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SEALDsについては多く語られすぎて、そのためにSEALDsについて語るのはとても難しくなっている。Amazonの評価が、10月のある日の記録で52の評価中星5つが20で星1つが20、と両極端に偏っているのはやはり少し悲しい。
本書は、高橋源一郎とSELADsのメンバーとの対談をまとめたものだ。高橋源一郎さんの本だからこの本を手に取ったと言える。対談をしている時点では、まだ安保法制は国会を通っておらず国会前の抗議デモを継続しているという比較的ホットな時期での対話になっている。主宰者の一人で、マスコミにもよく登場している奥田さんが明治学院大での高橋さんの「言語表現法」という授業の受講生であったということもあって、本書の対談は実現した。しかしその縁以前に、『ぼくらの民主主義なんだぜ』という本を上梓し、反原発などにもある種のシンパシーを寄せていて、また特に自身が学生時代にデモに参加をして逮捕された経歴を持つ高橋さんは、SEALDsに心情的にも共感する要素はもともと濃くあったのではないだろうか。
SEALDsは、Students Emergency Action for Liberal Democracy - s、の略。学生の運動で、緊急性を持ち、そしてリベラルな活動だということを示しているんだろう。もともとは2014年の秘密保護法への反対のために集ったSASPL (Students Against Secret Protection Law)のメンバーが元になっている。彼らのサイトを見ると、立憲主義、生活保障、安全保障の分野で、明確なヴィジョンを表明するとしている。 「日本の自由民主主義の伝統を守るため」や「リベラル勢力の結集を求めます」といった一種危うさも含む主張が掲げられている。SEALDsは毎週金曜夜の安保法反対デモを主宰するなど、2015年秋の今、マスコミにも多く取り上げられた。テレ朝の「TVタックル」で、異性との出会いを求めて集まっている人もいるのではないのか、みたいな取り上げ方をして取材をしていたのは論外として(これはいただけなかった)、それなりの扱いでマスコミにも取り上げられていたと思う。「朝まで生テレビ」にも呼ばれたし。一方、ネットでは、どちらかというと否定的に触れられることも多いように思う。個人的には、その意見に賛成しているわけではないが、行動を起こすことは悪いことではないと思っている。最初の対談では、奥田さん、牛田さん、芝田さんが自らの生い立ちや日常を率直に語っているが、マスコミの報道からだけでは得られない、個々の人の立体感のようなものが感じられてよかった。
本書のタイトルは、彼らのシュプレヒコールにも使われた言葉だ。これに対しては、「これだ」と叫ぶコールになっている。Occupy Wall Streetでの”Tell me what democracy looks like - This is what democracy look like!”という交換にインスパイアされたらしい。しかし、それは自らにも戻ってくる深い言葉になっている。そのことに気が付いているのだろうか。高橋源一郎は 『ぼくらの民主主義なんだぜ』で台湾のデモにも触れて、そのプロセスと成果、特にその終わり方、を非常に高く評価していた。かの作品中では、自分たちが何種類もの「民主主義」に参加していることに思い至ったと語る。「ぼくらの」民主主義があるように、「彼らの」民主主義もある。「民主主義」に関してはそのことについて常に意識的であることが求められる��だと思う。そして、高橋さんが言っているように「コミュニケートするっていうのは、相手と違う意見だからするんだ。同じ意見の人とはコミュニケートする必要はあまりないわけだからさ」
いずれにせよ、本書の中でもそう書かれている通り、言葉には定義が必要だ。
そして、少なくとももし何かを語るのであれば、彼らのサイトは覗いてみてからとすべきであろう。
http://www.sealds.com/
法律が通過した10月18日の金曜日に渋谷街宣を行うという。彼らはこれからも運動として継続するのだろうか。
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『ぼくらの民主主義なんだぜ』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4022736143
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読了。民主主義とは簡単に定義できる概念ではないことがハッキリした。むしろ、どう民主主義を定義するかに個人の価値観が現れてくるという点において、民主主義を語ることは政治参加を促すものだと思う。
SEALDsのメンバーと高橋源一郎氏が引き合いに出したルソーの言葉には、民主主義の本質に向き合わせてくれるヒントが含まれていた。大事なのはみんなの意見をまとめて意思決定することではなく、他者が多様なオピニオンを持っている現状を認め、それを共有すること。一度決まった結果には従うけど、そこを起点にして「これってでも、おかしいよね」と声を上げることに意義があると、対談メンバーは述べた。民主主義=多数決ではないことは、明白である。
しかし、ルソーの思想にしろ対談メンバーの主張にしろ、いずれの議論の根底にあるのは、民衆の自発意思である。つまり、自ずから政治に参加する動機がなければ、メンバーたちの議論は成り立たないはずである。根底にある考えとして、どうしたら政治的無関心と呼ばれる層を政治参加に取り込めるか、なぜ、政治に関心の目を向けなければならないのかといった問いが登壇者の議論から欠けていた。
日常において、政治をどれだけ生活レベルで連続性をもたせる形で語り続けることができるかが、今後の課題になるだろう。
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(高橋)安保法制を止めようとしていたら、他が止まっちゃった(笑)。実はすごく効果があると思う。すでにね。だって、全部つながってるんだから。僕は、こういう政治運動は何かひとつのテーマをやることでいいと思うんだ。(中略)他のテーマをやりたい人は他のところでやればいい。自分で考えて、自分で始める。ひとつのことを。実はそれがいちばん大きな力になるんだと思うんだよね。(pp.66-7)
(高橋)重要なのは、何かが決まるまでの過程に全員が参加し続けられるかってことなんだよね。その過程で意見を言ったり聞いたりして、みんなが何を考えているかを知ることができる。みんなが知るってことが大事なんだ。なぜ、それが大事なのか。それは、古代ギリシアやルソーが考えている民主主義は単なる政治システムではなく、哲学や思想を含んでる、共同体の生き方に関係があるからなんじゃないかな。(p.147)
(奥田)僕の高校の後輩なんですけど、民主主義は他者と生きる共生の能力だとジョン・デューイが言ってる、って話をよくしてる。学校教育とはすごく関わってますよっていう話で。社会では自分と全然違う人たちと生きていかないといけない。そういうときに言葉だったりとか、技術的なことだったりとか、能力を高めていく。つまり、他者と生きていく能力を高めていく。それが教育だ、と。(p.166)
(高橋)人間の母親は「こうやってミルクを飲むんですよ」とは方法を説明しない。いきなりミルクを飲ませるわけ。具体的に生きることそのものが教育なんだよね。人間と人間との関係から教育は始まっている。最初は母親、そして父親が入り、別の過程が入り、社会が入り、どんどん広がっていって、社会から教育を受けていく。その中で僕たちも変化して違ったものになっていく。この教育システム全体が、ひとつの民主主義のシステムなんだと考えてみる。(p.168)
(高橋)認知症の人間も障がい者も実際に弱い。でもそこで「平等」「同じ」というフィクションをつくったとき、そこにできる共同体は実はすごく強い。リアリズムでやってるつもりの共同体のほうが実は弱い。「弱い人間はあっちに行って」というふうにやると、強い人間だけが真ん中に残るいびつな社会になる。弱い人間も入れて、全部平等で同じっていうふうにしていく世界のほうが、運用は難しいけれども、結果としてははるかに強いものになる。(中略)民主主義は、決して議会制民主主義だけにとどまらず、あらゆる場所にあるし、また同時に立憲主義で縛らないといけない場合も出てくる。民主主義が完全なかたちのものではないからこそ難しい。難しいから、教育になるってことだと思う。(p.180)
つまり歴史を堆積物として見る。どこかで歴史ががらっと変わったとするんじゃなくて、堆積物としての歴史があって、その上に僕らが立っている。そういうふうにして理解していく。だから組み合わせで成り立っているということなのかなって。そういう歴史の見方辞退が重要。(p.190)
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夏のある日、国会前。twitterのルート案内をもとに行けば、驚くほどすんなり国会議事堂正面へスルスル。下手なrップだなーと思いながらも、老若男女の自由ぶりを見てなんだか少し、羨ましくもなる。
「ノー・パッサラン!」や渋谷のサウンド・デモで使われる音楽、その一つ一つの意味を調べていくと、ブレイディ氏の書く英国ともつながる一本の線が見える。
自身の過去を知らない若者が、「新しいデモをしたい」とゼミの教室へ飛び込んで来た時、高橋源一郎は何を感じたのか。
SEALSメンバーと高橋氏の個人にフォーカスした「民主主義」は果たしてどれだけ響くのか。彼らはお互い相手に、自身の過去と未来を見ているだけで、その輪からの広がりはないようにも思える。
アントン・コービンやケン・ローチのような愚直な堅実さは日本にはないし、受け入れられないだろう。果たして彼らのようなPOPさが日本には必要なのか。
あの夏がSummer of Loveに終わらないために、私たちは何をすべきか。当たり前だが本著には何の答えもない。
まだまだ続く…老若対談集。
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ファッション化やカジュアル化する政治活動・民主主義再考活動についてのは、頭では納得しながら心では受付がたいと感じてしまうのはなぜだろう。まだ自分の中の整理がつかない。
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集団的自衛権の行使容認、安保関連法案の強行採決…安倍政権の暴走に対して若者が立ち上がった。この国の未来を諦めないために。自由と民主主義を実現するための新たなマニフェスト。
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等身大の学生が、政府のやり方、政府がおかしいと声をあげた。SEALDs結成のきっかけ、初期メンバーの生い立ちなどを高橋源一郎氏が話しを進め、対話記述のため、読みやすく、各人のそのままの言葉、飾らない人柄が垣間見れてとても親近感が湧いた。民主主義って何か?とこれまで真面目に考えたこともなかったが、このことをきっかけに改めて考える機会となった。現在声をあげている人達のように、自らも決して諦めることなく、それは簡単なことではないが、民主主義の声をあげていきたいと強く思った。
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[「僕らの」言い分]小説家としても活躍する高橋源一郎と、反安保法案のデモで一躍注目を集めた「SEALDs(注:自由と民主主義のための学生緊急行動)」に所属する学生たちによる対談を記録した作品。「SEALDs」の結成とその歩み、そしてメンバーが考える民主主義について熱い議論を交わしています。
ニュースでその名称だけはよく目にしていたのですが、実際にその思うところを目にすることで、この運動がどういったものかの一端を確認することができました。いくつかのレビューでは、メッセージに「中身がない」とか「空虚」という批判が散見されるのですが、これほどまでにぼんやりとして、かつ様々なところで矛盾の綻びを抱える運動が継続するには、そもそものはじめからそういった要素が必要不可欠であろうことは心に留めておいても良いかと思います(もちろん「ぼんやりとしたメッセージ」ではなく、「ぼんやりとしたメッセージの上に成り立つ運動」が悪いということで批判されている方もいるとは思いますが......)。
一つ気になったのは、下記の引用に見られるような「SEALDs」のメンバーが抱えている真っすぐな自己肯定性。「愚かな話をしてはならない」と他人の考えを遮る「自分らを肯定」することが許される根拠や、その姿勢が独善的にならないことをどのように保証するかという点について、もう少しどのように考えているかを聞いてみたいなと感じました。それにしても、普段読まないタイプの本っていろいろと新鮮な見方が得られて面白いものですね(なんだか水野晴郎さんの言葉みたいになっちゃいましたが......)。
〜(牛田)今は肯定の運動をやってると思ってて。安倍さんを肯定しようとは思わないけど、自分らを肯定してるんですよね。自分らを肯定すると、必然的に安倍さんを否定してしまう。……(奥田)話し合いも大事だけど、ギリシアで言うところの「愚かな話をしてはならない」っていう事も大事だよなって。〜
運動や思想の軌道をたどれば当然予期される「SEALDs」が陥ってしまうであろう盲点を無視もしくは極端に軽視して、こういった若者を(おそらくは一種の郷愁を胸に抱えて)次世代の旗手としてやいのやいのと持ち上げてしまった「リベラルな大人たち」の「罪」は重いのではないか☆5つ
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この本で語っている人たちは、誠実に、自分で考えていると感じた。感情的になるのではなく、正直に自分に向き合い、考えなければならない。考えたこと、思ったことを話せない社会はいやだ。
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民主主義の入門書にぴったり。
もう、まさに、民主主義ってなんだ??って思っているひとが読むべき一冊。読みながら、なんだろうって考えることができる。
前半の愛基くんの生い立ちの部分では、すごい人だなぁ、だからこんなにかっこいいんだな!っておもった。
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SEALDsってなんだ?
少しでも興味のある人は是非読んでみると良いと思う。2015年の活動初期から、ネットでスピーチを見たり、書き起こしを読んだりして、微力ながら応援していたつもりだったけど、応援されていたのは私自身だった。
勇気を持ち、自ら考え、謙虚に学ぶこと。
それがどんなに大切なことか、よく分かる。
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初めの半分はSEALDsってなんだ?と言うことで
立ち上がりから今に至る過程の話で
第二部が本命の《民主主義って何だ?》となる
言葉の定義に始まり70年安保の経験者である先生である高橋さんから
叩き台が提示され学生である奥田愛基(あき)さんと牛田悦正(よしまさ)さんと
柴田万奈(まな)が参加してそれぞれの生い立ちから自己紹介となって
民主主義についての思いを語り討論へと向う
鶴見俊輔と小田実が言い出しっぺのベ平連を立ち上げ社会運動を始める
議会制民主主義という西欧風のデモクラシーに対して
一歩前に進んだ直接民主主義の実践的運動として
組織立たない出入り自在で全員が対等観を持つ環境へと民主主義を解放した行った
シールズはそれを引き継ぐ意識で輪郭の定かでない運動を目指していると言えるだろう
ギリシャのデモクラシーは全員参加の直接民主主義で
紀元前500年頃につくられた
デモス=民衆クラスト=権力・政治体制つまり民衆性=people's power
アメリカの憲法の基礎のなったのはインディアンのイロコイ族の政治体制だと言われているし
それがヨーロッパに渡って憲法の土台となった
しかしフランスの革命では民衆が先頭に立ったけれども
ロベスピエールなどに結果を持って行かれ民主主義は建前となっり
恐怖政治に取って代わられたとなり
アメリカの政治システムは大統領の立場が君主制で上院が貴族制で下院が民主性という
三つを合わせた共和制となる
ちなみに下院の力が一番弱いということになる
本気の民主主義ならば下院だけで事足りることになる
この本では語られていないが
民主主義は信仰とか法や契約という暴力への依存心からなる
嘘と秘密による煽動に揺るがない
自分で選択できる自律を目指すシナヤカな個意識と広い視野によって
利己的な利害の矛盾を卒業して
全体観を持った人々で構成されていなければ不可能だということになるだろう
民主主義に答えはなく無限の成長がある
人の数だけあるいは人の成長とTPOに合わせて無限の可能性がある
平等と自由と友愛と平和という建前では人権も民主主義を貫けない
直接民主主義の要は個性という部分をつなげることを可能にするそれぞれの
全体観である集合意識を感じ取れる心だろうか!
コレさえ身に付ければ出合ってお互いを選択して違うお互いだからこそ
切磋琢磨しながら学び合える関係を創れるだろう
多数決で負けた惨めさなどあり得ないシナヤカなコミュニケーションで
お互いを認め合い再分配して補い合える相乗効果を納得できるはずだ
そこにはテレパシーという情報交換の方法も実用化されているはずだ
追記:
平等と対等:
あなたとわたしが選び合って集うと
二人の好みも状態も違うから選ぶ物も違い
この違いを受け入れ視野を拡げることができる一方で
否定して内にこもることも可能だ
この二人が違いを受け入れ支配関係を嫌い
民主的な関係を創造しようとした場合
同じグラスを並べてジ���ースを同じ高さに分け合って
満足する平等感がお互いにわかりやすくて
採用されるかもしれない
しかしあなたは喉が渇いていてジュースをもっと欲しくて
私はむせていて飴の方が欲しかったとすれば
ジュースは一口で十分かもしれない
どちらも中途半端で満たされずにいるよりも
お互いの状態をわきまえて程よく満たし合うことの方が
より幸せなのでないだろうか
民主主義がお互いの心を過不足なく満たし合う
自らの幸せを求めるものであるならば
部分的な平等よりもより全体的な対等な関係を
目指すことになるのだと思う
同じように相手の違いを考慮しない部分感の強い
気ままな自由勝手よりも
俯瞰した視野の広い全体観を併せ持つしなやかな
自在性を好むのではないだろうか
更に友愛という情にまみれたプライドよりも
相手を自分の一部とできるドライな仲間とする関係の方が
好ましいだろうし
この世にあり得ない一体感という無味無臭の
100%の平和をナイモノネダリするよりも
活気にあふれ個性と個性をつなげて流れをつくる
調和というダンスを模索する五分五分の冒険を操る方が
充実していて愉しいのでないだろうか
民主主義が絶対君主に依存したら
よしんば君主が民を思う善良なものであったとしても
民主と違うものになってしまう
民主であるためにはあくまでも未知なる今を歩もうとする
一人ひとりの自律を自ら育てる自主的な意識を持った
環境でなければならない
それは体験から得る倫理観として個々に蓄積されて行くもので
与えられたり依存するモノであってはならない
そこにはお互いの切磋琢磨で裏打ちされている
現状を愉しもうとする意志が必要となる
あなたとわたしという関係:
個と個が対等に集う民主主義には
自己責任と自己管理が付きものだ
個々のフリーダムとコモンの間には
自ずとコミュニケーションという橋がなければ
つながらない溝がある
集いから嘘と秘密を排除するには人工的で
自然観を無視した競争原理による
過去に対する權利と利権の主張と
未来に対する契約という仮想の所有システムを
集いの場に持ち込まないこと
過去は万民万物に解放されたものであり
未来は個々それぞれの範疇に属するものであり
今現在を目指すものは
集うものの調和の関係にある
無限に入れ子となった連なりである
より部分とより全体の連鎖において
部分性は視野が狭くより即物的で具体性に富み
全体性はより視野が広く意識的で抽象性に富む
知識と意識:
外からの情報をコピペした状態を知識と呼び学問すると言い
自らの生活を冒険することで得る発見を意識と呼び学びと言う
更に借り物の知識を咀嚼することで得るヒラメキも学びと呼ぼう
そしてその学びの延長線上に思いを描くことを創造と呼ぼう
私達が選び合ったあなたと私は相対の関係となり
私の知らないあなたという情報から無限にある筈の
未知なる部分の一部分を拾��取り
自分の意識と照らし合わせながら噛み砕き繋ぎ合わせ
新たな意識を育んでいく
この一瞬一瞬を繰り返すことで視野を広げ
自分という部分と共にその全体となる環境をふくらませていく
部分と全体とは意識を通して繋がる
磨き上げた個意識は全体である集合意識からヒラメキとなって
個意識へとフィードバックされ循環し続けながら
私という個である部分も私を取り巻く環境である全体も
無限に成長して行くということなのだろう
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SEALDsのおかげで、初めてデモに行けた。集会に行けた。この1点だけで、個人的にものすごく感謝している。
特定秘密保護法が可決される前後、私は自分にイライラしていた。せいぜい家族やごく身近な友達に話すことはしていたが、それ以上のことができない。「デモ?集会?いやいや、そんなところにはよう行かん」と行動できない自分にいらだっていた。
自分は何もしていないくせに、「どうして日本の学生は反対運動をしないのか」と思っていた。実際はその頃から彼らは活動を始めていたのだが、そのことを知らなかった。
「どうして日本の学生は」などと思える自分では全くなかった。自分が学生の頃、政治には全く関心がなく、ただただ自分のことだけ考え、浮かれ、遊んでいただけだ。そのままこの年まできた。
よくぞ立ち上がってくれた。若い人たちの世話になるような年では、まださすがにないのに、SEALDsに完全に乗っかってしまった。
デモが楽しい、集会が楽しいと言っていいのかと思うが、本当に楽しい。悲惨な状況に、必死で訴えかけているのだが楽しい。コールが楽しい。帰宅後、1人2役?でやってしまう。家でやっても仕方ない・・・
カッコイイし、オシャレ。それと賢さが両立しているのがいい。よく勉強し、自分で考え、自分の言葉で語る。尊敬する。
と同時に、遊びたい盛りの若者たちにこんなことをさせてしまった大人として、とても反省している。何が悪かったのか。どこで間違ってしまったのか。
私たちがのほほんと消費に明け暮れているうちにこんなことになってしまった。
全く本の感想になっていない。
メンバー3人と高橋源一郎さんが語り合う。
前半は「SEALDsってなんだ?」奥田さん、牛田さん、芝田さんそれぞれが、個性的な小中高生活を送られていて、さもありなんと思わせられる。
他のメンバーのことはわからないのだが、わりと皆さんそうなのだろうか。私は「ゆとり世代」と揶揄されがちだけれど、意外と「ゆとり教育」が花開いたのではないかとちょっと思っていたのだが。違ったかな。
後半は「民主主義ってなんだ?」ちょっと難しい話になって・・・ちょっと付いていくのが大変になったのが悲しい・・・
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高橋源一郎とSEALDsのメンバーの対談による活動の起こりと展開。
さらに、民主主義とは何か、歴史の変化を解説。
安保法案に反対するデモで知られるSEALDs。
どんな成り立ちでどんな人がいるのか?
知らなかったので、興味深く読めました。
名称の意味は、「自由と民主主義のための学生緊急行動」といったところなのですね。
たまたま集まってきたメンバーそれぞれの個性。
生真面目なばかりでもないのね。
冷静で、無理がないのに感心しました。
奥田愛基さんの生い立ちもすごいですね。
親御さんが人並みはずれていて、「家にマザーテレサがいたらうっとうしいでしょ」って、確かに(笑)
何万人もの普通の人たちが、デモに集まった。
デモすら起こらない日本だった頃よりも、ある意味では増しな兆しなのか?
事態は複雑だけど、譲れないこともあると。
歴史はざっと知っているつもりでも、このように整理した形で読むとまた、違う印象がありました。
民主主義‥
響きはいいけど、面倒くさくて、かつ、民意は意外にまとまりにくいもの。
困ったね‥
大事なことは何なのか?
わかりにくくても、少しずつでも、興味は持っていきましょう。
当たり前のことも、口に出しましょう☆
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2015.12.17
SEALDsの子たちはとても知性的で、若いのに懐が広いなと思う。学生だから勉強が第一だし、バイトがあってデモ行けないとかのバランス感覚も良い。参政権が18歳から与えられるけど、18歳、19歳の人たちがSEALDsが始めてるこういう政治活動に影響されて投票するようになるのではないかと思う。