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3.11以降、馳星周が作風が変わったのは私でなくともこれまでの作品を読んでいる方は感じていることと思う。そんな3.11以降の作品の中では1番良かったかもしれない。結末は何となく見えてしまうものの、自然を前にした極限状態での心理描写はここ最近の物足りなさを吹き飛ばしてくれる。
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邂逅とすれ違い。暗すぎる中でも1筋の光が見えたが逝ってしまった。面白さだけを問うならば評価は低いかもしれないが、何か静謐さを感じさせる作品だった。
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どうして生まれてきたんですか。どうして生き続けなければならないんですか。ありがとう。潤 悲しすぎる。感動した。
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山の神に会うべく,ひとり霊山御嶽へ向かった薄幸の少年。自然が猛威をふるう中,生きる意味を求めてさまよう少年,そして,少年を救うべく後を追う強力の男…。少年が山を目指す動機が弱いし強力がなぜそこまでして少年を助けようとするのかも弱い。山の描写はさすがだが,結局何が描きたかったのかな?
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悲惨な人生を送ってきた少年・潤は“神”に救いを求め、霊山・御嶽へ向かう。そんな潤を、荒天の中、強力の孝が捜索することに。神とは? 人間の絆とは? 極限状態の人間心理を描いた山岳小説。『小説すばる』掲載を書籍化。
母はスナックのママ。男癖が最悪。祖父に育たれた。高校に行けず給料は母にとられる。冬の御岳を一人で登り神様との遭遇を期待。あまりの軽装のため頂上で泣き祖父の面影尾も出しながら死ぬ。頂上で霧虹と 雷鳥を見る。
独身の強力。スナックのママから息子が御岳に行っている。あなたの息子だと言われ救出に向かう。強力の伯父。兄弟がいない。本物の息子が否かが関係なしに救出に向かうが発見した時は死んでいた。
御岳の噴火で仕事も減っていた。
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若い潤が 命を削って木曾御嶽山を登ります。 ただただ 潤がかわいそうで・・・ 白虹の中に やはり山の神は居るのかもと思う 美しく 恐ろしい 祈っても 何も変わらなくても 人は山に神を見る気持ちが 伝わる小説でした
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孝に潤を救って欲しかった。そんな願いは叶わず、潤は逝ってしまった。感謝の言葉を繰り返しながら。フランダースの犬のネロのように安らかな表情で潤は死んでしまった。
山岳小説なので馳星周だということを忘れていた。きっと父と息子が邂逅できるラストが待っていると祈るように信じながらページをめくり続けた。でも、馳星周。ラストはこうなるんだよなあ。
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物語が展開する場所も時間も登場人物も限られているせいか、なんか舞台劇を見てるみたい。それにしても遣る瀬無い。ホント、『フランダースの犬』みたい。
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『蒼き山嶺』の原点はこちら。二年前の作品で山岳小説としては粗削りだが、『蒼き山嶺』のように国際冒険小説というのではなく、薄幸な少年の眼を通して神様の宿ると言われる山岳信仰の山・御嶽山のみが救いのように見えたというところに本作品の出発点がある。
彼を取り巻く環境はおとぎ話のように薄幸でたまらないけれども、そういう家庭もあるのだろうなという想像は容易につくから、想像上だけの出来事でもないと思う。
現実に涸沢にボッカしている時中学生くらいの独り旅の男の子に会って、何も装備していない事情などを聴いて説教したことがあるけれど(現実にはぼくではなく女子の先輩が心配してあれこれ問い詰めたのだが)、なぜこんな少年が穂高なんかに来てしまっているんだろうという疑問は残った。
この作品では大人の世界の代表のような形で、御嶽山で強力を職業にしている中年男性が登場する。この小説の登場人物は少年と強力の二人だけだと言ってもよい。この二人のそれぞれの御嶽山での彷徨を題材にして一冊の小説を書いてしまったわけだが、そのこと自体は相当の難業であったのではあるまいかと思う。
ストーリー以上に二人の人生を内省する場面、希望や落胆、愛や虚無などが心に泡のように浮かび上がっては消えてゆく心のストーリーと、二つ玉低気圧がもたらす風と初雪に曝されて地獄の様相を帯びてゆく山中の肉体的苦痛との描写が交代しては舞台上に上がってゆく。
大自然の美も醜も味わう世界は、物語の三年前に唐突な火山爆発によって多くの死者を出した御嶽山である。多くの山岳信仰の歴史を集積した、神の宿る山であり、火山弾という悪魔の武器をも持てる山なのである。
舞台と物語さえあれば作家は小説を書くことができる。そんなことを証明するかのような力作である。
ちなみにぼくは木曽福島という土地に一宿一飯のお世話になった家がある。友人の姉がそこに嫁いだということで、穂高合宿の帰りに友人とともに厄介になったのである。その一家は御嶽山の高山植物を押し花にして土産物のしおりを作る代々の工芸家系であった。夜には木曽川の底の大岩が強い流れに転がる音が響く家でもある。
友人の姉夫婦に車で連れられ、作中で少年が登山を始める登山口までワインディングロードを走った。少年は自転車でここまで辿り着く。そういえば馳星周は風間一輝の自転車冒険小説『男たちは北へ』を絶賛していたことがある。
ぼくは御岳と谷を挟んで対面の木曽駒ヶ岳は冬季に登ったことがあるが、御嶽山には登ったことがない。本書は、御嶽山の魅力も恐ろしさも、人間の美しさも悲しさも込められた何か執念のようなものが感じられる一冊であると思う。
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凄いな・・・
凄い小説だな・・・
いくつかの「凄さ」を感じた。
序盤から、
クライマックスを読んでいるかのよう。
潤と孝のこれまでの人生を背景に、
雪と強風に見舞われる荒天の中、
苛酷な御嶽登山が、「これでもかっ」と、
延々と続く・・・
その描写の臨場感が半端なくて、
延々と緊張感を感じながら読み進めた。
いや、凄い・・・
しかも登場人物は実質この二人だけ。
しかも舞台はほぼ御嶽登山のみ。
いや、凄い・・・
延々雪と強風吹き荒れる登山で、
色は白いがものさびしくて、
本来なら途中で読むのを辞めるパターン、
かもしれないのに、
この二人と御嶽だけの世界にはいってしまい、
ページを捲る手が止まらないって、
どういうこと!?
そして最後は涙がこぼれ、
読み終えた後は、
この凄さに呆気にとられました。
***以下、ネタばれ***
願わくば、潤が生きて孝に見つけてほしかった。
でも、微笑みながら、
満足そうな顔をしていた潤は、
最後の最後は幸せだったかもしれない。
そのまま幸せに生きていってほしかったけどね。
孝の流す涙に心を打たれ、
私も涙がでてきました。
潤を背負い、涙を流しながら下山する孝の姿が、
読み終えた後もしばらく写っていました。
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潤は雪山で死んでしまった。
死ぬつもりで山に登った訳では無かったので、救われて新たな人生を歩んで欲しかった。
雪山の描写が壮絶で、行き着く間もなく読み終えてしまいました。