投稿元:
レビューを見る
ポイントを抑えた的確な現状認識にはうなるほかないが、読み進むたび随所でため息をつかざるを得なくもなる。最後に記された処方箋も正直なところ実現できなさそうなのが切ない。
投稿元:
レビューを見る
民主党政権の総括がされている。政権「党」交代ということで納得。
二大政党が無理なら小選挙区制を改めるべきなんだろうな。
投稿元:
レビューを見る
日本は右傾化しているのか、それとも「普通の国」になろうとしているだけなのか。
いったい、どちらなのか?
著者は、日本社会の座標軸は右へ右へと推し進められたとする。
そのプロセスを丹念にたどった著作である。
以下、その内容である。
序章 自由化の果てに
1現在を生んだ新右派転換
2なぜ「反自由の政治」へ向かったのか
第1章 55年体制とは何だったのか
―旧右派連合の政治
1二つの歯車 ― 開発主義と恩願主義
2革新勢力 ― 「三分の一」の役割と限界
3なぜ旧右派連合は破綻したのか
第2章 冷戦の終わり ― 新右派転換へ
1新自由主義の時代へ
2自由化・多様化する日本政治
3国家主義 ― 新右派連合を支えるもう一つの柱
第3章 「自由」と「民主」の危機
― 新右派連合の勝利
1小泉政権 ― 「政治の新自由化」の時代
2安倍政権 ― そして「反自由の政治」が現出した
3寡頭支配時代へ ― 立憲主義破壊の企て
4日本政治は右傾化したのか
終章 オルタナティブは可能か
1民主党の成功と挫折
2「リベラル左派連合」再生の条件
結局、自民党が政権を取ろうが、民主党が政権を取ろうが、それは、「政権党交代」に過ぎない。
「政権」というものの実質を牛耳る「官僚制」を民衆が打破できるかにかかっている。
検察と国税という絶大な権力の前では如何なる政治家もひれ伏してしまうのである。
「右傾化」を操るのは、また「官僚」を牛耳る裏の権力とは?
最後の行は、私の感想です(笑)。
投稿元:
レビューを見る
最近読んだ新書の中では一番面白かった。
本書全体の内容は序章にコンパクトにまとめられているので、序章だけでも読むといい。
「右傾化する」といっても、ずっと常に「右」へとシフトしていったわけではないとする。
「右」に揺れれば「左」への揺り戻しが起こる。その後再び「右」へと転じる。近年の日本政治はまるで振り子のようだと筆者は例える。
しかし同時に、振り子自体が徐々に「右」へとシフトしているという。
したがって、「左」への振り戻しの後の「右傾化」は、以前よりさらに「右」へと移動する。
これは言い得て妙だと思った(4ページの図1および6ページの表1は実に分かりやすい)。
近年、ネット上のみならず言論界においても、論敵・政敵に「左翼」だとか「ネトウヨ」だとかいったレッテルを貼ることが多く、政治概念での「右」「左」の概念が相当に曖昧になっている。大抵の場合、こうした表現はあてにならないどころか、ただの悪口にすらなってしまうこともある。
なので、『右傾化する日本政治』という題を見たとき、これもまた同様のレッテルの類なのではないかと思った。
しかし、本書の冒頭で何をもって「右」とするかを定義し、この定義に従い「右傾化」が生じていると論じており、理解しやすかった。
さらに「右」にも様々な立場があるとして「旧右派連合」「新右派連合」という概念を用いているのは、本書ならではと言えるだろう。
これらの概念を旧来の「保守本流」「保守傍流」と重ねつつ、中曽根政権から第二次安倍政権に至るまで徐々に「新右派連合」が勢力を伸ばしている様子を図式的にまとめているのは、非常に分かりやすかった。
また、現在の日本政治を主導している「新右派連合」の政治家らが何を目指そうとしているのかもよく分かった。
また、本書では「リベラリズム」「自由主義」「新自由主義」を明確に区分し、概念の混同を回避しようとしている。
これも「右」「左」同様、明確に図式化して描かれている。
そして、民主党内にも様々な立場があり、自民党の現在の主流と同じく「新右派連合」を形成している集団があることを指摘しているのは面白い。
民主党の各グループがどのような系譜を辿って民主党に至ったのかを見るのは、日本政治全体を理解する上でも重要と感じた。
さらに自民党と読売新聞などのメディアが裏でどのようにつながっているか、自民党がNHKや朝日新聞に対してどのような攻撃を仕掛け、朝日新聞の購読者数減少に成功したのか、などにも触れられている。
昭和から平成にかけての日本政治の見取り図を端的に描いた作品と言える。
あまりにも明確に描かれているため、議論がやや単純化されすぎていたり反証になりうる事例が出されていない、などの欠点があるのも確かだが、新書という形態をとる本書は日本政治の概説書としては分かりやすく、内容も十分であると思う。
投稿元:
レビューを見る
本書のユニークかつ斬新な点は、1980年代以降の政治右傾化プロセスを「支点が徐々に右に動く振り子」のような「揺り戻し」を含む曲線運動と捉えていることにある。「振り子が右に振れるとき支点も一緒に右に動き、やがて振り子は左に振れるわけだが、前の周期の左端まではもどらず、もっと右の位置で留まる」。これにより「改革の後退」「改革の修正」とみなされる時期や政策が、結局のところ本質的には新自由主義化の動きそのものを停止させるに至らない力学が説明可能になる。
他方、今日の右傾化プロセスの因果関係を探求する上で最大の難問は、経済面でのグローバル化=自由化と、一見それに逆行するような国内政治局面でのナショナル化=反自由化の関係性をいかに矛盾なく単一の枠組で内在的に明らかにすることだが、その点はインターネットのブログ言説レベルの表層的な分析にとどまっており、正直なところ期待外れだった。偏狭な排外主義や復古的な国家主義の台頭を単に「格差社会」の矛盾から目を逸らすプロパガンダと見なしているだけでは、その意外な強靭さや拡散浸透を説明しえない。本書はこの30年余りの政治史を新自由主義と国家主義の「新右派連合」の「勝利」の過程として描いているが、例えば公共事業の在り方が小泉政権と現在の安倍政権では180度異なる点でも「新右派連合」の内実は相当な開きがあり、より精緻な解析と理論構築が必要だと思われる。
投稿元:
レビューを見る
「自由主義的な国際協調主義の高まりで膜を開けた新右派展開の動きが、いかにして偏狭な歴史修正主義を振りかざす寡頭支配へと帰着してしまったか、本書はその政治プロセスを解き明かすことを目指してきた」P173
投稿元:
レビューを見る
☆第一次政権をあれだけの失態で閉じた安倍が、驚くべき復権を遂げた拝啓は2つの要因がある。
・野党化した自民党が、さらに右傾化していた
・有権者の政権選択が可能となる競争システムが、民主党政権の挫折とともに崩壊したこと
☆リベラル左派連合再興のための基礎条件
・小選挙区制の廃止として選挙制度改革
・リベラル勢力が新自由主義と決別すること。
・左派運動の在り方の転換
投稿元:
レビューを見る
派閥の領袖や大物議員など永田町に君臨するボスを頂点に、ヒラ議員、県議会、町議員へと親分子分関係の連鎖として階層的に構成される恩顧主義の政治では、上位者から庇護をうけるためには、その軍門に下り忠誠をつくさないといけない。これが田中派の鉄の結束だった。
安倍政権にとって最大の標的はかねてからNHKt朝日新聞。
投稿元:
レビューを見る
「右傾化」という言葉が言われはじめて久しいが、実際に日本は「右傾化」しているのかどうか、しているのならばどのような経緯を経ているのかを、国政レベルで検討している。本書では「右派連合」の新旧を分けるものとして経済/新自由主義との距離があげられている。ナショナリズムの称揚と新自由主義が結びついていく点に関しても、政策決定や政党政治の力学から分析されていて興味深い。
投稿元:
レビューを見る
日本の政治の歴史を政治的立ち位置を切り口にしてたどる。かつて主流を占めた開発主義と恩顧主義の旧右派が、世界的な流れを受けた新自由主義と、アジア・歴史問題への対応をめぐって台頭した国家主義に代わっていく経緯がわかりやすい。
西洋の近代化の歴史では、絶対王政や封建主義から個人を解放しようとする中産階級(ブルジョワジー)が自由主義を担った。このうち、アダム・スミスは政府の介入を拒絶する自由放任の経済的自由主義を唱えたが、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて貧困や暴力がはびこることになったため、福祉や教育などの社会政策面の政府介入が、個人を真の意味で自由にするものとして進められ、戦後のケインズの影響下で全盛期を迎えた(リベラリズム)。これに批判して政府介入から解放することを主張したハイエクらが、新自由主義と呼ばれる。
戦後、保守合同によって誕生した自民党の内部では、岸ら旧民主党系が革新勢力との対立を先鋭化させて保守支配の危機を招いたために傍流に甘んずることになり、外交安保政策は低姿勢に徹して経済成長を最も重視する吉田ドクトリンに回帰した旧自由党系が、池田内閣から田中・大平政権にかけて本流の地位を占めた。その実態は、官僚派の政治家や経済官庁による開発主義と、党人派の恩顧主義だった。農林族、建設族、商工族などの族議員が、業界団体の組織票と政治献金を背景に政策決定に深く関与し、既得権益を形成して擁護することにより、経済的弱者を保護する側面があったが、弱者の固定化と強者への従属を強化することになった。こうした派閥や族議員によるバラマキ政治や金権政治が批判されたことが、傍流の福田や三木が挑んでいく大義を与えることになった。
平等・個人の自由・反戦平和・植民地主義の反省と謝罪を左、不平等や階層間格差の是認・国家による秩序管理・軍事力による抑止・歴史修正主義を右と位置付ければ、中曽根政権以来、日本の政治が右傾化している。グローバルな新右派転換は、小選挙区制を用いる英米によって牽引されてきた。
新右派の両翼をなす新自由主義はグローバル化を推進し、国家主義はナショナリズムを喚起するが、どちらもそれぞれが自己利益や自己保全を追求することによって結果が決まるべきであるというリアリズムを基盤とし、利己的な行動に倫理的なお墨付きを与えることから、とりわけ強者によって解放的な側面を持つ。新自由主義の最大の受益者であるグローバル企業のエリートと、国家主義によって権力を強固なものにする世襲政治家や高級官僚は、日米関係を強化することによって、両国のパワーエリート間で一致した階級利益を追求した。新自由主義が欲望や情念を煽って消費文化を礼賛し、国家主義が行き過ぎた自由や個人主義をいさめ、他国との緊張関係を利用してナショナリズムをたきつけ、階級格差から注意をそらすというマッチポンプ的な共犯関係によって補完性を示す。
小沢の「日本改造計画」(93年)は、政治経済の新自由主義を強く唱えるもので、北岡伸一、竹中平蔵、飯尾潤などの学者が執筆し、以降の新右派転換プロセスを規定していった。93年に自民党が下野し、河野談話が発表されると、自民党���歴史・検討委員会を設置して歴史修正主義の学者グループと連携した。95年に村山談話が発表、アジア女性基金が設立され、96年に中学歴史教科書に慰安婦が記述されると、97年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足、文化人や財界人のグループと宗教系国家主義団体が統一して「日本会議」となった。
小泉首相は、党派閥の領袖への相談もなく、各派の次世代クラスを直接登用して求心力を強めたが、その多くは国家主義的傾向の強い政治家だった。橋本が総理時代に成し遂げた首相官邸の強化のおかげで、小泉は道路などの公共事業や郵政三事業の改革を進めたが、これらは橋本派の牙城であり、権力闘争の側面もあった。小さな政府路線を貫いて毎年3〜4%の公共事業費を削減し、補助金と地方交付税の削減が税源移譲を大きく上回った三位一体改革によって、中央と地方との格差を広げる結果となった。福祉分野では、医療費の患者負担を引き上げ、後期高齢者医療制度を創設した。製造業の派遣労働を解禁した結果は、非正規雇用の割合が1985年の16%から2005年には33%に上昇した。
民主党政権の成立によって下野した自民党は、穏健でリベラルな宏池会と経世会の系譜は見る影もなく弱体化し、新右派連合が主流となった。中川や平沼が設立した「真・保守政策研究会」は、安倍が会長となって「創生「日本」」になった。
著者は、リベラル左派の再興のための基礎条件として、小選挙区制の廃止、新自由主義との決別、同一性ではなく相互の他者性を受け入れた連帯をあげている。
投稿元:
レビューを見る
映画主戦場にも、インタビュー出演してた中野氏による、保守55年体制から今日の安部政権までの、保守の流れ、変質と、時にリベラルによる揺り戻しに関する考察。資料や証憑に基づく、学者らしい観察と分析、鋭い洞察が見て取れます。この間の歴史的事実を知らないと、理解は難しいかも。
投稿元:
レビューを見る
日本政治は、寄せては返す波のように、しかし確実に、中心点を右へ右へと移動させていった。
それにより、格差や国家の権威や権限が次第に拡張し、かつ消極的に受容されるような変化が起きている。
新右派連合を形成したのは、新自由主義とナショナリズム。
小沢や安倍といった保守統治エリートたちには、未だ回復されざる失地が存在し、それは戦後レジームに起源をもつ。
一つ目は憲法改正。(集団的自衛権の容認)
二つ目は歴史認識と国民道徳。(愛国心の涵養や太平洋戦争の正当化)
55年体制下の旧右派連合の特徴
憲法改正を棚上げして経済成長を優先し、国民の生活の底上げによって階級間妥協を探ろうとした。
①開発主義→国家が国全体の経済目標を設定し、国家主導でその実現を目指すこと。官主導の経済開発。政府系県有機関、経済官庁との緊密な「官民協調」による経済発展を目指す。
②恩顧主義→世界に名だたる優良企業が経済成長をけん引する一方、それを下支えする中小企業が経済開発のコストを引き受け、自民党がそれに補助金を出し、その見返りに票を獲得するパトロン関係。
しかし、この体制は公的(均衡財政の崩れと国債の発行)・私的(バラマキ政治)な金銭コストがかさむことになる。
1980年、冷戦の中で各国とも新自由主義と国際協調主義が進んでいく。
太平は、頻発する赤字国債の発行を止めようとしたが、太平は同時に「人間的連帯の回復」を掲げ、社会的弱者の救済も重要施策として位置付けた。
これに対し中曽根は、国際主義に対して「包括的な民族の統合と発展」というスキームで対応しようとした。これはナショナリズムの復権の意味が込められていた。
中曽根は政治手腕においても、利益団体や族議員がにらみを利かせる与党や国会に先手を打ち、首相の威光を背景に、マスコミを利用し世論を味方につけつつ、利害調整でリードを取る、という、「既得権益」が支配する旧右派連合に「改革派」として切り込んでいった。
新右派転換とともに新自由主義化する無党派層の影響で、政治が自由化・多様化していく。
国際協調主義が日本で広く受け入れられるようになると、大平のような文化や経済の多国間協調から、小沢の、自由経済秩序の維持のため、日本は経済と軍事面の応分の負担をしろ、と論点がシフトされていった。
小沢の新右派ビジョン、「日本改造計画」で、「自由経済と強い国家」を目指す。また、国防に関しても、「専守防衛」から「平和創出戦略」へと転換、アメリカとの共同歩調を訴えた。
【小泉政権】
パフォーマーとしての稀有な才能を持つ小泉が躍進した理由が、マスコミとの結びつきの強さ。「改革派=善玉」「抵抗勢力=悪玉」の二元論を含意する報道を行うようになり、マスコミ世論の支持を支えに、総裁となった小泉は強力なリーダーシップを発揮するようになる。また、中曽根行革以降、首相と官邸に権力を集中させ、新自由主義的な政治改革の数々が、小泉に有利に働いた。
この間、小泉は様々な規制緩和と社会保障費の抑制に励み、戦後最長の好景気を達成、企業は当時の過去最高益を記録したが、労働者の賃金が上がることはなかった。
その構造改革路線は、旧右派連合の伝統的支持基盤を崩すものだった。
外交を取り上げれば、靖国参拝の再開によって、アジアに対する国際協調主義は見る影もなく消失し、米国追随路線を取っていく。
【安倍政権】
ガチガチの新右派である安倍は、「小さな政府」を掲げ、教育基本法の制定による「我が国と郷土を愛する」態度を養うことを教育の目標に盛り込み、防衛庁を防衛省へ格上げ、国民投票法の制定など、新右派アジェンダを打ち出していく。小さな政府により経済のグローバル化が進んでいく。はっきり言うと、安全保障が守ろうとする対象が国民国家からグローバル企業に変わったのだが、これを覆い隠すためにナショナリズムの扇動が行われていた節がある。
自民党は、棄権者も母数に含めた投票率を計算すると、圧勝した2012年であっても、17%程度であり、有権者の6人に1人しか支持を受けていない。
しかし、民主が総崩れとなり、公明との連立や衛星政党の維新の会という連携相手を得たことで、政治の更なる右傾化が進んでいった。
安倍によるメディアの掌握:日銀の独立性を撤回し、政府と直接連携して大規模な量的・質的緩和に乗り出し、円安・株高を仕掛けた。財界がアベノミクスによって大いに潤ったが、実質賃金は低迷している。
こうして世界一企業が活躍しやすい国が作られている。
国家安全保障会議、特定秘密保護法、集団的自衛権のいずれをもっても共通しているのが、対米追随路線の徹底と、立憲主義の縛りを外してでも首相とそのスタッフを中心とした、ごく少数の統治エリートだけで国家の安全保障にかかわる重大な意思決定を行ってきたことである。
まとめ:自由主義的な国際協調主義の高まりで幕を開けた新右派転換の動きが、いあkにして偏狭な修正主義を振りかざす寡頭支配になったのか
→日本に登場した経済的自由主義が、国際協調主義の退潮とともに、政治や社会の自由からは離れ、自由主義の追求から乖離し、寡頭支配(グローバル企業の自由の最大化)の強化を推進する企業主義へと劣化していったこと。
世界各国でも右傾化は進んでおり、富裕層による寡頭支配や、極右排外主義政策の伸長などが引き起こす「代議制民主主義の危機」が叫ばれている。
オルタナティブとして育ったはずの民主党の崩壊により、戦後かつてないまでに政治システムがバランスを失い、首相官邸に集中した巨大な権力だけが、新右派統治エリートの手に残り、個人の自由や権利をむしばむ反自由の政治へと転化している。
これを解消するには
①小選挙区制の廃止
②新自由主義との決別
③同一性に依拠した団結から、相互の他者性を受け入れてなお連帯を求め合う形へと転換を進める。
投稿元:
レビューを見る
過去の歴代政権を時系列でたどりながら政治を振り返ってみるという目的でもいい本です。アプローチはリベラリズムから見ているという前提を考慮して読む必要はあります。ただ政治の現在地としてなぜここに至ってしまったのか考える上で参考になるのではないのでしょうか。特に印象的なのは左派自由主義が新自由主義とは似て非なるものであり決別の意思を感じ取れるのですが今の中道左派はどう考えているのでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
戦後から日本がどのように「右傾化」していったのかを辿る。保守について論ずる時、欧米ではグローバル化、宗教、多様性などが、論点になる印象の一方、日本では安全保障、平和主義、歴史修正主義などが議論の中心となるように感じた。