紙の本
続いている惨劇
2020/07/07 06:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
国際社会が黙殺する、現地での過酷な現状に迫っています。多様な民族と宗教が混在する旧ユーゴで、共存共栄の難しさを痛感しました。
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コソボ紛争後のセルビア・モンテネグロのルポタージュ。
セルビア系・アルバニア系住民間にはいまだ多くの問題がある・・・と言うのは簡単だが、この本に書かれている内容は、ずっと重い。
行方不明者が出つづけているセルビア系住民。その数三千人。何故、それが報道されないのか。何故解決しないのか。そして何故そんなことが起っているのか。
現地の重たい空気が伝わってくるような気分になってしまう。
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木村元彦氏のユーゴの現在を描いた作品ですね。今尚続く、旧ユーゴの民族紛争。サッカー関係の記述はほとんど無いですが、旧ユーゴスラビアの今を知ることの出来る名著です!
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この本に書かれていることが、同じ地球上で起こっていることかと思うと、暗澹たる気持ちになります。
民族が違うという理由で、隣人を殺しあう現実。
民族って何なんだろう?深く考えさせられるものがありました。
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『悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記』からさらに著者は旧ユーゴスラビア諸連邦・地域の取材を進める。
民族同士の対立は、居住地域からの対立民族の(拉致・殺害を含む)強制排除を生んだ。
もはやニュース・ソースとしては扱われない民族間の凄まじい“浄化”の実態を本書においてもその徹底した現場主義で伝えている。
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木村さんの現地取材主義は相変わらず。わたしはこの人の本を読まなければセルビア難民の存在も知らなかったかもしれません。内戦で一方の陣営からは被害が出ないなどということはあり得ないにも拘わらず。巻末の柴宜弘先生との対談も(短いですが)興味深いです。セルビア内の自治州としてやや影の薄いヴォイヴォディナが取り上げられていたのも印象的。もうひとつの自治州がコソヴォじゃ影が薄いのもしかたありませんけどね。(追記:とか言ってるうちにコソヴォも独立か…)
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前提知識がなさすぎて少しついていけない、、
とりあえず、世界の紛争と世界の歴史の本買ったので
内容を一通り読んでから再読して
改めて内容に関してはレビューを書こう。
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背景をある程度知っていれば、文章は平易で逸話や対話も具体的。特定の主張ではなく混沌とした様子がじわじわと伝わってくる。インタビューされる人たちが著者にかける言葉はしばしば優しく、しばしば厳しい。これが著者を通して読者にも届く。
ちょうど現在(2009年11月)、NHK制作の番組でコソボの風景が少しだけ紹介される。「世界遺産への招待状 24 コソボ 戦禍を越えた教会へ」(2009/11/09) http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/archives/archive091109.html
(2009/11/13, 16時台に再放送)。
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[ 内容 ]
1999年のNATO軍の空爆により、コソボ紛争は公式には「終結」したことになっている。
しかし現地では、セルビア系の民間人が三〇〇〇人規模で行方不明になるなど、空爆前とは違った形で「民族浄化」が続き、住民たちは想像を絶する人権侵害の危機にさらされている。
また、空爆による劣化ウラン弾の被害は甚大で、すべての回収には一〇〇年を要するという。
本書は、空爆終了後六年間にわたって現地に通い続けた唯一のジャーナリストが、九・一一やイラク戦争の開始以降ほとんど報道が途絶えてしまったセルビア・モンテネグロの現状を告発した、渾身のルポルタージュである。
[ 目次 ]
第1章 大コソボ主義(二〇〇一年~二〇〇二年)(消えた一三〇〇人―セルビア人拉致被害者たち;真っ先に見た事務局長 ほか)
第2章 混迷の中で(二〇〇二年)(劣化ウランとユーゴスラビアの核;一〇月革命の裏側)
第3章 セルビア・モンテネグロの誕生(2003年)(新憲章発布とモンテネグロ;新憲章発布とコソボ ほか)
終章 語り部(二〇〇四年一〇月)(コソボ紛争終結後、最悪の暴動;スミリャネ―「民族浄化」された村にて ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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NATOと言うな名のまたアメリカか!と言ったところでしょうか。
セルビア側もやっちゃってるが
コソボ側もやっちゃってるだろう。
なのにセルビアだけが空爆をうけ
コソボにはCIAが協力しちゃったりしてる
アフガニスタン、イラクに類する事例かと。
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複雑な、ボスニア戦争のその後が分かりやすくまとめられてて読みやすかった。政治家たちと先進国の残した傷跡は、あまりにもひどい。。
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時代背景の知識がないから本質的な理解ができないが、とても興味深かった。
現地取材って重要だな。こうゆうのがジャーナリズムっていうんだろうな。
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1999年のコソボ空爆以来、西側には終わっていると報道されている現地の状況報告。何年も現地で丹念に取材した、ルポタージュ、報道(ジャーナリズム)とは、このようなことに原点があるのだと思う。
アカデミズムとは一線をおいた現地の現状であるので、その評価は読者やそれを読んだ人にゆだねられていると思う。
近親憎悪という形や、恐怖が次々と惨劇を生んで行くことなど、人間の業の深さを感じてしまった本だった。巻末の東大の柴教授との対談もよかったと思う。
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数年前、ボスニアヘルツェゴヴィナを旅した。ヴィシェグラードという国境付近の街を目指して、スルプスカ側(セルビア人共和国側)に入ったとたん、旅行者の目にも何となく貧しさが感じられた。そういうものの背景に何があるのか、どういう事態が引き起こされていて、それに対しひとりひとりどんな気持ちでいるのか、じっくり考えることが出来るルポだった。
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旧ユーゴスラビアの国々への思い入れが深い作者によるドキュメタリー。
セルビアとマケドニアの対立を主軸に描かれる。
拉致や虐殺、そこにかかわってくるアメリカ。
何度も現地に脚を運び、つぶさに現状をルポタージュしている。なので各国の現在のありようがまざまざと浮かび上がる。貧しさや苦しみが。
もともとは民族融和が謳われていた国々で、他民族婚も多く行われていた国々で、近所同士がいがみ合い、騙しあい、果ては殺し合い...
そんな報復の連鎖を、国単位、団体単位、そして家族単位にまでインタビューをして描いている。
ジャーナリズムとは、ルポタージュとはかくあるべし。
その中で、劣化ウラン弾についての記述が心に残った。
原発などでゴミとして生じるのが劣化ウラン。もちろんこれも放射性物質である。そしてこれを爆弾にしたのが劣化ウラン弾。金属の硬度が高いため、良質な爆弾となる。しかし、もちろん打ち込んだ先に待っているのは被爆である。
半ば合理的に放射性物質を爆弾として処理するアメリカ。それを打ち込んだ先のセルビアで起こる被爆。ババ抜きのババのように、弱いものにまわされていく・・・