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快楽主義者のヘンリー卿の影響で悪徳に染まっていく青年ドリアン。快楽主義におぼれた頽廃的な小説なのかと思っていたが、読んでみると意外にもドリアンの良心との葛藤が一貫して描かれる。でも個人的にはヘンリー卿の逆説的な警句の数々がやっぱり楽しめた。
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古典に手を出してみました。芸術論。芸術至上主義です。共感が出来る考えでは無いにしても興味深い論の展開が、目を引きました。
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話の筋はよく知られる通り。シンプルな話をよくここまでお耽美要素てんこもりに描けるものだなぁ。翻訳なので原文がどんな調子かは分かりませんが。原文にもあたってみたいな。
タイトルにもなっているのだし、ドリアン・グレイが主人公なのだけれど、ヘンリー卿もたいがいな人間だった。正直言ってることの半分も理解できてないw
もっと周辺を勉強しないと理解できないかな。精進します。
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若さと妖しさ。
それは罪なのか。
グレイは自らの影に恐れ、自らを失う。
それは若さ故の過ちであろうか。
永遠の意味がここに記される。
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舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す…。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。
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禁欲的モラルの抑圧下、シニカルなウィットとスキャンダラスな言動で世紀末倫敦寵児となったワイルドの唯美主義をもっともよく反映した作品。美貌の青年ドリアンは、快楽主義者ヘンリー卿の手引きによって、サロンで阿片窟で、背徳の享楽に身を委ねてゆく。ドリアンの美貌も然ることながら、読めば読むほどに、ヘンリー卿に夢中なのです。ドリアンとヘンリーの男色な雰囲気にもドキドキします
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言葉と音楽と絵画とみっつの表象が芸術の基礎表象だろうと思っています。ヨーロッパの感覚ではおそらくこのみっつ。ドリアン・グレイの中で、ドリアンはヘンリー・ウォットン卿の弁舌を称揚し、音楽のあいまいさに比べて、明晰な言語のすばらしさをわめいている。けれど本当にそうなのかは疑わしいことこの上ない。ドリアン・クレイを誘惑し陥落させるものこそ、ヘンリー卿の弁舌なのだし、その意味で言葉は強烈だけれど堕落を秘めている。ワイルド自身のおもかげがヘンリー卿にあるかどうかはわたしは知りませんが、言葉を使うものとしての彼の矜持、威信はこめられているはずだと思っている。もっともワイルドは、作品を通してセンセーショナルな話題を提供し続ける自分を悪だとは規定しないだろう。それは善悪の問題ではなくて、挑戦だろう。言語がもっとも芸術に尽くすとは、私は思っていない。それでも、強烈であることは認める。その強烈さにくらむほどの魅力があることも確かだ。けれど、それはやはり、近現代においては善悪ではない。
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究極の耽美の世界。…正直な感想と言えば、「ナルは嫌い」に尽きますが。
なんつーかさ、自分のことが一番好きで仕方がない人間ってーのが自己保身に走ったら手ぇつけらんないなーと。
更に言うなら、ワイルドの書く同性愛の世界は退廃的過ぎて怖い。つか、嫌い。題材はそうでもないのに…。
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オスカー・ワイルドという創作家は、すぐれた芸術家なのかどうなのかよくわからん人間である。その代表作とされるこの小説にかぎって言えば、少なくともわたしにとっては、(おそらく18〜19世紀以来)古今を通じて数限りなく世に生み出されてきたであろう、凡百の怪奇文学・お耽美文学の域を大きく出るものではない。
ワイルドはこの小説を通じ、美しく、自己崇拝に満ちた、悪魔的で、かつ息の詰まるほど魅惑的な人物を作り上げようとしたのだろう。だが、残念なことにドリアンの美しさも残酷さも、際だった印象を読み手のなかに刻印しない。それはドリアンが底知れない彼岸的存在としてではなく、自愛のなかにも自分が背いた倫理への恐れをかいま見せる、妙に人間くさいキャラとして描かれてしまったせいではないか。それも書き方によってはすぐれた題材になったのであろうが、この小説においては、その葛藤と背徳性についての描写がどちらも中途半端なまま、ドリアンの卑屈さと破滅だけが印象に残ってしまった。結果、小説全体がどこか大衆文学的なエンターテイメントの一作品に墜ちてしまったような気がする。
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オスカーワイルド色男。なんてゆうかそういうことだよねこの3人とドキドキしながら読んでたら、最後の解説で見事打ち明けてくれました。中身は勿論素晴らしい。2007/11/6
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今年はこの本に大きく読書時間を取られましたw
「幸福の王子」という美しい童話を残したオスカー・ワイルドですが、この「ドリアン・グレイの肖像」は同じイメージで読むとびっくりするくらい、挑戦的で、逆説的な文言も多く、刺激に満ち満ちています。
まあ、読もうと思ったきっかけは、金子光晴さんが若年の時に影響を受けていたからなんですが、これに20代前から(だったと思う)陶酔していたら、そりゃああれだけの人生経験もしましょうよw
今は読み終えた達成感でいっぱいですw
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善きことをしようなんてココロも悪徳の一つか。
身代わりが真実
外面美を支えることとなった画家と
内面を動かすことになった男と「永遠の」美少年。
耽美、退廃は金持ちがやってナンボ。
悪行、退廃、堕落が具体的に描かれるわけではないので
想像も妄想も入り混む余地がある。
きっとヘンリー卿の肖像画はまっすぐ素直な目をした青年
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愛されしドリアンの、無垢な性質がヘンリー卿の魅力によって変質していく過程にゾクゾクしました。
ワイルドのゴテゴテした描写もはまります。唯美主義。快楽主義。19世紀ロンドン。萌えないでか。
映画「オスカー・ワイルド」に出てくるジュード・ロウはドリアンを彷彿させます。
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美しい青年、ドリアン・グレイ。
映画リーグ・オブ・レジェンドにも登場するこの青年は、美しいだけが取り柄で知性も才能も持たないただの青年です。
そのただの青年が、悪い友人と出会い、快楽・刹那的な生き方に溺れていく。
でも、行動は顔に出るもの。悪事を行えば人相は悪くその美貌も歪んでいく・・・だが、彼の場合は歪んだのはその顔じゃなかった。
醜く歪んでいくのは、彼の肖像画。
おまけに年を重ねていくのまで肖像画の方。
肖像画に罪を押し付け、堕落していくドリアン・グレイはどんな結末を待ち受けるのか。
不気味で、怖い作品です。
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構造的倒錯、感覚的倒錯…その悦びと、美なるものへの傾倒。
ナルキッソスは、水面に写った自分を見て、その美しさに恋をしてしまう。
水面から離れられなくなった彼は、次第に衰弱し、水仙の花に姿を変えたという。
ナルシズムは美なるものに至る。