投稿元:
レビューを見る
佐藤さんは神学を通して、竹田さんは動物行動学を通して、結局は『人間』が何なのかを知りたがってる。
ってとこにストンと腹落ち。
「それは哲学でいうところの『存在論』」っていう佐藤さんの指摘のおかげで自分が気になる分野が少しクリヤになった感じもするなぁ。
現代においても「神が存在する」と信じるインテリの方がどう考えているのか、から
神に似せて作られたとする人間の動物的な側面をどう捉えればいいのか、まで
対談形式に、浅くではあるけれども読みやすく進めていけるので仕事の合間に2日もあれは読めちゃいます。
投稿元:
レビューを見る
「佐藤さんほどの知性ある近代人が、なぜ神の存在を信じられるのですか?」ヨーロッパ人口の1割以上が死んだ第一次大戦は理性の限界を痛感させ、宇宙のダイナミックな大きさ(地球の卑小さ)や遺伝子解析的進化論に「神」の介在する余地は小さい。竹内はドーキンスの『利己的な遺伝子』に沿って〈姦淫するなかれ〉の意義を詰めていく。佐藤はキリスト教の不振は認めつつも、「神は人間の心のなかにある」「神を作った人間を研究することが神学」と開き直る
投稿元:
レビューを見る
再読
人間という複雑な存在を、 多面的に見るから面白い。最後の言葉・文章に納得。
人間讃歌、この素晴らしき存在。
投稿元:
レビューを見る
動物行動学者と神学者の対談。なんだこれは。面白そう。
ドーキンスの『神は妄想である』の話がいきなりぶつけられる。一般人の感覚だと、神とか信じられないんすけど〜という感じで疑問をなげかける。
けれど神学的にはドーキンスの言う妄想はもう200年前に問題にされ、100年前にはほぼ解決しているというのだ。
宗教と科学のガチンコ対談、というわりには、それほどぶつかりあってはいない。それぞれの持つ面白さの聞き役、という感じだろうか。
動物とのアナロジーで考える、なんてことは、普段生活していてもなかなか至らない考えだ。対談の内容そのものを勉強するため、じゃなくて、ふわふわと定まらない人の世を見直すフィルターとして読むと、噛みごたえがあるのだ。
投稿元:
レビューを見る
決して面白くないわけではないのだが、二人とも頭が良すぎて芯を喰わずにその周辺をぐるぐる回りあうことに終始した、そんな読後感だった。狂言回しではないけれどもう一人頭の回転の速い人─頭が良いのとは違う─を入れて鼎談にすれば面白かったのではないか、そう思った。ある人にとっては神は本当に存在するのだろうし、していてもいいのだが、わたしにとっては存在しないし、それを否定されたくはない、その辺りが私個人としての見解である。