紙の本
身につまされました
2015/10/02 08:38
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「定年って生前葬だな」。これがこの長い物語の書き出しである。しかも、タイトルが『終わった人』というのだから、内館牧子さんもキツイ。
物語の主人公壮介は63歳でメガバンクから出向転籍していた社員30人の小さな会社を定年する。最終的な役職は専務取締役。 りっぱなものだ。
けれど、壮介は東大法学部を卒業、かつてはメガバンクの役員候補までなった男だ。まだまだ仕事に未練がある。
そんな男が定年になってあり余る時間をどうするか。まずは妻に「温泉にでも行こうか」と声をかけるが、中年になって理容師として自立した妻は「そんなに休めない」という。
よくある。
若い時には仕事を終えたら妻とのんびり旅行でもなんて男は考える。いつまでも考える。ところが、妻の方はすっかり忘れている。夫と一緒にいる時間を毛嫌いする。
壮介の家にしても、理容師として妻が働いているからバランスがとれている。これが始終一緒なら息が詰まる。妻にいわれるのがオチだ。
壮介は行き場もなくスポーツジムに通い出す。見たくもない映画を観る。カルチャースクールで啄木などを習い出す。ちょっと頑張って大学院でも行くか。
けれど、それが壮介の定年後にしたかったことかといえば、違う。壮介は何の目的もなく「生前葬」を迎えたのだ。
ところが、ひょんなことから壮介のIT会社の顧問の要請が来る。嬉々として受ける壮介。
「俺が何よりも望んでいたのは、社会で必要とされ、仕事で戦うことだ」、定年からそれまでの時間を「地獄の日々」とまで言い切る壮介。
わかる。実によくわかる。
壮介でなくとも40年近く組織で働いていると、「仕事で戦う」ことが当たり前になっている。かつての夢なんかとっくに根腐れを起こしている。
すっかり違う人格になっているのだ。それがわからないから「地獄の日々」になる。
でも、なんだろう。働いている時にはあんなに辞めたいと思っていたはずなのに。
さらに壮介はそのIT会社の社長にまでなってしまうのだが、最後は倒産。壮介の身勝手な欲望は老後資金まで失う結果にまでなってしまう。
さあ、これで壮介は本当の「終わった人」になってしまうのか。
身につまされる人たちは、たくさんいるだろう。
投稿元:
レビューを見る
なんだか冴えなかった。確かに退職して仕事から解放され、その吉凶は人さまざまだろう。でも、現職時代だって時間の遣り繰りの上手い下手はあり、失墜や悪あがきもあるのは同じだろう。でもって、この小説のケースは現実味がないなぁ。そもそも、主人公のブライドが高いのは分かるけれど、退職後あまりにイジイジしていて不快だった。それでも、スポーツジムで若手クリエイターと知り合い、前向きに歩みだしたと思えば奈落の底へ。その展開にどうこうないが、妻の態度はこれまた一層不快だ。いい年を重ねた熟年夫婦が、なんなんだろう。
投稿元:
レビューを見る
年齢を重ねると共に、世間の評価と自分の評価が乖離していくんだろうな。「終わった人」である事を認められない。いろんな所でそういう人を何人も見てきた。
定年前後は人間性がオカシクなってしまう人が多い。そして右往左往する。人の評価は気にするくせに、自分勝手でどうしようもない。だから関わるとケンカになる事も多い。そういう典型的な男が描かれていた。東北地方の新聞連載なのでオチが311関連のNPOってのもリアル。そこでも失敗を繰り返すのだろう。でも、資産失っても年金500万ってところが超恵まれてるし、頭いいなら個人資産を家族に名義変えぐらいしとけよ。とツッコミたくなる。女はプライドがない分強いというだけでなく、そのズルサも描かれているのもよかった。
投稿元:
レビューを見る
定年後何かしなければと悶々と。顧問としてIT会社に。若い社長急死。社長となる。1年後倒産。9000万円弁済。1千万円のみ。妻と別居。単身で盛岡の故郷に向かう。妻が1時間遅れの電車で盛岡へ。田舎の母への挨拶に。
投稿元:
レビューを見る
定年を控えた人は、明日は我が身なのか?
定年まで何も備えていない主人公が悪いのか、こうゆう人が多いのかわからないが、一時流行った?熟年離婚を彷彿させる。
仕事ばかりが男の生きる道ではないと思うが、内館さんの見る軟着陸できなかった男たちはそうではないらしい。
プライドがじゃましているのは事実だろう。
こんな生き方なんてと思っている人は老後は明るいのかもしれない。
この本は読んだ人の老後を占う踏み絵なのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
内館さんの作品をあまり読んだことがなかったけれど、
テンポ良く、読みやすかった。
定年を迎えた人(特に男性)なら痛いほどわかる内容だろうなと思う。
また、その奥さん側の気持ちも。
地方から出てきて出世街道(言い方古い?)を歩いてきた主人公。
最後は会社から切り捨てられたにしても、「東大法学部卒」という華々しい肩書きで定年後も何かとメリットがあるものらしい。
週3回出社して年収800万円の顧問料…実際そういう方もいらっしゃるのかもしれないけどねぇ~。
それにしても、何かと登場する娘の道子。
何様なのか?と思えるようなセリフばかりで驚いた。
テンポの良さはとんとん拍子に話が進み過ぎる裏返しでもあり、ものすごく深刻なのに軽い感じが否めない。
最後の「卒婚」という言葉でさらに軽くなった気がしたのは気のせいか?
投稿元:
レビューを見る
全体の内容的には理解できるような気がするが、東大法卒、銀行マンが、こんなに簡単に代取に就任する?
出世街道を驀進してきた男が・・・。理解できません。
ちにみに”卒婚”馬鹿じゃないですか、誰がどのような意図ではやらせようとしているのか理解できませんが、これこそ、中途半端でわかりません。
ちなみに、これだけの経歴持ってるんだから、負債を抱えそうな段階で、偽装でも離婚するでしょ。
ほんとに、馬鹿馬鹿しい。
最後まで逃げる主人公ですね。
投稿元:
レビューを見る
63歳で定年退職を迎えた主人公。
東大を卒業後超一流銀行に就職し、ひたすら出世街道を歩んできたものの、最後は子会社の専務のポジションで定年を迎える。
男の人は大変だなぁと思う。
仕事のできる会社人間であればあるほど
定年と同時に自分の築きあげてきたものを丸ごと取り上げられてしまうのだから。
そこから、自分のアイデンティティをもう一度作り上げて行くなんてきっと至難の業だ。
主人公も定年退職後、スポーツクラブやカルチャーセンターに通ってみたり
もう一度恋をしてみようと受付の女の子にドキドキしてみたり試行錯誤を繰り返す。
その姿は不格好だったり、みっともなかったりするけれど私は心から応援したくなった。
めげずにがんばれ、おじさんたち!!
予定通りに進む人生なんてどこにもないのだから。
投稿元:
レビューを見る
主人公は輝かしい経歴をもっていたが、役員の目が無くなり子会社へ移籍後そのまま定年を迎えた。
長年サラリーマンとして働いてきた主人公にとって、定年後は、自分の好きなことをする時間でも、ゆったりした時間でもなく、ぽっかり穴の開いた時間だった。そして「終わった人」であると自覚させられることばかりが続く。
元銀行員が、IT会社の社長に着く、そして倒産させて、その負債を個人財産で賄うというのはちょっと無理があるような気がした。
定年後も現役で仕事をしたいという主人公の思いを表すための設定だと思う。
我が家の主人も仕事人間で、まだ定年まで10年ほどあるが、その時はどうなることでしょう?
投稿元:
レビューを見る
良寛の辞世の句、散る桜残る桜も散る桜
全く心の入らない常套句、お仕事頑張ってください、応援よろしくお願いします。
投稿元:
レビューを見る
元都銀マンの壮介。彼がぶち当たった定年後の居場所を巡る物語。アイロン掛けへの拘りなど、男心を上手に描いていく。メモ。
一流大学に行こうがどんなコースを歩もうが人間の行き着くところに大差はない。所詮「残る桜も散る桜」なのだ。
オンリーワンは人として大切なことだ。
だが、社会では余程特殊な能力でもない限り、オンリーワンに意味を見てくれない。替えは幾らでもいるからだ。世間はその替えに直ぐ慣れるからだ。
とはいえ、ナンバーワンでさえ替えは次々に出てくる。それが社会の力というものなのだ。
経済力と健康が許す範囲で、あるいは許す工夫をして、見飽きた老伴侶と別行動をとる事は
、結局はお互いのためになるかもしれない。
会社は個人の献身に報いてくれるところではない。サラリーマンは身を粉にしても、辞めれば何も残らない。
かけがえのない人ってのは、『友達として見ている人』のこと。『男として見ている人』っていうのは簡単に代わりが出てきたりするから、かけがえなくない。
男と女になれば、十年や二十年も持つ関係が半年や一年で終わってしまう。
金時餅。お金と時間を持っているオヤジのこと。
恋なんてものは十代でも二十代でも生きてるついでにするものだよ。
男にとって結婚は会社勤めと同じだ。会社では結果が出せない人間は意味が無いとされ、追いやられる。家庭では年を取ると邪魔にされ、追いやられる。同じだ。
投稿元:
レビューを見る
役員までは上り詰められず子会社の取締役で定年を迎えたサラリーマン=「終わった人」の物語。定年後の亭主が家庭で邪魔ものになると言えば昔からありきたりの話だけど、大量に退職している団塊の世代が巷にあふれている現在が舞台のこの小説は、今現在かなりの人々の現状を言い当てているのかもしれない。主人公が東大法学部出の元エリート銀行マンであることや、中盤から主人公が30代の女性といい感じになったり、ベンチャー企業の顧問から社長になって倒産したり、終盤では奥さんと離婚寸前になったり、と、その辺は小説だから面白く波瀾万丈の生活が描かれていてあまりリアルとは言えないけど、定年退職した男性の落ちぶれ方とか、なかなかプライドが抜けない主人公の前半の描写は結構現実的だったように思う。自分もあと20年ちょっと。定年のある組織に所属しているという事実を認識しながら、自分の人生の楽しみ方についても真剣に考えていかねばと思った。
投稿元:
レビューを見る
今の心境にぴったり。結局、みんな入社して坂道を登り続けて、その坂道は、どこかでおわるんだよね。そして、下って行くんだよ。そんな当たり前のことを考えずにある日突然、終わった人になったら、突然死だ。この本を読んで、その日がいつの日か来ることを考え、その日が来ても動揺しないためにも、この本を一読する価値は、ある。自分は、事前にではなく、まさに宣告されて、呆然としているときに、偶然にも丸の内の丸善で、この本に出会い、むさぼるように読んだ。この本に出会えて、これからの人生を考えることが出来たことに感謝したい。終わったことを悔やんでもしょうがない。これからどうするか?突然死する時の山が高いほど、その落胆も大きいよね。いっそ、平社員で、定年まで会社に居られる方が、しあわせなのかな?
投稿元:
レビューを見る
内容(「BOOK」データベースより)
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。妻は夫との旅行などに乗り気ではない。「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す―。
投稿元:
レビューを見る
団塊世代が退職をするピークを迎えている。そのような人を主人公にリタイアしたその後、長寿時代になり第二の人生をどのように過ごすか、過ごしているか、準備が出来ているか等を問う作品。
サラリーマンで会社の中枢にまで上り詰める人は限られている。当時は誰もがある程度のポジションまでのぼり、そこでリタイアできると思って入社した世代だろう。しかし高度成長時代は去り、中年以降になると閑職においやられる、また子会社への出向、早期退職等が当たり前になってきている。
この主人公は出向、閑職に納得できず、しかしそのまま定年を迎える。ある日突然「毎日家にいる」という状態に陥るのである。プライドが高いと同世代の人と普通にコミュニケーションもとれない、こんなはずではないと納得できないのである。もう65歳になっても自分は若い、能力があると仕事を探したり、「恋」を夢見たり、「老年」を受け入れられない。あげく、膨大な借金を背負い込むことになってしまう。当然のことながら妻にも冷たくされ・・・
最近は老年の人々が元気で第二の人生をエンジョイしている風景を見かけるが、一方このうような人も多々いるのだろう。「醜態」としか見えない。歳をとると回りは自分より若い人ばかり、変に自分はえらいと思ってしまう人が多い。公衆の面前でそのような態度をとる高齢男性(なぜか男性が多い)をみかける事がある。自分を客観的に見れなくなってしまうのだろう。
ユーモラスな面もありながらシリアスな「悲劇」と感じてしまう作品だ。このような状況に陥る前にクールに自身を見つめ、早い段階から第二の人生設計をしておかなくてはならないだろう。