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これも自己探求がテーマ。漂白の魂ってサブタイトルがついてます。自分の人生これでいいの?って疑問もつ人なら読むべし。
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現実を超えることを模索していた時期に出会ったので、忘れられない作品の一つ。ヘッセの後期作品は全てそうです。
最後にでてくる神さまとの対話がいい。
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クヌルプの自由な放浪生活と人柄に憧れます。
その代償も書かれていますが、どんな人生にも代償はあると思う。
個人的に好きな本。
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クヌルプと3つのエピソード。
終わり方がとってもまぶしい。雪が光をうけてキラキラ、目に浮かぶようだ。
生きやすいって、なんだろう。
「それで何もかもいいんだね?何もかもあるべきとおりなのだね?」
09.02.14 再読
すきだー。
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ヘッセの作品の中で一番好きで何度も再読しています。
幸福とは何か、読むたびに微妙に違う感想を持ちます。
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陽気な愛嬌者が、誰も知らない心の奥底に持つ孤独。ラストの美しさが際立ちます。なぜか毎年、夏が来ると読みたくなる。ヘッセの夏の描写は秀逸。
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どんな人生でも、そこには意味があり、自分にふさわしいものなのだ。ヘッセはそう言いたかったのではないか。
しかし晩年のクヌルプは、見ていて哀しい。クヌルプの人生は本当にこれでよかったのか?なにか釈然としない気持ちになった。
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傍から見てその問題がどうなのかではなく、彼にとってどんな出来事だったのか。それを経て、彼はどう生きてきたのか。苦味が時間を抱き込んで、いつかほのかな甘味すら呼び込む。彼は抱えるものと共に、まるでゆるやかな風だった。これはハッピーエンドだろうか。最期に安息を感じる。
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どこか散文詩的な性格を持った小説。
相変わらずヘッセは主人公に自分を投影させまくり。
作品自体が忠告をその内に秘めてるというか、一言で要約すれば「恋愛ごときで中退するのはやめとけ」ってことかね。
故郷の村をあてもなく彷徨う場面が好き。
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あらゆる能力に秀で、誰からも愛された少年クヌルプが失恋にうちひしがれ、才能を持て余すさすらいの人生を送る。『シッダールタ』にもつながる魂の救済の物語。
「きみは聖書に注文をつけすぎるよ。何が真実であるか、いったい人生ってものはどういうふうにできているか。そういうことはめいめい自分で考えだすほかはないんだ。本から学ぶことはできない。これがぼくの意見だ」(p33)
「だが、それをぼくひとりで楽しんだわけじゃない。たいていの場合、仲間か、若い娘か、子どもが居合わせて、それをおもしろがってくれ、ぼくによくお礼を言ったものだ。それでいいことにしよう。それで満足しよう」(p89)
引用は控えるが、最期の描写が美しい。とにかく美しい。
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二カ月ほど前、我が家に猫がやってきた。母が道端で鳴いていた黒い子猫を拾って来たのだ。その頃は目も開いておらず、当然餌も自力では食べられないため、注射器にミルクを入れて飲ませなければならなかった。時が経ち、日に日に成長した猫だったが、自分たち家族は彼のために様々な気を遣い、世話を焼かなければならなかった。その割に本人は飄々として自由気ままに過ごし、気の向いたままふらついて行く。呆れることもしばしばあったが、しかしそのぶん家族間の空気は和み、癒され、以前に比べて笑顔も増えた。すべて彼のおかげである。
さて、この話の主人公クヌルプは、まさにこの猫のような人間である。
自由気ままに放浪し、旅先の知り合いに世話を焼いてもらう。しかし、その憎めない性格ゆえに、訪ねる先々で倦厭されるどころか歓迎される。
ヘッセと言えば「車輪の下」「デミアン」など重苦しい作品が代表作としてあげられるが、本作はそうではない。作者お得意の自然の描写はやはり美しく、主人公はアウトサイダーの人間ではあるが、優しい童話のような雰囲気さえ感じられる作品だった。ただその核にある物は決して軽々しいものではない。やはりそこには前述したふたつの代表作に通じる真理があるのだ。
このことは訳者により巻末で詳しく述べられている。
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生活の芸術家、クヌルプの3の物語を描いた作品。「早春」「クヌルプの思いで」「最期」と題された思いでの中に、クヌルプという人間の豊かさが溢れている。
中でも好きな場面が、「最期」でクヌルプが故郷に帰り、その少年時代を懐古するところだ。少し抜粋したい。
「どの屋根にどのネコがいるか知らないことはなかった。どの庭でもその果実を食べてみなかったことはなかった。どの木でも、登ってみなかったのはなかった。そのこずえに緑色の夢の巣を彼が営まなかった木はなかった。この一片の世界は彼のものであり、このうえなく深い親密さでなじみ愛したものであった。ここでは低木の一つ一つ、庭の生がきの一つ一つが、彼にとって重大さを意味を歴史を持っていた。」(109p)
クヌルプは初恋が失敗しそれ以来、持っていた才能をただ旅を楽しむだけ、時折クヌルプが訪れる旧友を楽しませるだけに使った。非凡さを持ちながらしかしまともにはなれなかったクヌルプは、それでも最期の神との対話で救われた。彼らしく生きたのだの。
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2012年12月 03/96
なんとなく気になって読んでみた。多彩な才能を持ち、それを湯水のように使ったクヌルプの少年期、青年期、老年期を描いた物語。終わり方がとてもスキでした。
読んでる途中でなくして、見つかるまでに時間がかかったので改めて通して読み直したい。
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もう一度、また少したったら読みたい。
ありのままを受け入れること、そうなれるまであとどれくらいかかるだろうか。
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見どころがありそうなだけに惜しい作品。1クール目だけはおもしろいアニメみたいなかんじ。もっと跳躍できそうなのに、やはりいつものヘッセである。
クヌルプの漂白の人生。彼は美青年で気ままで不思議なところがあり、かならず娘っこたちの目にとまる。彼のときおり口ずさむ詩や、生活をいとなむうえではいくらも役にたたない手先の器用さは「人々の息苦しい生活に一脈の明るさとくつろぎをもたらす。」
作者のいうことを鵜呑みにすれば、そうなのだろう。けれどもぼくにはこのクヌルプという人物が真から人を和ませることのできる人物とはとても思えない。なぜなら彼の性格はやはりヘッセ的気難しさであって、それがクヌルプの柔和な性格といまいち融和しきれない感じをおぼえる。
なにより生活を営む人たちに対するクヌルプの軽蔑がかなり徹底してることに驚く。彼の生活は社会の外にあって、アウトサイダーそのものであり、そのうえ「軽蔑」まで加われば、これはもう生活の内にある人々・インサイダーにとってみれば「破壊者」そのものであろうし。
クヌルプが「聖」の属性をになっているのはわかるのだけれども、「俗」への軽蔑をみせる場面ではたしょう説教師的「聖」のありかたが垣間見える。まあ救世軍に入りたいとも言ってるし。けれどもクヌルプはけっきょく最後まで彼の「繊細さや敏感さ」を捨て去ることはなかった。ただぼくにとっては、年上の女にふられて漂白という、クヌルプのなまっちろさがいかにもうさんくさいのだ。
彼は「繊細さや敏感さ」の世界に留まることを選び、俗と汚辱にまみれた生活とは縁を切っていたけれど、神がこのクヌルプを選ぶということは、はっきりと誤まりだったとぼくは思うのだ。とヘッセに言いたい。
もはやヘッセとの対話という感じではあるが、二章の「クヌルプの思い出」は好き。