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20110207読了
面白かった!
通訳と言語に関するエッセイ。
何度も読みたい本です。
もっと早くに読んでおきたかったなー
育った言葉の文化で成長する、といっようなお言葉もあり、なるほどなと思いました。
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日露通訳者、米原万里の通訳に関する考察エッセイ。
通訳という職業について、面白く語る。非常に興味深い……。
ただ、本人も言っているけど、ちょっとシモネタを多用しすぎなのと(少し下品だと感じてしまうレベル)、文章から我の強さをかなり感じてしまう(実際お会いしたら私は苦手意識を持ってしまうだろう)のが残念なところ。
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おもしろかったー。
通訳のお話なのです。
ロシア語の。いろんな挿話が挟まっていて本当に面白い。
ちょっと専門的な話もあるのでそこら辺がわかればもっと面白いのでしょうけれども。
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ロシア語通訳者米原万里さんによる、同時通訳についてのエッセイ。同時通訳の大変さが新ためてわかり、会議での人の話し言葉ってほんとうに無駄なものばかり・・・と思って会議中、もし私が通訳者だったら…と面白くなってしまった。
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ロシア語同時通訳者の米原万里さんの「同時通訳の日常は世間の非日常」系エッセイ。タイトルは不謹慎系?ですが「綺麗だけど元の意味が損なわれてる訳文」と「文章文脈ずたずただけと元の語の意味が良くわかる訳文」の例えなのだそうです。納得。同時通訳さんは大変です。ものすごく大変そうです。でもすんごくすんごく楽しそうでもあります。でも毎日心労で胃に穴が開いてそうな気もします。でもちょっと憧れます。いろんな世界のいろんなことを知れるとってもエキサイティングな動的体験。通訳話が中心ですが、社会で働くにあたって、生きていくにあたって役に立ちそうないい言葉がいっぱい詰め込まれてます。「とある人の通訳が『なんて下手なんだ』と思ったらその人は自分と同レベル、『この人は自分と同じくらいかな』と思ったらその人自分より数段上レベル」みたいな例え話、理由を読むと超納得できます。
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【一見浮気に見えて、その実、心底相手を愛しているタイプがいいのである。】
ロシア語通訳を生業としていた著者の、通訳とはなんぞや!?本。
通訳をあらゆるものに喩えているがその全てが素晴らしく的確。
たとえば、「通訳は売春婦」説。
これは、必要な時はブスだろうが下手だろうがさほど気にならない、役目を終えたら顔も見たくないという意味だそうで、著者が、というか著者の尊敬する方のお言葉。ひどい言い草なんだけれども、エピソードを読むと、うーん、わかると唸ってしまう。
また、タイトルにもなっている「不実な美女」「貞淑な醜女」
「不実」とは、原文に基づいていない(過剰演出)を示す
「貞淑」とは、原文を尊重することを示す
つまり、不実な美女とは、原文どおりではないが耳心地が良い、文章的なキレイさを尊重しているもの。
貞淑な醜女とは、原文どおりだが、原文を尊重するあまり文章としては多少カクカクしているもの。
たいへん、わかりやすかった。
「貞淑な美女」になれれば一番いいのだが、「訛り」だとか「ことわざ」だとか、「ダジャレ」だとか、通訳にはとにかく時間がない。
時間がないのに、的確な言葉を瞬時に引き出さなくてはならない。
通訳は下調べをするしかない。
参考書やらなんやらを読みまくって、その世界・分野の単語を覚えなくてはお話にならない。
表現力と理解力と記憶力がものをいう。
なんてムツカシイお仕事なんだ!
通訳のかたがた、尊敬いたします。
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通訳のお話。色んな視点から通訳という仕事について知ることができる本。読み物の引用、自分や仲間が体験したことが盛り沢山で本当に面白い!そして、本当に米原万里さんは素敵な人だと思った。外国語を勉強することで、母国語の深さを知るというくだりは納得。
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2011.9.23読了。
タイトルに惹かれて読んだものの、通訳及び翻訳、そして言語のおもしろさを堪能した。
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タイトルを見て、進化論か心理学かはたまたくだらんエセ科学か・・・と思って借りたのだけれど、全然違った。
日露の通訳者のエッセイ。
通訳とは何か、通訳で苦労することは何かがつらつらと述べられている。さほど興味はないままに最後まで読んでしまったのだが、作者の文章力によってまあまあ苦は無かった。
現在、通訳はまったくしないが、会議で英語を聞く機会がある。また、別の仕事では同時通訳の人がついていたこともある。そのときすごいな~~~と感心していたのが、こういうことか~と納得した部分もあった。
やはり、記憶か。
記憶力の悪いわたしには到底無理な仕事だなぁ。
最後に、彼女の意見として、バイリンガル教育には反対と書いてあった。母国語がまともに話せない人が2ヶ国語話してもどちらも中途半端になるという意見だ。実際多くのハーフやバイリンガルを見ての感想だろう。母国語での自我をまずしっかり築く必要がある。外国語を学ぶのはとても重要だが、それから後のことだ。
わたしもそう考えていたけれど、たまに小さいときから英語を・・・と考えてしまうことがあるので、なんとなく安心した。
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◎とても話題になっていたことは承知していたが、一時期語学書から遠ざかっていた時期だったので敬遠していた本を購入、読み始め。
◎米原真理のエッセイは、週刊文春の「私の読書日記」の月一担当しか読んだことがなかった。リアルタイムで彼女の書くものを読めなかった恨みは残るが、読んでいない作品がこれだけ残されていることに感謝する。
◎彼女は、父親が共産党幹部で子供時代にチェコのプラハで、各国の共産党幹部の子女が学ぶロシア語学校で6年間ロシア語教育を受ける。直接話をすると原理主義的なところもあったというが、彼女の書くエッセイには、国際派の風通しのよさだけが残り、左派の匂いは薄い。
◎祖父は貴族院議員米原章三、父親は衆議院議員・共産党常任幹部会委員米原昶(わたる)、実妹ユリは日本ペンクラブ会長・小説家井上ひさしの妻。友人に、イタリア語同時通訳者の田丸公美子がいるなど、多彩な人物に囲まれて過ごした。
◎とにかく同時通訳者の仕事について、余すところなく魅力を書き尽くす筆者。当然、世の中ではすでに評価が確定し、すでに亡くなった彼女の力量に今さら、驚くのは自分の不明をさらすことになるが、非常に力のある書き手であることは間違いない。読了時に、あらてめて感想を追加するつもり。(2011/11/15)
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通訳愛。ロシア語通訳にして天才エッセイスト、米原万里の処女作にして、読売文芸賞作品。通訳に関する雑考をまとめた傑作エッセイ。タイトルの「不実」とか「貞淑」というのは、訳文が訳す前の原文にどれだけ忠実かどうかを表し、その跡の「美」「醜」は、訳出されたあとの文章の美しさを指している。つまり題は、文章としては綺麗だが原文とはかけ離れた訳か、文の聞こえはひどいものだが原文に厳密なものか、どちらが良いか、ということを言っている。その答えは中を読めばわかる。本書ではひたすらに、通訳という仕事の難しさと楽しさを、筆を尽くして面白おかしく説明している。テーマは、「翻訳」との比較、あるいは訳す言語ごとの違いや、訳者による差など多岐にわたる。著者がとにかく「通訳」という仕事を愛していることがよくわかる内容で、通訳という仕事の面倒さ、きつさを愚痴っぽく語りながらも、結局はそのやりがいを熱弁してしまう。おしどり夫婦の惚気話を聞いているような錯覚に陥った。興味深かったのは、言語教育の話。彼女によれば、生まれながらに二つの言語環境に置かれて育ったバイリンガルは、どちらの言語も不得意になるという。もちろん日常会話レベルには不自由しないが、抽象的な思考に難がある場合が多い。実際に、そうした環境に置かれることの多いハーフの通訳者はあまり有能でない人が多く、有能なハーフの通訳者に話を聞くと、みな子供の頃は単一言語環境で育っているのだという。外国語と言うのは、母語がしっかりしてはじめて習得できるものであり、どんなに勉強しても外国語が母語以上に堪能になることはない。幼い頃から二つの言語環境に置かれると、子供の脳内で混乱が生じ、どっちつかずの言語体系を身につけてしまう。また、言語と言うのはその言語を母語にもつ民族の文化的背景までを背負ったものであるから、徒に幼いうちから語学教育を施すなどすれば、民族アイデンティティに齟齬が生じてしまう。要は日本人はもっと日本語を大事にすべきだ、っていう話。具体的な教育法についても、ソヴィエト学校で体験したロシア語の授業を引き合いに出して、かなり熱っぽく語っていて、いろいろ勉強になった。この他にも、「なるほど」と思ってしまう話は山程あるし、その倍以上に笑い話もてんこもりである。デビュー作にして、彼女の卓越した知性、ウィット、ユーモアは既に満開といったご様子。ただ、『嘘つきアーニャ』を読んだ後だったせいもあって、文章や構成が若干拙く感じられたのが、唯一の難点か。これが結構気になるのだ。説明がくどかったり、ところどころ文法にミスが有ったり、同じ言い回しが何度も出てきたり。「口を糊する」という比較的マイナーな表現が、こんなに頻出する文章は初めて読んだ。文庫解説で、米原万里と対面したことのある人間による客観的な人物評価がわかったのは収穫。私自身は、作品志向が強く、普段はあまり著者に興味がわかない人間ではあるが、エッセイとなると話が変わってくる。新聞記者である解説者によれば、米原女史は、やはりたいへん有能なロシア語通訳であったらしい。要点を逃さず話の本質を伝えるため、思い切ってバッサリと端折るその通訳法は、革命的でさえあったという。ただ逐語訳を垂れ流す他の通訳と違い、米原の訳はメモすればそのまま記事にできるほどまとまりが良く質の高いものだったそうだ。亡くなってしまったのが本当に悔やまれる。この人の著作はとりあえず全部読もうと思う。余談だが、本作には終盤、『ハリー・ポッター』シリーズを翻訳する前の松岡佑子氏が、日本トップクラスの英語同時通訳として登場する。『ハリー・ポッター』の和訳は、言うまでもなく、駄訳として悪名高いものである。通訳の腕はトップクラスでも、翻訳となるとあんなことになってしまうのか、と驚いた。本書の序盤で解説された、通訳と翻訳で必要となるスキルの違い、というものを実例で見せてもらった気分である。
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同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。ロシア語通訳中では史上最強の誉れ高い筆者が明かす舞台裏。ウィットに富んだ筆致と鋭さが最高。
僕はこの本を成毛眞さんの「日本人の9割に英語は要らない」と並行して読んでいて、その主張が驚くほど似た部分があることに衝撃を受けました。内容の中心はロシア語通訳の歴史では「史上最強」の呼び声高い筆者が、めまぐるしく動き回る同時通訳の現場において、失敗談。奇談。珍談を交えつつ、その内幕、舞台裏を公開するというもので、商社の商談でおこわなわれた通訳が通訳者のわずかな言葉の選び違いで、互いに怒り、あきれてしまって商談がご破算になってしまったという話や、筆者自身が誤訳をしてしまって、めげてしまったときに先輩の通訳からこうこうこうでこうだった、と励まされている描写も非常に面白かったです。
僕が一番好きだった箇所は「師匠の目にも涙」というエッセイで、
「通訳はね、ヤクシャは訳者でも、役者じゃあないんだからね」
と筆者に説く徳永晴美氏が同時通訳の現場で被爆者の女性が各国の宇宙飛行士に被爆体験を語る。という仕事で通訳を担当した際に、原爆で顔がケロイド上になった女性が復員してきた夫に、
「お父さん、別れてください。もうこんな顔ですから」
という妻に
「いや、どんな顔であろうとも君は私の妻だ」
という話を当事者が朴訥と話している場面で、徳永氏は大粒の涙を流して声を詰まらせていた。という場面が秀逸でした。
そのときにさっき掲げたテーゼを
「訳者というのは、役者に通じるところがある。ただしダイコンじゃ困るよ。抑制のきいた、いいヤクシャじゃなくてね」
と筆者に言うんだそうです。これは読んでいて通訳者も生身の人間なんだなぁと言う当たり前の結論に達してしまいました。
で、冒頭に戻りますけれど、幼少期に複数の言語に接するのはあまりその後のことを考えるとよろしいことではないんですね。ロシア語通訳者でも日露のハーフを挙げる場面がここにあるんですけれど、彼らの例を考えて、ロシア語に限らず、英語に関しても、ここで指摘されていることは現在でも消して色あせることはありません。よろしければご一読を…。
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外国語というのは「いつも完璧を夢見て目指しながら、永遠にそれがかなわない、常に発展途上にある」ものだから、恐れていては何も出来るようにならないんですね・・・精進したいです。
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これもものすごく密度の濃い1冊だった
言葉をあらゆる角度から分析、っていうのが、言葉操り好きにはこたえられないな
ポイントをつかんで文章を短くすることに関する章は、議事録作成の参考にもなった
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ロシア語の同時通訳をなさっていた米原万里さんの著書です。不思議なタイトルですけど、情報は多少正確でなくとも響きが良く整っている訳と、耳触りは良くないけれど原発言に忠実な訳の例えです。訳文が女性の要望や男性への忠実度にたとえられるのはヨーロッパの伝統なのだそうです。
さまざまなエピソードを混じえ通訳という仕事の大変さ、面白さ、翻訳と通訳の共通点と相違点などを語りながら次第に、言語とは何か、言語と民族のアイデンティティという問題にも踏み込んでゆきます。
http://blog.happyblossom.boo.jp/?eid=1165575