でした。
とかく、周囲に気をつかって生きていく大切さを語られがちな現代とは異なる生き方も魅力でした。
園芸好きの私は、ドラマ開始早々のジャケ買い。大正解でした。
先日、練馬区の記念植物園にも行って、堪能してきました。