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大学の講義で、少しだけ出てきたことがあったんです。
「象徴界」とか。
んで、この人は何を言ってるんだ!?と思ってこの本を読んでみたんですけど、なかなか、理解できず・・・。
だいーぶ前に買って(現代新書が前のデザインのときです)、何度か読んで、線も引きながら読んだのに。
でもたとえわからならなくても、ラカンに関する本を読むのはなぜか好き。
久しぶりに読んだら前よりわかるようになってるかな。
でも新書でわからないって言ってる時点で駄目ですね。
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ラカンの入門書。
精神分析は、自分にはさっぱり分からない、ということがわかった。私はフロイトの『精神分析学入門』や『自我論集』を読んだが、それもさっぱりわからなかった。
精神病を専門とする木村敏が言っていたけれど、専門家には神経症タイプと精神病タイプがいて、神経症タイプの人は神経症に関しては優れているが、精神病に関しては全然駄目になってしまうことが多く、逆も同様である、と。私は、精神病系の本(といっても木村敏の著書3つくらいしか読んでいないけれど)は非常によくわかるし、おもしろく感じられるのだけれど、神経症に至ってはさっぱりだ。フロイトの時点で、もう既に分からないのだ。だから駄目なんだろう。
神経症-フロイト-ラカン からはきっぱり手を引こうと思った。分からないのに読んでも、ためにならないということだ。非常に残念だけれど・・・。
2008.12.8-11.
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「人間が何かを行動に移す時に働くのは自分の欲望ではない。
人間の欲望は他者の欲望による‘転移’である」
ラカンがヘーゲル研究から導き出した欲望に関する最も重要なテーゼを
著者の具体例に照らし合わせるといった導入から始まり
少々難解な部分も 出来るだけ伝わりやすくしようとする意図が感じられる著書
一気に読了です
面白いですよ〜
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発達心理学の成果を精神分析に取り入れたラカンの理論、
鏡像段階論に妙に納得してしまた
転移の話とか
経験したことがあるからめっちゃ共感してしまた!
他者による自分像の構築とかまさに私がそうだもんwwwワロタwww
フロイト読みなおそーっと
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10月に入ってから1日20ページくらいのペースで読んでいて、16日に読み終えた。
音楽を聴きながらだと読むのが遅くなるのもあると思うが、内容は濃密。
ソーカルの「知の欺瞞」とかの影響で、数学的表現を利用した部分をトンデモだと判断して、長い間放置していたが、偶然読んだページに書いてあった「ラカンは、「無意識は、大文字の他者の語らいである」と無意識を定義する。」
という記述が心にひっかかって読み始めた。
ラカン用語をよく理解できる形で一つ一つ説明せずに使って書いているのがよくなかった。(対象a、ファルスなど)
トンデモっぽい部分は比喩として解釈したらいいのかなと思って読んだ。
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ジャック・ラカンの入門書。難解と言われるラカンの思想だが、解説書の中では1、2を争うくらい手軽で、分かりやすく噛み砕いてくれていると思う。新書にしては内容が濃厚で「安い買い物した!」と思える1冊。
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[ 内容 ]
対象aは黄金数である―ラカン晩年の言葉を手懸りに辿る、その生の軌跡と精神分析の本質。
フロイト‐ラカン思想の根源に鮮やかに迫る。
[ 目次 ]
第1章 精神分析のロマネスク
第2章 前夜
第3章 ローマの隅石
第4章 言語という他者
第5章 他者になるということ
第6章 たった一人のパリ
第7章 アガルマを待ちながら
第8章 精神分析の語らい
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ジャックラカンがどんな社会的状況で、どんな分析家の影響で「精神分析家ラカン」になったか、その道程が書かれているのは嬉しい。「ラカンを理解するにはラカンを知っていなくてはならない」と言われる難解さが幾らか和らいでいると思う。
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佐々木中氏の『夜戦と永遠-フーコー・ラカン・ルジャンドル』を読むために、読んだ本。パリに新しい精神分析団体を設立したことや、1960年代の反体制運動という時代の要請に合致したことなどが、『夜戦と永遠』の主題とも大いに関連しているのではないか。難解だが、そんなことがわかっただけでも読書の目的を達成したといえる。「自己言及の不完全性」によって精神分析家が必要となるという「思想」がたいへん興味深いので、何度も読み返したい。
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ラカンの精神分析、というよりは、かなり思想よりの一冊である。「フロイトに還れ」という、彼の言葉自体はかなり有名なものだが、その意味が本著でおぼろげながらつかめてはきた。ラカンがいうところのフロイトとは、「無意識」を重視し、無意識にある「エス」こそが「主体」である、という、考え方のことであろう。フロイト以後では、例えば、アンナフロイトは「自我心理学」を打ち立てたし、ユングなんかは「自己」なんてものを打ち立てたけれど、ラカンからすれば、主体自体は「エス」であり、それをコントロールするものが「自我」といった具合なのだろう。とくると、あんまり大差がないように思われるかもしれないが、ラカンはここから、主体が掴もうとしても掴めないもの、としての、「対象a」を設定する。これは、捉えようとしてもうまく捉えきれないけれど確かに自分をつなぎうるものであり、それが、「声」「乳房」「糞便」「まなざし」などであるらしい。このあたりがかなり難解になってくるのだが、対象aとは、自我を創出する際に必要となるものである。対象関係論的には、自我とは他者=母親との接触により創出されると、考えられている。初めは、身体的接触から始まり、例えば、母親の乳房に接触し、自分の肛門から糞便をたらし、まなざしを注ぎ注がれ、声をきき発する。といった感じで、この四つから「自分」という存在が徐々に生まれてくるというところから、対象aとは、「限りなく自分に近い、それでいて、限りなく他者に近い、そういう、自分と他者を媒介するような性質のもの」といった具合なのだろうか?我々が、自分と他者という概念を持ちうるのも、実は「対象a」の働きによって両者が分離されているからであるのだろう。だが、元を辿れば、他者から自分が生まれている以上は、我々自身が実は「他者でしかありえない」という結論にも導かれざるをえず、自己の根源を辿れば、我々は他者となってしまう、というパラドックスに導かれることになってしまうに違いない。鏡像、という概念も実はこの自己と他者とのかかわりで生じてくる概念である。鏡に映じるのは、誰なのか?要するに、他者こそが自分の鏡なのである。だから、他者から自分が生まれるわけである。しかし、ことはそれほどに簡単ではなくて、それで映りきればいいのだが、必ずしもその他者という鏡に自分が映りきっているとは言えないこともある。他者には小文字の他者と大文字の他者があり、小文字の他者は周囲に居る人間であるが、大文字の他者はそれを俯瞰するような総体である。我々は、ただ一人の人間から分離されているのではなくて、自分以外の全ての人間から分離されているのだ。これは現象学的視点だろうか?つーことは、その大文字の他者へと路を辿らなければならず、そこにたどりつく足がかりもまた対象aなのであろう。ちなみに、ラカンは最終的に、「主体」「対象a」「知(S2)」「言語(S1)」という、歯車のようなものを考える。これらは能動的に位置を変えるものの、お互いに働きあうことで、何かが生まれる。例えば、分析かは知に裏打ちされた、対象aを用いることで、言語的に主体を理解しうる、といった具合である(このあたりは粗く読んだので的外れなことを書いている可能性もある)。ただし、この四つが能動的に入れ替わることによって、対象aを明らかにすることも可能となりうるのである。ただ、ここまではいいのだけれど、「黄金数」とかそういうあたりはかなり話が危うくなってきて、げんなりする。
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ラカンについて知りたかったので入門書として購入したが、
結局よくわからなかった(泣)
新書なので、
読みやすさ・理解しやすさを期待していたけれど、
一般人向きではなかったような……。
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やっぱりようわからん。
あの黄金比のあたりの話はかなり眉唾物だと思うけど・・・笑。
最初の著者による症例解説から「欲望は、他者の欲望に由来する」ってあたりと、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」と我は思う、ゆえに我あり、と我は思う・・・という「自己言及の不完全性」はすっと入ってくる。(結局の所、そういう自己言及の不完全性=無限遡及を一括りにしてメタな位置から眺めているのが、デカルト的主体なんだよね)だけど、象徴界/現実界/想像界の議論とか、対象αの話はわかんねー
やっぱ斎藤環先生いってから、こちらに帰ってこよう。
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精神分析のロマネスク◆前夜◆ローマの隅石◆言語という他者◆他者になるということ◆たった一人のパリ◆アガルマを待ちながら◆精神分析の語らい
著者:新宮一成、1950大阪生、精神科医、京都大学医学部→パリ第7大学、京都大学大学院人間・環境学研究科教授
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無数の人間の「死」を、言語の作用によって象徴化するのが「歴史」。って上手い事言うなあと感心してしまった。全体的にはなんとなくわかったというレベル。
私とは何か?私は何を欲望しているのか?(要するに自分探し)この問いに対しては、自己言及の論理的不完全性から自分自身で答える事はできない。よって(大文字の)他者(の語らい)を必要とする。結果「私とは、語らいつつある他者の欲望の対象である」となり、これが、「欲望は他者の欲望である」の意味と理解したが。
問題は他者の欲望と対象aの関係がよくわからない事。シェーマLについてはプロセスで説明されているので、なんとなく理解できたが、対象a=黄金数まで行くとお手上げ。一般教養レベルではここまで深く理解する必要性もないんだろうけど。
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103:エロ魔道 2013/06/22(土) 00:13:35ID:2UVWyPMI0
「生き延びるためのラカン」を試し読みしたんだけど、文章のリズムがちょっとおいらにはあわなかったようなんで、代わりに「ラカンの精神分析」って本を中古入荷予約しといたよ(;´Д`)ハアハア
104:Anonymous 2013/06/22(土) 03:43:53ID:U95feZHQ0
確かにあの本は、文章が受け付けないって人が多いね。
まあ俺も最初はそうだったけど。
ただ他の入門書を読んでみた後だと、やっぱりここまでやらないと駄目なんだろうなって気がしてくる。
ちなみに、『ラカンの精神分析』もかなり難しい、というか、ラカンのおいしいところになかなかたどり着けない。