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贈与論
人やモノを全て含んだ円環状の贈与体系をトロブリアントの民族からの実地調査をもとに検証している。また、贈与をするための霊的な感覚による根拠(ハウなど)を同時に示し、人類の経済の基層に贈与・交換があることを明らかにした。
ハウとは、何か物を与えられたら、人に与えなければならない。そうしないと、落ち着かないという気持ちを霊的存在に見立てて解説したものである。モノをもらっても人にあげなければ、ハウという悪い神が持ち主をどんどん蝕んで最後には殺してしまうというのである。これは、ものではわかりにくいが情報ならどうだろう。噂話を聞いたら人に語りたくなってしまう気持ちは、ハウによるものではないかと思う。円環状の贈与形態について、トランプをしていて気づいたが、ババ抜きは円環状の贈与形態のアナロジーではないかと思う。人からカードを受け、人にカードを渡す。そして、負ける人間とは、人に渡せない唯一のカード(ジョーカー)を最後に持っていた人である。このジョーカーを、持ち主を最後には殺してしまうハウに見立てるのは不自然ではないはずだ。時々思うのであるが、カードゲームや占いなど、古くから非科学的でありながら人々に親しまれてきたものには、何かしら人間の根本原理ともいえる真理を抽象化した形で内包しているのではないかと思うのである。情けは人の為ならずという日本のことわざも、贈与論の円環状の贈与形態の話をしているのかなと思う。
映画「ペイ・フォワード」は私の好きな映画の一つではあるが、これは典型的に贈与論的下敷きがあると私は思う。恩を受けたら、もらった恩をその人とは異なる3人の人に贈る、「恩送り」運動を少年が企画して、ロサンゼルスで一大ムーブメントを起こすというこの映画は、今や英語の教科書でも取り上げられている。
様々な経験的な具体例を挙げてきたが、人間は常に贈与・交換をする動的なシステムにいるという点は、レヴィ・ストロースに繋がっていると実感できる。本自体について言えば普通だが、脚注が膨大なので内容は少しだからすぐ読めた。
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アメリカなどの先住民のポトラッチなどから贈与が社会の基板であることを説いたモースの視点は感嘆の声を上げてしまう。
贈与の本質は3つの義務で
1.贈与する義務、2.受け取る義務、3.お返しをする義務
で、正のフィードバック構造を持つために、時には人を死に追いやったり争いに発展するという苛烈さからも、贈与という規範が社会の中枢に根付いているのが理解できる。
ただ、先住民の生活の基板が贈与で、資本主義社会に批判点が山のようにあるから、贈与社会に逆行しろという説は、あまりにも急進的であり論理が飛躍していると言わざるおえない。
いわゆる古典というのは、発想の斬新さと論理の跳躍の2つを兼ね備えていることがよく見られるし、レヴィ=ストロースなど後の文化人類学に多大な影響を与えたのは間違いない。
また、近年注目されているSNSのいいねや文化資本の問題などは、この贈与論の視点から見ると面白いし、多くの評論は多大な影響を受けている。
とりあえず、ポトラッチとタオンガ、この2つを覚えておけ(笑)
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現代では人の法と物の法とが区別される。
アルカイックな社会では区別がない。物に人格が宿る。
破壊を伴うようなポトラッチとて利益に無関心なわけではない。
富とはまず何よりも他者を支配する手段なのではないか。
いろいろ考えさせられる。。。
全体的給付と、貨幣による交換との前提条件の違いは
ネットワークの開放具合、密度の差じゃないのかな。
全体的給付では、
・全ての取引が人格を帯びる
・意味合いが常に集団内で確認される。
貨幣の性質・・・富の保存、尺度
これが取引の形や、富への態度に影響しているはずと思う。
後続の研究とか色々あるんだろが、どうなっているのかな?
しかし訳はこれでいいのかね?
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「ある人から何かを受け取ることは、その人の霊的な本質、魂を受け取ることになるからである。
そのようなものを保持し続けることは危険であり、死をもたらすかもしれない。」
ちょいちょい考察に疾走感がありおもろい
結論部は そうか?!て感じでようわからんがった
翻訳もうちょいやわらかくならんか
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[出典]
狂気の読み屋 都甲幸治
[備考]
リヴァイアサン ホッブズ → 贈与論 マルセル・モース
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最近自分が関心を持っている現象に関わる文献なので読みました。自由主義経済が発展するなかで、無私欲・非営利的行動とされてきた贈与に単なる経済原理ではない、特別な原理が存在していることを発見した名著。贈るモノには魂が宿り、その魂は贈り主に帰ろうとするため、受け取った者はお返しをする義務を負う、という解釈に最初は戸惑いを覚えたが、本書を読み進めていくと、意外にも納得させられる。個人的にイスラム社会での喜捨を本書の掲げる原理で解釈したところは、非常に参考になった。
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様々な地域に残る贈与と返礼の義務という伝統的な習慣を膨大な資料を元に比較研究し、贈与の与える社会的な役割や影響を研究した書籍。現代の日用品の交換などの贈与との違いは精神のコミュニケーションでもあること。贈与は神聖な儀式であり、富を破壊(消費)することで争いではなく信頼関係を築き、クラン同士の結びつきが強まり文化圏を広げ、また再生することで循環が生まれ文化が成熟していったのかと思います。最初難しかったけど、終盤で突然頭の中のゴリラ達が一斉に立ち上がり武器を捨て、経済活動をする瞬間があって気持ちよかったです。
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メラネシアやポリネシアの話から、世界中様々な場所で行われる贈与の話を文献をもとに考察されていた。
文献をもとに書かれているせいか、論文を読んでいるようでかなり難しかった。
私には難易度が高すぎてあんまり理解できなかった。
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「ポトラッチ」=本来の意味は「食物を与える」、「消費する」という意味。
「クラ」=壮大なポトラッチ
本書では「闘争型の全体的給付」と呼ぶ
施しは一方で贈与と財産に関する道徳観念の所産であり、他方では供儀の観念に由来するものである
贈与(ポトラッチ)とは贈り物を与えることと貰うことから成り立っている
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業務の中で存在を知り、読んでみました。
前半は、「贈与『論』」というほど一般化された内容ではなく、贈与の原始的な形態にまつわる事例の紹介ばっかりだな、と思って読みました。
後半に入り、贈与に関する一般化についての話が始まるのか、と思ったのですが、強引な推論や飛躍が多い印象を受けました。
結果として、自分にとって、とっても読みにくい本でした。
その原因が、著者のせいなのか、翻訳者のせいなのか、己の無知(著者と自分の時代背景や育った環境の違いも大きいかも)のせいなのか、はわかりませんが。
そもそも、この本における「贈与」という言葉の使い方が適切なのかどうかも疑問ですが(モノを贈る、という意味では「贈与」の要素はあると思うのですが、現在の「贈与」の意味からはずれているように思うのです)、とりあえず、ここでいう「贈与」に、貨幣や契約や経済や政治の原始的な形を見出し、現代へのつながりを考察しようとしていることだけは、少し理解できた気がします。
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贈与は呪い。「贈与交換」は無限ババ抜き。
貨幣経済とどっちがカオスか、と問われると難しいが、個別清算であるぶん、貨幣経済のが健全だろう。
一方で貨幣はムラを分断するだろうから、互助の精神は希薄化するのだろうな。
読むほどに不安と恐怖を感じる。
呪いとしての贈与文化は苦手。
しかし何度も読み返したくなる蠱惑的な本。
GIVE&TAKEみたいなペラい本と違い、プリミティブな人類に対する示唆が超絶多い。