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瀧本氏の著作は初めて読みましたが、読書量とともに分析力に驚かされます。
各々のテーマについて割かれるページ数は少ないので、少し物足りない感じもありますが、背後にある知識量が膨大であることが良く分かりますし、物足りない部分は読者自身が挙げられている本を読み、本と格闘することで埋めていくべきですね。
自分でも問題意識をもって読書はしているつもりですが、読後にそれを整理し、分析し、また対照的な主張をしている本を読むことで、自分の理解を確かにする、という点が参考になりました。
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書籍紹介。ブックガイドに当たる内容ですが
面白いのは、あるテーマ設定で異なる
コンセプトの2つの書籍をピックアップして
紹介しているというところです。
ただ、設定されているコンセプトが、またこの著者の本は
大体そんな感じがするのですが、少し野心的というか
頑張りすぎていて(もっとガンバレというメッセージ)
もっと肩の力を抜いて、読書を楽しめばいいのに
と思います。
この本で紹介されている本で、読みたいなあと思う本は
この2つくらいかなと思います。
ロールズの『正義論』
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』
それ以外はあまり印象に残らずです。
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武器となる読書術、読むべき書を呈示する、知的実践の書。
〈「読書は格闘技」という考え方に立つと、「良書」の定義も変わってくる。
普通、良書というと、書いてあることが正しいものであり、正しい考え方であると思われる。
しかしながら、書いてあることに賛成できなくても、それが批判するに値するほど、一つの立場として主張、根拠が伴っていれば、それは良書と言える。
私は筋金入りの資本主義者であるが、そうした立場からしてもマルクスは読むに値する「良書」と言えるのだ〉
心をつかむ、組織論、グローバリゼーション、時間管理術、どこに住むか、才能、マーケティング、未来、正義、国語教育の文学等々、今を生き抜くために知っておくべきテーマについて、立場の異なる「良書」を能動的に読み、自らの考えを新たに形成していく。
格闘技としての読書体験を通じた、実践的な力が身に付く読書術とは何か。各テーマにおける必読の推奨ブックリストも収録。
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本屋に行けば「ブックガイド本」というジャンルの書籍が並び、雑誌『サイゾー』でも「本特集」は人気の企画のひとつ。いったい、どんな本を読めばいいのか? という指針を探している人は少なくないようだ。しかし、ブックガイド本を読むくらいならば、そこに紹介されている本から手を取るほうが早いのではないだろうか? いったいなぜ人は「ブックガイド本」を手にとってしまうのだろうか?
『武器としての決断思考』(星海社)、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)などで知られる瀧本哲史の新著『読書は格闘技』(集英社)は、「組織論」「グローバリゼーション」「教養小説」「児童文学」など、11のテーマごとに読むべき本を紹介するブックガイド本である。本書の中で、瀧本は「読書は格闘技」であり「書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、『本当にそうなのか』と疑い、反証する中で自分の考えを作っていくという知的プロセス」と持論を展開する。瀧本は、いったいどのような形で「格闘」を繰り広げているのだろうか? いくつかの例を見てみよう。
本書の中で、瀧本はテーマごとに、アプローチの異なる2冊の本を取り上げる。「心をつかむ」というテーマであればカーネギーの名著として知られる『人を動かす』(創元社)とロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』(誠信書房)を、「組織論」というテーマであれば、ジム・コリンズ、ジェリーポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング)と、マキャベリの『君主論』(講談社学術文庫)をそれぞれ「マッチメイク」している。では、瀧本の立場はその2つの間に立つレフェリーなのだろうか?
褒めるところは褒め、批判するべきは批判する瀧本は中立を保つレフェリーに似ている。しかし、彼の役割は、勝ち負けをつけることではなく、2つの書籍にどんな使える「武器」が眠っているかを掘り起こすこと。『フラット化する社会』(日本経済新聞出版社)と、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社)を紹介する「グローバリゼーション」のページでは、2004年に刊行され、もうすでに「古典」と化している前者を「どこが古くてどこが新しいのか、何が一時的なブームで何が大きなトレンドなのかを自分で考えるための素材」として紹介し、アメリカ中心で描かれ、事象を単純化していると批判されることも少なくないる後者を「この20年間を冷静に振り返ってみると、各地域で『文明の衝突』とみられる紛争が数多く起きている」と擁護する。
また、「教養小説」のテーマでは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(岩波文庫)とともに、なぜかあだち充の『タッチ』(小学館文庫)が取り上げられる。「主人公が大人になるまでの過程を描く小説」と定義される教養小説というジャンルにおいて、両者を比較して見えてくるのは「大人」というイメージの変遷。方やヒロインの朝倉南をモチベーションとして、甲子園に出場しても野球を続けることに「疲れた」という個人的な自己承認の物語である『タッチ』に対し、「意識高い系学生」に似ているというヴィルヘルム・マイスターは旅をしながら新たな人物に出会い、��己を形成し、再び日常へと戻る。時代ごとに、「大人になる」という定義は異なっているようだ。
瀧本にとって、読書は、著者の高説を賜るものではなく、「武器」を引き出し「世界という書物を直接読破」するためのツールである。2冊の本を取り上げることによって、複眼的にテーマに迫る瀧本の姿勢から見えてくるのは、彼がどのように「世界を読解しているか」ということ。だから、文芸としての「読書の楽しみ」や狭い意味での「教養」はここには描かれていない(瀧本はあとがきで「教養について考えるのであれば、『自分にとって』読むべき本、読む必要のない本を判断することが『教養』と言えるだろう」と語っている)。
書物を読みこなすのではなく、世界を読みこなそうとしている瀧本の記した『読書は格闘技』は、単なる紹介には終わらない魅力を持っている。では、そんな瀧本の「格闘スタイル」から、読者はどのような武器を取り出すのか? ただのブックガイドにとどまらず、読者はそんな「格闘」に迫られることだろう。
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読書は格闘技。
受け身でなく、主体的に読む。「本当にそうか」と、疑問を持ちながら読む。
筆者の主張を納得しようとして読む姿勢も大事だとは思うが。。。
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読書とは著者の語ることを疑い、反証する中で、自分の考えを作っていく、そんな格闘技のようなもの。この著者の主張は、ショーペンハウエルの「読書は他人にものを考えてもらうこと」という『読書について』での主張と正反対である。
一つのテーマに対して、アプローチの異なる2冊の本を紹介しながら、さらに著者が検証・反証していくバトルロイヤル的格闘技の世界に読者として参加するよういざなう。
心をつかむ、組織論、グローバリゼーション、時間管理、住む場所、才能、マーケティング、未来、正義、教養小説、教科書文学、児童文学のテーマで主な2冊と章末にブックガイドとして6冊を紹介する。
コンセプトとしてはとても興味深い。しかし、テーマ設定、本の選定とも、そもそも著者のフィルターがかかっており、この本を読んでも読者としてバトルロイヤルにはなりそうにない。
16-110
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読書に対するモチベーションが上がった。書籍に書かれている著者の知を自分なりに解釈して、それを他の知と戦わせる、読書は格闘技という言葉は大切だと思う。
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対立する見解を主張する本を戦わせるような形式で紹介する本。
組織論やグローバリゼーションについて多様な見方があることを知れる。
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言ってみれば「一人ビブリオバトル」か。勝敗こそ判定しないが、同一テーマで異なる切り口の2冊を紹介。人にすすめる時、つい1冊に絞ってしまうが、異なる切り口の複数冊をすすめる、この思考法は面白い。
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〇心をつかむ本
・人を動かす:驚くほど、驚きがない普遍性と事例の分かりにくさこと、この本の魅力
・ハーバードビジネスレビュー2014年1月号
人を動かす力
・影響力の武器
・思いやりの人間関係スキル
〇組織論
・君主論:地獄の底から天国を見上げる
・ビジョナリーカンパニー:天国について書かれた本
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論文を書くとき、まず仮説を考案し、論拠を固めるための文献を提示していくが、陥りやすい罠がある。
引用する文献が仮説に対して肯定的なものばかりで、否定的なものを提示しないということである。
科学とは反証可能性を持ちつつ、未だ反証されていない仮説の総体なのだ。
書籍も同じく、一つのトピックに対して肯定否定の両方の論理が内在されなければならない。
本書は一つの言葉に対し、対立する論を主張する二つの書籍を提示する。
組織論、時間管理術、才能、未来など12のトピックに対して二つの書籍を示し、その概要を説明する。
対立する二つの論を戦わせることで、トピックに対する新たな視点を得るというのが本書の目的だ。
この本の主張は正しいのだろうか?
考えながら本を読むということは、著者の意見に自分なりの反証を考えることだ。
あるトピックに対して、一冊ではなく複数の書籍を参照すべきというのは、単視点ではなく複視点の立場から見ないと本質が見えないということである。
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読書が格闘技かどうかはおいておいて、内容を鵜呑みにせず、批判的に読まなければならないのには同意です。
対比させている本が興味深いです。
何冊か読んでみたいなと思った本もあります。
読書案内としても、なかなか良いです。
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こういう本を、僕がいつか書きたいと思ってたんだよね。先を越されたなという感じ。
必ずしも対極にある主張の本同士ではなく、あくまで関連している本を並べての論評。一般書だけでなく、児童書などにも踏み込んでいるところが面白い。
本の内容を紹介して、最後にとってつけたような一般論を述べておしまい、てなものとは全然違って、本の内容に関して著者の持論や意見を開陳したもので、個人的には書評はこうでないと、と思う。
蛇足だが、難易度の表示の仕方が逆じゃないか?普通Aがいちばん難しくてCがいちばん簡単っちゅう表示なのでは?
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インプット量がすごそうなイメージのある瀧本さんが、どういう所を意識して読書してるのか気になって読んだ。
ベースの考え方はディベート。
だから、良書の定義も反駁する中身のあるものと置いているのが面白い。
読書についてはスタンスが分かれる所だけど、ただ読むだけならたしかに頭でっかちになるが、読書はゆっくり考えながら進められるからそうはならない(読み過ぎなくらいでいい)と思ってる。
·瀧本さんもいわゆる列買いするらしい
·読書は格闘技という考え方に立つと良書とは正しい主張ではなく、1つの立場として主張根拠が伴っているもの
·著書の背景から主張を察する
·自分と遠い例示は一度抽象化させて自分に置き換えることで吸収される
·成功者のキラキラエピソードだけではなく地獄の景色も意味がある、失敗には再現性があるから
·根拠の筋道がハッキリしているものこそ格闘技向き
·創造力のためにフィクションは有効
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戦略性が強くとも、その能力が役に立つ仕事がそれほどなかったりその仕事に求められる高いレベルにあってその人のレベルでは太刀打ちできないとしたら、役立たない。
強みというのは市場と競合との関係で決まるものであって、自分の中だけでは決まらない。
読書で得た経験が明日からすぐに役立つ必要はない。イノベーションは全く違う分野の知識の有機的な結合によって起きることが各種の研究からほぼ定説になっている。