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時間軸を飛び越えて、自由に行きたい時間で生きていたみつえさん。亡くなったあとは、彼岸此岸を往き来して、ペコロス氏の前に現れます。
先に亡くなった夫(ペコロス父)とむつまじく「気配」になって子どもたちを訪れるみつえさん。その姿は既巻で見慣れていたので驚きませんが、みつえさんが(生前は酒乱で家族を苦しめた)父と子の和解を橋渡ししていたという一面には驚きました。
痴呆症の見せる夢を「ボケ」で片づけていたら、みつえさんにしかできない贈り物を受け取り損ねてしまったでしょう。母が見るうつつの夢に入り込んだことで、息子がもらった豊かさ。
この豊かさを描き切ったことが、ペコロスシリーズの珠玉たるゆえんです。
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ペコロス本の最新作。母が亡くなった後のノスタルジー。母と息子、そして時々からむ父。過去と現在、そして命をつむぐストーリー。長崎という地もあり、原爆の影をそこかしこに感じさせる。これまで以上に叙情的な流れ。テーマは題名通り。
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生きとかんば。
もう、読みながら号泣。どの部分で泣いたとかじゃなくて、全体に漂う雰囲気にただただ涙が溢れてくる。
昨年、先に元気だった祖母が、あとを追うようにして長年闘病していた祖父が亡くなったこと思い出した。お墓の中でこんなふうに再会を楽しんでいるのかなぁと思うとほほえみながらまた泣けて…。
ゆーいちさんがあとがきでも書いていたけど、こうやって漫画のネタにすることで、辛い思い出もいい思い出に置き換えていけるところはあるだろうな。
うちにも認知症の祖母がいますが、大変な中でもこんなふうに微笑ましい日常の断片を見つけていきたいなぁ。
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もうペコロスシリーズは出ないのかな、と思っていたので見つけてすぐ手に取りました。
今回はいつもより(?)シモの話が多かった気がします。でもそれがまた良くも哀しくも時代を映し出しているというか、心に迫るというか、人の生きるということは性を抜きにしては語れないのなという風にも思わされます。
今回の漫画を読んで、何だかわからなかった両親のやり取りが「あれはそういうことだったのか!」とわかったこともありました。
自分の両親も鬼籍に入り結構経ちましたが、二人も大変な人生を生き抜いたのだな、とサトルさんとミツエさんの人生に重ね合わせて読みました。
どんなに苦しい場面でも哀しい場面でもペコロスさんの表現中にユーモアを忘れない精神を感じます。「生きとかんば!」をまさに体現されていますね。これからも応援しています。
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クスッと笑えるような場面でも、ウルウルしてしまうのは、自分の現状と重ねてしまうからでしょうか。「ハゲ散らかす」等の方言?もなつかしい響き。
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父のさとるさんがいなくなって、そして母のみつえさんがいなくなって、それでもこれだけ物語ができる。人はいるときもエピソードがあるけど、いなくなってからもいろんな話がふくらませられるのだな。というかそれがまさに漫画なのでしょうけどね。
また描きたくなってきた。そしてまた弾きたく…練習しなきゃ。
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みつえさん亡き後の話を中心としたペコロス最新刊。
生と死、時間と空間を自由に行き来する内容は今まで通り。
初めてこのシリーズを読んだ時に比べて、多少は感動が薄れたりもした。
ただ初めてこのシリーズを読んだ時に比べて、僕自身を取り巻く環境も大きく変わった。
父は認知症を発病し、歳老いた母がなんとか介護を続けている。
父との折り合いが悪くなった僕は(父は僕を見ると訳も判らず殴りかかってくる)父に会わないようにしながら、母を支えている。
日増しに年老いていく母を見つめる僕と、本書におけるみつえさんを見つめる雄一さんがなんとなく重なる瞬間もあったりする。
いつの日か、本書にあるように生と死、時間と空間、そして様々なわだかまりを飛び越えて一つになれる日を迎えられるように、それこそ「生きとかんば!」と思う。
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認知症になった親をこれほどあたたかく見つめることが出来るだろうか?時に寂しく、時におかしく。このおかしさの部分が介護者の救いになっている。絵がとてもかわいいので一気に読める。何回も繰り返し読んで大切にしたい本。
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以前、PCで、この作者岡野雄一氏の母の介護生活の本の紹介を拝見した。
ほんわかとした口調が、辛い介護する側を癒してくれる漫画である。
私が、小さい頃は、家に漫画らしき物が無く、世界文学全集などや 口語文の細かい活字の本が多かったせいか、漫画を読むのは、だいぶ経ってからである。
今は、読書にどっぷりとはまるようになって読んだ漫画は、「大家さんと僕」の矢部太郎氏の本ぐらいである。
どちらも、年寄りに、歩み寄って描かれている。
この本は、長崎の方言が、一杯出てくる。
私も、商社マンの父の転勤で、福岡にいた事があり、少し、理解出来る。
表紙の中側の、光恵さんの「生きとかんば」という表現。
原爆の被害を知っているだけに響く言葉なのだろう。
作者も、短歌を愛する偏屈な父親を持ち、母の苦労も良く知っているだけに、母への思いが深い。
認知症になってからも、所々に、昔を思い出す母親に、ペンを取ったのだろう。
黄泉の世界とこちら側の現実の世界との表現が、違和感無く読めるのは、作者のアイデアと工夫であろう。
病室の窓側のカーテンが、結界のような…
空から見下ろしているだけ両親の姿。
若いときには、お酒が入ると凄い形相の父親が、好々爺になっている姿も、そして、逃げ回った母親も傍にピッタリと居る姿も、そうあっているだろうとの願いも込めている。
少しエッチな話も、盛り沢山出てくるけど、これは、母親の介護だけだと、読む人が限定されるから、記載されたのかなと、思う。
「生きていることが贈り物」本当に、今トルコ・シリアの大地震のニュースを見ると、少しでも、生きていて!と、願わずいられない。