紙の本
「偽装」を切り口にアメリカ音楽史を描いていく
2024/04/27 16:07
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
「偽装」を切り口にアメリカ音楽史を描いていく。音楽史を論じるのに国ごとの区分けに意味があるのかという疑問を抱く人もいるだろうが、本書を読むとやはりアメリカ音楽史はアメリカ音楽史という形でしか論じられないのだと思う。
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全然できてないけど、そのうちゆっくり編集する。
http://www.youtube.com/watch?v=w8OIoAxGm3E&list=PLF0885176C9EF1785&feature=mh_lolz
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ブルースやジャズ、R&B、ロックにヒップホップなど、我々が親しんでいるポピュラー音楽の多くはアメリカで生まれた。つい忘れがちだが、「一国の音楽文化はその国の社会制度や政治形態、さらには産業構造と無縁ではない」。そこで、アメリカという国の、どのような近景・遠景を経てこれらの音楽が誕生・発達してきたのかを読み解こうとする試みが、本書である。
とはいっても、著者は本書で客観的・歴史俯瞰的な音楽史を展開するのではない。著者は「擬装」というキーワードを試論の中心に据え、音楽史上に顕在するジャンルをこのキーワードに沿って分析するという、これまでの音楽史家が採ってこなかった方法で、そのジャンルがリズムの奥に響かせている意味を表出させようとしている。
「文化の多様性、発言の自由を重んじる民主主義国家アメリカ」の「価値観を体現する比喩」として機能するアメリカ音楽。そうした「擬装」に、新鮮かつ多層的な視点を提示した著者の仕事ぶりに、脱帽。
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黒と白の弁証法◆憂鬱の正統性◆アメリカーナの政治学◆規格の創造性◆音楽のデモクラシー◆歴史の不可能性◆若者の誕生◆空間性と匿名性◆プラネタリー・トランスヴェスティズム◆音楽の標本化とポストモダニズム◆ヒスパニック・インヴェイジョン
第33回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)
著者:大和田俊之、1970神奈川県出身、アメリカ文学者・音楽研究家、慶応義塾大学経済学部→同志社大学大学院アメリカ研究科→慶応義塾大学大学院文学研究科、慶応義塾大学法学部准教授
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まじでおもしろい
大学で直々の授業を受けたあとに復習として読んだ
白と黒の弁証法
歴史の語り口
否定性を媒介にした新しいカルチャー
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ブルース、ジャズ、ロックンロール、ロック、ソウル・ファンク、ディスコ、ヒップホップ、そしてラテン音楽まで、アメリカで生まれたポピュラーミュージックの歴史を1冊で学べる通史。
私は著者の『文化系のためのヒップホップ入門』シリーズを愛読していたが、本来アメリカ文学・アメリカ音楽などの研究者である著者のこの手の論考は未読であり、著者の研究者としての眼差しのユニークさに感動させられた。
いわゆるこの手の音楽史的な本というのは世の中にはごまんとある。音楽ライターやミュージシャンその人らなどによって書かれることが多いそうした本は、ともすると細かい事実関係の整理であったり、当事者のインタビューであったりという事実そのものに着目することが多い。
そうした歴史はそれはそれで面白いのだが、歴史学とは単なる事実関係の寄せ集めではなく、それらをどのような視点から眺めるか、という背景の思想こそが重要である。
その点で、本書が提示する視点、それは”擬装”である。
”擬装”をもたらすのは「誰かになりすましたい」という欲望である。アメリカ音楽は、この”擬装”、ひいてはその欲望から生まれ発展した、というのが著者の本書での視点となる。
例えば、アメリカ音楽のルーツとされるミンストレル・ショウは、顔を黒く塗った白人によって演じられる踊りや音楽、演劇の総称である。現代の人権意識からするとタブーに近いこのブラック・ペイントは一体どのような意味を持つのか。その”擬装”のメカニズムの中で著者は、2級の白人として扱われていたユダヤ人やアイルランド人などがブラック・ペイントをすることで自らの”白さ”を逆説的に誇張し、1級白人入りしたいという欲望があることを指摘する。
そうした新たな視点から、通説とされている様々なアメリカ音楽史の言説を一つずつ取り上げながら、その真偽も含めて丁寧に議論を進めていくことで、高い知的刺激を受けながら様々なアメリカ音楽がどのように生まれていったかを知ることができる。2011年の本であるが、可能であれば自分が学生時代のときに読みたかった、とすら思う名著。