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倫理学概論の参考文献。授業でやったところはわかったけど、最後の方は…??って感じだった。これから授業で学んでいこうと思う。
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まだ全て読みきれていないが、哲学というものが本当にわかった気がする。まさに啓けたような感じが体験できた。
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西洋哲学史に関する入門書の古典とも言うべき本書は、いまだ色あせず多くの人々に多くの示唆を与えています。「反哲学」とは、哲学を相対化して哲学の歴史を見直すという意味で使われており、別に哲学に対抗した人々の歴史でも哲学史を批判しているわけでもありません。哲学できるほど思考力のない私には著者である木田元先生の深い思考の片鱗すら触れることはできませんが、それまで全く意味のわからなかった西洋哲学、とくにギリシア哲学についてまがりなりにも授業が展開できるほどの知識をつけることができました。
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目 次
はじめに
第1章 ソクラテスと「哲学」の誕生
第2章 アイロニーとしての哲学
第3章 ソクラテス裁判
第4章 ソクラテス以前の思想家たちの自然観
第5章 プラトンのイデア論
第6章 アリストテレスの形而上学
第7章 デカルトと近代哲学の創建
第8章 カントと近代哲学の展開
第9章 ヘーゲルと近代哲学の完成
第10章 形而上学克服の試み
第1節 後期シェリングと実存哲学
第2節 マルクスの自然主義
第3節 ニーチェと「力の意思」の哲学
終 章 十九世紀から二十世紀へ
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フランス革命のイデオロギーとなった啓蒙思想が、いわば無時間的、無歴史的な理性、つまり古代のギリシャ人にあっても18世紀のフランス人にあっても変わることのない理性、を原理にし、フランス軍はその理性を旗印に、つまりその理性をドイツ人にも押し付けようとドイツに侵入してきたわけだが、それに抵抗するドイツ人は、ドイツ民族には中世以来の歴史のうちで培われた独自の民族的構成があると主張し、それぞれの民族の歴史的生成過程の重要性を強調した。こうした思想がドイツロマン派の芸術運動に結晶します。
シェリングは神を光、神の内なる自然を闇にもたとえています。つまり光は闇から発出してくる、あるいは闇がおのれのうちから光を発出させるのだと考えている。闇はそれだけでは真っ暗なので、闇がおのれのうちから光を発出させ、それによっておのれを照らしかえさせようとする。それと同じように、それ自体では混沌である自然がおのれのうちから神を発展させ、それによっておのれを照らしださせるのだ、としシェリングは考えていた。
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これさえ読めば哲学史はばっちり…というわけではありませんが(そもそもそんな本があるのか)、哲学に興味があってもなくても、一度読む価値はあると思います。
とても分かりやすい文体で、よくつかわれる用語の意味なんかも新しい見方ができるようになった気がしています。
とりあえず、また読みます。
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20世紀の思想家たちは、自らを「哲学者」とは呼ばずに「思想家」と呼ぶ。
なぜなら、西欧哲学とは唯一無二の思想体系ではないと彼らは考えるからだ。確かに、哲学とは真理を探究する学であると位置づけられる。しかし、その「真理」とは、古今東西の普遍の真理ではなく、西欧哲学史の枠組みの中で真理であるに過ぎない。つまり、良く言えば「ヨーロッパの伝統的知」となるだろうし、悪く言えば「ヨーロッパのローカルな知恵」ということになるのだろう。
いずれにせよ、西欧哲学を「西欧において発展した知識体系」と位置付け、それを克服することは、それこそプラトン主義vsアリストテレス主義から始まった西欧哲学の流れそのものを克服しなければならない。
その取り組みこそが「反哲学」であり、その反哲学が対象とする哲学史が本著のターゲットとなる。
さて、読後にふと思ったのだが、反哲学の試みは我が国思想界においてもなされなければならない取り組みのはず。
ところが、肝心の「乗り越えるべき何か」が我が国思想界に派ない。日本主義がそれに該当するのかとも思ったが、戦後の言論界・思想界では日本主義など元来が存在しないものとして扱われてきた。
つまり、現在の我が国の言論界・思想界は「乗り越えるべき何か」が存在しないが故に、何を乗り越えて良いのかもわからず、輸入品の思考を有難く使いまわししているに過ぎないのではないか。
言論界が、フランス、アメリカの現代思想を有難く押しいだき、その流行に遅れまいとついていく滑稽さ。ニューアカから始まった伝統ではなさそうだ。
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二周目。高3春以来二年ぶり。
この19年の自分の思考の成長が、順調に西洋哲学の変遷を辿ってきてたことがよく分かった。
環境に感謝。
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古代ギリシアから近代への歴史を批判的にたどるこの新しい視角を得れば、哲学の歴史も自ずからこれまでとは違って見えてくる。
らしい
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「 事実彼は芸術こそが「生(レーベン)の本来的課題」であり、「生の形而上学的活動」だと言っております。してみれば、もっとも肉体的な機能でありまた肉体の機能の最高次の実現である芸術を認識の圧制から解放して復権せしめることこそが、ニーチェの目指したニヒリズムの克服の決定的方策だった、と見て良さそうです」 ー 234ページ
スピリチュアリティはロマン主義的であるという説はよく見られるけれど、最近の消費主義的なスピをロマン主義的と見做すことには抵抗があって、それは芸術的側面――つまるところ、他者のための美的表象――が欠けているように思えるからである。
みんなが芸術家になればいいというわけではないけれど、パフォーマンスという要素が抜け落ちたロマン主義は神秘主義であり、秘境主義に成る。もちろんそれが悪いわけではないが、訴求力という点ではやはり落ちるところがあるし、一般社会(なんだそりゃ)との融和を目指すのであれば、そのへんも文化の一要素として考慮に入れてしかるべきなのだろうと思う。
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存在論を主題に19世紀までの哲学者の思想を紹介していく。
もっと簡単な反哲学入門にすれば良かったと後悔しつつ、
何度も読み返しながら時間をかけて読んだが、
古代ギリシアの思想はありのままの自然主義が主流で、
ソクラテスはそれを否定しまくった破壊者であり、
プラトンは全ては理想の形であるイデアの模写だよと言い、
アリストテレスはそうじゃなくて可能性と現実体だよと言い、
キリスト教が勃興し、全ては神の意志だということになり、
デカルトは自分の理性によるものだよ(それも神の意思だよ)と言い、
カントはそうじゃないものも沢山あるんだよと言い、
ヘーゲルは理性は成長して変わっていくものだよと言い、
シェリングとマルクスとニーチェはそれらを否定して、
そこから20世紀の思想に繋がっていくという話だというのは、
なんとなくだが、分かった。
つまり西洋哲学は我々の住む世界はどうなっているのかが主要なテーマで、
ここから物理学やら経済学やらの学問が生まれたのだなあ。
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哲学というのが奇妙な西洋独自の思考様式であるということは間違いない。しかしデカルトに始まりヘーゲルに及んで完成される近代哲学あるいは形而上学的思考様式が産業革命に始まる近代技術文明の生みの親だとするならばそのような思考の枠組みを理解することも決して無駄ではない。しかし著名な哲学者の言葉に浸かり哲学的思索を深めようとすればするほど、私たちが世界を認識するための道具としての言葉が持つ概念というものの曖昧さというか限界のようなものを痛感するばかりである。
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追悼木田元先生
いつか読もうと思っていたが、木田先生がお亡くなりになられたとのことで急遽拝読させていただいた。何で今まで読まなかったのか。出来ればもっと早くに出会いたかった。
高校倫理や一般教養の哲学を勉強して興味を持った人向けの哲学史入門書。とても読みやすく哲学史とあるようにソクラテスから始まり形而上学を主軸に展開している。
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[ 内容 ]
ニーチェによって粗描され、ハイデガーによって継承された「反哲学」は、西洋二千五百年の文化形成を導いてきた「哲学」と呼ばれる知の様式を批判的に乗り越えようとする企てである。
この新しい視角を得れば、哲学の歴史も自ずからこれまでとは違って見えてくる。
古代ギリシアから十九世紀末にいたる哲学の道筋をたどり直す「反哲学史」。
講談社学術文庫『現代の哲学』の姉妹編。
[ 目次 ]
第1章 ソクラテスと「哲学」の誕生
第2章 アイロニーとしての哲学
第3章 ソクラテス裁判
第4章 ソクラテス以前の思想家たちの自然観
第5章 プラトンのイデア論
第6章 アリストテレスの形而上学
第7章 デカルトと近代哲学の創建
第8章 カントと近代哲学の展開
第9章 ヘーゲルと近代哲学の完成
第10章 形而上学克服の試み
終章 十九世紀から二十世紀へ
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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哲学というのは私を含めた一般の人々にとってはおそらく難解で近づきがたいものである。しかしながら、この本は、とてもわかりやすく、哲学に苦手意識を持つ私でも最後まで楽しく読むことができた。わかりやすさの理由として第一に、読者の疑問に沿う形で文章が構成されている。用語であれ、論理展開であれ、疑問がわく部分に対し説明がしっかりとされていた。第二に、様々哲学者を比較しながら紹介しているため、思想が相対化され、理解の手助けとなっている。そして、第三の理由としては、二つ目と関連するが、「反哲学」という視点を導入していることである。このことにより、より長期的な枠組みとして哲学史を捉えられる構成になっていると思う。