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日本、満州、朝鮮、かつての日本であったこと、戦争、略奪、実話ではなくとも、きっと似たようなことが、もしくはもっと悲惨なことが起きたのだろう。
そして、戦後さらに思ってもみない激流に飲み込まれていくこどもたち。
優しく、強く、時には飲まれ、また這い上がる姿に胸痛みながら読んだ。
三人が出会えて良かった。
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子どもに携わる仕事をしている者として。
戦争で犠牲にあった方たちや、哀しみの中力強く生きた人たちが作ってくれた、平和な今を生きる者として。
どうかどうか、いつどんな時代でも、どんな場所でも。争いの中でなく、手を取りながら、子どもたちが生きていけますように。偽善と言われても、平和ボケと言われても、そう願わずにいられません。
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ノンフィクションのはずだが、かなり事実に忠実に書かれていると思う。
事実の方がもっともっと悲惨だったと思うけど。
日本人、朝鮮人、中国残留孤児(日本人)。
幼い頃一度満州で出会い、短い日々を過ごした3人の女の子達。
別々の場所で戦争の悲惨な体験をしながら成長する。
人を狂わせてしまう戦争。
朝鮮から日本に連れて来られて、帰国できずに残った人達が受けた差別。
日本にいて空襲で親を失った孤児が受けた差別。
語り継がれていくべき事実だと思う。
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戦時中の満州で出会った3人の少女たちが主人公のこの物語。それぞれが激動の運命に翻弄されながらもしっかりとその後の人生を歩んだ。時を超えて彼女達を再会させるきっかけとなったのは一つのおむすびだった・・・。
綿密で丁寧な取材を重ねたことが良く分かる。中脇さんは子供を描くのが非常にうまい作家さんであるけれど、また今回は戦争を描いたという点で完全な新境地に踏み込んだと思う。作者の意気込みがひしひしと伝わってきた。
私の両親はこの少女達と同世代でいわゆる戦前生まれではあるけれど、辛い戦争体験は全く聞いたことがない。戦争とは国家で引き起こされるものではあるけれど、戦争体験となると非常に個人的なものということだろうか。
だからこそ、戦後70年となった今、私達は個人的な体験として戦争を振り返る必要があるのだと思う。いかに多くの人々が、国家の意志の元に犠牲になったのか知るべきだ。
中国残留孤児となった珠子、在日朝鮮人として生きる美子、そして空襲で全てを失った茉莉。
どんなに辛くても自分の運命を嘆くことなくしっかりと受け止めて前を向いて歩んでいく彼女達の姿に心打たれる。
彼女達と同じように、いやもっともっと辛い戦争体験を持つ人は沢山いる。
個人個人の戦争体験が今何を語りかけるのか。あの戦争は何だったのか。この本が改めて考えさせる良いきっかけになった。
どこぞの議員に「戦争に行きたくない」がどんなに利己的だと非難されようと、「戦争に行きたくない」、「戦争反対」を言い続けていきたい。
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これはフィクションであってフィクションではない。無数の珠子が、美子が、茉莉が、そしてその家族が実際に生きていたのだ。満州開拓団、戦争孤児、中国残留孤児、名を残さず、死んでいった人たちの姿が、名前を持つ存在として描かれている。生きるか死ぬか、生かせるか死なせるか、というぎりぎりのところでのエゴイズムは否定できないけれど、だからこそ、そこで他人を思いやれる心の尊さを思う。
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満州の開拓団村で出会った三人の少女ー珠子は戦災孤児となり(山崎豊子は残留孤児という言い方はしていない)、美子は在日朝鮮人として生き、茉莉は児童養護施設に入れられるーが、それぞれ戦中戦後を生き抜き、再会するまでの物語。
満蒙開拓団の逃避行の悲惨場面、中国の養父母に育てられる珠子の境遇、等々読み進めながら、山崎豊子の『大地の子』を意識してしまう。山崎作が歴史事実に直面する緊迫感に満ちているのに対し、中脇作は同じような壮絶な場面を描きながらも、三人の友情で結ばれた再会のハッピーエンドがあるためか、どこか切迫感がない(けっして中脇作を貶めるものではなく)のは、両者の年代(戦争経験者と戦後派)及び作風の違いといっていいか。
ともかく、次の世代に読み継がれるべき作品である。
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1944年の夏。3人の女の子が満州で出会う。3人は、大人たちに内緒で、小さな冒険に出かける。しかし、突然のハプニングに見舞われ、心細い一夜をともに過ごすことになる。
その夜が、終生、忘れられぬ夜になるとは知らずに。
1人は珠子。高知の貧村から、満州移民団として家族とともにやってきた。一家は少しでも楽な暮らしができることを夢見ている。
1人は茉莉。横浜の裕福な貿易商の家に生まれた。父親に連れられ訪れた。満州はほんのひとときの旅先。すぐに横浜に戻ることになっている。
1人は美子(ミジャ)。朝鮮中部の出身だが、父は暮らしの厳しさから故郷を出て、満州で日本人の開拓団村で職を得たのち、家族を呼び寄せた。
満州で暮らす珠子と美子はすでに友達である。そこにやってきた、戦時には場違いなほどの洒落た服装の茉莉との出会いは、さほど親しみに満ちたものではなかった。だが、子供の常で、一緒の時間を過ごすうち、互いの垣根が取り払われていく。
茉莉はお金持ちでわがままに育ったお嬢様らしく、いささか鼻持ちならないところがある。しかし、物怖じをしない闊達さがまた、愛されているものならではの魅力である。
しっかり者の美子は、子供ながらにこれまでもさんざん苦労をしているだけに、思いやりの心を持っている。
珠子は臆病なところもあるが、素直で優しく、周りを見つめる澄んだ目を持つ。
子供時代の短いきらめく時をともに過ごした3人は、この後、苛酷な人生を送ることになる。
日本に戻った茉莉は、横浜で空襲に遭い、すべてを失う。
美子は時勢に追われて日本に渡り、在日として苦難の日々を送る。
珠子は敗戦とともに満州の村を離れ、流浪の果てに、母から引き離されて人買いに売られてしまう。
戦時、困難は特に、弱きものに多く降りかかった。
戦災孤児。引揚者。残留孤児。抑留者。
膨大な文献にあたったのだろう本作は、開拓団、在日社会、養護施設をつぶさに描きつつ、常に視点を弱きものに置く。
まるで、一番語られるべき物語はここにあったと言うかのように。
多くの心に残るエピソードがあり、読む人それぞれに強い印象を残すだろう。
一番、勝ち気であるように見える茉莉が、3人の中で一番の奈落を抱えている。
戦時中、そして終戦時に、周囲の人の絶望的な冷たさに気づく茉莉は、しかし、同時にそれが自分の中にもあることに気づいてしまうのだ。
そして、戦時の高揚に自分も無縁ではなかったこと。自分の手が実は、引き金につながっていたこと。
その暗い絶望の淵は、実はラストまで埋められてはいない。
それはいつか克服できるものか、それともやはりできぬものか。
投げかけられた問いが重く残る。
3人は苦難の末に、再会を果たし、この先も生きていくことを誓う。
本作では、過去のさまざまな出来事の記憶が丁寧に繰り返し拾われる。これはおそらく、この著者の持つ1つの特性なのだろうと思う。
過去を抱え、記憶を道連れに、その先への一歩を。
読みながら、何とはなしに、ずっと昔に読んだスタインベックの���エデンの東』の一節を思い出していた。
「汝、--することあるべし」。
今は克服できないかもしれない。けれどいつか、克服する「可能性」があるはずだ。いつかを求め、人は旅する。
すべての問題が「今」解けなくても。己の黒さも、世界の冷酷さも、解決はできなくても。つらくても、苦しくても。
くちびるに歌を持ち、心に太陽を持ち、希望を捨てず、一歩一歩進む。
これはそんな物語なのかもしれないと思う。
*満州については、もう少し追いたいと思っています。川端康成『美しい旅』(川端康成全集〈第20巻〉小説 (1981年))に関する、個人的な思い入れからの流れです。戦争の「渦中にある」とはどういうことか、断続的に考えています。
関連書
・『浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち』
・『近代文学の傷痕―旧植民地文学論』
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書店のPOPでおススメされてて、表紙画と題名だけで、ふわふわとした雰囲気の女の子たちの話かと思って読み始めたら、全然違った・・・。
まさか、戦時中の満洲で出会って、生き別れとなり、それぞれの人生を歩み、再会する物語だとは。
過酷過ぎて読み進めるのが辛かったけど、最後の最後に、彼女たちの絆に胸打たれて、静かに泣いた。
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戦中・戦後を生きた、珠子・美子・茉莉の3人の少女の人生を描いている。
珠子は高知県の山村から父・母・妹と共に満州開拓団としてやって来た。新しい生活はそれまでの貧しい暮らしとは違い、白ごはんを満足に食べれ、優しい隣人や友達に囲まれ幸せに暮らしていた。美子は朝鮮中部・開城近くの農村出身。朝鮮総督府の支配下、暮らしはギリギリで、仕事を求め、単身満州にわたった父、母の実家に実を寄せながら、肩身の狭い思いをしつつ暮らしていた美子と母は、満州で職を得て迎えに来た父と家族三人で暮らすべく、着の身着のままで満州で渡る。茉莉は横浜で裕福な家の一人娘として恵まれた生活を送っていた。その3人が時代の大きな波に飲み込まれ、それでも前を向いて生きていく様が描かれている。それぞれに大変な人生、でもどんな困難な状況にあっても、前を向いて生きて来れたのは、三人が家族やまわりの人から与えられていた、絶対的な愛情が底辺にあったからだと思った。
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ふいを衝かれた。
「きみはいい子」の中脇初枝さんの著書で「世界の果てのこどもたち」というタイトルであればたぶんこういうお話だろう、と思っていたものと、全然違っていた。まさかこんなお話しだとは。まさか「きみはいい子」の中脇さんがこんなお話しを書くとは。そして正直言うと、まさかこんなすごいものを書くとは。
戦時中の満州で出会った出自も生活環境も違う3人の少女たちのそれぞれの人生を描くことで、このたったひとつの世界の中で争うことや妬むことや憎むことのむなしさや悲しさを感じさせてくれる。そして、胸をはって希望を持つことの大切さを教えてくれる。大切なものを愛して守ることの尊さを教えてくれる。
もしこの作品を読んで政治思想や歴史認識の面から批判をする人が出てくるとしたら、それは次元が違う、と言いたい。この作品は忘れてはいけない過去の歴史を舞台にはしているが、あくまでもそこで生きた人の「感情」の物語であるからだ。あくまでも物語なので書かれていることすべてが事実でないのは当たり前にも関わらず、それを事実と受け止めてしまう読者もいるだろう。それを危惧してけしからんという声も出てくるのではないか。でもこれはやはり「感情」の物語であり、歴史物ではないのだ。デリケートな舞台設定に果敢に挑戦した中脇さんに拍手を送りたい。
面白い本、良い本はたくさんあるが、これほど心を揺さぶられたのは「きみはいい子」を読んで以来かもしれない。世界中の人が読むべき本だと思う。
子供のころ「それは秘密です」というテレビ番組があった。なんでみんなあんなに泣いているのだろう?と思っていた。その理由が、いま初めてわかったような気がした。
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意欲作ではある。三人の女性の戦中戦後の波乱の人生を描いているんだけど、こういう作品で成功するにはまだ足りないものが多すぎる気がする。
まず三人の出逢いが不自然。すごく調べて書いていることは伝わるし、作者の誠意も感じられるが、こういう作品なら昭和の作家の方がずっと上手い。
引き揚げ、戦後の混乱、文革、朝鮮戦争と、書く材料がありすぎて、結局雑になってしまった感じ。
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幸せな暮らしの陰に、本当は考えなければいけないことがある。子どもにとって、幸せは受け取るだけのものだけれど、だからこそ、なんの科でもなく、簡単に取り上げられてしまう。
ほんのひと時を一緒に過ごした3人の少女たちの、戦中と、その後の長い戦後の人生。病院の待合室や駅のホームで見かけた年配の女性も、こんな切ない人生があったのかもと思わせるような、真に迫った物語だった。
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戦争孤児、在日朝鮮人、中国残留孤児の3人の子供たちのたどった道が書いてある。
最後は、みんなが幸せになったけれども、実際は、こんなふうに
生きられた人はいないのではないか。
この本は、戦争によって、犠牲になった子供たちの強くたくましく、生きる姿を描いているが。
胸がえぐられるようだ。
空襲が、どこで、おこり、どれだけ日本各地で被害があったのかそんな歴史さえもちゃんと伝えられないままの現在がある。
満州に渡った人たちのそういうことをあっせんしていたことがあったことさえも知らない。
歴史は、中国であろうが、日本であろうが、政府にとって都合の悪いことは葬り去られるのだろうか・
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満州での一期一会,おにぎりを分け合って食べた思い出が,40年を経て3人の子供達を巡り合わせる奇跡!戦争がどれほどのものを壊してしまったか,珠子,美子,茉莉の成長とともに浮かび上がらせて,心に深く染み透っていく.中脇初枝さんの万感の思いを込めた物語だ,
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分厚い本でしたが一気に読んでしまいました。
3人の女の子がどうなっていくのか気になって本が放せませんでした。
いちばん弱い者がいちばん犠牲になる戦争は何時も何処でも同じ。
戦争なんて遠い国の出来事と思っている人達に読んでほしい。
言われるがままに、または自分たちの生活のために集めた鉄くずが殺戮の道具になったと怯える子ども達。
今の時代に色々考えさせられました。