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出発した場所に戻ってくるのが旅・・・
自ら一歩を踏み出す旅と
いつの間にか歩き出していただけの旅・・・
そして,
自ら背負うものと
自分の意志に関係なく背負わされていたもの・・・
痛いなあ・・・
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中高生に読んでもらいたいな。
一人の自殺という形の死が、立場は違えど、いろんな人が、それぞれ違う十字架を背負うんだな。と。
手にして良かった。と思える本でした。
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僕の場合、本を買うときの行動パターンはだいたい2種類に別れる。
「こういう本が読みたいな」という本を探して買う。
何気なく本を手にとったら「ああ、こういう本を読みたいと自分は考えていたんだな」と気付かされて、買う。
『十字架』は確実に後者です。こういった本との「出会い」があるから読書はやめられない。
探していたわけではないのだけれど、手にとった瞬間に分かる。「あ、これは読みたかった本だ。」あるいは「きっと読みたい文章がこの中にある!」と気付かされる感覚。
いじめに関する小説を探していたわけではないけど、「今これを読むべきだ」と直感して購入しました。
直接的ないじめの加害者でも、被害者でもない人にスポットを当てた作品です。人の命を背負うということ、人の言葉を背負うということがどれほどに重く、責任あることなのか。
―いじめは幼くなどない。ひとが死んでしまうほどのことを、子どもの幼い世界の間違いで終えないでほしいーこれは大人になって思うことだ。
あとがきを読んで、この作品を書くにあたっての重松清の小説家としての覚悟にも感服しました。重松清本人が、十字架を背負って書いた物語でした。
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フジシュンが書いた遺書で人生が変わってしまったユウとサユ、なぜか遺書に名前を書かれなかった堺。
フジシュンの遺書によって、重い十字架を背負わされたユウとサユは何年たってもフジシュンの事は忘れることはできない―
遺書に名前をかかれなければ、二人も皆とクラスの子とおなじだけの悲しみですんだはずなのに…
数年たってそんなこともあったなーくらいだったのに、
なぜフジシュンがあんな遺書を残して死んでしまったのかは、誰も知ることはできない。
よりによって自分の誕生日がフジシュンの命日になってしまったサユは気の毒だった。
誕生日がくるたびに、フジシュンの事を思いだしてしまい、自分が最後に冷たい態度をとってしまった事を、悔やんでも悔やんでも悔やみきれないほど、責任を感じてるサユ。
その事を高校三年生の春まで、自分の胸にめてつづけていた
サユの苦しみは、フジシュンの自殺によって生まれたものだけど、フジシュンは果して、そこまで考えて、遺書にサユの名前をかいたのだろうか、いや多分ここまでは考えてはいないだろう…
この小説で久しぶりにいじめについて考えた
最近では大津の事件だったりあったけど、いじめはいつの時代もなくならない…
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忘れることで立ち直るのなら、僕は立ち直らなくていい。
立ち直りたくない、とも思う。
何度も何度も読み直したいし、いろんな人に勧めたい。自分に子供が産まれたら、子供にも読んで欲しいし、親となった自分もまたもう一度読みたいと思う。
いじめで息子を失った家族と、そのクラスメートの話。いじめ続けたクラスメート、そのいじめが自分に向けられるのが怖くていじめに加わった友人、そしてその姿を見ていたのに見殺しにしたみんな。十字架を背負って生きていく人々を描いたストーリー。
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正直読むのに疲れたけど、その分心に残るものはあった。
中学生、子を持つ親それぞれの立場から読める作品だと思う。
自分としては、まだ小さいけど子を持つ親としてフジシュンの父親の気持ちで読めた。
やっぱり読んでいて辛かった。
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いじめ問題から、それに関わった人たちのその後を追跡したお話。もちろんフィクションであるが、リアリティがある。いじめを苦に自殺した中学生をとりまくそれぞれの人生に与えた影響は大きく、そこまでに悩む必要があるのかと思ってしまう。最後には苦しみを乗り越え、ハッピーエンドと呼んでいいのか、清々しい結末だ。時間が解決してくれたのか?時間しか解決できなかったのか?
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いじめが原因で自殺したフジシュンの遺書に、思いもよらず“親友”として名前を記されていた僕・真田裕と、フジシュンが思いを寄せていた女の子・中川小百合。
僕と中川さん(後に、サユ)は、重い十字架を背負って歩き始める。
ひとを責める言葉には二種類ある。
ナイフの言葉。
十字架の言葉。
ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間。
十字架の言葉は違う。背負ったまま、ずうっと歩かなきゃいけない。生きている限り、背負い続けなければならない。
あのひと(フジシュンの父親)は僕に十字架の言葉を負わせるほか、仕方がなかった。
人間関係って、こんなにもどうしようもないもの。もっと違ったかたちで出会っていれば、あのときあんなことさえなければ、笑い合えた仲だったのかもしれない。でもそれは仮定の話。
誰かを愛するあまり、他の誰かを傷つけずにはいられない。そんな悲劇も、ときには起こりうる。
苦しくて哀しい物語でした。
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いじめで同級生が自殺。
残された人たちの20年間の話。
忘れてしまいたいほどの
辛いことや向き合いたくないことが
あったとしても、
完全になかったことになんて出来ない。
それを改めて思い知らされた気がした。
十字架が消えてなくなるということは
多分ないけれど、
ずっと同じ苦しみを与え続けるものでは
ないんだと思った。
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苦しかった。
どーしていいかわからない。
なんなんだ、この気持ちは。
背負うという言葉の重み。
とてつもなく深いお話でした
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兄が「これ、いいよ」と貸してくれた一冊。
そのかわりに「横道世之介いいよ!」と教えてあげました。
それくらい、オススメ本を教えてもらえるのは
嬉しい☆
よんだら、また更新予定。
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重松さんは大好きな作家であり、
それゆえに新作が出ればすぐに買って読んでいる。
本作はいじめを苦に自殺した同級生の周りの人々のその後の人生を描いた物語である。
共感できる部分もある。
メインの登場人物の優しさを感じた。
例によって、良いお話であったが、
これまでの作品と似ているとも感じた。
(重松さん自身が同じような作品を書くと公言しており、
わたしがこれまでの作品を読みすぎたためであるが。)
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いじめを苦に自殺した少年。その少年の遺書に親友として名前を書かれた「僕」を主人公に、自殺した少年の家族、少年がほのかに思いを寄せていた少女、いじめた側の少年たち、記者たち等、残された人々が背負っていったものを描いた作品。リアリティがあり重いテーマながら、つい惹き込まれて読んでいってしまう。
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いじめを苦にして自殺をするということはどういうことか。突き詰めていえば、残された者はどのようにしてそのことと対峙して、残りの人生を歩んでいくか。特に残された家族の心の葛藤をまざまざと見せつけられる。
この先、自分が人の親になったきに、この作品のテーマの重みを再度痛感するのだと思う。
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んー。
この作者なら他の作品の方が断然良い。
ずっと、重~い。救いがない(*_*)そこが十字架なんだろうだけれど…。
追加:あとがきを読んだら!実在の出来事が元になった話だったのか…物語だとただ重いだけに感じたのですが、半分ノンフィクションとするなら良い内容と思います。