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久しぶりの本谷さん作品。
何で芥川賞を獲ったのか不思議。
さながら乙一さんが書いてるような作風で本谷有希子色が出てなかったもので。
ファンタジー?
夫婦似るのは良いけど、似過ぎて混ざり合うのはいかがなものかと。愛してる人とは一つになりたいけど、限度があるよね。
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「似た者夫婦」というけれど、まさか混ざってしまうとは。 不思議な話だけど、あながちただの妄想にも思えない。
本当に混ざっていってしまうのかも知れない。
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「夫婦の顔が似てくる」というのは、お互いのライフスタイルや価値観が似通ってくる、など、ふつうは結婚する夫婦が望んでいることでもあり、微笑ましい姿なのではないか、と思う。
けれども、この本ではまず旦那に似てきた自分を「なんだか薄気味悪かった」ととらえている。いっぽう、時を過ごしても似てこない夫婦や、逆に似ていたはずの夫婦が似ても似つかぬ他人に戻ることもあることを描写している。
この本の中で、主人公の「サンちゃん」は何となく結婚して専業主婦になり、日常を送るのだけれど、島流しのようでありながら穏やかな平安の中で過ごしているような感覚を覚える。しかし、あるときから、夫はなぜか会社を早退して帰り、家事をするようになる。自分に対してかいがいしく揚げ物を作ってくれたり、洗濯物を畳んでくれたりするのだが、そんな夫に対し、サンちゃんはとうとう今まで自分の中にたまっていた本音をぶつける。すると・・・。
この「妖しげな」クライマックスのまとめかたはよいのです。が、情景のドラマチックさとは裏腹に表現しようとする「何か」がぼやけてしまったような印象がありました。
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読みやすくて面白かったです。表題作は芥川賞を受賞。夫婦は長年連れ添うと顔が似てくるという説をモチーフにしていますが、自己と他者の境界や、他人を理解することは可能か、といった命題を扱っていると思います。異類婚姻譚とは、民話や昔話の研究でよく使われる言葉で、命を助けられた動物などが人(多くは女)の姿で助けた男の前に現れて生活をともにする話です。この作品で妻が専業主婦なのも、妻は人ではないと思わせるためかと(読んでいくうち受ける印象が変わってきますが)。結婚とは、まさに異類婚姻譚なのかもしれません。
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この結婚は失敗だったんだろうか。
どんどん自分がなくなっていくと同時に顔もだんなに似てきて(魚に似ている)揚げ物ばかり食べされられて…
この小説を分類しるとホラーになるのではないだろうか…。
顔がゆるんで口と鼻の位置がずれてきたり、それをあわててなおしたりってのがおかしい。
同じマンションに住むキタエさん、家のいたるところにおしっこをしちゃうってのも困るけど山に捨てるという発想がホラー。
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夫婦がだんだん似てくるというのは微笑ましい良い意味で使われるのだろうが、この夫婦はまるで違う。
人ではない何か、異形へと向かいこの先どうなってゆくのかと不安な気持ちを煽る。
考えることさえ面倒で嫌がる夫、毎日大量のフライを揚げる夫、コインのゲームをやめない夫が薄気味悪かった。
「藁の夫」は同じ夫婦のカタチを描いたものでもぐっとくるものがある。
藁に火をつける自分を想像までしたトモ子だが、ふと我に返り楽器を藁の中に戻してゆく姿に安堵感を抱いた。
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??
私にはあわなかった、よくわからなかったです。
やっぱり文学賞モノはあわないみたい。
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夫婦がどっぷり似ていく過程、しかし互いに知らない面もあったり、自分を守り通したいところもあったり。
蛇ボールの例えが秀逸。
短編は、少しわかりにくかった。
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第154回(平成27年度下半期)芥川賞受賞の表題作を含む4編を収録。本谷さん初読み。さらけ出し、溶け出し、蛇ボール(ウロボロス)と化す夫婦。「俺さあ、最近山とか自然が、なんか気になるんだよねえ」。変わることを望み、人でなし=人ならぬものに変化する夫と、変わることを拒み、自分を取り戻す妻。猫を山中に「逃がす」話を含めて、印象に残る作品ではある。
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もともと本谷さんは注目していた作家さんなので、芥川賞は今更という思いでしたが。
ややもすると妙に思える似ているという夫婦のかお。
他人の中の他人のはずなのに、怖いというか不気味。
山の中に逃がしてやるネコのこととか、
山芍薬とか。
この世は切なさとかなしさとほんのちょっとの苦笑いで出来ている。
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芥川賞を受賞した表題作の他三編が入った短編集。本谷さん初。「異類婚姻譚」は夫婦が似てくることを怪奇現象みたいに書いてて、独特な雰囲気をもった作品だった。
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芥川賞を受賞した表題作ほか3編を収録した短編集。
長年連れ添った夫婦は顔つきが似てくるというけれど、ここでは結婚3、4年でその不気味さに気づいた妻が主人公。作者お得意の毒を交えてグロテスクに描いている。
結婚生活数十年という立場から見れば、パートナーと同化することを心地よいと感じるか、気味が悪いととらえるかは、連れ添った二人の時間の長さやその過ごし方にもよると思う。長年一緒にいれば、同居間もない頃の違和感にもなじんでくるというもの。まあ、感性がマヒしてきたとも言えるけれど、適度な距離のとり方を学んだ結果かな。
新聞のコラムも読んでいるけれど、作者の尖った感性はおもしろく、小説としては興味深かった。
(レビューさぼって、読後2か月の感想)
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「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。」――結婚4年の専業主婦を主人公に、他人同士が一つになる「夫婦」という形式の魔力と違和を、軽妙なユーモアと毒を込めて描く表題作ほか、「藁の夫」など短編3篇を収録。大江健三郎賞、三島由紀夫賞受賞作家の2年半ぶり、待望の最新作!
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夫婦が同化していくというところにはうなずけはするが、それに違和感を覚え始めた途端に、夫の存在そのものが輪郭をあやふやにし、よく判らないものになっていくというのは、実感としてはよくわからない。目のつけどころは面白いと思うが、ここまでホラーっ気を強くしなくてもよかったのではないかという気がしなくもない。それともこれは真性のホラーなのだろうか。それならまた別の話しではある。好みが分かれる一冊かもしれない。
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表題作は、夫婦は長年一緒にいると似てくるという、今までどちらかといえば微笑ましいように思っていたことが、よくよく考えると自分が自分でなくなることだということで、どんどん恐怖を感じた。
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人を愛したくあり
また人に愛されたくもあるが
それらと同時にどうしようもない他者への絶望が
重く心にのしかかるというジレンマ
そのジレンマが文字通り昇華していくというシュールレアリスムだ
現代のナルキッソスか
あるいは本来、誰かに捧げられるべき花だったのか
それはよくわからない
ただし、なりたいもののイメージがそれほどはっきりしている旦那は
それだけまだ幸福な人だったように思う