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2018/03/20 15:32
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BookBar紹介本。90の言語を紹介するエッセイ。
世界は英語さえあればとりあえず会話はできるだろう。と思いながら読んだ。
まぁ、あるわあるわ。聞いたことすらない言葉たち。紹介されている90言語のうちの一割も知っている言葉はないのではなかろうか。
もちろん、英語、ロシア語、スペイン語、日本語は知っているが、それ以外の言葉が多い。特に日本人にはあまりなじみのないアフリカ地方での言葉の多様性に驚かされる。
この多様性が「世界は英語で通じる」によって駆逐されないか。一緒くたにされていいのか、そう感じた。
言葉の多様性を守ることと生物の多様性を守ることの大変さに、共通点がある。マイナーなものはいつでも窮地に立たされるのかと思うと、社会の狭量にため息が出る。
暗い話は置いておいて、90言語の中でも「コサ語」が気になる。生で聞いてみたい。
2018/07/17 15:14
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やはり、流石黒田先生のエッセイと言えよう、とての気に入った。当然著者は一人である訳だから、それぞれの言語の記述内容にムラはある。しかし、そのムラがまた味わいとなり楽しめた。また知らない言語に対する純粋で謙虚な姿勢、変わらない知的好奇心は心から尊敬する。
2018/11/06 21:33
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密度が薄いため、読みながら、どんどん評価がさがっていったのだが、ある時点で、考え直した。これは、この薄さとか、毎日の役にたたなさとか、そういうものを楽しむ姿勢を教えてもらう本なのだ、と考え直したのである。というのは、著者は変人で、読めもしない本を買っては、ながめている。何の役にも立たないという意味では、勝間和代などの対極に位置する。だとすれば、それはむしろ珍重すべきなのでは、と思ったのだ。なので、襟は正させてもらったが、やはり薄くて物足りない。もっと濃い味がすきなおれは、向いてない。""
2022/02/21 20:55
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世界の色んな言語について、見開き1ページの短いエッセイが続いてゆく。
詳しく知ってる言語はともかく知らない言語についても書いてるってところはナゾだけど、どちらにしても同じ分量しか書いてないから短くて読みやすい。新しい言葉を学びたくなる本。
「言葉の森から出られない」を読んだときにも思ったけど、言語学者の言語の捉え方って独特よね。
2022/07/02 12:58
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「世界の言語入門」黒田龍之助 講談社現代新書 古本300円 著者自身も知らない言語を紹介するエッセイが面白い。ロシア語専門だけあって旧ソ連諸国の言語に関するエッセイは色々と面白いところが多くて、言語学習テキストを買いたくなったw
2022/08/07 08:22
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BOOK BARで紹介されていた本。メジャーなものからマイナーなものまで、様々な言語を一言語2ページで紹介している。筆者の独特な感性で綴られる
文章に、深い言語愛を感じた。言語学知識ゼロの人間にとっては難しい部分もあったが、とても読みやすく、海外旅行欲が強くなる一冊だった。
2022/12/30 23:32
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言語学が専門の著者による、世界の90言語についての解説。序として「本書は、わたしがたった一人でさまざまな言語について考えていく。知識にも経験にも愛情にも欠ける、一人のアヤシい自称言語学者が、全世界の言語を相手になんらかの文章を捻り出そうというのだ。無謀な話ではないか」と書いており、その正直さに納得し、「そうだよね、無謀だよね」という共感を持てる人でなければ、この本は楽しめないだろう。
そうは言いつつも、やはり言語学者なので基本的な「道の言語に対するマナーや接し方」といったお作法はしっかり押さえており、どの言語も見開き2ページしかない割にはそれなりにキッチリと論じられている。語族や語形変化、音韻や発音の特性など、複数の視点から各言語を見つめ、著者なりの感想や印象もしっかり出している。むしろ、その言語に詳しくないからこそ、ある程度、突き放した視点で深入りせずにその言語について論じることができているのではないか、という印象。
取り上げている90の言語の中に、日本国内ですらほぼ知られていないアイヌ語が取り上げられているのも良い。「小さな存在を効率よく無視するのではなく、多様性から言語を考えていきたい」(P.20)という一文からは、著者がこの本を書いた思想の根幹を感じさせられる。
2024/05/11 07:43
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黒田龍之助
1964(昭和39)年、東京生れ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。東京大学大学院修了。スラブ語学専攻。2021年3月現在、神田外語大学特任教授、神戸市外国語大学客員教授。外国語の面白さ、それを学ぶ楽しさを語らせたら並ぶ者がないと言われる。『羊皮紙に眠る文字たち』『はじめての言語学』『ぼくたちの外国語学部』『ポケットに外国語を』『寝るまえ5分の外国語』『ロシア語だけの青春』など著書多数。
世界の言語入門 (講談社現代新書)
by 黒田龍之助
アイウエオ順に世界の言語を見ていくと、まずアイスランド語から始まる。寒い地方が好きなわたしには、なんとも 相応しい始まりのような気がする。いや、気がするだけではない。ヨーロッパの最北端に位置し、アイスランド語でイースラントというこの国には、実際に出かけていったことがあるのだ。
ホテルに帰ってテレビをつけたが、アイスランド語放送は一局しかなかった。人口三〇万人にも満たないこの国では、当然かもしれない。その分、近隣諸国との関係が自然と密になる。輸入製品も多い。とくにデンマークからの物資が多くて、アイスランドの主婦は缶詰の説明書きくらいデンマーク語で読めるとどこかにあった。アイスランド語もデンマーク語も、先祖を同じくするゲルマン語派の言語だからよく似ているとはいえ、小さな国で二つの言語がこんなふうに共存しているところが、わたしの好みなのである。
外国語という語を好んで使っているが、そのときちょっと困るのがアイヌ語だ。 アイヌ語は外国の言語ではなく、日本の言語である。だが日本語ではない。日本語とは系統が明らかに異なる。沖縄の言語が日本語と同系であることと比べても、その特異性が際立っている。 アイヌ語を話す人はそれほど多くない。それどころか、アイヌ語のみで生活するのは、現実問題として難しい。だからといって、「現在の日本はほぼ単一言語の国といって差し支えない」などといい切ってしまっていいのだろうか。わたしは小さな存在を効率よく無視するのではなく、多様性から言語を考えていきたい。
昔の職場の友人S君が在外研究でダブリンにいるとき、ノコノコと遊びに行ったことがある。 アイルランドは英語で充分な国で、とくに首都はその傾向が強いという。確かにダブリンの街では、アイルランド語ができないために不自由したという記憶がない。英語の学習を目指して留学する人も多いと聞く。
アイルランド語が不思議なのは、スペルばかりではない。たとえば文字をじっと見つめながら音を聴いているつもりでいても、そのうちどこを読んでいるのか分からなくなってしまう不思議。これは一つの子音字がいくつかの音に対応し、たとえば dh と綴って/w/だったり/g/だったり/j/だったりと、まったく思いがけない音になるためだ。Dia dhuit. と書いて、「ヂーア グイッチ」と読み、これで「こんにちは」だそうである。
04 アゼルバイジャン語 アルタイ(アゼルバイジャン、イラン)
トルコ人の留学生から聞いた話。彼が高校生のとき、「生物学世界オリンピック」という学生向けイベントに参加するため、アゼルバイジャンの首都バクーに向かった。旧社会主義圏ではこういう催し物が盛んだったのである。
アゼルバイジャン語を話す人はイランにもいる。イランの言語であるペルシア語は、アゼルバイジャン語と系統がまったく違う。それでも、アゼルバイジャン語はトルコ語に比べて、ペルシア語の影響が大きいという。
05 アフリカーンス語 印欧/ゲルマン(南アフリカ、ナミビア)
しかしアフリカーンス語をめぐる状況は、それほど穏やかなものでもない。南アフリカについてはアパルトヘイトがあまりにも有名で、何を語るにしてもこれを避けて通れないのだが、アフリカーンス語はアパルトヘイトを推進してきた人たちの言語。一九七六年にアフリカーンス語を黒人教育に導入しようとして、騒乱が起きたくらいである。ということで、評判はあまりよろしくない。これだけ嫌われている「マイナー言語」も珍しい。 それでもわたしはアフリカーンス語に魅力を感じる。「罪を憎んで言語憎まず」なのだ。
06 アムハラ語 アフロ・アジア(エチオピア)
アムハラ語はエチオピアの言語である。わたしの専門とはおよそ 繫 がりがないのだが、実は 密かにCD付き教材を買って、将来に備えている。 アムハラ語の魅力はその文字。エチオピア文字は音節文字で、独特のかわいい形がコロコロと並ぶ。音節文字なので数は多く、勉強するときにはタイヘンだろうが、こんな文字の読み書きができればなあと、夢が膨らむ。ただし、今ではかなりの文字が使える Word のフォントでも、エチオピア文字だけはまだ入っていない。
文字ばかりに注目しているが、アムハラ語には 放出音(コラム 10 参照) があるし、アフロ・アジア語族といいながら 喉音 を失っているし、言語学的にもいろいろとおもしろい。一時は社会主義体制だったり、内戦でもめたりと不安定な国だが、一度は訪れてみたいと狙っている。でも、個人では恐いからパック旅行にしようかな。 そういえば、ロシアの大詩人プーシキンはエチオピア人の血が流れているといわれ、本人もそれを誇りにしていたらしい。
07 アラビア語 アフロ・アジア(エジプト、サウジアラビア、アルジェリアなど)
アラビア語は秀才の言語だと信じている。 外国語学部でアラビア語を専攻する学生は、きっと外国語が得意なはず。高校までに英語だけでなく、ドイツ語もフランス語も独学でできるようになっている。ヨーロッパには飽きていて、だから日本ではまだまだ紹介が少ない…
そういう秀才はあの文字だって恐れない。実際、アラビア文字はとても難しそうに見える。「ミミズののたくったような字」なんていう人もいるけれど、よく見ればけっこう切れ切れだ。とにかく、恐れを感じるから「ミミズ」なのだろう。だが語学に興味がある人ならば、あれこそ克服したい目標。右から左へ書く難しさ。語頭と語中と語末で文字の形が少しずつ変わり、…
音だってなかなか手ごわい。舌を巻くなんてやさしいほう。たとえばバグダッドの「グ」は喉の奥をこすって出す。イスラム教国の教主兼国主であるカリフの「カ」なんて、詰まったものを吐き出すような音だと説明される。何も詰…
08 アルバニア語 印欧〔孤立〕(アルバニア、セルビアなど)
アルバニアのことは、つい忘れてしまいそうになる。 アルバニアは一九九〇年までは社会主義政権で、かつてはワルシャワ条約機構のメンバーでもあった。それなのに東欧関係者ですら、アルバニアの存在をときどき忘れているんじゃないかと、疑いたくなる。政権が変わってから、人々はどんな暮らしをしているのだろうか。そういえばアルバニアの旅行ガイドブックというのは、ついぞ見たことがない。 その言語であるアルバニア語はインド・ヨーロッパ語族に属するのだが、これも忘れてしまいそうになる。でも一九世紀に比較言語学が盛んな頃は、言語学者たちの注目を集めていたこともあったらしい。
アズキ色でそれほど厚くもないその本は、いかにも教科書らしい体裁。つまり、挿絵付きで少しずつ表現を教える古いタイプ。質はあまりよくないけどカラー印刷で、素朴なイラストがいかにも社会主義っぽい。qeni という信じられない綴りがあって、その上には犬のイラスト。教えたいことは分かるが、それにしてもqの後にu以外が続くと、勝手ながらなんとも居心地が悪い。このqはキュとチュの中間のような音だそうだ。じゃあ「キェニ」になるのかな。
09 アルメニア語 印欧〔孤立〕(アルメニアなど)
アルメニア語はカッコいい。 まず、文字がカッコいい。あのなんともいえない不思議なかたち。アルメニア文字は四世紀末、あるいは五世紀はじめに大主教メスロプ・マシュトツが創ったとされる。つまり、考案者まで分かっている文字なのである。このマシュトツについて詳しく知りたいのだが、そういう資料はやはりアルメニア語で書かれたものしかないのだろうか。
それから歴史がカッコいい。フランスの言語学者アントワーヌ・メイエによる古典的名著『史的言語学における比較の方法』(泉井久之助訳、みすず書房) でもっとも感動的なのは、なんといってもアルメニア語がインド・ヨーロッパ語族であることを証明するところである。思いもよらない音の対応と綿密な分析調査。日本語とインドの言語を無理矢理こじつけるようなのとは、レベルが違うのである。
はじめに克服するべきは、もちろん文字だろう。ドイツで出版された『アルメニア文字入門』 Einführung in die armenische Schrift は、まさにアルメニア文字の習字帳で、筆記体の書き順も含めて、 懇切 丁寧 に教えてくれる。また、Word のフォントにもアルメニア文字がある。インストールしておけば、それをポチポチ打ちながら文字を覚えることも可能だ。アメリカあたりでは子供向けのアルメニア語文字教本もある。西アルメニア語かもしれないけれど、こちらも覗いてみたい。 それにしても、アルメニア本国に入国するのは難しいのだろうか。
10 イタリア語 印欧/イタリック(イタリア、スイスなど)
一九九〇年代以降、日本における状況が激変した言語はイタリア語だろう。 それまでの日本は、不思議なくらいイタリア語に興味がなかった。それがNHKでイタリア語講座を放送するようになったあたりから、見る間にイタリア語熱が広まり、今ではロシア語はおろか、ドイツ語やスペイン語よりもメジャーになってしまった気さえする。
イタリア語はや���しいという伝説がある。多くの言語が難しいという濡れ衣を着せられているのに対し、羨ましいほどの好条件だ。ただし、勉強してみれば分かることだが、イタリア語だってそれほどやさしくない。動詞は面倒な活用をするし、冠詞だってある。発音だけは日本語話者にとって比較的やさしいが、それだって「比較的」に過ぎない。たとえば、平たいパスタであるタリアテッレ。この「リ」は舌の真中あたりを口の天井部分につけて発音し、「リ」と「ギ」の中間というか、とにかくこれをちゃんと発音しようと思ったら、ちょっと苦労する。楽な外国語なんてない。それでも、イタリア語は愛される。
11 イディッシュ語 印欧/ゲルマン(イスラエル、アメリカなど)
高校生の頃、日本橋の丸善へ一人で出かけ、洋書を眺めるのが好きだった。語学書コーナーには、いろんな言語の教科書や辞書とともに、ポケットサイズの会話集シリーズが並んでいた。二〇言語以上の会話集のほとんどが、英語の題名を見ればどこのことばであるか見当がつくのだが、一つだけ Yiddish というのが分からない。そこで書店員に尋ねてみると、「ユダヤ人の言語です」という答えが返ってきた。 だが、高校生のわたしにはピンとこない。ユダヤ人って、イスラエルに住んでいる人のことだろ。だったらヘブライ語じゃないのかな。無知な結論である。
ユダヤ文化に対して日本人は知識が非常に少ない。ナチスに迫害されたかわいそうな人たち。金儲けのうまい商人。果ては闇世界の実力者? そんなゴシップ週刊誌みたいな認識しかないのだ。
でもユダヤの歴史と文化を知らなければ、ヨーロッパもアメリカも理解できない。とくに東欧はそう。ロシアだって例外ではない。
イディッシュ語はゲルマン語派に属し、中世ドイツ語のいろんな方言をベースに、ヘブライ語やスラヴ諸語が混ざってできたものである。教材用のテープを聴いてみると、とてもドイツ語に似ている。おはようが「グート・モルグン」というくらいにそっくり。ただし文字はヘブライ文字だから、不思議な気分だ。
それでもイディッシュ語の出版物を探そうと、町の書店を歩き回ったら、一軒だけ特別コーナーを設けているところを見つけた。嬉しくなって、小説やら詩集やら、たくさん買い込んだけど、いまだに文字すら読めない。
12 インドネシア語 オーストロネシア(インドネシア)
アジアは好きだけど、海洋文化に興味のないわたしにとって、インドネシア語は遠い言語である。正書法はあまりにも素直で、ラテン文字には何の付属記号もない。語が変化しないインドネシア語は、動詞も名詞も形容詞もクルクルと形を変えるヨーロッパ系言語と付き合っているわたしには、むしろ拍子抜けしてしまうのだ。
インドネシア語で有名な話が二つある。まず、複数を作るときにその語を二回繰り返すこと。オランが「人」なら、「人々」はオランオランとなるわけである。もっとも、これがすべてではもちろんない。
こんなに魅力的なインドネシアとその言語なのに、津波などの自然災害や飛行機事故が、観光客や語学学習者を遠ざけてしまうとしたら、なんとも残念だ。一億人を超す世界有数のこの言語は、もっと注目されてい��はずなのに。
13 ウイグル語 アルタイ(中国など)
中国のように広大な国は、まったく趣の異なる地域も抱え込んでおり、それが懐の深さでもある。そういう奥深いところばかりを注目してしまうのが、わたしの性格。北京や上海よりも、 新疆ウイグル自治区のようなイスラム圏に惹かれる。あのうまそうな羊の串焼きを食べながら、アラビア文字の看板が並ぶバザールを歩いてみたい。
ウイグル語はアラビア文字で書き表す。一時は漢字を使うこともあったらしいが、今では再びアラビア文字。右から左にしか書けないこの文字は、数式だったら不便なこともあるのではないかと想像するのだが、それでも頑固に使い続けている。一つの国にいろんな文字があるのは、豊かなこと。でも、為政者はふつうそう思っていない。
14 ヴェトナム語 オーストロアジア(ヴェトナムなど)
いちばんはじめに入学した大学では史学科に所属していたのだが、そのときなんの気まぐれか、「ヴェトナム・キリスト教布教史」というたいへん特殊な講義を聴講した。受講生も当然少なくて、わたしを含めて五人。一人が休めば欠席率二〇パーセントである。
もう一つ特徴的だったのが、黒板に板書するときに、ヴェトナム語をしばしば書いたこと。地名や人名は当然だが、他にもキーワードやテーマをヴェトナム語で示した。受講生はみんなこれを写していたが、わたしはこの作業が大好きだった。
友人のヴェトナム語教師は「インドシナ科に入学するとき、ヴェトナム語、タイ語、ビルマ語のうちから、文字が分かりやすいヴェトナム語を選んだ」と笑うが、ヴェトナム語の文字もやはり独特の表情がある。それにしても、文字ってそんなに恐怖なのかな。
もっとも、人のことばかりはいえない。わたしにとって恐怖は声調。ヴェトナム語は六種類もあって、これを使いこなしているその友人は尊敬に値すると思っている。もちろん、ヴェトナム語は声調があるからこそ耳に心地よく、ヴェトナム語の教材CDを流すのは、音楽を聴いているのと同じくらい気分がいいのである。
15 ウェールズ語 印欧/ケルト(イギリス)
16 ウォロフ語 ニジェール・コンゴ(セネガル、ガンビア、モーリタニア)
マリナ・ヤゲーロはフランスの言語学者である。彼女の著作である『言葉の国のアリス』(青柳悦子訳、夏目書房) や『間違いだらけの言語論』(伊藤晃・田辺保子訳、エディション・フランセーズ) などは日本語でも読める。身近な話題をもとに言語の世界にアプローチしており、とくにフランス語を題材にすることが多いので、フランス語に興味のある人にはぜひ読んでほしい。また、父親がリトアニア系ポーランド人、母親がロシア人のため、彼女の著作はロシア語やポーランド語といったスラヴ諸語にも目を配っており、わたしは気に入っている。
さて、ウォロフ語である。日本ではほとんどなじみのないこの言語は、主に西アフリカのセネガルとガンビア、さらにはモーリタニアの一部で話される。ニジェール・コンゴ語族大西洋語派に属し、ということはわたしにとっても 皆目 見当がつかない。「こんにちは」がジャム・ンガ・ファナーンで、これは「夜を平安に過ごしましたか」という意味らしいが、まったくピンとこない。でも、すてきな発想だね。
17 ウクライナ語 印欧/スラヴ(ウクライナなど)
まだ中学生のとき、東京で開催されたソヴィエト映画祭に行った。会場ではこのイベントにちなんで、ソ連グッズの展示即売会が開催されていたのだが、そこで色彩の美しい民話をモチーフとした、でも文字の読めない絵本を記念に買った。この言語が読めるようになりたいなあという夢が、後にわたしをロシア語に向かわせることになる。 だが、この絵本はロシア語ではなく、ウクライナ語だった。 旧ソ連時代は、ロシア以外の諸共和国の物品が、いろいろと混ざっていたものだった。書店でも絵本などでは、ロシア語でないものだって珍しくなかった。
だが、ウクライナ語を学ぶ環境は、恵まれたものでは決してなかった。まず誰も教えてくれないから、独習になる。教科書を探すのだが、日本語で書かれたものが当時はなかった。それどころか、ウクライナで出版されたものさえ、手に入らない。さんざん苦労して、カナダで出たものをなんとか見つける。テープは知人から借りてそれを聴いた。辞書もウクライナ語─英語辞典、あるいはウクライナ語─ロシア語辞典を使った。それだって、手に入れるまで一苦労だったのである。
だが、こういうのもなかなか楽しい。英語のように教材があふれすぎているのも、考えようによっては不幸かもしれない。それに英語ほど広まってしまうと、たまたま買った一冊の絵本を、これほど魅力的に感じることも難しい。
18 ウズベク語 アルタイ(ウズベキスタンなど)
悔しいので、読めないウズベク語をせめて眺めることにする。案の定、さっぱり分からない。ウズベク語はチュルク系言語で、トルコ語の親戚。ロシア語と同じスラヴ系言語のウクライナ語やベラルーシ語のように、類推がつかない。 やっと友人と落ち合い、地下鉄に乗る。わたしは地下鉄が好き。嬉しくて車内をキョロキョロ見回す。場所はタシケントでも、地下鉄の車両はモスクワと変わらない旧ソ連型。だが、車内放送が違う。当然ウズベク語なのである。
ウズベク人の友人は「君だってウズベク語を知っているはずだ」という。そんなバカな。わたしがウズベク語について知っていることといえば、チュルク系言語なのに母音調和という母音のグループ分けがないとか、そういう言語学の知識に過ぎない。だが友人は譲らない。「ロシア語のサマリョート(飛行機) は、ウズベク語で何というでしょう?」「だから知らないっつーの」「答えはサマリョート」「なんだ、同じじゃん」「そうなんだよ」
19 ウルドゥー語 印欧/インド(パキスタン、インド)
たとえば東京外国語大学には二六言語の専攻課程がある(二〇〇八年度現在。減らないでほしいなあ)。それで、ここから先はわたしの勝手な想像なのだが、その中でも妙なことで苦労しているのは、ウルドゥー語専攻ではないかと思うのだ。
ウルドゥー語は、隣国であるインドのヒンディー語と、非常に近い関係にある。両者は同じ文法構造と日常語彙を有しており、いわば「一つの言語のうちの二つのスタイル」に過ぎないらしい。実際に、英米で出版された教材の中には、この二つの言語を Hindi-Urdu として、一冊で扱う語学書もある。
20 英語 印欧/ゲルマン(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど)
「英語の国」に行ったことがない。つまり、アメリカ、イギリス、オーストラリアといった、朝から晩まで英語漬けになりそうな環境に、身を置いたことがないのである。 そんなわたしにとって、今までもっとも英語を話していたのは、もしかしたらチェコの田舎町の学生寮かもしれない。ルームメートがアメリカの大学生だったのだ。
アメリカの大学生はよく勉強するというが、これはデイヴィッド君もそうだった。日中のレッスンは当然だが、夕方、部屋に戻ってくると、必ず一定時間机に向かう。
あるとき、デイヴィッド君が絵本を読んでいた。何かと思えば「くまのプーさん」のチェコ語版。「もう読めるの?」「ううん、それはちょっと」。そのあとのセリフが忘れられない。It's too heavy. だからイラストを見て楽しんでいるのだという。プーさんがハチミツを食べ過ぎて、穴から抜けられなくなる挿絵を見ながら、声を上げて心の底から笑っている。ふと、プーさんも heavy だったんだろうなと思って、それも 可笑しかった。
21 エスキモー語 エスキモー・アリュート(カナダ、アメリカなど)
「エスキモー」というと蔑称で、「イヌイット」というのが正しいと信じている人がいる。だがイヌイットというのはカナダのエスキモーしか指さないので、グリーンランドからロシアのチュコト半島まで広がるこの民族を、このイヌイットだけで代表させるとしたら、それはそれで問題である。一方「ユピック」というのは、南西アラスカでの名称。どうも、この民族の総称は簡単に決まらないようだ。ある学者は、当人たちが「エスキモー」という名称にそれほど嫌悪感を抱いてもいないようだから、日本ではこれを使うのもやむをえないのではないかと提言する。わたしもこれに従う。
エスキモー語は、一つの言語というより、 互いに通じない 六つの言語の総称と考えたほうがいいらしい。古典的な類型論で考えると、エスキモー語は抱合語に属する。接頭辞や接尾辞のような要素がたくさん繫がっていくので、一つの語がやたらと長く見える。いや、正確には「語」ですらない。言語学で「単語」という用語を避けるのは、このエスキモー語のようにちっとも「単」ではなく、英語とも日本語とも違う構造の言語があることを考慮しているからだ。
22 エストニア語 ウラル(エストニアなど)
その頃はロシア語を一生懸命に勉強していたのだけれど、ロシア以外の諸共和国にも興味があり、とくにバルト三国のエストニア、ラトヴィア、リトアニアは憧れだった。もちろんそれぞれの国にそれぞれの言語があることは知っていて、中でもエストニア語は他の二言語、つまりラトヴィア語やリトアニア語と違って、フィン・ウゴル語族のフィンランド語に近いというのがさらにおもしろかった。当時のわたしは、できることならフィンランド語やエストニア語の専門家になりたいとまで思っていた。
23 オランダ語 印欧/ゲルマン(オランダ、ベルギーなど)
とにかく、ヨーロッパの小国の言語が、アジアの小国の言語にこんなにも影響を与えていることが、幼いわたしにとって、妙に気になっていた。だから大きくなったら、蘭学とか長崎の出島について、もっと知りたいなと考えた。後に本を何冊か読んでみたのだが、残念ながら、おもしろいものにはいまだに一つも出合っていない。
福沢諭吉だったか、あるとき横浜を訪れてみれば、英語の看板がいっぱいあって、これからは蘭学ではなく英学だと判断した話を、どこかで聞いたことがある。先見の明があることをいいたいのだろうが、わたしから見ると、日本人が役に立たなくなったものをいとも簡単に捨てる象徴に思える。
今の日本にはオランダ語の面影はないのか。行ったことはないが、長崎は最近になって昔の出島を整え、オランダ文化を受け入れた地であることを大切にするようになったらしい。でも、言語はどうなんだろう。
24 カザフ語 アルタイ(カザフスタンなど)
中央アジアの人にいわせると、わたしはカザフ人に似ているらしい。とくにウズベク人がそういう。もちろん、カザフ人自身もそのような評価を下す。中央アジアの人々なんて、みんな同じアジアの顔ではないかと思ったら大間違い。彼らには彼らなりの区別が存在する。
25 カタルーニャ語 印欧/イタリック(スペインなど)
26 広東語 シナ・チベット(中国)
中国の言語事情は難しくてよく摑めない。北京の言語をもとに創られた標準中国語が、幅広く使われていることは知っている。一方でさまざまな方言があって、通訳がいなければ通じないほど違っているとも聞く。
それにしても、広州市や香港では、広東語だけでいいのだろうか。中国語が分からなくても困らないのだろうか。そういえばこれだけ中国語が注目されて、大学に「中国語学科」はたくさん設置されても、「広東語学科」というのを聞いたことがないのはどうしてなのか。 漢字を共通として繫がる中国の言語世界。そこには世界でもユニークな言語事情があると 睨んでいる。
27 カンボジア語 オーストロアジア(カンボジアなど)
いつも持ち歩いている鍵の束に、カンボジア文字をデザインしたキーホルダーがついている。ココナツの殻でできているこのキーホルダーは、細長くて、上が少しだけ曲がっていて、下はクルンと巻いている。なんとも説明しづらい形なのだが、これがわたしのイニシャルであるRの音を示しているらしい。 このキーホルダーは東京外国語大学のカンボジア語の先生からプレゼントされたものである。さるきっかけから、カンボジア語専攻の学生さんに、年に一度だけ講演をするようになって、これはそのお礼にもらったのだ。
28 ギリシア語 印欧〔孤立〕(ギリシア、キプロスなど)
現代語と古典語があったら、現代語から学ぶのが一般的なはず。ところが、ギリシア語だけは例外かも知れない。古典ギリシア語を学ぶ大学生や高校生は、世界中でたくさんいるけど、現代ギリシア語を学ぶ人の数は、非常に限られる。ギリシア本国に約八七〇万人、さらにキプロスなどに一〇〇万人の話者がいるにもかかわらず、である。
29 キルギス語 アルタイ(キルギスなど)
ソ連崩壊直前の一九九〇年代、諸共和国は���こも独立気運が高まり、独自性を 謳うようになった。中でもキルギスは面倒な国。その国名もソ連時代はキルギス・ソヴィエト社会主義共和国だったものが、一九九〇年一〇月二六日にはキルギス社会主義共和国、同年一二月一二日には主権宣言を採択してキルギスタン共和国、さらに九三年五月の憲法改正でキルギス共和国と、目まぐるしく変わっていったのである。
30 グルジア語 コーカサス(グルジア)
旧ソ連のワインといったら、赤ならムクザニ、自ならツィナンダリ。どちらもロシアではなく、グルジア産である。東京の麻布十番にこれらを売っている店を見つけ、以来、とくに好きなツィナンダリを買いにときどき出かける。
31 クロアチア語 印欧/スラヴ(クロアチアなど)
わたしの外国語学習歴の中で、いちばん微妙な位置にあるのがクロアチア語である。 学生時代、せっせと学習していたのはセルビア語だった。この言語を学ぶためにわたしが通った講座名もそうだったし、講師の先生もセルビア人だった。だが教科書は『外国人のためのセルビア・クロアチア語』(英文)。この関係は非常に分かりにくい。
二〇〇〇年以降では、クロアチアに二回出かけた。クロアチアはヨーロッパで有数のリゾート地を抱える国であり、最近は日本でも観光ガイドブックが出版されはじめている。そこに出かければ、わたしはクロアチア語を使っている。それほど 流暢 でもないが、旅行者としては不自由ないくらいには通じる。ありがたい。
32 コサ語 ニジェール・コンゴ(南アフリカなど)
33 サーミ語 ウラル(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア)
34 サンスクリット語 印欧/インド(インド)
この言語は「サンスクリット」のように「語」をつけない表記も見かける。そもそもサンスクリットというのは「完成された言語」「純正なる言語」という意味。 梵語 ともいうが、これはインドのブラフマンすなわち 梵天 が造った言語であるという伝説に由来するそうだ。でも「語」をつけてはいけない決定的な理由はよく分からない。もしかしたらいくぶん不正確かもしれないが、ここではサンスクリット語に統一する。
もう一つは言語学の言語として。比較言語学のきっかけを作ったウイリアム・ジョーンズは、インドに赴任してサンスクリット語に出合う。彼が偉かったのは、サンスクリット語とギリシア語・ラテン語を直接的に結び付けず、「失われた言語から分かれた」と考えたところ。とにかく、サンスクリット語はインド・ヨーロッパ諸語を研究するうえで不可欠の言語となった。わたしにとっては、こちらがとくに大切。
サンスクリット語はナーガリー文字で書き表す。考えてみれば、インド・ヨーロッパ比較言語学を本格的に学ぶためには、いろいろな文字を知る必要がある。ときどきラテン文字に転写して説明したサンスクリット語文法があって、そういうのを眺めているとやっぱり他のインド・ヨーロッパ諸語に似ていると感じる。でも本当は、ナーガリー文字で読むべきであり、こういう無精なことではダメなんだよなあ。
多言語国家インドでは、公用語の一つにもなっている。あれ、サンスクリット語って古典���じゃないの、と疑問に思う方へ。わたしだってそう考えていた。でも統計によると、現代でも三〇〇〇人近くのインド人がこの言語を「日常家庭で使う言語」としているというのである!
35 ジャワ語 オーストロネシア(インドネシアなど)
56 トルコ語 アルタイ(トルコなど)
ドネルケバブをご存知だろうか。羊肉や鶏肉の塊を専用のロースターで 炙りながら、こんがり焼けた表面をそぎ落として食べる料理である。この肉に加え、キャベツ、玉ねぎ、キュウリなどの野菜を、ピタというパンを開いて中に入れてサンドイッチにするドネルケバブサンドは、トルコ人の多いヨーロッパでもすっかり定着した。
57 日本語 系統不明(日本)
58 ネパール語 印欧/インド(ネパール、ブータン、インド)
ネパール語はネパールの言語である。 だが、それ以上のことは何も知らないことに気づく。そういうときは調べるしかない。 まずその話者数。三省堂『言語学大辞典』によれば、ネパール語はネパール王国の人口一六〇〇万人のうち半数以上が母語として使用し、その他の住民の第二言語としても広く用いられているという。だが現在の統計では、そもそも人口がこの二五年間で一〇〇〇万人ほど増えたようで、それでは言語人口の現状がまったくつかめない。最新の情報を得るのは、想像以上に難しい。いずれにせよ、ずいぶん多いではないか。どうも、アジアの諸言語はその言語人口がかなり多い気がする。ヨーロッパでは、一〇〇万人に達しない言語だってめずらしくないのに。そう考えると、ネパール語が「大言語」に見える。
言語が「大きい」とか「小さい」とかいうのは、その言語人口を基準に判断されることが多い。たくさんの人が話していれば大言語で、人数が少なければ小言語というわけだ。英語は世界の共通語であるとか、中国語が話せれば一〇億人以上と話せるなどというのは、このような言語人口に基づく意見である。
また、一人一言語とも限らない。わたしの個人的な知り合いには、一人で複数の言語を日常的に使用している人がいくらでもいる。また、ある地域ではバイリンガルやマルチリンガルがふつうということもある。そうすると、国の人口と言語人口は一致しないことになるが、そこのところはどうなんだろう。
59 ノルウェー語 印欧/ゲルマン(ノルウェー)
60 ハウサ語 アフロ・アジア(ナイジェリア、ニジェールなど)
61 パシュトー語 印欧/イラン(アフガニスタン、パキスタン)
62 バスク語 系統不明(スペイン、フランス)
バスク語文法の概説でもするのかなあというこちらの予想に反して、授業はきわめて実践的なものであった。ふつうの外国語の授業と同じように、語彙を覚え、文を組み立てる練習をするのである。最後には短いスキットを 暗誦 して、そうそう、在日バスク人が集まるバスク祭に出かけたっけ。とはいえ、この言語については見事なまでに忘れている。大袈裟でもなんでもなく、いまこうして目をつぶって思考を集中させても、バスク語の単語が一つも浮かんでこない。
バスク語の魅力は能格構文だけではない。この言語、スペイン側で約六〇万人、フラ���ス側で約一〇万人というとても小さな言語なのだが、世界に散らばっていったバスク人には経済的に成功している人が少なくなく、その寄付金で夏期バスク語講座が開かれていると聞いた。勉強する環境は整っている。さらにバスクはグルメな土地柄。言語以外にも楽しそうではないか。
63 ハンガリー語 ウラル(ハンガリーなど)
黒田さんは東欧の言語にお詳しいようですね。では、ハンガリー語もお分かりになるのですか。 このような質問をよく受ける。お答えしよう。いえ、まったくできません。 いわゆる東欧地域の言語でも、わたしが勉強してきたのはスラヴ系だけである。ベルリンの壁崩壊前の国名でいえば、ポーランド、チェコスロヴァキア、ブルガリア、ユーゴスラヴィアの諸言語に限定される。ハンガリーはスラヴ系ではない。 他の東欧諸国の言語となると、ほとんど分からない。スラヴ系でない東欧の言語としては、他にルーマニア語やアルバニア語があるのだが、これらはインド・ヨーロッパ語族なので、たまには見当のつく単語もあるのではと期待ができる。だが、ハンガリー語はウラル語族に属し、そんな期待すら持てない。
スラヴ圏でもハンガリー語と出合うことがときどきある。スロヴァキアでハンガリー語はかつて支配層の言語だったし、今でもそれなりに浸透している。首都ブラチスラヴァの書店にはハンガリー語書籍コーナーがあるし、古本屋ではハンガリー語が読めないと一人前に扱われないと聞いた。またスロヴェニアでは、ハンガリー語が少数言語として認められており、北東部では教育も受けられるし、テレビやラジオの放送もある。
64 パンジャーブ語 印欧/インド(パキスタン、インド)
パンジャーブ語はインドからパキスタンに分布する言語である。話者人口は七〇〇〇万人を超え、言語人口ランキング二〇位内に必ず入るくらいの有力言語だ。インドは言語の宝庫。わたしたちになじみのない数々の言語が、数千万人単位で話されている。しかし、人口の多さと学習者の数は比例しない。 パンジャーブ語はパキスタンとインドで文字が違う。パキスタンではウルドゥー文字、すなわちペルシア文字というか、アラビア文字にいくつか加えたもので書き表される。一方インドではグルムキー文字という、インド系の独自文字を使う。かつてのセルビア・クロアチア語を思い出させる。
65 ビルマ語 シナ・チベット(ミャンマー)
66 ヒンディー語 印欧/インド(インドなど)
ヒンディー語では「こんにちは」の挨拶を「ナマスカール」あるいは「ナマステー」という。ただしこれはヒンドゥー教徒のつかう表現で、イスラーム教徒は「アッサラーム・アレークム」というらしい。複雑だ。
いろいろな宗教が混在する中で、ヒンドゥー教徒はインド人口の約八割を占めるという。だが、インドは日本人にとってお釈迦さまの生誕地。「ナマスカール」「ナマステー」の「ナマス」は、「南無阿弥陀仏」の「南無」に関係するそうだけど、では仏教とヒンドゥー教はどういう関係になっているのかといえば、わたしは何も分かっていない。
インドは英語の通じる国。このイメージが強すぎる。インド英語はクセがあることで有名だけれども、とにかく英語は英語。なんとかなりそうな気がしてしまうところがいけない。最近はインド投資ブームなのに、それにともなって新たな外国語学習ブームが起きる兆しは、残念ながらまったく見えない…
多民族国家インドにおいて、ヒンディー語の通じる地域は実のところ限られている。ヒンディー語は英語に次ぐ地位を占めていないのだ。これは外国語学習の動機として、大問題である。せっかくインドの言語としてヒンディー語を学んだとしても、通…
それでも、ヒンディー語を紹介した入門書や会話集などを読めば、インドを知るためにヒンディー語の学習を薦めている。北インドでは便宜的な共通のことばとして、ヒンディー語が使われる。南インドでも聖地や観光地では北インドからの旅行者がいるから、その人たちと話ができる。後者については、なんだかイマイチ納得がいかないけれど。…
67 フィリピン語 オーストロネシア(…
68 フィンランド語 ウラル(フィンランドなど)
69 フランス語 印欧/イタリック(フランス、カナダ、スイス、ベルギーなど)
フランス語教師が好むことば。 「明晰でないものはフランス語ではない」 リヴァロルが『フランス語の世界性について』(一七八四年) という著書の中でこう述べたそうだ。ある解説によると、リヴァロルはフランス語の特徴が論理性にあると考え、それを支えるのがシンタクスすなわち統語論で、だからフランス語が論理的なのだという。
あんまり自慢話をされると、意地悪なことを考えてしまう。たとえば、フランス語について一般にいわれているのは、基礎語彙が少ないということで、ある統計によれば、基本語一〇六九語で実に八二~八六パーセントを占めるそうだ。ということは、基礎語彙が多義性を持っていることになる。ところで、それって明晰?
70 フリースランド語 印欧/ゲルマン(オランダなど)
71 ブルガリア語 印欧/スラヴ(ブルガリアなど)
ブルガリアが大好きだ。旅行するのに、あんな楽しい国はない。食べ物はおいしいし、本は安いし、おまけにことばも「なんとなく」通じる。
72 ヘブライ語 アフロ・アジア(イスラエル)
東京・銀座の教文館という書店には、キリスト教関係の洋書コーナーがある。中でも聖書はいろんな言語が充実していて、学生から院生の頃はよく通っては眺めていた。 古代スラヴ語とか中世ロシア語でキリスト教文献を読むため、スラヴ系の言語による聖書を手に入れるのが目的だったのだが、他の言語訳だってパラパラとページを 捲りたくなる。中でも、なんといっても貫禄があるのが、旧約聖書のオリジナル言語であるヘブライ語だ。
73 ベラルーシ語 印欧/スラヴ(ベラルーシなど)
ベラルーシ語は奇妙な言語である。 まず、いくら探しても入門書が見つからない。概説書には例文や会話が少しばかり載っていたが、いわゆる外国人向け教科書がないとは不思議だ。 さらに不思議なのは、誰も話していないことである。ベラルーシ共和国の首都ミンスクに、ベラルーシ語の初級講座を受けるために三週間滞在した。大学の授業中はもちろんベラルーシ語。でも、街中へ出かけたら��うチャンスがない。みんなロシア語を話している。がんばってベラルーシ語で話しかけてみたところで、冷たい視線を投げかけられるばかり。
74 ペルシア語 印欧/イラン(イラン、アフガニスタンなど)
ペルシアは豊かな文化を持つ。とくにその詩を中心とする言語文化には、古くからの伝統がある。朗誦も美しいが、書かれたペルシア文字も魅力的。アラビア語とは少し違う書体であることが、文字の読めないわたしにも感じられる。
国際情勢ばかりで世界をとらえていると、ペルシア語を使うイランという国には明るい話題が少ない。偏見も根強い。あるイラン人の学生が、イランの出身というと、石油の話ばかりされるとこぼしていた。少ない知識をもとに共通点を探ることに、悪意はないかもしれないが、なんだか情けない。 ペルシアはやはり詩と 薔薇 の国というイメージでいきたい。
76 ベンガル語 印欧/インド(バングラデシュ、インド)
バングラデシュは一時、東パキスタンとなっていた。この頃はウルドゥー語政策が推進され、ベンガル語をアラビア文字で書こうとしたらしいけど、うまくはいかなかった。この言語問題がきっかけで、パキスタンから分離独立したともいう。
77 ポーランド語 印欧/スラヴ(ポーランドなど)
ポーランド語はわたしにいわせれば大言語である。スラヴ諸語の中では言語人口も多いほうだ。昔からアメリカ大陸には、ポーランド語を使う移民たちがいる。さらに最近はイギリスでポーランド人が急増しており、そうなると世界で通じる気がする。スラヴ研究者にとっては必修の言語。勝手にそう信じ込んで、大学院生の頃にはせっせと勉強していた。
79 マオリ語 オーストロネシア(ニュージーランド)
80 マケドニア語 印欧/スラヴ(マケドニア)
84 ラテン語 印欧/イタリック(──)
研究社『新英和大辞典(第六版)』の巻末に、Foreign phrases and quotations としてラテン語を中心とする外国語の慣用表現が八〇〇ほど収録されている。英語圏のインテリ層にはこういうフレーズがおそらく常識であり、教養なのだろう。そういった教養のないわたしが眺めていてもなかなかおもしろい。辞書は知らない語を引くばかりではない。
ラテン語は会話の必要がないので、自分勝手に勉強できるところが魅力である。教職志望の学生たちにも、自分勝手でいいからラテン語を始めてほしい。
85 ラトヴィア語 印欧/バルト(ラトヴィアなど)