紙の本
すらすら読める本
2015/08/27 13:45
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投稿者:50代 - この投稿者のレビュー一覧を見る
全く新しい江戸時代の商人事情の本。
統計的な全体像の記述は読み物としては退屈だが、淡白な記述で結論は分かりやすく驚きもあり、苦にならない。
掘り下げた短いエピソードからは、感心や感動が得られる。
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著者は日本史を専門とする研究者。現在、東京工業大学社会理工学研究科教授、という肩書きがまず目に留まる。
日本史と東工大? 社会理工学、って何だ?
異質なもの同士の出会いから、今まで見えなかった姿が見えてくる。歴史meets数量分析の1冊だ。
江戸の商人というとまずはなんと言っても三井(=越後屋)らしい。老舗の大店だ。
江戸の商人像というのは、三井のイメージでできあがっている部分が多いという。なぜかといえば、三井家には、決算帳簿、為替のやりとり、給与明細など、まとまった形のきちんとした文書記録が残ってきているからだ。そして、ここがもう1つポイントだが、他に、同様なまとまった資料はほとんどない。つまりは、三井に突出して資料が多いばかりに、その部分だけ研究が進み、「木を見て森を見ず」になっているのではないかということだ。
三井は確かに、江戸の商人の1つであったには違いないが、全体を代表する存在であったのか? 三井の記録ばかり見て、江戸の商人の実像にどれだけ迫れるのか?
そこが本書の出発点である。
さて、疑問はもっともだが、しかし、資料がなければ実態はわからない。ではどうするか。
数字から読み解いていくのである。
例えば、江戸の人口は奉行所の調査などから判明しているが、どの町にどのくらいの人が住んでいたかは不明である。著者はこれを、髪結の営業権総額(沽券金高)から推定していく。髪結の料金は江戸全域で統一価格であったという。料金も違わずということであれば、たいていの者は地元ですませるだろう。髪を頻繁に結う者とずぼら者の比率も地域でさほどは違うまい。そうであれば、営業権総額は人口に比例するのではないか。
・・・はぁ、なるほど。
そうして、無味乾燥とも思える数値から徐々に江戸の町の息遣いが立ち上がっていく。
本論の江戸商人のデータ分析として、大きな資料となっているのは「江戸商家・商人名データ総覧」全7巻(田中康夫編・柊風舎)である。江戸の商人に関する名簿145種類を集め、名前・住所・業種・「株」(商売の権利)の移動を年次ごとにまとめたものだという。公の資料、民間で作成されたガイドブックのようなもの、「株」仲間が仲間内用に作った名簿など、種々の史料が含まれる。
この膨大な史料を、まずはデータベース化する。
この中から、同屋号で同一人物が続けているようである店が抽出できれば店の存続年数が見えてくるし、業種ごとの店の分布もわかり、「株」の増減により開業・廃業の動きなども見えてくるわけである。
データは宝の山なわけだが、そのままでは持ち腐れ。そこをいかに斬新な切り口で表化・グラフ化するかが腕の見せ所という印象だ。
本書では、さまざまな分析の結果、店を大きく3つに分類している。
米や炭など商品が重くてしかし日々必要なものは、必要に応じて少量ずつ近所の店に買いに出る。だから、つき米屋、炭屋などは、各町内に小規模の店が点々とある。数十軒のお得意さんがいれば、糊口を凌ぐことはできる。ある意味、誰でも参入しやすく、始めるも止めるも比��的気軽だ。こうしたものを代表とする、日用品を主に扱う地域の店を<全域型>と呼ぶ。
対して、化粧品や薬などのある意味、「よそいき」の商品を売る店は、日本橋あたりの繁華街にまとまる。買いに来る客も、あれこれと見比べられ、しかもこういった商品はコンパクトで持ち帰るのも簡単だ。看板商品があれば店はある程度、続くことになるだろう。これらはは<都心型>だ。
武士に支給された米を金に換える「札差」や使用人の斡旋をする「人宿」は、お得意さんである武家の近くに店を構えた。こうした特殊な職種は<特化型>だ。
実際のところ、とくに<全域型>の日用品を扱う店では、記録を後世に伝えうるような、大店の老舗はまずほとんどないといってよい。大部分の商人はその日暮らしの自転車操業で、参入しては数年で止め、を繰り返していたのではないかということが見えてくる。そのあたり、「宵越しの銭は持た」ずともやってこられた時代の「空気」なども影響しているのかもしれないが、それはまた本書とは別の話になるだろう。
他に、町奉行と勘定奉行、店売りと町売りなど、違う勢力同士の丁々発止のせめぎ合いも文書やデータからあぶり出されてくる。
時に相手の出方を探り、時に計算を働かせつつも、皆、それぞれの立場で、生き残ろうと必死に智恵を働かせていたのだ。
「甘いものはお嫌いでしょうが、この菓子はお気に召すかと(と小判を仕込んだ菓子折)」「ひーひっひ、越後屋、そちも悪よのぅ」「いえいえ、お代官様ほどでは」という時代劇おなじみのシーンは、まぁ、やっぱりフィクションなのだろうなと思う。
少なくとも大半の商人は賄賂を渡すほどの儲けはなくて、お代官様だってむしろ愚直に職務に精励されていたんだろう。
ドライな数値から江戸の人々の悲喜こもごもが見えてくるようでもある。
史料からの研究手法の1つを紹介するという意味でも興味深い1冊である。
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仕方がないとはいえ、データ処理がざっくり過ぎで、これを根拠に自信満々に語れるのが不思議です。商家の血縁度外視、実力主義は割りと知られていると思っていました。才能なしと判断されると、婿養子とか養子に継がせるとか。資産を持ちたがらなかったのは、火事が怖かったからじゃないんですかね?
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寄り道がなく、いきなりズバッと核心に迫る。小気味良い一冊。資料から数値を抜き出して解析することで経済都市としての江戸を浮かび上がらせる、というワクワクする試みで、しかも浮き上がってきた江戸の生活がなんとも身近で楽しい。へー、ほーの連続だ。英雄譚でもなく、民俗でもない。数値解析という第三の眼が、生活圏としての江戸を浮かび上がらせる。贅沢を言えば、登場する聞き慣れない商売についてもう少し解説を、と思ったが、それをしないのが本書の漢らしいところだな。
良書。
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江戸の商人を数量分析することで、江戸商人の様々な傾向をとらえようとした一冊。存続平均年数を試算するなど試みとしては興味深い。
ただし、本書の分析対象は史料に名前が出てくるレベルの商人であって、結局、株仲間や組合に加盟するような商人が中心と思う。圧倒的多数を占めるであろう、記録に残らない零細商人は分析対象に含まれていない。あくまで江戸商人の一部の分析にすぎないことに注意。
あと『江戸の小判ゲーム』同様、選書でこれはないだろという文体で困る。砕けた文章と読みやすい文章は違う。
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大江戸商い白書
数量分析が解き明かす商人の真実
著者山室恭子
2015年7月10日発行
講談社
10月に読んだ本。
著者は東京工業大学大学院社会理工学研究科教授、日本史研究者。朝日新聞の別刷Beで月1ぐらいのペースで連載している記事の書籍版。毎回、数字史料を根拠に軽快な筆致で江戸の商売や暮らしぶりを解説してくれている。読んでいて江戸の町並み、商店、人々の暮らしぶりが見事に浮かんでくるのが不思議。
江戸時代、商売をする場合は「株」と呼ばれる営業の権利を保有する必要があった。新規に発行されることは少なく、公儀が政策的になにかをするときぐらいなもの。あとは、現在出回っている「株」を何らかの形で入手するしかない。一番イメージしやすのが、親から子への相続や贈与である。ドラマを見ているとほとんどそんな風に描かれている。しかし、事実は違う。非血縁者に譲渡することが半数。つまり、半分は他人に株を売って商売をやめてしまうのである。それほど、江戸時代の商売は厳しいものがあり、能力のない子に継がせるなどとという安易なことは行われなかった訳である。
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江戸とつく本には地雷が多いが、これはセーフだった。セーフどころか大当たりであった。
江戸時代の商売。なんとなく雰囲気が想像できるが実態がわからない。これを、推測し、資料をあたり、当てはめていく。ビッグデータをポチッと解析するようにはいかない。だが江戸にはそこそこ記録が残されていて、それに目をつけてパズルのピースが埋まっていく楽しさ。
髪結沽券金高、いわば営業権の記録が残されている。この金額は利益に比例しているようだ。髪結いは料金が定められている。どこでやっても同じなら、近場でやるだろう。洒落者とずぼら者の割合も地区によってそう違わないだろうから、髪結いの沽券金高は人口の代理変数になる、というのだ。ちょっと強引なような気もするが、読むと流れるような説得力がある。まあ、町場と田舎では髪結いの回数や洒落者の比率も違いそうだけど、そこは置いておこう。
それで推定人口を見てみると、日本橋地区に45%の人口が集中している。現在の千代田区の人口の5倍以上である。
この日本橋は、「町」として重要な役割を果たす。
著者の様々なデータ入手と推計で、江戸の店の5割は米屋か炭屋だったことがわかる。
これらは多様性が低く、値段にも差がない。どこで買っても同じだし、輸送コストもかかるから近所で買う。だから店が多くなる。
一方で、日本橋のような「町」は、贅沢品など、あまり日常的に必要ないものを扱う店が集まった。江戸にも「よそゆき」と「ふだんぎ」がある。
さて、商店全体の存続年数は平均で15年ほどだった。思ったより短い。しかも米屋と炭屋は平均よりさらに短いのだ。これらは参入障壁が低いから、米不足やら暖冬やらがあれば、さっさと始めてさっさとやめる店があるので、寿命が短くなるらしい。
江戸の店は代々続く、なんてイメージはここでも壊れてしまうが、さらに言えば、長く続く店は血縁で継いでいく店よりも、営業を他者に譲渡した店らしい。バカな二代目に渡してもダメなんだ。
米屋にしても炭屋にしても、数が多いだけにかなり薄利だったらしい。先に述べた寿命の短さは、市場の調整機能でもあったわけだ。
と、こんな具合に江戸の商いを暴いていく。まさに白書、である。とはいえ現在の白書のようなおかたい文章ではなく、次へ、次へと渇望するような、うまい読ませ方でもある。
もう12月。これが今年のベスト本かなあ。