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"ユニークな視点で、様々な症状を抱える患者たちを暖かいまなざしで見つめた本。
脳への障害は、様々な症状を患者にもたらす。
突然音楽が鳴りやまなくなったり
自分の手足を自分のものと思えなくなったり
即座に素数を答えることができる自閉症患者
などなど
人間という生き物、脳機能などの謎を浮き彫りにしてくれている。"
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専門的な言葉もあるが、知的障害を病的な見方ではなく、個性として捉えた作品。家族では難しい見方かもしれない、第三者だからこそ接し、その才能を発掘できるのかな。人間って、つくづく感覚=具体、現実の中で生きる生物なんだと思った。
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何度繰り返し、この本を、読んだ事でしょう。
人間の、精神に、興味がありました。自分が、精神の病を名付けられてからは、作者 オリバー・サックスの、変わった人々に対する温かいまなざしに、すがるような思いで、読みました。
訳者 高見幸郎氏が、あとがきで、こう書いています。
たしかにこれは、筆者の言うとおり、「奇妙」な話を集めたものである。脳神経になにか異常があるとき、奇妙な不思議な症状があらわれ、一般の想像をこえた動作や状態がおこる。ここに語られた二十四篇の話はいずれもそうした例といっていい。しかしわれわれが、これらをただ好奇の目でながめ、興味本位に読むのだったら、それはたいへんな誤りで、筆者の意図と真情を正しく理解したことにはならないだろう。病気の挑戦をうけ、正常な機能をこわされ、通常の生活を断念させられながらも、患者はその人なりに、病気とたたかい、人間としてのアイデンティティをとりもどそうと努力している。勝てなくても戦いつづけている。たとえ脳の機能はもとどおりにならなくても、それで人間たることが否定されるのではない。このことこそ、サックスがくり返し述べているところであって、ここが、問題の核心というべきであろう。
、、、書いていて、スマホが、涙で、濡れてしまいました。
※ 私が読んだのは、晶文社の、単行本のほうです。
りまの
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脳の本、という感想。
アンビリーバボー等であらかた紹介されてたりするイメージ。自分が生まれる前の本だけあって内容が古い感じがした。
(若しくは難しすぎて疲れた)
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「レナードの朝」原作者による様々な神経性疾患の病例の記録。治すということではなく、どうその状態と折り合いをつけていくのかが大変興味深かった。平日は投薬、週末はあえて飲まずにエネルギッシュな演奏をするトゥレット症候群ドラマーの話が印象深い。
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神経内科的な捉え方にしてはあさい。物語にしてもあまり情緒を揺さぶられなかったな、となんだかつまらなかった。
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馴染みがないジャンルで難しかったけどどの話も興味深かった
脳の障害でまっすぐ歩くことができなくなってしまった男性が水平器を使うことを思い付いた話には感銘を受けた
記憶喪失によりアイデンティティを失ってしまったら人の話は少し怖くなってしまった
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ずっと読みたいと思ってたけど、なかなかページをめくれなかった本。「書店員 波山個間子」さんの漫画に出てきてて、興味をそそられて、ようやく読み始めました。他の人の読み方や感想をきいて、ぐっと本との距離が縮まりました! そうでなかったら、また違った感想だったと思います。
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人間をまず”普通の人間”たらしめている要素とは何なのか、また人間の本質について考えさせられる良著。
この本はジャンルとして全くSFでもなく、量子力学でもないが、『酔歩する男』の血沼や小竹田のことを考えてしまう。
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脳神経科医サックス博士が出会った患者達。
妻を帽子と間違えた男:相手の顔がわからない。誰もいないのに誰かいるかのように振舞う。視覚的失認症の音楽家。
殺人の悪夢:殺人の記憶を失った男が重傷を負い記憶を取り戻してしまう怖い話。
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著者のサックス先生がもつ人間に対する興味とものすごく柔軟な視点、見立てに舌を巻く。そういう感覚って簡単に持てるものじゃないし才能だろうなと思うけど、知れただけで人生豊かになる感じがする。精神医学の世界に触れたことがない人でも、用語置いといても事例の状況やそのひとの振る舞いとその裏の感情・意図など入り込んでいける文章。
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個性と多様性の本。
冒頭にウィリアム・オスラーの「病気について語ること、それは『千夜一夜物語』のようなものだ。」という言葉が載っている通り、(本人や周囲の人には辛いこともあるだろうけど)出来の良い短編を読んでいる様な驚きや発見がある。
身体の一部であったり神経や脳の機能が喪失したり過剰だったりで、こんなにも多様な症状が出ることに人間の身体の不安定さと同時に安定性も感じる。
そして、本当の意味で「感覚」の違う人との相互理解は出来ないからこそ、理解しようとする姿勢と一方の「感覚」での評価の意味のなさがわかる。
p. 91 私が診ていたある患者は、後頭葉への血管の塞栓のために、脳の視覚をつかさどる部分が死んでしまった。たちどころにこの患者は完全に盲目となったが、本人はそれを知らなかった。見たところ盲人なのに、彼はひとつも不平を言わない。質問や検査をしてみてわかったことだが、彼は盲目となった—脳の皮質の上でそうなってしまった—ばかりでなく、およそ視覚的な想像力も記憶もいっさい失ってしまったのである。それでいて、失ったと言う意識もないのだった。「見る」という観念そのものが存在しなくなり、なにひとつ視覚的に叙述することができないばかりでなく、私が「見る」とか「光」といったことばを口にすると、それが理解できずに当惑してしまう。すべての点で視覚と無縁な人間になってしまったのである。彼のこれまでの人生の中で「見る」ことに関係あった部分いっさいが抜けおちてしまった。
p. 188こうなるともう、天賦の才能なのか呪われた欠点なのかわからなくなってくる、とも言った。
p. 204このように考えると、われわれは、通常とは逆向きの流れのなかに立つことになりかねない。病気は幸福な状態で、正常な状態に復する事は病気になることなのかもしれないのだ。興奮状態はつらい束縛であると同時に、うれしい解放でもあるのだ。
p. 324 今までやってきたのはこの相についてのテストで、そこでは非常に劣っていることがわかっていた。しかしそのテストでは欠陥以外の事は何もわからない。欠陥の向こうにあるものは見えてこないのだ。
p. 376 「かくして、天才少女から天才がとりのぞかれておわった。あとには何ものこらなかった。ただひとつの優れた点はなくなり、どこをとっても人なみ以下の欠陥ばかりとなった。こんな奇妙な治療法を考えつくとは、いったいわれわれはどういう人間なのか?」
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普通とは、健常者とは何なのか。
幸福とは何なのか。
子どもと一緒に暮らしている人にもおすすめ。
チョムスキーと合わせて見ると一層考えさせられる。
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本作を知ったのは、頭木弘樹さんの「絶望読書」のなかで紹介されていたことがきっかけ。
「人間に、こんなことって本当にあるの?」という症例が多種多様に描かれている。
難しい内容や専門用語が多いので、医者や理学療法士なんかにとっては、とても面白く読めて、かつ参考になるのではないかと思った。