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いじめを苦に自殺したあいつに親友と言われた僕や、最後のプレゼントを贈られた彼女。残された家族と僕らのその後の物語。静かな気持ちで振り返るには相当の時間がかかる。特に身近な人たちには。
ほかのクラスメイト達はもう少し早くそんな境地になったのだろうか、それとも同じくらいの時間が必要だったのだろうか。もしかしたらもっともっと早くに心の奥にしまい込んで見ないようにしたかもしれない。いじめを見て見ぬふりをしたように。
子供にしか見えないこと、大人にならないと見えないこと、時間がたつと見えてくること。本当に辛くてでもしんとした気持ちになりました。
死を選んでしまった君たち、もう少し君たちの話を聞いていたかったよ
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重かったです。
息子は、今年中学生。
他人事とは思えない身近なテーマですが、考えれば考えるほど、自分とは遠いところに置いておきたくなる・・・難しい問題です。
何もしなかった罪。一生背負う十字架。
この本は、ぜひとも息子にも読ませたい。
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2012/12/16、旅行先の福岡で読了。
重たいテーマで、読み進めるのが辛かった。
でも読まずにはいられなかった。
いじめ、してなかったと、胸を張って言えないな。
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いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。吉川英治文学賞受賞作。 ・・・・・以上、Amazonの紹介文ヨリ。
重い・・・ひたすら重い・・・・・。
なぜ人間の内面をこれだけ克明に描写できるのだろう。
重松センセ、すごいです。
重い雰囲気の中、不思議な温かさがあるのだなぁ~。
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たとえ「いじめ」に加担していなかったとしても、それをただ見ていただけでは罪にならないのであろうか?
重松さんが問いたかったのは表題にもある通りこのことなのだろう。
最近では大津市の事件があり、いじめの現状がさらに過酷になっていることが世に表された。
その要因はたくさんあると思う。
でも、今の日本人に間違いなく欠けているものは思いやりなのではないか。それを育む方法などわかってるじゃないか、家庭だよ、家庭。そして、愛情だけだ。
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いじめを苦に自殺した少年と残された人達の物語。
読む人の立場や思い、生きてきた環境によっていろいろな感想や感情が出てくるお話だと思いました。
法律では罪に問われない罪、ぶつけられる憤りに傷付くと同時に救われる気持ち、自分や相手が傷付いても忘れたくなく忘れさせたくないもの、背負って生きていくということ。
どれが正解でどれが不正解かは書かれていません。きっと正解や不正解は読む人によって違っているのだと思います。あるいは正解や不正解なんてないのかも。
今の私は答えを出せませんでした。いつかこの物語や自分の気持ちを咀嚼できればいいなと思います。
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ナイフの言葉も十字架の言葉も
言う側と言われる側ともに
向けられているのだろうな、と思った。
人と関わって生きていくのって
本当は難しいことを孕んでいるのだと感じた。少しバランスを崩してしまうと取り返しのつかないことになる。
誰の身の回りにも起こりそうな場面や心境が散りばめられていてとても怖かった。
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とても悲しい話。
イジメが原因で自殺してしまった中学生の親友として遺書に名前を書かれてしまった主人公。なぜ僕が?という思いを抱えながら成長し、大人になっていく。
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人間とは、忘れていく生き物である。
それが、眩いばかりの輝きに満ちた時間でも、何も見えない漆黒の様な時間であっても。
それは、生命体としての優しさなのか、愚かさなのかは、私には分からない…
そんな事を考える1冊。
本書のなかに、「言葉」に関した記述がある。
「ひとを責める言葉には二種類ある。
1つは、刺された瞬間に最も痛く胸に突き刺さるナイフの言葉。
もう1つは、生きている限り降ろすことも、足を止めることも許されず、どんどん重くなっていく十字架の言葉」
もちろん、人を責める言葉を使うべきではない…と言うのは簡単だ。
重松氏がこの一文に含ませたかったかどうかは分からないが、私は「人を責める言葉を使う際は、覚悟して使わなければならない」と受け取った。
あえて、苦言を呈する必要がある時もあるだろう。人にナイフの言葉を突きつけてしまうこともあるだろう。その時に十字架を背負う覚悟があるかどうか。
その覚悟がないから、表面上の耳障りの良い言葉だけの会話が、果たして本当のコミュニケーションなのか。
本書のテーマは、贖罪と許しが根底に流れているのだろうが、巷に溢れている「コミュニケーション上手になろう」と言ったhow toへ一石を投じる1冊でもあるような気がしてならない。
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いじめについて、それにまつわる人々と親の描写が痛々しい物語でした。いじめで自殺した知り合いに親友とされた主人公の戸惑いや混乱、たまに怒りと、自分の子供が学校で元気で居て…という親の信じたい気持ちとの食い違いがいい意味で気持ち悪かったです。いじめられて自殺した人と、いじめた側ばかりだけが中心に取り上げられる昨今、この作品はいじめられて自殺した子の親と、その子が好意を寄せて居た人に対してメインのスポットがあてられていたことが新鮮でした。一番この作品で好きな言葉は、最後に親友と認められるなんてすごいじゃない、という奥さんの言葉でした。
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20年も前の中学時代の事をふわっと思い起こした。
周りからどう思われているか、周りから自分が浮いていないか、周りは今何をしているのか…
全て周りを基準に過ごしていた。
周りって一体誰だったんだろう。
自信もないし、余裕もなかった。
今の自分があの頃に戻れたら、どんなに有意義な日々を送れるだろう。
でも絶対に戻れない。
主人公も大きな後悔を背負って、重い十字架を背負うことになってしまったけど、
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買ってしばらく積んであった本。暗そうな内容でなかなか開けなかったから。
一人の少年がいじめを苦に自殺した。それはいろいろな人にいろいろな影響を与えた。結局、読み始めたら一気に読んでいた。決して明るい内容ではなかったけれど読んで良かった。
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いじめを苦に自殺したフジシュン、遺書に『親友』として名前を書かれたユウ、ごめんと謝られたサユ。そして残された家族のお話。
重い。本当に重い。
読み進めるのが辛くなる。
人が傷つく時には必ず周りに十字架を背負う人間がいる。
人を傷つけるということは、自分が十字架を背負うこと。そしてそれを見て見ぬふりをした時にも。
それを忘れちゃいけない。
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この作品が舞台になっている20数年前からいじめ問題は何も変わってもいないし、解決もされていない。ましてや、インターネットっという手段が増えた分、さらに劣悪な状態になっていると思う。
また、何よりも残念なのが、結局いじめた側は相変わらず保護される、っという事。被害者側は顔も名前も遺族も出されて、加害者側は未成年、または証拠がないからと人権が守られる。
そして、学校、教師の相変わらずの怠慢な体制。
国は本当にいじめを少なくしようと思っているのか疑問。
作品を読み、そんな感想を持つと同時に、遺族の悲しみや怒りなど、感情の変化が伝わってくる。
ただ、親友とされた人物と好意をもたれた人物は、どうしても同情をしてしまう…。残された遺族からすれば、とても有難い?存在になるとは思うのだが、中学生の二人にはかなりの重荷だったと思う。
この二人だからこそ、人生を左右するほどの重荷になったが、他の人であればそうはならなかったのかなと…
また、最後のところ、自分の息子がノートに書いた親友の一人。
親友…憧れ、その感覚は一方通行な事もあるんだなと。
改めて考えさせられる事が多い一冊になりました。
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虐めが原因で自殺した少年の遺書に親友と名指し感謝された少年の言葉で語られる、「十字架」を背負わされたその後の話。
遺書に書かれたのは、この少年の他に、虐めの中心人物二人、思いを寄せていた少女一人の名。
自殺した少年が何を思い、遺書に四人の名をかいたかは本人しかわからないが、親友と書かれた少年と少女は、自殺した少年の事を忘れられない。
心情を、成長した姿を、折りにに触れ思い出し、問い掛ける。答は出ることはないが…
自殺した少年の両親の様子や心情がリアルに伝わり、苦しい。
十字架を「背負わされた」から「背負っていく」覚悟まで人はどれだけの道程が必要なのだろうか…