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今日のユーザーインターフェースを語るには必読の書。デザイナではない人にこそ読んでほしいと感じました。
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モノが全てITに接続されて現実世界が広がり続ける時代において、これから本当に必要とされてくるデザインとは何なのか?ということを生体心理学や自身の研究と絡めて論じている良著。
本著をきっかけに、ユーザーがわざわざ使っていることを感じさせない、いわゆる「自己帰属感」が存在するUIを作り、便利で快適な体験が与えられるモノを作っていきたいと思うようになった。
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少し未来のインターフェースデザインを考えるヒントとして読んだ。自己帰属感〜自己拡張としてのインターフェース、人の理解と行動を介さずに情報とモノが直接繋がった道具、人の空き時間や活動を起点としたインタラクションなど。深澤直人「デザインの輪郭」を併せて読むことで理解が深まった。
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■ 紹介
https://note.mu/matchyy/n/ne727e1765481
■ 考察
https://note.mu/matchyy/n/naf12e55335a1
(以下抜粋)
○メタファとは、比喩、あるいは見立てることであり、今日のパソコンで言えば、起動して表示される画面を「デスクトップ」と呼び、データを「ファイル」という単位で表現し、「フォルダ」でそれぞれを管理し、不要になったら「ゴミ箱」に入れるというようなことだ。(P.20)
○重要なことは、この万能性を一般の人々にそのまま提供しても、「何でもできます」では何も提供していないこととおなじであるということだ。したがって、この万能性を適切に見立てて定義したり、適切な体験を与えられるようにし、その役割を設計(デザイン)する人が、コンピュータの普及とともに必要になったわけである。(P.23)
○メタファが、メタメディアの拡大に伴い、メタメディアの性質を活かすうえで制約となりかねないのだ。(P.31)
○原因と結果が直接的な関係になることをひとつの目標とすることになった。たとえばハンマーのように、手に持つとそれ自体を意識せずに、釘を打つこと(対象)に集中できるようになるようなあり方を理想であると考えるようになった。これを「道具の透明性」という。(P.44)
○ハンマーであれば釘を打つことができ、それは手では到底できない。このように、人の力を拡張する、にもかかわらず実際に利用し始めるとそれ自体を意識しなくなるのだから、いわば何も持ってないのと同じ、つまり自分の身体と同じような感覚でその力を利用できるのである。したがって、道具の「利用」においては、極端に言えば道具は物質でなくなる。質量がゼロになるとも言える。不思議な言い方かもしれない。しかし、自分の手は質量があるかもしれないが、自分の手の重さを自分では知覚できないだろう。これと同じように、道具が透明化するということは「自分の身体と同じような状態」になるのである。そしてこの意味において、道具は「身体の拡張」と呼ばれる。(P.48)
○深澤氏のデザインの特徴をシンプルに言い表すと、「人の無意識に注目したデザイン」である。人がモノや環境と接するときに「無意識に接している行為がある」ことに着目し、そこからデザインを起こすのだ。(P.54)
○経験価値とはデザインによって人間が知らなかったことを体験させるのではなく、知っていたことを気付かせることである。(P.56)※引用の引用
○アフォーダンスは人間が知っているのに気づいていない、あるいは知っていたはずのことを知らなかったという事実を暴露したのだ。(P.59)※引用の引用
○アフォーダンスの研究、いやギブソンの興味はその既知をアートとして表現するのではなく人間と環境の関係性を機能として解明し、実証する方向に向いたのではないかと思えてならない。(P.59)※引用の引用
○人や動物が「可能」を知覚し、また行為へつながる。良い道具は、特にこの可能の知覚が優れいている。そして、環境と接続する知覚と行為は途切れることなく循環している。それが、「体験」の正体であると思う。この一連のプロセスの理解が、「インタラクション設計」の本質的な部分だ。(P.63���
○「知覚と行為のズレがこういった感触をもたらすのである」という言い方だた。(P.84)
○この「狙った通り」というのは、言い換えれば「制御できている」ということだ。自分の手足はいつもどうだろうか。制御できていると思っているのではないだろうか。しかし逆ではないだろうか。つまり制御できているからこそ、「自分の」手足ではないか、ということだ。(P.91)
○しかし、わかるのである。30個ものダミーカーソルがあるにもかかわらず、どういうわけか、ほぼすぐにと言っていいほど自分のカーソルが特定できるのだ。(P.96)
○「体験の設計」という、体験というマクロで曖昧な表現を「自己感」というキーワードと結び付けて考えることができるようになる。さらに、その自己感の発生には境界条件があり、そこが設計のポイントとなってくることがわかる。つまり、極端に言えば、自己感があれば良いユーザインターフェイスなり、インタラクションで、自己感がなければ悪いユーザインターフェイス、インタラクションである。(P.104-105)
○しかし自己帰属感は、拡張しながらも常に「自己」の方向を向きながら設計を考える。人間(私/あなた)が主役であることを前提にするならば、自己帰属感は感覚の設計論でもあるし、体験の設計論でもあし、ヒューマンインターフェイスの本質を突いた設計のポイントにもなる。しかも、マルチダミーカーソル実験からも、帰属する/しないの境界条件も見えつつある。そのうえ、自己帰属は気持ち良いのである。ヒューマンインターフェイスは基本的に問題解決の効率の良さを中心に評価されてきたが、これからはその一体感、一体性についても、設計の評価ポイントになるのだ。(P.110)
○iPhoneでパソコンのカーソル並に身体の動きに連動している部分は何かということだ。それは「画面全体」である。(P.113)
○iPhoneのジェスチャは、その多くがオペレーションジェスチャを採用している。かつ、グラフィックと指の動きが連動するようにされている。だから、ひとつひとつの操作でも自己帰属感が生まれる。(P.117)
○「動き」というものは、自己帰属する動き、他者を感じる動き、物理現象の動きの3つとして分類できるかもしれない。この3つの中で体験に直接的なのが自己に帰属した動きなのであるが、この動きは物理現象の動きともインタラクトするし、他社の動きともインタラクトする。(P.120)
○自己帰属感の上の表現を「自己帰属感の余韻表現」と呼んでいる。先ほど3つの動きの種類を紹介したが、これらをうまく組み合わせることで、気持ちよさの新しいレベルを設計できるのではないかと期待している。たとえば、自己帰属感+慣性表現のような物理現象に基づく動きという組み合わせで、うまくボールを投げるかのような体験を可能にするのではないかと考えている。(P.122)
○知覚と行為が循環していることを「知覚行為循環」と呼んでいる。知覚行為循環とは「私たちは動くために知覚するが、知覚するためにはまた、動かなければならない」ということだ。知覚と行為は分けられず循環しているということだ。私たちは、知覚を「入力」、行為を「出力」のように分けて考えてしまいがちだが、これは認知心理学採用した、人間をコンピュータのように情報を処理す��ような「情報処理モデル」に例えたことに由来している。わかりやすいモデルではあるが、実際は入力/出力という向きがあるというよりは「同時に発生している
という理解が重要だ。(P.125)
○インターフェースは「人間の暗黙知を形式知に変換する」役割を持っている。(P.157)
○自分が設計したり開発したものを利用している最中以外、プレユーザーである状態に何かできることや意義がないかを探ることは、製品やサービスの価値を最大化をするうえでも大切だ。(P.179)
○乱暴な言い方をすれば何をやっても新しいし、何でもやらなければならない。やらなければその可能性すらわからないのだ。(P.232)
○プログラミングを通じて、アイデアは「話す」のでもなく「見せる」のでもなく、「動かして体験として共有する」ことができるようになる。体験という連続的で身体的な現象を伝えるには、プログラミングによる表現は非常に強力なのだ。(P.232)
○デザイン思考の考案者でもあるティム・ブラウンは、「デザインをデザイナーに任せておくには重要すぎる」と言ったそうだが、同様にプログラミングをプログラマーに任せておくには重要すぎるとも思うのだ。プログラミングほど高い表現力を持つ手段を一部の人だけのものにしておくのはもったいない。理系や文系の枠を超えて、プログラミングによって日常的にメタメディアの可能性を検証し、実際に利用してく時期に入っているのだ。(P.233)
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タイトルに惹かれて購入したが、内容は非常に面白い。
iPhoneのUIがなぜ素晴らしいか、GUIの設計がまるで融けるかのようにヌルっと動いており
この体験こそ、自己帰属感という感覚に基づいてるという。
少し自分が門外漢で浅いので、レビューにも深みはないが
デザイン工学は必要な分野であり、技術が進み、人に近いきめ細やかさが
出せるようになっている以上、この本に書かれていることを咀嚼する必要があると思う。
3回は読む予定。非常に面白い。
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「透明性」と「自己帰属感」って概念を知れてよかった。
これらは開発に携わる人ならば、エンジニアやデザイナー、ディレクターなど知っておきたい概念だろうな、と。
以下、それらの概念についての説明。
透明性 = 道具を意識しないで利用できること。
例)トンカチを利用することで釘を打つことができる。つまり、人の力を拡張している。しかし使い始めると、自分の手の一部かのような意識となる。
自己帰属感=この体はまさに自分のものある、という感覚のこと。
マウスカーソルや、とんかち、鉛筆などには自己帰属感を感じやすい。そして自己帰属感は気持ちのいいものである。
スマートフォンが出た時、iPhoneだけが自己帰属感の設計が非常に優れていた。iPhoneの真似をしたスマートフォンは「自己帰属感」ではなく表面的な真似しかされていなかった。
そしてその自己帰属感はどうしたら感じられるかについて、この本で詳しく解説されています。
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テクノロジーの利用により、より柔軟なUIの実現が可能となってきている。
一方で、スキューモフィズムからフラットデザインに転換されてきていることから、ユーザーは日々利用するアプリやサービスでは、シンプルでわかりやすいデザインを望むのかもしれない
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iOS7の「フラットデザイン」への変化は、ユーザーが思っている以上にUIとして新しい境地に入っていたことを知り鳥肌が立った。メタファは、ユーザーとメタメディアとの橋渡し的な役割を担っていたが、それは逆に現実世界上のモノを仮表現しているにすぎず、自ら現実世界に合わせて限界を作っていたという見方には「たしかに」と思った。そうなると、フラットデザインのそのまた先が気になってきた。
個人的にMicrosoftのKinectで、人は何をもってゲーム上のモノを知覚し操作しているのかが謎だったが、この本を通して理解できた。「投げたボールはどこまで身体か?」という事例から(これが最高に面白い)、自己帰属感の重要性が説得力をもって語られている。これはモノづくりをする側にとっで普遍的なテーマで、何をデザインするにおいても参考になると思う。
第4章では、「インターネットがここまで便利だと、もう開発することなくない?」と慢心していたところにグーパンチをくらわされた気分。結局人間主体で行動している時点でまだ"負け"で、ゴールはもっと先にあった。
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インターフェースについて。前々から少し興味はあったが、アマチュアすぎてどれに手を出せばいいのか途方にくれていたところこの本を知った。自分にはちょっと難しかったが、iPhoneはなぜ優れた設計になっているのかなど言語化できていなかったことが、解消できた部分もあった気がする。
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Macの設計には心理学者が関わっていた。
そうか!私と同じように知覚や認知心理を学んだ人の活躍の場が、テクノロジーやデザインのフィールドにあったのだ。
道具を使っていると利用者に感じさせない没入感は、UIやUXを考える際に大事な部分だと思う。例えばサクサクやヌルヌルといったデバイスの動きも、その一部である。
今の時代、対象が「物、情報」等と区別せず、トータルで体験世界を自由に設計するぞ!と言うのが融けるデザインの本質だと感じた。
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デバイスを活用するようなサービスのデザインに携わる者として、色々な気づきが得られた書籍だった。ノウハウというよりも、デザインにおける哲学を学ぶことができる一冊。
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UI/UXについて、非常に鋭い考察が重ねられた読み応えのある一冊。IoTであるとか、主に情報通信技術におけるインターフェイスデザインの話だが、そういう職種に携わっているわけではない私のような人間にも、モノやサービス、あるいは社会やこれからの時代との関わり方に非常に重要な示唆を与えてくれる良著である。要するにインターフェイスというのは何もインターネットデバイス関連だけの話ではなく、私たちの暮らしのあらゆる面で何かを考えるときに意味を持つ視点なのだと思う。
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UXデザインの本質を考える上で、大きな示唆を得られた
「透明性」「自己帰属感」という2つの概念を知ることができ、あらゆるデザインへの見方が大きく変わったと思う。
Appleが提唱するFluid Interfaceへの理解も深まる。
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「タイパ重視」という考え方や「動画や音楽の再生は倍速で行なう」こともよく聞かれる昨今。本書が書かれた当時よりもインターネット上の情報量が増加しているだろうし、もはや人の頭で情報を取捨選択・咀嚼するのも容易でない。時間がかかるものは私自身も敬遠しちゃうのは理解しており、いかに普段の生活の流れを止めず、かつ情報を意識させずに、自己帰属感のあるよい体験ができるか。デザインを考える上で今後、より意識していきたい。
あと、本文中の「アナログがいい」という記載を見てふと思ったこと。技術書を読むのに一時期、電子書籍アプリを使っていたことがあったが、なかなか読み進められないし読んでもあまり頭に入ってこないなぁ…と思っていた。こうイマイチ…と思うのは、「本を自分でめくって読み進めている」という感覚、つまり自己帰属感がないからなのかも、と腹落ちした感じ。次のページへ移る際に「ページをめくる」アニメーションが入ったりするけど、結局タッチパネルを触ることからは逃れられないし、「本を読む」体験として自分には合っていなかったのだと思う(ダークモード表示なのも良くなかったのかもしれない)。