紙の本
政治家だったほうがまだよかった
2005/01/02 03:39
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投稿者:ちょも - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕がナベツネの存在を意識するようにのは巨人軍のオーナーになっていろんな発言をするようになってからなのでそれ以前の政治部記者から讀賣のトップに上り詰める過程をまったく知らなかった(名前はもしかしたら大相撲横審がらみでその前から聞いたことが合ったかもしれないが自信はない)。なので若い頃の政治記者という枠を飛び越え、政権中枢でも確固たる地位を気づくまでの流れを読んで身震いがしてくる。
彼がもし政治家となり大臣にでも総理大臣にでもなっていたほうがいくらかましだったようにさえ思える。こう書くと“何をいっているんだ、あんな傲慢で高慢ちきな親父に政治権力を握らせれば何をするか判ったものではない”と反論する人もいるだろう。しかし政治家であれば批評の対象になりえるし世論の声を結集すればその地位をおびえさせることも可能だ。しかしナベツネの場合、政治家ではないが実質的な政治権力を握っており、しかも発行部数一千万部、大マスコミのトップであり本来であればその地位をおびえさせることも可能であるはずの世論の声さえも操作できる地位にある。この本のタイトルにある“メディアと権力”この両方を握りしかもこの力を己の望みどおりの社会にするために世間の批判をものともせず行使し続ける。こんな扱いにくい人物はいない。
しかもこれだけの力を持ってしまうと周りの人間がナベツネの望むこと望まないことをどんどん先回りし自主規制してしまう。文庫版巻末に収録された魚住氏と玉木正之氏の対談で触れられいたが、中央公論を傘下におさめた際、ナベツネ批判を含んだエッセーを文庫収録時に削除しようとした話などはその典型。ナベツネ本人にしてみればエッセーで批判を受けようとも痛くも痒くもなかったかもしれないが周りにいる人間が保身のために先走ってしまう。
一方、これだけの権力を握った人間にとって巨人軍は“発行部数一千万部”を維持し、日本テレビの視聴率を取るための広告塔でしかない。そういう彼が“たかが選手”と発言するのもある意味で無理はないことだった。昨年の再編騒動では結局彼の思う通りにならないまま、裏金問題もあってプロ野球界の第一線から退くことになったが彼にとって見れば“たかがプロ野球”に貴重な自分の時間を割かれずにすんでせいせいしているのかもしれない。
本書エピローグに触れられている押し紙に対する販売店の発言でも明らかなように“一千万部”と“発行部数世界一”を維持することは讀賣新聞の至上命題だ。しかし書籍と同様今後永久に再販指定制度が維持されるとも思えない。自由価格になった際、軍団とも呼ばれる”拡張団”を使って讀賣は他紙を圧倒するかもしれない。しかし、それはおそらくチキンレースで新聞専売所と拡張団の後始末はいずれ各新聞社の大きな負担になろうかと思う。ナベツネがいる限り、チキンレースでブレーキをかけるタイミングを最期まで逃してしまうのは讀賣だろう。ナベツネ引退後ブレーキをかけ損ねた讀賣の後始末を託される人のことを思うとご愁傷様というしかない。
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ナベツネって何もの?という疑問に完ぺきに答えてくれる一冊。大物政治記者は記者の範疇を超えて、如何にフィクサーになったのか。精緻な取材に驚かされる。書かれた方は怒りはするけど、裁判に訴えたりは出来ない、それくらい取材がしっかりしている。人物評伝系のノンフィクションでは出色の出来。
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渡邉恒雄への見方が変わる。究極のマキャベリズムには感嘆するが、やはりわたしはこの人を好きにはなれそうにない。
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渡邉さんはプロ野球再編問題とかでヒール的存在ですが
この本は渡邉さんがどうやって読売新聞 さらにはメディア界のドンになったかを自伝的に書いた本。
すごいリアルに書いてあります。
なんで世間的にはヒールの渡邉さんが 読売新聞でトップになれたのか さらに中曽根元首相・小泉総理・安部官房長官等の政治界とのつながりをもったのかがわかる本です。
戦後 天皇制を否定し 共産党に入党
その後いくたびの権力闘争を勝ち抜いていった様子がよくわかりました。
それだけじゃなくって 読売新聞が抱える問題も書いてあるので結構面白いです。
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読売新聞は、朝日、産経などの後塵を拝していたが、読者1,000万部を超える世界一の発行部数誇る巨大な新聞社をどうして作り上げることが出来たのか?
巨人軍はいつから凋落していったのだろうか?それは何故なのか?
東大在学中に共産党に入党、イデオロギーや権力争いに嫌気をさし脱党、新聞社に入り、今度はメディアの”権力”の座を目指す。
大野伴睦元副総裁の番記者(書生のような)となり政治にのめり込む。田中角栄を知り、中曽根元総理を担ぎ出して行く。
新聞社は社会部があってこその命として発展してきた読売のハズが、大阪読売の黒田軍団を壊滅していく。今TVなどで活躍する太谷昭宏氏は黒田軍団のエースとして、ジャーナリストとして社会をの断面を切り取って行く。また、新聞協会の会長として「個人情報保護法」には反対姿勢を見せながら、修正法案には賛成する。読売のジャーナリズムとは何か?
僕は読売を購読していたのだが、憲法改正論議の論陣を張るようになってから購読するのを止めた。メディアが改憲を誘導していいのか?素朴な疑問が湧く。ジャーナリストとしての良心はどこへ行ったのか?
ジャーナリズム、ジャーナリストとは何なのか?深く考えさせられた一冊だった。
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ナベツネがマキャベリズムの申し子であることがわかった。
一読すると恐ろしい人物であることに気づくが、実は昭和に彼は不可欠であったのかもしれない。
ネガティブな意味でもポジティブな意味でも彼について考えることは、メディア、そして日本の政治を考える上で重要であると感じた。
余談だが個人的にはマキャベリズムは好きではない。
だがなれ合いだけで終わるのはもっと嫌い。
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2010/12/25読了:
最後の佐野眞一の解説。『これはすさまじいまでの恫喝と籠絡の履歴書である。』これが今も続いている。
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素晴らしい。著者の努力に大拍手。まだまだこういう本が、ちゃんと出版されていることにホッとさせられます。年老いても権力や金に執着し続ける政治家が多いことに常々感心しているのだけど、権力を持ち、他人を思うがままにコントロールすることって、麻薬のような中毒性があるんでしょうね。巻末の対談もおもしろい。団塊の世代って、やっぱり信じられない。これからも老害をまき散らすんだろうな。
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渡邊恒雄は現在巨人軍の人事問題及び清武元GMとの確執裁判で話題の人物。
スポーツ好きにはジャイアンツ有利にプロ野球界を扇動する悪しき象徴。
ジャイアンツファンにとっては必要悪的な存在。
その傲慢な発言と読売新聞のトップで各界への多大なる影響力の持ち主として何か不気味な存在として映っているだろう。
しかし、実際にどれだけの人がこの人物のことを把握しているだろう?
8歳で父親を亡くし、学生時代にエリート的挫折を味わい、反逆児的な気性の激しさを持ちつつも成長し、大学に入ってからは共産党員として活動。
しかしそこでも追い出される挫折を味わい、その劣等感と攻撃性は彼を運命的な方向へと導いて行く。
当時2流の新聞社、読売新聞にしか就職できなかったことが、運命のいたずらだったのかもしれない。
社会部が幅を利かせていた時代にまずは読売ウィークリーの記者からスタートし、政治部に異動してからは出世街道を切り開くどころか、とんでもないキャリアを積むことになる。
大野伴睦(後の副総理)の番記者となり、自民党政治に思い切り食い込み、韓国国交正常化に一役買い、その影響で各新聞社の政治部記者を牛耳り、ついでは親交のあった中曽根康雄を総理にまで導くキーマンとして活躍。
途中出版社経営にも首を突っ込み、あえなく失敗しているからいかに働いていたかが伺われる。
その他読売新聞社の現在の本社がある土地の払い下げを当時の政府から読売にまわすよう交渉したり、大物右翼児玉誉志雄と関係を持ち、政治の裏舞台を仕切ったり、そしてロッキード事件でも彼の名前は取沙汰された。
つまり、大物中の大物なのだ。
日本の近代昭和史の黒幕と言っても過言ではない。
途中ワシントン支局長として3年半アメリカで暮らしているが、そこではいない間でも出世コースから外れないよう昼夜時差関係なく日本とも連絡を取りながら働いたようだ。
その結果、アメリカでスポーツと触れた形跡はほとんどない。
野球で言えば、セカンドとショートの違いもおぼつかないようだし、ルールもとんちんかんのようなだ。
江川の空白の一日事件でも仲介役として登場し、阪神にトレードされる小林氏を説得しに登場したが、顔さえわからず、途中まで後見人を一生懸命説得していたようだ。
こんな人生を送ってきた「巨魁」が、まともに球団経営に興味を持つはずがない。
彼は現在裸の王様といえるかもしれないが、その圧倒的な権力で周りを怯ませて行くその迫力は健在だ。
それはスポーツのもたらすものと相反するものだ。
その究極の例が、Jリーグに彼の論理が勝てなかったことだろう。
別リーグという脅しがJリーグには通用しない。
何故なら世界的な規模の権力者、FIFAがその先の道につながって存在しているから。
ワールドカップという世界の祭典がその先にはあるのだ。
したがってそのグローバルな大規模な大会、夢、目標は、読売新聞と自分の地位を守る保身では崩せない牙城なのだ。
しかし一方で日本の政治の裏フィクサーをしていた、巨大メディアのトップに地域密着やら球蹴りの興奮を理解してもらうのは苦しいだろう。
スポーツファンはその部分を理解して、彼の言動を見て行くと妙に納得するだろう。
この人物像を理解する上で、すばらしい一冊
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胸糞悪いとは、この事か。さしてナベツネの事も知らず、なぜこの人間が悪く言われるのか良く分からなかったけれども、納得した。内容の真偽はともかく、後半にある著書の対談が興味深い。
確かに言う通り、左翼から転換した団塊の世代(とバブル世代の一部)が、日本で最もロクでもない人間だと思う。彼がNietzscheの読者であったという事実はにわかに信じ難い。
しかし、エリート意識の塊という指摘を読んで、納得した。小物なのだ、という指摘も。
「権力への意志」に取りつかれないように鍛錬する事が、重要である。
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大手メディアに幻想抱くようなことは無くなる。特に読売社会部の放逐劇を見ていると、政治中枢に喰いこもうとしている渡部氏の野望によってホトホトマスコミというものが嫌になる、そんな本ですね。一方で、権力者たちの実際の権力闘争と敵対する勢力の追い落とし方、誰がどのような立場を誇示し情報がどのようなルートで流れるのかまでをも徹底的に調べ上げる。一種の「恐怖、猜疑、嫉妬、打算、そして憎悪…。」(佐野真「あとがき」)あるいは「戦後の日本人で渡邊恒雄氏ほどマキャベリズムを理解し、忠実に実践してきたものはない」(同上)人物をノンフィクション化したものが本書だろう。
ACTAの報道が無風状態な事もマスコミがメディア情報をネット情報者に先取りされたくないからではという指摘にもある通り、権力から独立したメディアの役割をマスコミ自らが放棄しているからではないだろうか?社会正義を標榜しながらも政治家と同様の私利私欲によって、それを放棄した瞬間でもある。
ナベツネ流に限らないが、権力者たちの怖さは、権力闘争の末に、彼になり変わって検閲する者や追い落とそうとする機構と化してしまうミニ・ナベツネの存在である。そうならないためには、集団の力ではなく、その力を理解した個人の登場が求められるのではないか、とも思うのですが。
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渡邉恒雄が生まれてから読売新聞社長の座を手に入れるまでの恐ろしいまでの権力闘争やそれに至る生い立ちを、極めて詳細な取材をもとに紐解いていく本。
どんな組織でも、それが社会に対して持っている影響力の大小に関わらず、権力闘争・派閥争いはあるものだが、読売新聞のような大手メディアでのものが社会に与える影響の大きさに愕然とする。
また、権力闘争を勝ち抜いた渡邉恒雄個人が社内はもちろん、国家に与える悪い意味での影響の大きさは想像を遥かに越えた醜悪なもの。
メディアとはそのようなものと言ってしまえばそのとおりかもしれないが、では健全さを前提としてメディアに与えられているさまざまな権利と、それに基づく権力・権威はどう解釈すれば良いのか。
国民の権利を守るためには国家権力の行使を監視する機能がどうしても必要になるが、その一端を担うのがメディアである限りは、何らかの特別な権力をメディアに与える必要があるだろうが、その資格を現状で保有しているとは考えづらい。
だからといって、現在進められているような、大衆が直接政治・行政に関与していく手法を大幅に拡大していくようなことは、国家の自殺行為であり、最終的にはアナーキズムに繋がってしまう。
やはり現状においては、メディアに対する優遇は残したうえで、この本のような検証を随時進め、それを国民・国家が常に関心を持っておくことが最後に残された道なのだろう。
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魚住昭は度胸があるよね。さすがだ。数少ない真のジャーナリストだよ。
それにしても、ナベツネはムカつく。
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戦後昭和の裏面史とも読める。
かなり重なる時代を生きてきた自分は面白かったが、解説にもあるように、後味の悪が残るのは否めない。
ナベツネよりはだいぶ若い私だが、何故これほどまでに、ナベツネが揶揄されるのか、正直分からなかったが本書を読んで理解できた。
恐ろしいまでの権力欲。そして、 品性の下劣さ。ただ、ここまで徹底してると見事だし、仕事そのものに対する姿勢には頭が下がる。
でもやはりどこか違うし、間違えている。
讀賣のトップに登り詰めてからの、回りの人間のナベツネに対する気の使い方は、どこの会社にもあることだが、周囲の人はそもそもジャーナリストとしての良心はどこに置いてきてしまったのか。
子供の頃にジャーナリストに憧れたこともあったが、所詮はサラリーマンなのね。
讀賣は、サッカーに対する姿勢や、野球での巨人のやりたい放題、また、右傾化が顕著になった頃から購読するのをやめてしまったが、裏では、こういうことだったのねと、妙に納得してしまった。
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ナベツネこと渡辺恒雄は学生時代は日本共産党の東大細胞で活躍、そこで修得した権力闘争の方法論を読売新聞社で行い成功したという。共産党が武闘行動に走った頃には宮本顕治とも出会っており、宮本の出席している会議の中で東大の後輩に裏切られる形で共産党脱退。28年後には読売政治部長として宮本と党首対談で対面したという。読売では氏家斉一郎(日本テレビ会長)と二人三脚で人脈づくり<派閥活動>に励み、絶大な権力を誇った社会部の帝国主義と闘い、政治部の中でも反渡辺派を破って行く。その権力闘争の凄まじさに驚きです。政治部記者時代は大野伴睦の絶大な信頼を勝ち得て、大野派の議員をも支配してしまう恐ろしさ。もはやジャーナリストというより、政治家の領域です。鳩山一郎、河野一郎、中曽根康晴らの有力政治家たちとの親しい交友も得て、今のナベツネの権勢に繋がっていったことが良く分かります。そして読売の権力者・務台光雄および実質的なオーナー正力松太郎の娘婿・小林與三次の2人の懐に飛び込んでライバルを蹴落として行く課程はあまりにも醜悪な描写で恐ろしいほどでした。読売新聞が佐藤栄作政権と対決していたことは初めて知りました。今の読売の姿勢からは考えられないように思いますが、これもナベツネが権力を握ってからだそうです。良識的だったという大阪読売新聞の幹部を失脚させ、渡辺イズムを浸透させていく過程も迫力があります。そして江川問題におけるナベツネの役割(意外にも首謀者ではなく、単に当日朝に相談を受けただけの濡れ衣に近い状態)も今更ながら新鮮に読めました。巨人とプロ野球の将来についても最後の玉木正之氏と魚住氏の対談で詳しく、近鉄・オリックス合併問題が起こっている今、正にタイムリーな読み物になりました。カントに憧れ、マルクスにかぶれた文学青年の現在への変貌ぶりに驚きますが、特異な人間性は共通しているのかも知れません。