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単純に名作です。孤島の偏屈な書店主フィクリーが捨て子のマヤと出会い始まる愛と生涯の物語。序盤は独特の言い回しに苦慮したが、マヤ登場からグッと惹き込まれた。全編短編エピソードで構成され、ハートフル且つシニカルな展開は読者を飽きさせない。作中に登場する小説に縁はないが十分楽しめた。何より登場人物が素敵で読了が近づくに連れ惜別の思いに駆られた。ランビアーズ署長最高!"ぼくたちはひとりだから読む。そしてぼくたちはひとりじゃない"は著者から読書家への愛の言葉。"本屋が無い町なんて町じゃない"には諸手を挙げて同意だ。
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ガブリエル・ゼヴァンさんの作品を小尾芙佐さんが翻訳した小説です。
中学の頃は海外SFや、皆さんもよくご存じの、モンゴメリやヒルトンやヘッセ等々、外国の風習や習慣や情景が読むだけでそこに居るような気持ちになれるのが好きでよく読んでましたが、最近はとんとご無沙汰でしたので、ちょっと新鮮な気持ちになりました。
島に一軒だけある小さな書店の、本をこよなく愛するが偏屈な主の物語です。
店主A・J(ファクトリー)は妻を亡くして以来、ずっと一人で店を営んでいたのだが、ある夜、所蔵してた稀覯本を盗まれて打ちひしがれてしまう。 傷心の中ある日、書店に小さな子供が捨てられているのを発見。 自分の傷心を癒やすかのようにその子を育てる決心をする。
なんでもない田舎の小さな島の書店主の生き様の物語ですが、そこに登場する町の人や親族や友人、そして我が子として成長していく娘マヤ、本を通じてA・Jのかけがえのない人となったアメリア。 頑固で偏屈なA・Jだが彼・彼女らを大切に思うのと同じく、彼・彼女らも店主A・Jを慕って集まってくる。 その中で明かされていく、盗まれた稀覯本の事や娘マヤの出性の秘密など、とても惹き込まれまれ最後には悲しくも優しくも感じる事ができる作品でした。
ここまでの話しだと昔の話しって感じがしますが、インターネットや電子書籍が出てくるので現代の話しですよw
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本好き、読書好きの人間の心に刺さる言葉が散りばめられた佳作だと思う。
読んだことのない作品の名前もたくさん挙がっていて、読んでみたいなあと思った。
昔 近所にあった書店では、プロの書店員さんが実際に読んで面白かった本を月替わりで紹介するコーナーがあり、それが結構マニアックだったりして、普段自分が読まないような作家さんを発掘できたり、新たな発見があったりして楽しかったな、と思い出した。
最近の日本の、特にチェーンの書店では、平積みしてある本がどこに行っても同じだったり、あまり知識の多くないアルバイト店員が多くて新聞の書評に載っていた本でも知らなかったりするのがするのが残念。
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書店を舞台にした小説を見つけると、つい手にしてしまう。本書もそのひとつ。
島にひとつしかない書店の店主フィクリーに、数々の悲劇が降りかかる。でも、悲壮感を感じないのが、本書の魅力。いい小説に出会った。
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予想していたのと違う話でしたが、面白かったです。展開が速すぎて驚くことも多かったですけど。忘れてた伏線が最後に種明かしされて納得しました。困ったのは、サイズが通常の文庫サイズと違うらしく、既製の文庫カバーが入りませんでした。何のために?
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読み終えるのにだいぶ時間がかかってしまったけど、
お話自体は良かった。
優しい気持ちになれる本だった。
フィクリーおすすめの作品たちは
未読のものがほとんどだったが、
なかなかユニークなラインナップで
興味をひかれた。
主人公のこういう終わり方はあまり好きじゃなかった。
カバーイラストは五つ星!
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小説というものは、「人生のしかるべきときに出会わなければならないということを示唆している。」 本好きの本屋好きの為の一冊でした。
小さな書店主フィクリーと、ぽつんと置かれてたマヤ。
孤独なフィクリーが小さなマヤの為に本を愛する事を教え、また島に1軒の本屋に通う人々に本の素晴らしさを問う。
人と人を本で繋げる。
こんな風に本について語れる仲間と生活があるって憧れてしまう。
海外小説の粋な台詞回し!日本人にはないんだよなぁ。
本屋が繋ぐ小さな島の人々の繋がり、最後は悲しいけど・・・良かったです。
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子育て卒業を目の前に迎えてる今、この本を手にとって本当によかった。丸善セレクトに感謝です。
人間は血が繋がっていなくてもこんなに深い愛情でつながることができる素晴らしさ。不器用でも伝えられる愛情、親としての自己犠牲。全てわかりすぎるくらいわかること。人は愛することを決して忘れてはいけない。
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2019.04.06~05.08
人間が良い方向に変わる。中学受験の題材になりそうな内容。素敵な出会い、そして別れ。普通のお話なのに、心がぬくくなるのはなんでだろう。
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これはラブストーリーなのだな。
序盤でノックスが引用されてたのがちゃんと伏線になってたりとか、著者のユーモアと愛情を感じる。
自分が一番好きな本は何かって考えながら読んで『大きな森の小さな家』かなぁと思ってたのですが、なんとあとがきにでてきてキュンとしたので、忘れないように書いておきます。
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人生の中のさまざまな出来事をぎゅっとこのサイズに凝縮した密度の濃い物語。悪く言えば押し込んだ感じ。ハリウッド映画的というか二時間ものの年末スペクタクルドラマスペシャル、といったような。
ディケンスなら五巻ぐらいになりそうな物語。
さっと読めて、少しメロウで、気楽に流せる佳作。余韻とか余白はないけど。
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一万円選書の1冊。
偏屈な本屋店主が、置き去られた1人の幼女を育てて行く過程で角が取れていき、周りの人との関わりが変わっていくお話。ジャンルとしては恋愛小説?
店主が養女に残すオススメの短篇小説リストがエピソードの鍵でもあるが、とにかくアメリカの話で知らない小説、登場人物が多く、ジョークや面白みがあまり分からなかったり…分かったらもっと興味深く読めたのかも。
冒頭に出てくる出版社営業の女性が偏屈店主に感じた通り、私も店主や展開が理解できず読み進めるのをためらったけれど、店主が変わり、彼女を始め、周りの人たちが店主を受け入れるように、物語が進むにつれてこの本を受け入れていけた。
本を読むことについて
"ぼくたちはひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない"
という店主の終盤の言葉がある。
本との出会いが自分の世界を広げてくれるはず。
読書から遠ざかっていたので、読み砕くのに時間がかかったけど、良いリハビリ。
もうちょっといろんな本を読もうと思えたよ。
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島にひとつしかない書店の主人フィクリーの一生の物語。
各章の名前が短編のタイトルになっている。短編を読んだことのある人には感慨深いものが有るかも知れません。
印象に残った文章
⒈ 現店主たちは売りたいと思う本しか仕入れない
⒉ 本屋のない町は町ではない
⒊ 本屋はまっとうな人間を惹きつける。
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アメリカのアリス島と言う島にある本屋さんの店主A.J.フィクリーと、のちに結婚する出版社の営業アメリアと、捨て子のマヤを中心にした物語。A.Jとアメリアが結婚する前までの内容は、二人のぎこちない会話がたまに理解できないないところもあったりで、いまいち面白みに欠ける感じがしていたのだけど、アメリアと結婚し養子に迎えたマヤが大きくなるにつれ、A.Jの性格が丸くなり、義姉イズメイ夫婦の隠された真実や、島の警察署長ランビアーズが読書好きになって行く過程など、後半は内容が濃くなり一気に読んでしまいました。
哀しみや悔しさを細かく表現し涙を誘うと言う感じではなく、どちらかと言うとそれらを乗り越え清々しく生きていくと言う表現を取っていて、読了後は晴れやかな気分になれました。
また、各章の最初にA.Jがマヤにお勧めする本が書かれているのも興味深く、いちいちAmazonで検索してどんな内容の本なのか確認してしまいました。
この小説を読んだ方々は、きっとご自身が本を読むのが好きで、本屋を題材にした小説だから手に取られたのでは、と思います。本を読む愉しみを改めて教えてもらえたような一冊でした。
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素敵な物語。
古き良き「北米文学」
紙の本で、しかも文芸作品を読むという行為が既にノスタルジックになりつつある中でこの物語は古き良き北米(アメリカ合衆国とは言ってない)文学体験を思い出させてくれる。
ポール・オースター、カポーティ、メルヴィル、フォークナー、ヘミングウェイ、ルーシー・モンゴメリ・・
本を読むのが大好きだったし、書店が好きだったし、古本屋も好きだった。
しかしいつからか読書から遠ざかり、お気に入りの書店は縮小され、或いは閉店し、気付けば電子書籍リーダーやらスマホやらで活字中毒の禁断症状を癒した事もあった。
『いまやチェーンの大型書店もいたるところで姿を消しつつある。彼の見方では、チェーンの大型書店のある世界よりもっと悪いのは、チェーンの大型書店がまったくない世界だ。』(p.287)
この物語は孤独、ひとりぼっちだった主人公たちが読書を通じて、書店を通じて、繋がりを得てゆく物語である。
このプロセスはまるでモンゴメリの『赤毛のアン』よりもむしろ『可愛いエミリー』を読んだ時の体験に似ていたかもしれない。
しかし、やがてAmazonや「電子書籍リーダー」の登場と加齢が迫ってくる。
現代は、活字を、言葉を失いつつあるのだろうか。
むしろ、我々はもう既に十分過ぎるほど言葉を失い、文芸を読むという行為を失い、豊かな感情体験をする機会を失い、共感する心もなくなりかけているのだろうか。
読書は元来孤独な行為だったが、読書をする人はより一層孤独になってゆくのではないか。
このようにも感じる事もある。
そこで、『ぼくたちはひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない。』(p.327)というフィクリーの言葉が刺さる。
そして、各表題代わりの短編の名前とフィクリーの名で書かれた読書リストが、最後の最後に活きてくる。
この素晴らしくノスタルジックで素敵な物語体験は本が好きでよかった、としみじみと感じさせてくれる。
古き良き北米文学だった。