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投稿者:なりす - この投稿者のレビュー一覧を見る
約10年ぶりの重松作品で3冊目です。きっかけはシネコンじゃないマイナーな映画館で予告編を見て、俳優永瀬正敏の名演ぶりにまずは原作を、と思い。
あとがきにもあったけど、重松清はいじめによる自殺した子の親を取材して、その人を主体にした作品を書こうと思ったんだとわかった。一応、主役は自殺した子の友だちにはなってるけど、それは彼のトリックらしい。
正直、辟易としました。親として、「見殺しにしたんだろ」とただ友達を責めるなんて子どもみたいじゃないか。見殺しにしているわけじゃない!と心の中で叫びながらずっと読んでいました。中学生って人生の中で最もしんどい時期で、そういうところに対して慮る大人らしい想像力が皆無。
親としてできることはなかったか、「俺は息子にとってよき父親だったか?」と自問自答し、健全な自己懐疑をしたのかどうか、そこについて何も描写がない。あの卑劣な言動「お前たちを憎んではいない、でも許してもいない」って、「もうええわ、そんな子どもみたいな言葉、不要」とうんざりしました。
再読はしません。わたしにとって、何度も手に取り、読み返したくなる本では、ありませんでした。
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いじめによって同級生が自殺した中学生が、重い十字架を背負ってそのまま大人になるまでの話。
個人的には、ユウよりサユのほうが辛かったんじゃないかなと思う。でもふたりとも大人になって、自分も「親」という立場になって、少しずつフジシュンへの考え方が変わる事ができたのかな。。
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長いレビューをして、でも消して書き直した。
やはりそこそこ長くなった。
「これから重松清を読む方なら是非」
「いま中学生の君にぜひ」
重松さん乱読した中年の私向きではなかった。
ちなみに友人から借りた。
「十字架」というタイトルと作者名だけでもなんとなく「こんな話」っていうのが見えてしまう。
こんな自分が嫌だわー。
「ゆるす」「ゆるさない」も、重松さんの作品に頻出するテーマ。
乱読してきた作家さんゆえ、読みやすさと馴れ合った感覚で一気に読めたけど、冒頭からすでに退場してる「フジシュン」視点でずっと読んでしまったので、苦しいながらも退屈だった。
そもそも、いじめられて自殺した「フジシュン」の遺書に名前を書かれてしまった子たちと、遺族と、それを追う記者のお話なので、軽く楽しく読めるわけがない。
Aでもない、Bでもない、結局なんだかわからない、みたいな表現が多すぎて、実際そんな心境なんだろうけど、ちょっとくどい。
フジシュンの父を頑なに「あのひと」と表現するのも疲れる。
ユウくんとサユが共犯者の逃避行的にお付き合いしちゃうあたり、フジシュン目線の私は「つらい」「やっぱリア充同士がくっつくよね」「僕はどこまでもモブキャラだな」としょげてしまった。
どんなモブキャラにも家族がいて人生があるんだ。
そんな「モブ」だったフジシュンが命と引き換えに背負わせた十字架、そんな感覚。
とはいえ作中故人の意図なんて語りようがないわけだから、やっぱ最後までずっとモヤっとした。
ユウくんの名前を親友として遺書に記したのは、本当に「単なるあこがれ」からだったのか、なんてねえ。
いじめっこがあっさり自爆しちゃうところ、雑誌記者がやたらと子どもたちをつるし上げるところなど、分からなくもないけど雑に感じた。
特にいじめっこのモブ感はすごかった。
「母子家庭で親がケバい」=不良になる→無免で事故って自爆の図式は悲しすぎる。
この彼にはこの子なりの人生があったはず。
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いじめが自分の目の前で行われていたら自分ならどうするか?
自分の子供にはどう言うことが正解なのか考えたけどわからない。
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重たいテーマだけれど、一気に読む。
虐める側に立ったことも、無視される立場に立ったことも、ある。
色々なことを思い出しながら、自分の抱える十字架を考えた。
「ナイフ」を読んだのは高校生の頃、10年前。
それから重松清の重たい話を何冊も読んでいる。
でも、苦手な人は本当に読めないだろうな、と思う。
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いじめを苦に自殺したあいつに親友と言われた僕や、最後のプレゼントを贈られた彼女。残された家族と僕らのその後の物語。静かな気持ちで振り返るには相当の時間がかかる。特に身近な人たちには。
ほかのクラスメイト達はもう少し早くそんな境地になったのだろうか、それとも同じくらいの時間が必要だったのだろうか。もしかしたらもっともっと早くに心の奥にしまい込んで見ないようにしたかもしれない。いじめを見て見ぬふりをしたように。
子供にしか見えないこと、大人にならないと見えないこと、時間がたつと見えてくること。本当に辛くてでもしんとした気持ちになりました。
死を選んでしまった君たち、もう少し君たちの話を聞いていたかったよ
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重かったです。
息子は、今年中学生。
他人事とは思えない身近なテーマですが、考えれば考えるほど、自分とは遠いところに置いておきたくなる・・・難しい問題です。
何もしなかった罪。一生背負う十字架。
この本は、ぜひとも息子にも読ませたい。
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2012/12/16、旅行先の福岡で読了。
重たいテーマで、読み進めるのが辛かった。
でも読まずにはいられなかった。
いじめ、してなかったと、胸を張って言えないな。
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いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。 ・・・・・以上、Amazonの紹介文ヨリ。
重い・・・ひたすら重い・・・・・。
なぜ人間の内面をこれだけ克明に描写できるのだろう。
重松センセ、すごいです。
重い雰囲気の中、不思議な温かさがあるのだなぁ~。
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たとえ「いじめ」に加担していなかったとしても、それをただ見ていただけでは罪にならないのであろうか?
重松さんが問いたかったのは表題にもある通りこのことなのだろう。
最近では大津市の事件があり、いじめの現状がさらに過酷になっていることが世に表された。
その要因はたくさんあると思う。
でも、今の日本人に間違いなく欠けているものは思いやりなのではないか。それを育む方法などわかってるじゃないか、家庭だよ、家庭。そして、愛情だけだ。
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いじめを苦に自殺した少年と残された人達の物語。
読む人の立場や思い、生きてきた環境によっていろいろな感想や感情が出てくるお話だと思いました。
法律では罪に問われない罪、ぶつけられる憤りに傷付くと同時に救われる気持ち、自分や相手が傷付いても忘れたくなく忘れさせたくないもの、背負って生きていくということ。
どれが正解でどれが不正解かは書かれていません。きっと正解や不正解は読む人によって違っているのだと思います。あるいは正解や不正解なんてないのかも。
今の私は答えを出せませんでした。いつかこの物語や自分の気持ちを咀嚼できればいいなと思います。
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ナイフの言葉も十字架の言葉も
言う側と言われる側ともに
向けられているのだろうな、と思った。
人と関わって生きていくのって
本当は難しいことを孕んでいるのだと感じた。少しバランスを崩してしまうと取り返しのつかないことになる。
誰の身の回りにも起こりそうな場面や心境が散りばめられていてとても怖かった。
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とても悲しい話。
イジメが原因で自殺してしまった中学生の親友として遺書に名前を書かれてしまった主人公。なぜ僕が?という思いを抱えながら成長し、大人になっていく。
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人間とは、忘れていく生き物である。
それが、眩いばかりの輝きに満ちた時間でも、何も見えない漆黒の様な時間であっても。
それは、生命体としての優しさなのか、愚かさなのかは、私には分からない…
そんな事を考える1冊。
本書のなかに、「言葉」に関した記述がある。
「ひとを責める言葉には二種類ある。
1つは、刺された瞬間に最も痛く胸に突き刺さるナイフの言葉。
もう1つは、生きている限り降ろすことも、足を止めることも許されず、どんどん重くなっていく十字架の言葉」
もちろん、人を責める言葉を使うべきではない…と言うのは簡単だ。
重松氏がこの一文に含ませたかったかどうかは分からないが、私は「人を責める言葉を使う際は、覚悟して使わなければならない」と受け取った。
あえて、苦言を呈する必要がある時もあるだろう。人にナイフの言葉を突きつけてしまうこともあるだろう。その時に十字架を背負う覚悟があるかどうか。
その覚悟がないから、表面上の耳障りの良い言葉だけの会話が、果たして本当のコミュニケーションなのか。
本書のテーマは、贖罪と許しが根底に流れているのだろうが、巷に溢れている「コミュニケーション上手になろう」と言ったhow toへ一石を投じる1冊でもあるような気がしてならない。
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いじめについて、それにまつわる人々と親の描写が痛々しい物語でした。いじめで自殺した知り合いに親友とされた主人公の戸惑いや混乱、たまに怒りと、自分の子供が学校で元気で居て…という親の信じたい気持ちとの食い違いがいい意味で気持ち悪かったです。いじめられて自殺した人と、いじめた側ばかりだけが中心に取り上げられる昨今、この作品はいじめられて自殺した子の親と、その子が好意を寄せて居た人に対してメインのスポットがあてられていたことが新鮮でした。一番この作品で好きな言葉は、最後に親友と認められるなんてすごいじゃない、という奥さんの言葉でした。