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一気に読めてしまいました。そして、自分の無知さ加減に気付くのでした。
憤る事は多々。
知らなかった事件にやっぱり日本のつらさを感じて、今までオウムが日本における一つの区切りだった、という言葉にあまり実感はなかったけど、これを読んで、そうかもしれない、と気付く。
主語を自分にしなければならないと言う事、私も肝に銘じなければ。「本当の憎悪は激しい苦悶を伴う。でも主語を失った憎悪は、実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。」
なるほど、と付箋をいっぱい張った。
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例えば、容疑者が連行される際、顔は晒されながら手錠にモザイクがつける矛盾。例えば、在日外国人に選挙権を与えずにアザラシに住民票を交付する矛盾。例えば、我々が選んだ首相の行動に疑問を投げかけえる国民の責任の無さ。
今、日本はどこかおかしい。そう苦言を呈するマスコミがいても、マスコミ自体が胡散臭い。僕らはマスコミを信じられない、だからと言って自分から行動は起こさない。
数十年前ならこの本には誰も賛同しなかっただろう。誰もが口にした当たり前の意見だったからだ。しかし、今こういう意見が目新しく違う着眼点のように聞こえる。
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・途中までは、過剰なセンチメンタリズムに反吐が出そうだった。特に、戦争反対というのは感情論かもしれないがそれの何が悪い、嫌なもんは嫌なんだ、ってとこ。そんな言い方しちゃあ何にもならんと思った後で、いやこういう言い方をわざわざするのは、一般市民を開眼させるためで、この本は啓蒙書なのだ、という結論に。 ・が、読み進めていって少し印象が変わった。啓蒙臭はぬぐいきれないが、簡単に同化されずに違う視点からいこうとするのは、自分を振り返ってみてもそう簡単なことじゃない。まあ、私がバカなだけかもしれませんが。
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「A」「職業欄はエスパー」に続き著者3冊目として読了。いろんなテーマに対して書かれているので、森達也の考え方やスタンスがとても伝わってくる。この人のフラットなスタンスがとても好き。最近は様々な著名人が思考停止について書いてるけど、とてもわかりやすくまた自分の無知を自覚した本。まぁ、森達也の本は全部あおぱんに借りたんだけどね。今度買いそろえます。
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最近おかしいんじゃないかな?と思うことが増えた気がしていた。
例えば、マスコミに対して。
ワルモノを作って(勿論ワルモノであることには同意するのだが)それを集中砲火する。
なぜワルモノになったのか、どうしてそうなったのか、の掘り下げが無い。まるで、イジメのように思ったことがあった。
この筆者の本は初めて読んだ。
頷くことしきり。
そして、自分の無知さに恥じることしかり。。。
他作品も読んでみようと思う。
そして、話題の「A」はビデオ屋で借りられるのだろうか?
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まっとうな意見、らしい。
疑問に思うと言うより、何とはなく違和感を感じるものを言葉にしているのかもしれない。これが思い込み刷り込み出なければ。
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この人のゆらぎを隠さない、という基本スタンス(と言い切っていいかは迷うけど)は、思考を停止しない、ということに結局つながっていくのだろうか。
オウム事件以降、憎悪が社会を動かしている、という指摘にはいま、とても意味があると思う。
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例えば、パンピーの私が政治について野田総理と同じ次元で考える必要はないけれど、道端に転がっている黒いホームレスから目を逸らしてはいけないと思うのです。
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オウム真理教を追ったドキュメンタリー映画『A』で有名になった森達也氏の評論集。
メディアの側に居る者から発信される言葉は、みんなとりあえず落ち着いて考えようよ、という当たり前の意見だ。しかしそれが出来ない人間を作り出しているのは他でもないメディアなのである。
森達也は語る。ウジウジ悩む事は悪いことではないと。それより人の考えにすぐ便乗して自分の思考を停止してしまう事の方が恐ろしい。
なんだか今の世の中に違和感を感じている人は必読。もっとも、違和感を感じてない人はもっと必読だ。
ただ気になるのは、収録されている評論の一つ一つがそれぞれ別々に発表されたものなので、一冊の本としてつながりが無いって事か。なのでイマイチ物足りない気がする。
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オウムを題材とした記録映画『A』、『放送禁止歌』をはじめとするメディア批評などで知られる著者が雑誌などへ発表した文章を集めた本。
名前は知っていたのだが、調べ物のついでにひっかかったamazonの書評で、むちゃくちゃ★が多かったのが読んでみたくなった理由。
一読して……とても「当たり前」を感じたのは、意外だった。「勇気ある言説に対して尊敬がたりん、お前がナニをした」と言われればぐうのねも出ないのだが、「感覚」として、著者の視点は奇をてらうものではない。メディア批評とか、タブーに挑むだとか、イメージからしてもっと強面というか、向こう傷をいとわない勇ましさを勝手に思いこんでいたのだが、悪い意味でなく肩すかしをくった気分。
時事のニュースを追う形だが、著者の主張はそれほど多岐にわたるものではない。
・メディアを疑え
・そんなくだらないメディアを支えている、自分たちを振り返れ
・あいまいな「私たち」で垂れ流される、主語のない言葉を疑え
これくらいである。このテーマは形を変えて、繰り返し現れてくる。
じゃあ、何を信じろと言うのか。そこまでこの著者は親切ではない。「オレについてこい」というほど傲慢でもなければ、「自分以外の何か」にその責任を押しつけるほど無神経でもないのだろう。著者は言うなれば、メディアの「中の人」である。だから、材料として、メディアの中にあるもの以外は出てこない。
つまりは、この本には自己言及的な構造が必然的に生じるのである。
この本を「正しく」読むならば、この本もきちんと疑われなくてはならない。「先進国で死刑存置するのはアメリカと日本だけ」と書いてあれば、恥ずかしく思うだけではなく「なぜ」を考えるべきだ。「で、何だったんだろう、あの牛丼騒ぎって。」と著者が疑問を呈したときは、著者をほめたたえるより先に、自分で「何だったのか」を考えるべきだ。
著者の誠実な態度に共感を覚えながら、この本のとおりに「疑問を持ってしまう」だけに終わってはいけないと自戒する。
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刊行されたのは随分前で話題は古くても、考え方や今の日本の根本的な問題はあんまり変わってないし、むしろ酷くなっている気がして哀しくなった。私達は何を信じて生きて行けばいいのだろうか。垂れ流されている情報が真実でないとしたら、それを見極める力を身につけなければいけないのだろうけれど、それを身につける方法すら今の日本人には難しいのかもなぁと思った。もちろん私を含めて。
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著者は、大抵の人がそのまま聞き流したり、当然のことと感じてしまうさまざまな事に、はっとするような角度から主張を始める。もちろん、著者の主張が全て納得いくものではなかったが。先の『ドキュメンタリーは嘘をつく』でも感じたのだが、森達也という人は本能的に多数の人と同じ方向を向くことができないようだ(違う方向を見るというより多数の視線を逆方向から見返すような感じ)。
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思い込みで判断することが本当に多いと改めて感じた。
小さな疑問をそのままにしないこと、言葉で伝えていくことで人々は考える。
メディアが偏る、臭いものに蓋をする事で、どんどん日本人は怠けてしまう。
他にも今の日本は、ラオス政府が国民が知恵や知識を身に付けすぎないようコントロールしていることに似ている気がした。
今急にメディアが真摯に報道しはじめると、日本は混乱するだろうと思う。でも、それを乗り越えた未来を見据えて、変わるべき姿勢があると感じた。