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江戸時代後期~明治初期、来日していた外国人による日本人及び日本社会の観察記。絵や写真があり貴重な資料である。
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鎖国解除付近、すなわち日本人が最も日本人らしく生きていた時代を知る本としては非常に重宝すると思う。
少し学術書めいてはいるが、
日本の素晴らしさを再確認することが出来た。
情緒、文化レベル、精神的な幸福。
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江戸時代から明治の初めの人々の生活を、外国人の目を通して表現されたものを寄せ集め、その時代の一面を照らし出す。
それは、私たちが想像しているより、ずっと人々が活き活きとしていた時代だった。
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幕末に関しての庶民の生活など。
思っていた本とは違ったが、かなり分厚いのにも関わらず最後まで読み切ることができた。
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江戸時代に日本に来た外国人の記録をもとに、当時の日本人がわかる。なんか想像してたのと違ってて面白い。
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著者曰く、文化や、ある民族の特性は滅びない。その点で、この日本列島に存在する文化や、この日本列島に居住するある種の人間の集団の特性には持続性がある。それらは変容こそするが、消滅はしない。一方、文明——著者曰く「ある特定のコスモロジーと価値観によって支えられ、独自の社会構造と習慣と生活様式を具現化し、それらのありかたが自然や生きものとの関係にも及ぶような、そして食器から装身具・玩具にいたる特有の器具類に反映されるような、そういう生活総体」——は滅び去るものであると著者は主張する。その意味で、十八世紀初頭から十九世紀にかけて存続した、すなわち江戸期に成立した我々の先祖の生活は江戸文明とでも言うべき、今は滅び去った一つの文明であった。
欧米列強による植民地化から逃れるためとはいえ、我々の先祖はまさしく自らの手で江戸文明を滅亡に追いやり、そして日本は近代化を果たした。滅びさった文明は、江戸という自然と融合した美しい都市を持っており、そこでは常に陽気な、子供のようにはしゃぐ人々が、清潔で簡素、それでいて豊かな生活を、親しみと礼節と共に送っていた。
著者は、ともすれば安易な先祖礼賛、単調な理想郷の描写となりかねないこの過去の文明の姿を、豊富な資料で丹念に描きだしている。著者の意図は、過去の文明を礼賛することなどにはなく、単に、その姿を描写することなのである。しかし、読者は、その姿に憧れと共に接するだろう。そこには何か今の我々にはもはや望むことすら許されない幸福の姿があるのである。時計の針が戻ることはない。失われた文明が息を吹き返すこともないだろう。しかし、先祖達が住んだ逝きし世の面影は、我々を惹いてやまないのである。
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・幕末維新に日本に滞在した外国人の記録をテーマ毎に纏めた大作。
・全体的にポジティブなトーンで書かれているが、それが真実なのか、著者に意図があるのかは不明。ただ、当時の外国人が日本に来る前に抱いていた印象と比べて、ずっと文明的で知識水準が高かったことは事実なのだろう。
・工業化される近代社会の前の普遍的な姿としての評価と日本固有で現在も続くものの評価を峻別していく必要がある。
例えば、東京を「田園化された都市であると同時に、都市化された田園」としてユニークな田園都市と評したが、これは明らかに過去の一側面でしかない。
「各人がまったく幸福で満足しているように見える」、ことも近代化社会前にあった、ゆったりとした時間の中で醸成されていただけのことかもしれない。
・一方で、日本人として心に刻み込みたいことも多い。
「日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼等の手から作り出せるものはみな美しいのです」
「低廉な品物に優美で芸術的なデザインが見出される」
「江戸の職人は真の芸術家である」
「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。」
・また、新たな気付きとして、封建社会にあっても庶民レベルは自由を享受し、民主的であった、ということ。
確かに武士の比率が全体の数パーセントであったのだから、実際の行政は地域に根ざしていたのだろう。
庶民レベルでは開明的であったことは、「攘夷」が「文明開化」に直ぐに切り替わったことでも明らか。島国が故に外からの新しいものに関心が高く、それを自らの生活に吸収する欲求が国民性として根付いていたのだろうか。(この点は、現代社会でも忘れてはいけない)
・その他面白かったことは、子供について。(表題は「子供の天国」)
大人に怒られる子供を見たことがない、とか、日本の子供は泣かない、といった箇所。また、当時、公衆浴場での混浴の習慣があったことも面白い。
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クララ・ホイットニー(Clara Whitney 1860-1936)は商法講習所の教師として招かれた父とともに、1875年に来日したアメリカ人少女であるが、(来日時14歳)1876年11月に銀座が焼けた翌朝、さっそく火事場を見に出かけた。「この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった。」しかも彼女が「驚嘆したことには、あちらこちらに新しい建築の枠組みが立てられていた。その進行の早さは驚くべきものだった。」・・・・・ この時代の日本人は死や災害を、今日のわれわれからすれば怪しからぬと見えるほど平然と受けとめ、それを茶化すことさえできる人々だった (508から509ページ)
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8/18借。第1章の数ページ読んだだけだが、素晴らしい。日本に開国を迫ったのは西洋文明だが、その当事者の一部は日本文明が消えていくことを嘆いていた。複雑な気持ちになる。
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幕末~明治初期に日本を訪れた外国人たちの書き残したものを元に、江戸時代の日本がどんな国だったか探る本。
やっとやっと読み終わった。
ほんとに長い本で・・・2週間以上かかった。第一章は丸々飛ばしたのに。
ここに書いてあることはまったく、驚愕の連続。
私たちが思っていた江戸と、ここに書かれている江戸は、全然違う。
まさかこんな地上の楽園があったなんて。。。住みたいです、その国に。
特に印象に残ったこと。
日本人は上流社会のみならず、労働者階級に於いても、自然を愛で、季節の移り変わりと共に生活を送っていると。
今でも、梅や桜や紫陽花や椿等々の花達をわざわざ見に行くとか、鶯やセミや鈴虫の声を聴くとか、紅葉を心待ちにしたり、真夏の入道雲や降り積もる雪を眺めたりというのは、日本人にとっては超普通の感覚ですが、当時の外国人たちは非常に驚いたそうです。そういうのは、上流社会の人たちがするもので、市井の人々が景色なんぞに構っていられる余裕があるものかと。
農村は景色が良いだろうし、そこに住む農民たちは季節を愛でて暮らしていたに決まってる、と思うのだけれども、欧米の農民たちは全然そうじゃなかったみたいです。そっちの方がびっくり。
それから、日本人は死ぬことを恐れていない、というくだり。
なんとなく、理解できる気がする。
今や私たちの国はすっかりダメになってしまったけれども、でも、日本人は確かにその夢のような楽園の子孫なのだ、と思う。
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江戸末期から明治時代にかけて日本を訪れたさまざまの外国人による記録を参照しながら当時の様子について書いた本。
すべての日本人が陽気で幸福そうで満足しており、美しい自然やあらゆる生類と融合、調和しながら生活していた様子に多くの外国人が驚嘆と賞讃の念を抱いたことが記されています。
こんな時代だからこそ、幸せについて考えさせられます。
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手放してしまったけれどもう一度読みたい。
現代人から見ても新鮮な日本の姿。
タイムスリップしてみたい。
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「昔の日本は良かった!」
で終わる本では全くありません
「だから、日本国に誇りを持て」
という本でもありません
「あんな日本を取り戻そう」
という本でも全くありません
江戸の末期に日本にやってきた
さまざまな異国の人が
それはそれは微に入り、細に渡り
その当時の日本人の生活を描写してくれた
確かに物質的には豊かでなく、
インフラも豊かではないのですが
暮らしている当人たちは
当たり前なので気づくこともなかったでしょうが
「人々が大変明るく、清潔で、にこにこ暮らしている」
とたくさんの(異国の)人が述べている
そこに横たわっている
日本人が持っていた「美点」を
今の現代の日本の中でも
なんとか発揮できる工夫はないだろうか
という とても前向きな提案をしてくれている
一冊なのです
私たちの祖先は
この両手でいろいろなものを作ってきた
この両手、両足でいろいろなものを治してきた
その頭でさまざまなものを工夫してきた
その頭で心地よい暮らしの知恵を編み出してきた
私たちの中にも
その「日本人」は生きている
私たちの「日本人」を見直そう
という 一冊です
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ネタ程度に読了。もし本書を絶賛し勧めてくる人間がいたら、その人間のことをあまり信用しないことにしようと思う。
外国人からの賛辞をすぐ自国の優れた部分だと解釈するのは如何なものか。幕末の日本人が本当に何を考えていたのかは分からない。今の日本人も他人に対してへらへら愛想笑いしているやつがいるではないか。
それに無知であればあるほど素朴な喜びや苦しみしか味わえない。学問や思想に頭を巡らすことなく、進んだ文化も知らず、単純な頭で日々を生きているだけの毎日。それはそれで良かったかも知れないが、今は違う。今は今の良さがあり、昔は昔の良さがあるだろう。
想像する江戸末期
部落民を蔑む。口減らしのため嬰児を殺す。村八分。無学なので迷信ばかりが信じられている。飢饉になっても助けはなし。生活苦で娘を遊郭に入れる。武士は武芸より遊芸に励む。労働時間がきちっとしていないから能率が悪い。下水道が完備していないからコレラ流行。天然痘の恐怖。弁護士がいない。為政者がアホでもどうしようもない。放火が起きたら次々に燃え上がる江戸。圧政。閉塞感。
今を生きるのは苦しいかも知れないが、空想の世界に浸って逃避するよりは、現実と闘うことを私は選択したい。
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日本が近代化する以前にはこれほど豊な風景や人々の生活、文化があった事に驚いた。それも知らなかった事や想像を越えた事実ばかりである。街並みの清潔感や簡素さや豊かさは人民の本当の幸福の姿だという箇所には考えさせられるものがある。その他、日本人がお喋りであった事、子供を皆が大切していた事、混浴が普通であった事など見た事はないのに懐かしさを感じる。また、家畜を家族と同じ感覚で捉えていた様々な証言は日本人として嬉しくもなる。西洋文明が入り込む前の日本や日本人に自信を持つ事が出来たし、これから先、形を変えて活かす事が出来るのではないかと思う。