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誰しもが初心者である「老い」について「貧乏」と「病気」をセットにした自らの体験からの指南書、うっ、あっと思い当たる節に軽く落ち込みながらも、これも勉強と自分に言い聞かせて読了しました。歳を取ると年月時間が早くなるのは今まで生きてきた時間と相対的に時間を評価するので早く感じるが定説でしたが、ここで新説を勉強しました。歳を取ると若い頃なら退屈してしまってできない「ぼんやりする」ことが多くなり、その間に時間が過ぎてしまって時間が早く過ぎるように感じるそうです。うーん、ぼんやりしないように頑張りたいと思いますが、体力がついていかないのかも^^;;
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著者のファンでない人には、それほど面白い本ではない。
誰もが年をとることについてアマチュア。
著者はバブル崩壊で多額の借金を背負った。
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なんだかとりとめのない語りだなあと思って気乗りせずに読んでいたら、第六章「老いの貧苦」が驚きの内容。「余は如何にして貧となりしか」と題して億単位の借金を抱えることになった経緯が記されている。これだけでもすごいのだが、さらに、第七章「病気になる」では、免疫系の難病を発症し、それでもなお借金返済のために入退院を繰り返しながら働いていることが綴られていて、なんともまあ壮絶である。あるのだが、しかし、そこが橋本治であって、あっけらかんと、というか、飄々と、というか、形容に困るのだけれど独特の語り口なので、あらまあそうなの?という感じで読まされてしまう。
自分より十歳ほど年上の、いわゆる団塊の世代の方たちが、「高齢者」の仲間入りをしつつある。従来の「年寄り」という概念が崩れている今、どう年をとっていくか、参考にしたくて注目している方たちがいるのだが、著者もその一人だ。「老・病・貧・孤」という状況を抱えつつこの境地。とてもじゃないが自分には無理だけれど、どこか気持ちを楽にしてくれるのは確かだ。
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著者の橋本治さんといえば桃尻娘・・・。アラ50男子はみんな知っている・・・?
若さに軸を置いた社会の価値観と、否応なく訪れる老いとのギャップを、自身の老いの進行状態を見せ、世の中に見る老い方を観察し、『老い』あるいは、『老い方』を哲学されている。
私自身が、最近『老いる』や『残された時間』、『健康寿命』等、考える時間が増えてきているので、面白く考えさせらた。
『なるほど、この先はこんな風に考えていけば良いんだ・・・。でも俺って、まだ歳の割に若い方だから大丈夫。』ってセリフを笑い飛ばせ!
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人が老人と言われるのを嫌がるのと同じくらい中年と言われるのををいやがるのは、そうなると若さとは無関係の生き物になってしまうからではないにかと思って、それで私は、人というものは若さの後にいきなり若くないを持って来ずに、まだ若いという留保期間を置き、更にもうそんなに若くないがあって、やっともう付きの若くないを置くのではないかと思うのです。
人とはそのように往生際の悪いものであるというのではなくて、若い段階で人格形成が起こってしまうから、事の必然として自分=若いという考えが自分の中心に埋め込まれてしまうのだと思います。
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橋本さんは現代の啓蒙家で、
至ってまっとうなことを、
少し人が思いつかなかったところから
きちんと言葉で追っていくので
なかなか読みにくい、ところはあるかもしれない。
このヒトは浮ついたことを言ってるのではなく、
自分の経験にのっとって、身体で知って頭につなげているというのが
この本を読むとすっごくわかる。
こんな大変な経験、普通の人では乗りきれない。
貧乏(しかも飛び込んで行った)、
万人に一人の難病、膨大な仕事量、半端ない頭の良さ。
そういう人が、老いについて考え、発見の日々を新鮮に驚いている。
死は結局、生の側からしか考えられない。
橋本さんの新しい本が、まだ出ていることに感謝。
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全体として特に何を言っているわけでもなく、だらだらと話が続くんだけど、部分部分に注目するととても鋭い考察がある、という橋本節は健在。
好き嫌いが別れると思うけど、けっこう僕は好き。
それにしても橋本治、そんなことになっていたのか。結構壮絶だな。。。
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これは、若い女性に向かって言った言葉ではなく、老いに向かっていく自分に対しての言葉。
体は確実に老いていくのに、そして体は何度もその信号を送っているのに、脳がそれを認めない。
人間というのは幼いころから成長曲線が右肩上がりで、いざ下り始めると、新しい出来事を記憶しにくくなってしまう。
だから、若かったころの、できたときの自分の感覚で考えるから、齟齬を生じるらしい。
子どもの運動会に参加して転ぶのは、若いころにスポーツをしていたお父さんが多いのもそのせいだと聞いたことがある。
頭は若い時の感覚で指令を出すけれど、体は全然追いつかないのだそうだ。
“「自分」とは、アクのようなものだ。
アクが溜まって大人になる。大人になるということは、そのように「自分」が蓄積していくことで、「自分」が溜まってしまうと、そう簡単に身動きが出来なくなる。体が重くなるし、思考もまた重くなる。”
“年寄りは意図的にならなければならない。一々脳の指示を仰がなければヘマを仕出かしがちになる。だから動きがノタノタと遅くなる。”
若いころは反射神経でいけたことが、年を取ると脳の判断を仰ぎながらじゃないとできない。
あれ?それって、なんかちょっとかっこよくない?
だって、脳が働いているってことだよ。
記憶力が衰えるっていうのは、付箋紙の接着力が劣化するのと同じことだと橋本治は言う。
劣化していることを意識して、きちんと貼ればいいのだと。
それを、今までどおりにテキトーにペタッと貼っつけるから、付箋紙はひら~っとはがれてどこかに落ちてしまうのだと。
「栄耀(えよう)に餅の皮を剥く」という言葉をこの本で知りました。
金持ちは表面が固くなった餅の皮を剥いて、中の柔らかいところだけを食べる。
だけど古くからの金持ちなら、餅の皮なんか剥かずに「新しく餅を搗け」と命令すればいい。
急に豊かになって働く必要がなくなり、暇を持て余した結果、「することもないから餅の皮でも剥いとくか」となったのでは?と橋本治は考察します。
そして、「古くなったお肌の角質を剥いて若返らせる」美容整形のピーリングは、まさに「栄耀に餅の皮を剥く」行為だと、毒を吐く。
格好いいなあ。
潤沢な知識をもって毒を吐く年寄り。うっとり。
橋本治の語る老いについて、思い当るところは多々あって。
だけど老いへの道は片道切符。
泣いても笑っても、誰もが老いていくのだから、できればまあ、笑いながら老いていければいいなあと思います。
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読売新聞朝刊「現代版・金色夜叉」、楽しく毎朝読んでます。橋本治さん、ひとつ先輩です。「いつまでも若いと思うなよ」(2015.10)、はい、心します!客観的に自分を観察し、そして、時には主観的に浪漫も抱きたいと思ってます(爆)
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橋本治自身が体感した生老病(死)+貧をよりどころにしたエッセイ。傍で聞いていると何億もの借金やら難病やら壮絶なのだけれど、当の著者は「そんなものかな」と平熱で「なるほどなるほど」と加齢にともなうあれこれを是々非々で受け止めているのが、らしいといえばらしい。それぐらい達観していてもなおみずからの老いを素直にみとめるのは簡単じゃないようで、そのへんの自己観察がおもしろかった。古代〜平家物語の時代のご長寿の分析もおもしろかった。
言っても詮無いことだけれど、もっと生きて、世の有象無象を分析&説明しまくってほしかったなぁと思わずにはいられない。
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始めにいきなり「老いとはまず他人事である」との命題が提示されるが、結局これが老いとは何か?に答える究極の結論なんだと気付いた。
自分は昔から老けているので、実年齢が上がるとそれに応じて見た目の年齢と近づいて行くから歳を取るのは嬉しかったりする。それでも『老人』という響きにはやっぱり抵抗がある。それはどこまでも他人事なのだ。
しかしこういう老いと死に関するテーマを著者の死後に読むのは複雑だ。読みながらつい余計な事を考えてしまう。
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橋本治流の「老いのリアル」についての報告と考察です。
著者は以前『橋本治の思考論理学―考えるワシ』(マドラ出版)で「ハゲ」についての思索を展開しており、そこでは著者の「中年」論をうかがうことができましたが、本書はそれにつづく「老人」論というべき内容です。
著者がバブル期に多額の借金を抱え込むことになり、その後仕事に追われつづけてきたということは、あちこちで書かれていますが、本書でもその経緯が振り替えられるとともに、その後難病に罹患し、老いに向きあわなければならなくなったこと、そのなかではじめて気づいたことなどが綴られています。
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P32
私は、現代離れのした人間なので
私の考え方もおかしいのだが、
それは時代が違っているだけで
ものの考え方としては
別におかしくなんかないと思っている
P33
経験を重ねないと自信は生まれなくて、
自分で自信が持てるようにならなければ
経験を積んだということにはならない
P42
社会が年齢を規定する
P86
私が貧乏になったのは目の前にあった
「貧乏にあんるか」と
「貧乏になるから逃げるか」という
選択肢の内から
「貧乏になる」を選択した結果だ。
自分で選択したのだから
「貧乏を嘆く」もへったくれもない。
「クッソー、本当に貧乏になりやがった」
と思うだけだ
P92
貧乏は正しい!
P92
「別にもうほしい物はない」
P95
この先は”金を使う”じゃなくて
”金を使うことに振り回される”
になるな
P96
日本人がテレビを知ったのは
戦後のことだ。
もっと前にはラジオもない。
新聞もない。
家の外から刺激となるものが
家の中に直接やってくることは
まずない中で日本人は生きていた
P97
年寄りのあり方は
昔に倣えばいい
P97
年寄りというものは
社会と距離を置いて存在するもの
P98
権限を新しい世代に譲るのだから
隠居が地味に暮らすのは当たり前だ
P130
人間にとって「物を考える」というのは
「不安になる要素を探し出す」ということだ
P131
「困ったこと」は起こるかもしれない。
それが「明日」かどうかは
分からない。
起こるかもしれないけれど
いつ起こるか分からない先のことで
毎日「今日やること」を続けていれば
その先で「困ったこと」が
起こったとしても、
それを乗り超える力や方法が
見つかるかも知れない。
だから「万一もあるかもしれないな」と
覚悟を決めておいて
「今日やるべきこと」をやっておけばいい ※
P134
「大丈夫だ」と思っていれば
結構大丈夫だ
P156
流れに逆らったって
ロクなことはない
P154
「気に障ること」や
「イライラすること」を
極力排除する。理由は
「そんなものと接触したら体に悪い」から。
だから病気から脱出しようと考えることも
体に悪い
P157
老いというのは
「年を取った」と言って
完結するものではなくて、
死という最終のエンドマークに
向かって年を取り続けて行くことだ
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老いについて、著者の経験を交えながらいろいろ考えた本。どこか他人事というか、楽観的な部分も大いにあったように思う。
若い→まだ若い→もうそんなに若くない→若くない→老人、という五段階変化は納得。物忘れが多くなるのは、脳がいっぱいになってきて、覚える気もなくなってくるからというのもなんとなく納得。そして、皆んな、自分の老いに対してはアマチュアだということも。きっと、いろいろ思い悩みながら、徐々に受け入れ、老いに慣れていくしかないのだと。人生ってそんなもの。でも年を取るのは皆んな同じで、老いを経験した諸先輩方はたくさんいると思えば、老いるのはそんなに恐いこともありませんね。とりあえず、いまは健康でいることに感謝して、日々一生懸命生きたいと思います。
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萩原魚雷の本で紹介されていたもの。
本書の中でも本人が書いていたが、色々なところで著書や本人のことが紹介されているらしい。
確かに読んだことはなかったけど、橋本治という名前は何度も聞いたことがあった。
「老い」というものの受け入れ、どのように自覚するかといった考え方が納得のいく部分があった。
『老いながら、「自分の老い」を発見し続けるのですから、誰もが「自分の老い」の前ではアマチュアなのです。』
『つまり、分かったようなことを言っても、自分の老いの形はそんなによく分からないということです。』
自身の変化って確かに人に指摘されて初めて気が付くことが多い。ネガティブにとらえられがちな「老い」に関してはなおさらである。
「中年」という言葉もポジティブな響きはあまりない。ただ、若者にはない経験値を携えたものという意味合いを含ませることができれば、決して「中年」はネガティブではないはず、と自分にしみわたらせることにした。
本書の最後あたりの猫の死に方、人間の死に方といった部分は考察が鋭くて、表現が上手だなあと感じた。
部分的に感じたことはたくさんあっても、それをいざ言葉にして表現するのが難しい。それをしてくれると、「そう、そう!」ととても共感できる。
「考えるのは無駄だよ」と言われながらも、「生」のほうからの「死」をこれからも意識して生きていくんだろう。