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この本は学生だった主人公が軍隊に入り、軍隊での日々を日記に綴っていく形式で物語が進んでいきます。
入隊したての頃は、今起きている戦争に対して批判的な考えを持っている主人公なのですが
軍隊慣れして徐々に変わってくる精神がなんとも生々しいです。
親しい友人が特攻隊として死んでいくのを目の前に、そして自分に番が回ってきた時、
彼は何を思ったのでしょうか。
日常に戦争が入り込んでくるなんて、何だか私には想像もつきません。
この先の日本には、こんな惨たらしい戦争なんかが、無くなります様に。
安心して笑っていられる未来があります様に。
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本作品は国文学者吉井巖氏の戦時中の日記をもとに書かれたという。どの程度、実際のそれを反映しているのだろう。吉井氏の初期の論文には「雲」に関するものが多い。本作品に見られるような「雲」の印象が実際にあって、このテーマに取り組むきっかけとなったのだろうか。「はじめて空から南九州の海山をながめて、巻三の長田王、「隼人の薩摩の迫門を雲居なす遠くもわれは今日見つるかも」という感慨をおぼえた」(旧版p.64)といった言葉は、実際の日記にもあるのだろうか。論文は自己の経験を語らない。だからこの小説に想像を掻き立てられる。
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読み終えたあと虚脱感を感じた。特攻隊として散っていった主人公の思いについて、日記形式に書かれている。主人公の気持ちを考えるも、なんと言うか、リアリティが感じられない。いや、これは想像力が無いだけなんだろうけど。同時代人はどう思うのだろうか。身につまされる思いがするのだろうか。
近頃の子供たちは、小さな科学者、小さな国家主義者として、こまちゃくれた育て方をされているものが多いようである。大人が子供の世界を造ってやることは、やめなければいけない。…自分たちは死んでも、子供たちの上には、ひろびろとした豊かな祝福された次の時代が来なければならぬ。
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文学青年が軍隊で仲間と、時にはイキイキ過ごしているようにさえ読める日記だが、自分がいなくなった後の日本の将来を考えたり、友人のむごい死に様を目の当たりにしたり、明日特攻に飛び立てと言われた後、落ち込んだり、笑顔に戻ってまた冗談を言ったり、こんなのが現実だった彼らの青春。
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戦争に肯定的な軍人は、戦時中でも案外少なかったのではないかと思う。日本人特有の空気に支配されていたのだ。
戦時中にこれほど、自分に素直に書いた日記が実際にあったのだろうか?
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高校の恩師から卒業の際に渡された『読書リスト』。
まだ半分も読めていないという体たらくですが、なんとか卒業までにあと数冊読みたい。
今回読み終わったのは阿川弘之の『雲の墓標』
学業を中断し、戦争へと巻き込まれていく学生の心情が
生活記録風に淡々と書かれている。
作者自身も東大の国文科の学生だったが、繰上げ卒業し、
海軍予備学生として海軍に入隊したそうで、
その経験を基に書かれているからか、とても現実味がある。
軍への入隊、そして戦況や軍での理不尽に対して憤りなどを時々あらわにしながらも、
国のために死ぬことにはむしろ肯定的な主人公・吉野であるが、
「しかし、自分たちにはもはや、なにものかを選ぶということはできない。定められた運命の下に、自分を鍛えることだけが、われわれに残された道だ」とあるように、
どこか諦めたような部分も垣間見得る。
そのような感情のふらつきが、精神的に訓練され自ら志願した兵士とは違う、
学生らしさ、ひいては親近感を与えるのかもしれない。
また、国文学科であった吉野は、最初、入隊した直後の頃は
万葉集に想いを馳せる描写も多く見られるが、
時間が進み、戦況が悪化していくにつれてその描写もなくなっていく。
段々と、彼の心が戦争に取り憑かれ、疲れやつれ果てていくのが
ありありと分かる。
ありきたりな感想になるが、
戦争が人の心をどのようにして疲労させていくのかを
改めて目の前に突きつけられた。
ただ平和を叫ぶ作品ではなく、
淡々と冷静な口調で語られていくからこそ、
心に深く残るものがあった。
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(2016.03.15読了)(2016.03.12借入)(1979.06.10・35刷)
昨年8月に死去されたということで、追悼のために読みました。何冊か積読しているのですが、公民館にすぐ読めそうなのがあったので、借りてきました。
阿川弘之 略歴
1920年12月24日、広島市生まれ
1942年9月、東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業
兵科予備学生として海軍に入隊
海軍大尉として中国の漢口にて終戦を迎えた
1946年復員
1952年、『春の城』(読売文学賞)
1960年、「なかよし特急」産経児童出版文化賞
1966年、『山本五十六』(新潮社文学賞)、
1978年、第三五回日本芸術院賞恩賜賞受賞
1987年、『井上成美』(日本文学大賞)、
1993年、文化功労者に顕彰
1994年、『志賀直哉』(毎日出版文化賞、野間文芸賞)、
1999年、文化勲章受章。
2001年、『食味風々録』(読売文学賞)
2007年、菊池寛賞
2015年8月3日、老衰のため死去、94歳
この本は、海軍予備学生の吉野次郎を主人公にして、昭和18年12月から昭和20年7月までの生活を日記としてつづらせたものです。昭和18年11月に京都大学を繰り上げ卒業した吉野が、飛行訓練を受けながら、特攻として出撃するまでが描かれています。
本人が書けないので、どのような最期だったかは書かれていません。
昭和20年には、訓練する飛行機も燃料も不足して、飛行機に乗れない日々が続いたりしています。ベテランの飛行士たちが、どんどん戦死して行き、飛行訓練もままならない新米飛行機乗りに一体何ができるだろうと思われるのですが、それが負け戦というものなのでしょう。戦争の現実を知るには、いい本だと思います。
【目次】
雲の墓標
解説 安岡章太郎
●死ね(23頁)
われわれはここでは、何か事あるごとに、死ね死ねと教えられている。いったい、戦争をやりとげることが目的なのか、自分たちを殺すことが目的なのか。ただ死んで祖国がすくえるものなら、われわれは何としてでも死んでみせるであろう。
●お題目(53頁)
教育主任や各分隊長や飛行機乗りの教官から、そして御存じのような調子の日々の新聞や、都合よくえらばれた書物の活字から、繰り返し繰り返し吹きこまれることは、聖戦の完遂、栄えある若人の責務、帝国海軍の輝かしき伝統、八紘一宇の理想という風なことがらばかりです。
こういう題目を繰りかえし説かれているうちに、はじめは批判的であり疑わしげであったものが、次第に多少の意味がなくはないとかんずるようになり、相当もっともだとおもうようになり、まったくそうでなくてはならぬ、いままで足りなかったのは自分たちの自覚であったと信ずるようになる、そういう傾向があるのではありませんでしょうか。
●日本の再建(101頁)
不思議な時代ではないか。政治家も軍人も学者も詩人も、芋を食って笑って死ぬることは、くりかえしくりかえしうたうけれども、生きのこって日本を再建する方途は、誰からも聞くことができない。
●生き方(130頁)
健全な食欲と健全な性欲とをそなえた健康な肉体、それで豊富な精神活動をして、次の時代へよき子孫となにがしかの精神的な遺産をのこす、これが人間として一番のぞましい生き方だと思う。
☆関連図書(既読)
「特攻基地知覧」高木俊朗著、角川文庫、1973.07.30
「今日われ生きてあり」神坂次郎著、新潮文庫、1993.07.25
「特攻隊員の命の声が聞こえる」神坂次郎著、PHP文庫、2001.08.15
「指揮官たちの特攻」城山三郎著、新潮社、2001.08.05
「昭和の遺書① 父へ、母へ、最後の手紙」辺見じゅん編、角川文庫、1995.04.25
「昭和の遺書② 妻よ、子どもたちよ、最後の祈り」辺見じゅん編、角川文庫、1995.04.25
「昭和の遺書③ 妹へ、弟へ、最後の詩」辺見じゅん編、角川文庫、1995.06.25
「永遠の0」百田尚樹著、講談社文庫、2009.07.15
「零式戦闘機」吉村昭著、新潮文庫、1978.03.30
「零式戦闘機」柳田邦男著、文春文庫、1980.04.25
「零戦 その誕生と栄光の記録」堀越二郎著、講談社文庫、1984.12.15
「非情の空」高城肇著、中公文庫、1992.09.10
「海軍航空隊始末記」源田實著、文春文庫、1996.12.10
「大空の決戦」羽切松雄著、文春文庫、2000.12.10
(2016年3月18日・記)
(amazonより)
太平洋戦争末期、南方諸島の日本軍が次々に玉砕し、本土決戦が叫ばれていた頃、海軍予備学生たちは特攻隊員として、空や海の果てに消えていった……。一特攻学徒兵吉野次郎の日記の形をとり、大空に散った彼ら若人たちの、生への執着と死の恐怖に身をもだえる真実の姿を描く。観念的イデオロギー的な従来の戦争小説にはのぞむことのできなかったリアリティを持つ問題作。
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最近読んだのに記録がない。フォルダーの整理をかねて探してみたら、見つかった。
昨年一昨年は疲れてメモする気力がなかったので、読みっぱなしの本が多い。記録しようとは思って書き始めても、書き終わってないものが10冊近くあった。これは途中まででも別のホルダーに入れておけばかすかに記憶は残るだろう。
半分は未完もひどい状態なので削除した。再読して書くことがあるかどうか。
最近読んだ気がしていたのに、日付が昨年や一昨年になっている、日が過ぎるのは早い、まさに矢の如し。
「雲の墓標は昨年読んだ。紛れて無くなる前に載せておこう。
昭和31年4月 新潮社発行
平成12年2月 69刷 新潮文庫
「永遠の0」を読んだので思い出して読んでみた。
若い頃に読んだときは、感傷的な読み方で、主人公の吉野が次第に死を肯定して特攻機に乗る、友人の藤倉は批判的でありながら、事故死をする。学府から離れた若い死に胸が詰まった記憶がある。
戦後も遠くなったといわれ、自由を謳歌できる世代が育っている今、読んでみるとまた違った感慨がある。
戦争の経過や、戦況は「永遠の0」でも少しは理解できるが、海軍予備学生は、兵学校卒には軽く見られ、命を兵器にする。
学生生活(学問)に心を残しながら、次第に感化されていく様子が痛ましい。
渦中にあればこのように、自ら命を捨てることを次第に肯定するようになるのだろう、一種のマインドコントロール状態で、敵機に向かって突っ込んで、命を捨て未来を絶つことも厭わなくなるのだろう。
こういった気持ちは、平和になった今やっと気づくものなのだろう。
人権・自由が保障されている今、放縦ともいえる生き方さえ許されている。
たまにこういう本を読むことで、改めて自分を考える時間を持つことになった。
薄い文庫だが、読むことで記憶も薄れ掛けた、戦争があった事実を振り返ってみる。
楽しみのための読書にも、こんな短い時間があってもいいと思った。
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少々堅苦しい文章なので、読むのに疲れて何度も何度も挫折しましたが、今回やっと読み終えることが出来ました。
ただの大学生だった吉野くんが、段々と考えが変わってきて、「潔く死んでもいい」みたいになるのが怖かった。
海軍生活をずっと続けていると、そんな考え方になっちゃうの?
今の時代としては、吉野くんの友達の藤倉くんの考え方の方がよっぽど共感できます。
考え方が徐々に変わってはくるんだけど、時々すごく心に響くことをいう吉野くん。
残念です。
そして、私が、この本へ何度目かの挑戦をしているとき、作者の阿川さんがお亡くなりに。
ご冥福をお祈りします。
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目的化した死が、あらゆる不安をはらいのける
サルトルは、自由が人間を縛りつけるのだと言った
だが徒競走ならば、自由もへったくれもない
きれいさっぱり清められた一本道を、おのが死めがけて突っ走る
そのように自らを律して特攻の日を迎えようとする若者たちの手記
というテイで書かれた小説
その、スマートとすら呼べるすがすがしさは
ひょっとしたら同調圧力に負けたおのれをごまかす
自己欺瞞でしかないのかもしれない
いや、しかし実のところそれは、要領よく生き延びたとして
おのれに恥じないでいられるような人間でありたくはない、がゆえに
自らの意志でつかみとった気高さ、潔癖さであると
・・・生き延びてしまった者が
そのように納得してしまうことこそ欺瞞であろう
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2016.10.28
自分は何て平和な時代に生きているのだろう。
青年が、生と死の間で葛藤する姿。
死ぬために訓練をする。自分の感情にふたをして生きなければならなかった。
雲こそわが墓標。
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2015.10記。
個人的追悼:小説家阿川弘之氏 (長いです)
小説家の阿川弘之氏がなくなった。とくに若い頃熱心に読んだ敬愛する作家のひとり。
阿川氏は自ら若き士官として務めた旧日本海軍への深い愛情を文学の下敷きにしていた。故に、戦後の文壇からは長く「反動」のレッテルを貼られ、大江健三郎に代表される「良心的」な作家と不当な形で比較されてきた。しかし一冊でも読めば、彼の作品が痛切なまでの反戦文学であることは容易に読み取れる。
海軍善玉、陸軍悪玉論は阿川氏が確立した史観であり(与那覇潤「中国化する日本」より)、最新の昭和史研究では見直しが進んでいるが、そのことと文学としての価値とはもちろん(無関係とは言えないにせよ)別個の問題だ。
「井上成美」「山本五十六」といった伝記文学、あるいは「暗い波濤」「春の城」といった戦争物の傑作群の中でもとりわけ印象深いのは「雲の墓標」。学徒動員されて特攻隊員として散っていく青年の姿をきりっとした文体で描く。士官学校でのカンニングシーンなどのたくまざるユーモアや、組織の理不尽さ、何より主人公の死を暗示させながら一切の具体的な描写がないラストシーンは強く心に残っている。
それにつけても考えるのは、戦争で亡くなった英霊に、「申し訳ない」と思うのか、「感謝」と思うのか、の違いだ。とくに若い世代が英霊、という言葉を使う場合、「英霊に感謝」という視点が大半だ(小林よしのりの「戦争論」が嚆矢だろう)。
それを決して否定したいわけではない一方、阿川氏も含めた戦争を実体験している表現者の作品に感じるのは、「自分だけ生き残って申し訳ない」という気持ちだ。この世代の人が「すぐ横で死んでいった同僚に感謝」なんて言っているのは見たことがない。
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永遠の0を読んで
戦争を扱った本を読みたくなって選んだのがこれ。
同じ特攻隊の目線で、
でも立場は違ってて予備学生の視点。
やっぱり大きな声では言えない本音が相当あったんだと改めて思った。戦争って本当に恐ろしい。
2011/9/26
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「阿川弘之」を代表する作品のひとつ『雲の墓標』を読みました。
「阿川弘之」の著作はエッセイの『エレガントな象 ―続々 葭の髄から』以来なので、約1年半振りですね。
-----story-------------
青年たちは何を想い散ったのか。
史上最悪の戦術の犠牲となった特攻兵の清廉な魂を描く。
昭和文学の金字塔。
太平洋戦争末期、南方諸島の日本軍が次々に玉砕し、本土決戦が叫ばれていた頃、海軍予備学生たちは特攻隊員として、空や海の果てに消えていった……。
一特攻学徒兵「吉野次郎」の日記の形をとり、大空に散った彼ら若人たちの、生への執着と死の恐怖に身をもだえる真実の姿を描く。
観念的イデオロギー的な従来の戦争小説にはのぞむことのできなかったリアリティを持つ問題作。
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海軍予備学生で特攻隊員の「吉野次郎」が、応召されてから特攻隊員として出撃するまで… 入隊直後の戸惑いから、徐々に海軍の雰囲気に馴染み、洗脳され、特攻隊のひとりとして出撃するまでの日記及び手紙と、同期だが、常に軍隊の考え方に疑問を持ち、反戦的な考え方を貫いた「藤倉」の手紙で構成されています。
ドラマティックな展開はなく淡々とした筆致の作品なのですが、それが逆にリアル感を醸し出していて、作品の中に引き込まれて行く感じがしましたね。
貴重な両親との面会シーンにじ~んとなったり、
辛い軍隊生活で些細なことを幸せに感じるシーンをしんみりしたり、
特攻隊員の発表で、自分の名前が呼ばれなかったことにほっとしたり、
自分が、もし同じ立場で応召されたら、「吉野」のように考え、行動したんだろうなぁ… と感じながら読み進めた感じです。
雪が徐々に降り積もるように、静かにじんわりと、そして少しずつだけど確実に感動が込み上げてくる作品でした。
さすが戦争文学の傑作と呼ばれる作品だけありますね。
戦争のことを知ることは大切だと思います。
今の時代に生きていることを幸せだと思わなきゃいけないですねぇ。
でも… 読んでいると感情移入し過ぎてしまい、気持ちが沈みがちになっちゃいましたね。
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戦争と少し離れたところに位置していた学生たちが、飛行科の予備学生として海軍に入り、終戦間際には特攻隊員に選出され散っていく。 自分の運命をどう受け入れるかと苦しみ、何としても運命を変えようと考える者、海軍教育のままに運命を受け入れる努力をする者・・・。 いづれにしても、彼らの運命の行き着く先を考えると胸が痛む。 こういう若者たちを二度と出さない世界になりますように・・・。