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自分が平均以上だと思っている人が7割以上。当然、数学的にありえない。
認知的複雑性の話や、そもそそもコミュニケーション力ってなんなのよから、SNSやスマホが手放せないのってコミュ力じゃないよね、という論を展開する。
実に判りやすい。
人の価値観の均質化、深く思考することなく、場と空気と他者の目が最重要される状況は問題がある。
あれ?
後半だけ言葉にすると、ものすごい、日本っぽい?
本質的な違いはある気がするけども。
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これ、自分やん。と思わず手に取った一冊。実際に読みながら笑ってしまうくらい自分に当てはまっていた。そういう人間に見られるのは嫌なので、意識しよう。
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決めつけてる感のある文章だなという印象を持ちました。
でも内容は、なんとなく私の中でモヤモヤしている事を言葉にしてくれていると感じました。
思い当たることもチラホラあったりして…
気をつけなければ…
何かを決める時は、なぜそういう事をするのかという説明責任を意識する事。
上方比較を意識する事。
今後この2つは気をつけて意識していこうと思います。
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なぜ「意識高い系」の人ほど、たいして仕事ができないのか?
承認欲求に振り回される「あの人」の構造を心理学見地から徹底分析――
どんなときも前向き、「完璧です!」と断言、会社の同期や同級生といつも一緒、Facebookで積極的に人格形成……こんなポジティブ志向の人間ほど、実際は「力不足」と評されやすい?
SNSの普及で肥大化する承認欲求と評価不安を軸に、現代人の心理構造をひもとく。
※以下、内容より抜粋
●能力の低い人ほど自分を過大評価しやすい
●ポジティブすぎる人の危険性
●なぜあの人は同じミスを繰り返すのか
●仕事ができる人と「仕事ができる風」な人の本質的な違い
●部下に甘い上司ほど自分のことしか考えていない
●なぜテスト前に「全然勉強してない」をアピールするのか
●仲間とつねに群れたがる人ほど、ストレス耐性が低い……
もともと人間は、自分の能力を過信してしまう生き物だという。それも、その傾向は能力が低い人ほど、顕著に現れるらしい。
能力の低い人は、ただ何かをする能力が低いというだけでなく、自分の能力の程度を把握する能力も低い。このため、仕事のできない人ほど自分の仕事に自信を持っているようにみえるという不思議な現象が起きてしまうのだ。
物事を理解する能力の低さが自己認知も妨げるため、自分の能力が低いという事実にも気づかないのだろう。これは、「意識高い系(笑)」にも同様にいえる。
「意識高い(笑)」人々は周囲からどう見られているかを気にしながらも、自分が人からどう見られているかには鈍感である。
よく見られたいという思いが強過ぎてかえって、みっともない姿をさらしてしまう。自分の言動が適切だったかどうかを自身で判断する「セルフ・モニタリング」が働いていない。
今はSNSを使って安易に発信をしやすい環境であるため、「セルフ・モニタリング」できていない彼らの行動は、過剰な承認欲求に振り回されていて周りの失笑を招く。
榎本氏によれば、“できる”人ほど、悲観的であり、“できない”人ほど楽観的である傾向にある。これは、“できる”人ほど、あらゆる可能性を想定しているためだ。いろんなケースを頭の中でシミュレーションし、最悪の事態まで想定するから、“できる”人は不安にかられる。
一方で、楽観的な思考の人はそれができない。さらに、“できる”人は自分より上の能力の人と自分を比べる「上方比較」をし、自分もそこに到達できるように努力するが、“できない”人は下の能力の人と比べて見下す「下方比較」をして安心しまう。
このため、彼らの能力にどんどん差が生まれていく。人は劣等感を受け入れることによって成長していくといっても過言ではないのに、能力のないものは劣等感すら持っていないのだ。
では、能力がない自信満々な人と仕事をすることになった場合、一体どうすれば良いのだろうか。ダニングとクルーガーは自信過剰な人の認知能力を鍛えるトレーニングをさせる実験も行っている。
認知能力が向上すると、成績下位グルーブの過大評価傾向��弱まり、底辺グループのひとたちの著しい過大評価傾向は改善されることになった。つまり、能力を高めるようにトレーニングさせれば、自然と自分の能力の低さに気づくことになるようだ。
自分の実力をあまりに過信することで致命的なミスを繰り返す者には、鍛練あるのみ。自分の能力を高めるほど、自信を失っていくとは何という皮肉だろう。果たしてそれが幸せなことなのか不幸なことなのかは議論が分かれるところだが、表面的な「意識が高い(笑)」行動をやめさせ、仕事に真剣に取り組ませるより仕方ないようだ。
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自戒も込めて手に取ったが、なるほど身近に結構いる感じの人種が見事に描かれて可笑しかった。前半のポジティブ思考を否定するあたりは興味深い。熟考したり継続して自分のモノにした知識や意見は信用できるし、自分も常にそうありたい。
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反面教師として、こういう人にならないように心がけたいものです。一人で自分と向き合う大切さは共感できた!
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不安を抱かず謎に自信満々な人、意識高い系、人の目を気にして注意できない評価不安な大人、群れる人とSNS、コミュ力信仰など、今の日本人と日本社会について書かれた本。納得させられる。
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認知的複雑性:多面的にみることができるか?
一面的説得法と両面的説得法は使い分ける
京セラ稲盛氏
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する
ポジティブ思考とネガティブ思考を切り替えるか、人材をうまく配置すること
できるアピールのつもりが痛い人アピールになってしまう皮肉
できる人は上方比較、できない人は下方比較
嫌われることを恐れて崩壊する上司アイデンティティと親アイデンティティ
仕事の進捗確認で余計な説明をする部下は評価不安がつよい
物事を複眼的にみることが、視野を広げ、自分の世界を豊かにしていくことができる
できる人間は、人からの評価でなく、自分なりに納得のいく評価基準をもとにがんばる
業績目標より、学習目標をもつ。学習目標をもつと、上司や環境に振り回されない。
親に反抗することで自分ができてくる。反抗できなかった人は自信がなく依存的になり、魅力的でない。
創造的な仕事をするひとは孤独な時間をもっている。人と一緒にいるときは、意見をもらい、別の視点でチェックできるが、発想を練ることはできない。今、求められているのは、まさに、一人でいられる力だ。
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んー。いるよ、いるよね、そーゆー人。
なるほど、そーゆー風だから、そーなってるのね。
…でも、その人達にどう接すればいいのかわからない。そこらへんのヒントが欲しかった!
自分で考えろってことかぁ。
とりあえず、自分にも当てはまる部分がありそうなので気をつけようと思う。
あと、甘えとはどういうことか、具体的に分かったのは収穫。
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びっくり。
この人たち知ってる!!
あれ?これ私が書いたのかな?
って思うくらい、身近にこういう人たちいる!って大きく頷く。
だけど、私自身もこうなってはいまいか、自分自身を見つめ直す。
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正直自分がそうなってるところがあるかもとビクビクしながら読み始めたんだけど、自分はまだまだ中途半端と思っているので、伸びしろがあるってことでいいかなwでももっと自分に踏み込んでいかないといけないかも。掘り下げがまだまだ足りない。
心がタフではないので普段は上方比較なんだけど、落ち込んできた時は下方比較しちゃってる(^◇^;)それに慣れ過ぎないように注意しないとすぐだらけるから大変w
買い物するときにヒューリスティック思考になりがちなので改善したい。めんどくなって放棄してしまうんだよなぁ。もっとちゃんと考えよう。
就活のうえで私がよく考えていたことも書かれていた。元々自己主張できる人は微妙と思ってた人間なのでだいたいは同意。だが、そこまで白黒はっきりできるわけでもないとも思っていて、海外で生活してた人とか、自分はできると言い聞かせて自分を奮い立たせる類の人もいるから自己主張する人でも有能な人もいると思う。
それでもやっぱり日本人のステレオタイプの性質からみて自己主張しなきゃいけない今の就活はやりにくいなぁって思う。
例えばエクセルとか少し触ったことあるだけで完璧です!って言っちゃえる人と、関数とかもできるけど自分はまだまだと思って少しできると言ってしまう人、こういうの結構あると思うんだよね。まぁバカ正直に答える必要もない郷に従うことを学んでいけってことかなw
てか全体的に同感する内容が多かったw
何歳とか性別とか関係なくいるよね。
ホテルのサイトもめっちゃ思う!!
ネガティヴな意見に真摯に対応しているとそれだけで印象上がるわ。ビジネス的にはどんな相手でもこちらが悪いかどうかではなく、そう思わせてしまったことに対して謝るというのがあるし。先日もクレーマーおばちゃんが逮捕されていたけど、もちろん常識の範囲外なら然るべき対応を取るまで。
人間関係の断捨離とかもあるけど、これもネットの居心地いい世界と同様の考えってことかな。老若男女いろんな人と交流するといろんな価値観が入ってくるから、たまには自分の中を循環した方がいいと思ってる。インプットして、1人で咀嚼して、またアウトプットの繰り返し?
これを読んで反発したり、何言ってるんだって思うとしたら、それこそこの表題に当てはまる人になりそう…
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上の年代からみた「最近の若者は……」という分析。
ただし、一面的にならずに社会構造の変化の要因もしっかり考慮している。
共感したのは6章の「孤独から思考が生まれる」といった部分だけど、「自分は平気的だと思うか」といった認知の実験の話も面白かった。
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この本を取り上げたブログと、この本のタイトルに興味を持って読んでみた。
内容自体は面白い部分もあるが、ところどころ期待していた主題と離れて
結構偏っているなと感じ、
にも関わらずレビューの評価が割と高いので意外に思った。
同じようなことを章を変え文章を少しだけ変え繰り返し語っている感じで
辛口レビューでも同じような評価を見かけたが
内容自体はそれこそ薄っぺらいかも。
心理学に関するところは面白かったが
よほど相談者の若者がスマホをうまく使えない人が多いのか
SNSが悪いような論調にはちょっとがっかりした。
"こうしたポジティブすぎる人に限って、知識や物事の理解に深みがない。自己アピールの時代だといって、SNSで自分の知識をひけらかすような発信をする者が目立つが、受け売りばかりで何も理解していない"
こういう人が時々いるのは自分も頷くところだが、
それが簡潔にいうと若さとスマホのせい、というのはどうだろうか。
一昔前は電車で本や新聞を読んでいたのに、
最近はみんながスマホでSNSやネットサーフィンをしている、
という、以前ネットで話題になった
年配者のお決まりの決めつけがこの本の中にもあったが、
スマホは本も新聞も読める。
時代が変わり、ツールが変わっただけで、
人間のやることなど殆ど変わりはしない。
紙の本を捲っていれば高尚で、スマホをいじっていれば低俗だ、遊んでいるだけだと見做すのはどうなのだろうか。
プレゼンするときにメリットだけを述べて押すか
デメリットもきちんとあげて説明するか使い分けするというのは
面白かった。
ヒューリスティック思考(情報処理を極度に簡略化)で
あの人の紹介だから、と吟味しない人というのも確かにいるし
(そんな人に限って自分で調べなかった癖に後から文句も多い)
防衛的悲観主義者のところにあった
ポジティブばかりが良いとは限らないというのも同感である。
上を見て頑張るか下を見てあれよりマシと思うか であり
意識高い系のできるアピールが痛いアピールになっているという指摘も
自分の周りではFBユーザーに多いなと共感した。
「あなたが嫌いなんじゃない、あなたのためだから言う」
と子供に嫌われたくなくて言い訳をしないと注意できない親
「 試験勉強全然してないんだよね 」とうそぶくことで
試験が出来なかった時のために保険をかける
セルフハンディキャッピング
この辺りもなるほどと思って読んだ。
以前「 スマホやめますか、信大生やめますか 」がSNS上で炎上したが
この本でも素晴らしい提言として取り上げられている。
ソーハラという言葉を初めて聞いたが、
ソーシャル・ネットワーキング・サービスハラスメントのことらしい。
現代はなんでもかんでもハラスメントとして言葉が作られていくと感じる。
FBで「いいね!」ばかりが集まり
批判されたくない、議論にならないという傾向は確かにあるが
同質性を助長するものはSNSだ���に限らないのではないか。
SNSを興味のないものや人に触れないで済む
としているが、自分の好きなものだけを選ぶのは
友人関係や本や漫画などなんでも同じだろう。
そしてまた後でSNS疲れに言及されているが
自分の好きなものだけを選べるなら疲れないのではとも思う。
自分の周りでは年齢関係なくコミュ症なんて言うが
大抵がネタで言っているし
コミュ力が高くないと人として扱ってもらえないという風潮は
自分としては実感が無い。
コミュ力重視でおしゃべりばかりで仕事が進まない社員が増えるというのは
もしかしたらそうなのかもしれないが、実際のところどうなのだろうか。
飽く迄も筆者の主観という感じがする。
調子が良く軽いノリ、真剣な話がしにくい関係
というのは、傍から見ていて薄いな、浅いなと感じるが
やはりこれも世代とは関係なく個人の資質の問題だと思う。
指摘や注意で反発、攻撃してくるというのも
最近の若い者に限った話ではないのではないだろうか。
同調圧力についてはマスコミで報じられるLINEの印象としてあるが
これもSNSに限った話ではないと思う。
個人的にはSNS疲れといって気疲れしてまで
やるものではないと思うし、
上司から友達申請があって、
見られたくないが断って気まずくなりたくもないなら
リスト分けして公開範囲を分けるなどいくらでも方法がある。
SNS疲れがある人とない人は、アンケート結果ではほぼ半々とあり、
疲れない人は友達を増やすことにばかり熱心で、
表面上うまくいくよう振る舞っているとされているが
そんな訳はなかろう。
疲れていない人は適度な距離感を理解し、
使いこなしているだけなのでは?
返事がないと不安になる”見捨てられ不安”も
SNSに限らないだろう。
JALの入社式の服装に個性がないというのは
マスコミや”就活の常識”を広めている企業のせいではないだろうか。
「若者の独自性欲求はどこへ消えたか」などと
若者のせいにするのは可笑しいと思う。
筋を通すのと丸く治めるのでは、アンケート結果が
全社が40%、後者の方が50%以上とあった。
気になって調べてみたところ、
1978年から2013年の間に8回行ったアンケートの結果が出てきた。
筋を通すのが38%~48%、 丸く治めるのが48%~57%で
後者の方が高い割合だが常に50%以上ではないし、
1978年は43%:51%であるのに対し、
2013年は46%:49%で最近の方が差がなくなってきているとも言える。
世のしきたりに反しても押し通すべきか
という設問なのであれば、
それは空気を読んで合わせるべきという回答が増えても当たり前だと思うし
これを『主義主張のない人が明らかに増加傾向』とするのは疑問である。
『「一人は寂しいやつ」と思うのは学生時代の感受性』と言うが
自分が社会人になって一人でお昼をとっていて
寂しいやつだと突っ込んできたのは年配の人だったし
やはりこれも若い人云々の話ではないと思う。
一人になったらスマホをいじるというのも
上記のとおり本など昔の暇つぶしのツールがスマホに置き換わっただけで、
スマホのせいで思索に耽ることができないというのは可笑しい。
『検索で出るのは人が整理した情報』というが、検索結果は
真偽不明で自分で精査が必要だし、これは文献などをあたっても同じだ。
むしろ検索すらしないで人に訊けば良いと思っている人も多いし、
調べるだけで自分で考えないのも若者だけの話ではない。
親に反抗できなかった人は自分ができていないといのは
そうした研究結果があるのだろうか?
自信がなく依存的になるとあるが。
親に反抗することで自分ができてくるというのも疑問である。
創造的な仕事をする人は孤独な時間を持っている、
風呂に入ってるときなどにアイディアが浮かぶ
というのも、大抵の人は風呂にスマホは持ち込まないし
持ち込んで長風呂するなら、スマホで読書したり
仕事をしたりするだろうし、
スマホがあれば常にSNSに縛られているというのは
一昔前の
『ポケベルや携帯を持たされて常に仕事に縛られている』
という年配者の発想と似たものを感じた。
ネットでもスマホでもSNSでもなんでも
ツールである以上使う人・使い方による。
スマホ=SNS→疲れる害のあるもの、
若者世代はこれだから云々、というような
レッテル貼りこそが人を疲れさせ
人を薄っぺらにするものだと思う。
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優秀な人はあらゆる角度からリスクを検討するから自信がなく、薄っぺらい人は思考が浅いから自信満々になる、というお話。ここまでは良かったのだが、3章以降は完全に蛇足。想定している読者像が定まっていないのか、薄っぺらい説教じみた話を延々とされても白けてしまう。自信満々な人はこういうタイトルの本を手に取ることはなく、どちらかと言えば周りにいる薄っぺらい人を苦々しく感じている読者の期待に応える内容が望まれる。目の付け所は良いのに残念。出版社の企画ミス。
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できる人はあれこれ考えるから心配事も多い、出来ない奴は出来てると思ってるから(ほんとはやばくても)楽観的で、でもポカが多い。コミュ力などと言ってSNSで繋がるのも、みんなと同じでないと怖い、個性のなさにつながる。出来る奴は一人でも全然大丈とか、そんな話です。もっと面白い話を期待したのだが(ー ー;)