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3.11の時、実際に官邸で対応にあたった政治家の証言録。当時を知るための資料であり、非常に貴重な証言録になると思う。
この本を読んで思ったのは、緊急事態における情報伝達の難しさ、合意形成の困難さ、既存の制度での対応の難しさである。これらについてどのようにすべきか真剣に考えなければならない。
この本に注文をつけるとすると、その構成にある。第一二章は証言録になっており、第三章は脱原発にむけて何をすべきかと言う内容になっているが、第三章は危機管理に関する記述にすべきだと思う。なぜなら第一二章と三章に一貫性が見られず、第三章が浮いている印象を受けるからだ。
加えて、自分の実感と異なるために?と思うところもいくつかあったが、証言録という性質上、仕方ないだろう。
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第一章、第二章は原発事故発生時、官房副長官だった筆者が、官邸は悪くないけど、他のプレーヤーは酷かったと告発している。(内容は後述)第三章は、今後の原子力行政についての提言。この提言を活かしもせずに、一人の狂人の権限(責任と権限の区別がつかない政治屋)で原発を再稼働し、稼働し続けている政府に対し、なんのても打たない筆者の意見は、ただ書いただけのもの。
でも、提言の内容はそれなりに評価できるけど。
以下、読みながらのメモ
官邸に情報が集まっていなかったので、官邸は少ない情報で判断を下さなければならなかった。
情報を隠蔽していたのではない、パニックを避けるための措置だった。
東電は正しい情報をタイムリーに出さなかった。また、官邸は、東電の要請に基づいて行動したのに、東電はそれを有効活用しなかった。
東電は、大口顧客はいいお客様だから、使用電力を減らせとはお願いできないといった。
経済産業省は、東電をきちんと管理監督できていなかった。
撤退打診の電話が東電からかかった時、細野豪志は聞く立場にないと逃げた。
保安院保坂院長は文科系でなに言ってるのかよくわからなかった。
保安院と官邸の連絡は取れていなかった。
保安院は、事故発生時の避難についてまったく準備ができていなかった。
原子力安全委員会班目委員長は、はっきりした事を言わなかったが、水素爆発はないとはっきり言っていた。
政府事故調査委員会の報告書には、誤りがある。
官邸の判断でも、都合の悪い事は、私は知らなかった。
官邸がSPEEDIのデータを隠蔽したのではない、SPEEDIはもともと縦割り行政の中で使えないシステムだったし、私はその存在さえ知らなかった。
積算放射線量の基準は、そこまで大丈夫だと示しているのではなく、被曝は小さければ小さいほど良いのは当然だ(原文ママ:少なければの方が適切な表現とは思うが)
現実を直視しよう。原子力行政は敗北したのである。
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官邸にいた福山副官房長官の福一原発事故の回顧録。第一章は当事者目線からの参考になる話が多かったが、後半はエクスキューズのような話が多くなってきた。基本的に回顧録というのはそういうものではあるが。
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前半の証言は貴重な記録。興味深く読めた。後半は冗長だが、政治家が書いたものとしては、真面目な方かも知れない。
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フェイスブックでおすすめしている人がいたから読んでみた。テレビや新聞では伝わらない官邸内の緊張感や関係者の苦悩が伝わってくる。あの事故が大変な出来事だったんだと改めて実感。
当時の政権にいた人が書いた本だから、多少バイアスはかかっていると思う。しかし、東電の対応というのは本当にひどい。大口の顧客(企業など)への節電要請の提案に対して「大口の顧客はお客さまですから、電力使用量を減らしてくれなどとは、我々からは言えません」と言ったという。読んでいて目を疑ってしまった。
あの事故の対応にあたった政治家や官僚も批判されたけど、あの状況でのあの判断は彼らが熟考し、苦悩した結果だったのだと分かった。決してベストではないけれど、東電に比べると、はるかに責任感と誠意があると思う。
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政治家の筆による事故検証本だが、菅のそれと比べると格段に読みやすい。編集の言うことをキチンと聞いたのであろう。
生コン圧送ポンプ車の存在は、3.17深夜、公明党経由からの情報で知ったという。
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東日本大震災の福島第一原発事故に対する政府の対応を官房副長官だった著者の目で記されている。混乱と緊迫感の中で対応してきたことがよくわかる。これだけ大きな事故になると日本の様々な所で様々な現象、事象が起こっており、それらのすべてを把握することは不可能だし、どこまで集めても終わりはないと思う。大事なことは、その時に得た、または与えられた情報で、より合理的な判断を行えるか?だと思う。そういう意味では事故に対する政府の対応、総理大臣の判断は大きく間違っていなかったと思う。
ただ、本書に関して言えば、事故の対応が途中までしか書かれておらず、話が”脱原発”に移ってしまったのはちょっと残念。菅元総理大臣が著した同様の新書のほうがより緊迫感は伝わるかな。
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当時の福山官房副長官による3.11後の官邸の動きの記録。東電と官邸の意思疎通の悪さに読んでいる側がイライラすることも。証言記録としてぜひ読んでおきたい一冊。星3つ
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[「中枢」の言い分]突如日本を襲った福島第一原子力発電所の事故に対し、官邸はどのように動き、対処したのかを、その内部から振り返った一冊。混乱と緊迫の極みの中にあって、危機管理はどのように行われたのか、そしてそこに問題はなかったのかを考えるとともに、今後の原発政策についても所見を提示しています。著者は、東日本大震災の発生当時、内閣官房副長官としてその対応にあたった福山哲郎。
官邸サイドの知られざる内幕が外に出てくるというのは、一国民として歓迎できることなのではないかと思います。ただし、福山氏の主張がところどころで「矛盾」(例えば、「最悪のケースを提示すると混乱を招くので提示しなかった」としながらも、「最悪のケースをつかめていなかった」ということが書かれている)しており読む際には読者側の十分な注意力が必要になってくると思います(もちろん、右「矛盾」があるからといって本書に価値がないと決めつけられるものでもないと思います)。
突発的な事態を受けての情報管理や連絡の在り方などは、危機管理を考えていく上で大変具体的な参考になると思います。また、通説的に出回っている原発事故対応に関する認識の誤りもしっかりと裏付けとともに指摘されている点も評価できます。一概にどう、という評価はなかなか一人ひとりでは下せない本だと思いますので、ぜひ広く読まれてその反応を伺ってみたい一冊です。
〜私は何でもかんでも政治の介入を正当化するつもりはない。政治が介入することの問題点も理解できる。しかし、危機管理の最終的な意思決定は政治が担う以外ないと考える。〜
危機管理は個人的にもテーマなので☆5つ
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読むきっかけは「死の淵を見た男」に参考文献だか引用かに載っていたから。つまり、一つの事象(東日本大震災)について相反する書物のうち、“後に”読んだ。
どちらも、どちらの当事者にとっての事実なんだろうとは思う。
でも私は「死の淵を見た男」の内容を事実として受け止めた。
多くの人にインタビューして見えた事実、あの現場にいた故吉田所長をはじめ原発所員の方々の言葉、当時を振り返った思いには心を締め付けられた。一方、官邸ではどのように対応していたのか、報道では分からなかったことを淡々と主観で語る本書には心打たれなかった。
先に読んだ先入観のせいではないと思う。
次は斑目さんについて調べてみよう。
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[ 内容 ]
本当に官邸の原発事故対応は失敗だったのか?
当時の官房副長官が、自ら残したノートをもとに緊急事態への取組を徹底検証。
知られざる危機の真相を明らかにする。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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太陽の蓋を見に行った際にたまたま舞台挨拶で福山さんがお越しになり、購入してみました。
情報を共有すること、また真実を知ることってなかなか難しいですね。
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菅直人内閣で内閣官房副長官を務められた福山哲郎先生の著書。東京電力福島原子力発電所事故の回顧録のような内容。当時の事実は知る由もないけれど、なんだか自分達はすべて完璧な仕事をしていて、東京電力の対応がいかにひどかったのかという言い訳に終始している印象を受けました。自己弁護に偏り過ぎでは。
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東日本大震災・福島第一原発事故当時の官房副長官だった筆者のノートにもとづく、〈官邸から見えていた風景〉の記録。避難区域設定、被曝上限値の設定など強く批判されるべき点は多々あるが、少なくとも、当時の官邸に必要な情報が十全に入らず、頼りとされた専門家が役に立たない中で決断を迫られていたことは、ひしひしと伝わってきた。
本書には、二つの大事なポイントがあると思う。
?東電や保安院、経産省の対応を見ると、官僚機構は、自分の持っている情報にフィルタリングをかけることで利益共同体を維持していることが火を見るより明らか。それは逆にも使えるので、フィルターとしての官僚機構が、命令・発信の主体を曖昧化する(政府が・官邸が・総理が)ことで、現場の権限を奪ったり、現場に対する権力の行使を正当化する資源としている。
?日本政府にとっての「アメリカ」の存在。筆者は書き流しているが、アメリカ政府の派遣した専門家が官邸の対策室のすぐそばに常駐していた。つまり、アメリカだけは、日本政府の情報をすべて把握出来る仕組みになっていたわけだ。少し考えれば、このことがいかに異様かは自明である。まるで冷戦時代のソ連と東欧諸国のような関係が、21世紀にもなお継続し、空気のように自明化されている、ということだ。
逆を考えてみれば、アメリカで核事故が起こった際、ホワイトハウスに日本人が常駐するなどということはまったく考えられない。韓国の青瓦台に日本人が常駐することもないだろう(逆もそうだ)。危機の瞬間にこそ存在の本質がかいま見えるとすれば、「戦後日本」を象徴するような事態だったと言えるだろう。
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原発危機の際に官邸には何が見えてきたのかがわかる貴重な本。主張の正しさを評価するにはこの本だけでは不足だが、危機の中で情報が錯綜し、極限状態で判断を求められることについて生き生き描いていて勉強になった。