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言葉によるコミュニケーションの文化による違い。
日本と欧米諸国の比較を日常から外交まで、分かりやすく例を挙げながら書いてあった。
日本は「場を和ませるためのコミュニケーション」になるほどと思った。
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すみません、で良好な雰囲気の場が出来上がると、それを壊すような態度はとり難くなる。
いえいえ、といわざるを得ない空気が醸し出される。
正論をかざす人は自然に場から浮いてしまう。
日本では今でもツルの一声は大きい。
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ホンネとタテマエは「いやらしさ」と「奥ゆかしさ」
タテマエ謝罪を胡散臭く思う反面、ホンネの漏らす人物は器量のなさ、何が飛び出すかわからない、むき出しの心の不安定さを感じる。
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書店で手に取りパラパラ眺め、面白そうだったのでそのままレジへ。読後、生きづらさを感じながら生きる現代日本人の一人として本書に関心がいったことをそれとなく気付かされたように思う。
ここに書かれていることは何も珍しいことではない。日本人であれば誰でも経験的に気付いているようなことが対象とされている。この誰もが日常的に抱く漠然とした認識が、心理学者ならではの明快な分析によって解き明かされる。とりわけ、欧米人との比較から日本人像が浮き彫りにされてゆく。たとえば、多重人格という症例が日本であまり認められないのに対し、北米ではそれほど珍しくはないという事実から、その差異の根底に欧米人と日本人との決定的な違いがあるとする著者の視点には脱帽する。
本書を一読すると、"生きづらさ"の正体が少し明らかにされたような気がする。ただ、その"生きづらさ"が私の十余年来の哲学の原動力であった。それから完全に解放されるとき、私の哲学は終了するだろうと思っている。ただ、それはまだ継続しそうである。だから、私にとっては、生きづらさの正体はここで言われているような表層的なものではないのだろう。洋の東西を分かたずに、さらにもっと深層の部分にあるのかもしれない。そして、現在私が辿りついていたところを解き明かすキーワードは"自然"。その"自然"の現れの相違を明らかにするものとして、本書を飽きることなく最後まで興味深く読ませて頂いた。
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タテマエの国では、本音の自分をみうしなっている アメリカには多重人格の症例が多い
日本は、本音の国だから、逆に外向きには曖昧さやわかりにくさがが必要なのだ
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実は欧米のほうが 「タテマエ」の世界 建前を前に押し出して相手を説得していく 日本のほうがタテマエの謝罪に否定的で 具体例が多くて分かりやすい
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本書の終盤近く、空気に流されがちは日本の組織について分析した後、「大切なのは、組織の再構築よりも、私たちの意識の改革である」と提言されている。この本一冊を使って書かれていたことは、「意識の改革」の困難さであったはずなのに、なぜそのような結論が出るのか、理解に苦しむ。