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絶望的な気持ちになるが、ジャーナリストのあるべき姿と、少ないながら、日本のジャーナリストが動き出していることにかすかな希望が。
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もしかすると一般にあまり知られていないことかもしれないので、まず、確認しておきます。
メディアにとって最も大事な仕事、そのぎりぎりの勘所を教えろと云われれば、それは「権力監視」、英語で云うところの「ウォッチドッグ」です。
嘘だと思うなら、新聞記者を100人捕まえて、同じ質問をしてください。
93人はそう答えるし、別な答えをした7人は記者失格です。
特に、大手メディアの記者は高いお給金を貰っているのですから、厳しい緊張と地道な取材を強いられる権力監視にこそ力を注ぐべきです。
権力監視こそがメディアの最大の仕事ですから、メディアが政権批判をして褒められることはあっても、批判されるいわれはありません。
これについては右も左も時代遅れもへったくれもありません。
仮に神様のような人知の及ばぬ強大な力が働いて、「メディアは今日から政権批判をしないことになりました」となれば、心ある記者は途方に暮れるはずです。
むしろ、政権を批判せず、ちょうちん持ちのような記事を書いているようなメディアがあれば、それは国民の負託に応えているとは到底云えません。
なんとなれば、権力は必ず腐敗するからです。
嘘だと云うなら、腐敗しなかった権力を1つでもいいから教えてください。
もっとも日本の場合は、腐敗する前に倒れてしまうという笑うに笑えない状況が長らく続いてきたのですが。
話を元に戻すと、権力監視こそがメディアの最も大事な仕事です。
ところが、日本のメディアは、特に近年、この大事な仕事をないがしろにしているのではないでしょうか。
個別具体的な事例を示しながら、そう訴えているのが本書。
著者はニューヨーク・タイムズ前東京支局長のマーティン・ファクラー氏です。
もっともメディアは何ら理由もなく、この大事な仕事を放棄してしまっているわけではありません。
本書ではまず、安倍政権の巧みなメディアコントロールに言及します。
一言で言えば、メディアを「敵と味方」に分断したのです。
さらにノイジーマイノリティーに過ぎないネット右翼を巧みに利用しているフシがあります。
この点、「穿ち過ぎ」という反論が予想されるところですが、権力がメディアをコントロールしないと考える方が私には余程幼稚な考え方に思えます。
朝日が一連の誤報問題で安倍政権から攻撃を受けた際、産経や読売などは激しい「朝日バッシング」を展開し、特に読売はここぞとばかりに露骨に朝日の購読者を奪いに行きました。
ところが、読売は朝日以上に部数を減らしてしまいました。
何とも皮肉なことです。
米国でも報道機関ごとに政治的・思想的な特色がありますが、「少なくともアメリカでは、朝日新聞が政権から攻撃を受けたときに他のメディアが政権と一緒になってバッシングするような状況は、私の知る限り見たことがない」そうです。
なぜなら、「ジャーナリスト同士が潰し合いをするなど、言論の自由の自殺行為であり、愚かな同士討ちでしかないと皆がわかっているから」です。
もちろん、朝日新聞の誤報は問題です。
従軍慰安婦問題を巡って虚偽の「吉田証��」に依拠した記事を掲載したことは重大な誤りです。
ただ、記者が意図的に誤報を載せたわけではありません。
頭が相当に不調でない限り、文字通り自殺行為でしかない「誤報」を記者が故意に載せるわけがないからです。
他紙も「吉田証言」に基づいた記事を載せたことも考え合わせれば、朝日は当該記事の取り消しではなく、検証記事を載せるだけで十分だったのではないかという著者の意見に私も同意します。
さらに、福島第一原発事故を巡る「吉田調書」については、せっかくスクープを手にしたにも関わらず、事実を誤って伝えてしまいました。
ここでも他紙は「川に落ちた犬は棒で叩け」とばかりに朝日バッシングを展開しました(ちなみに「川に落ちた犬は棒で叩け」は韓国のことわざで、古き良き日本人には理解しかねる感覚でしょう)。
ただ、著者は、吉田所長への詳細なインタビュー記録と所員ら計772人分の聴き取り調書が存在したにも関わらず、政府がこれを隠蔽していたことの方が問題ではないかと実に真っ当な批判をしています。
たかが700万部(失礼)の朝日の誤報より、福島第一原発事故の真相解明につながる調書が隠されていたことの方が国民にとってはるかに重大です。
このことひとつ取っても、メディアは国民の負託に応えていないということが云えます。
権力監視にとって重要な手段である「調査報道」が世界的にも減って来ている現実、その背景にデジタル化の進展で当局が電話やメールを盗聴、盗み見することが技術的に容易になったことがあることなど、「権力監視」を最大の使命とするメディアにとっては厳しい時代となっていることが本書を読んで分かりました。
そうそう、私の故郷の猿払村のことが取り上げられていて驚きました。
猿払村では戦時中、朝鮮人や日本人の服役囚を強制労働させて浅茅野に飛行場を造らせましたが、死亡者はまともに葬られませんでした。
そこで石碑を建立して2013年に除幕式を行う予定でしたが、ネット右翼からの猛烈な電凸やメール攻撃にさらされて断念しました。
ところが、ブロック紙として多くの道民読者を抱える北海道新聞も朝日も読売も毎日も猿払村を擁護してくれませんでした。
これを読んで私は失望しました。
著者は「言論の自由を守る戦いに、右も左もない」と云います。
その通りだと思います。
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日本のメディアはこういう時こそスクランブルを組んで今の政権に立ち向かうべきなんだ。互いに撃ち合いをするのは政権に有利になるばかりで益はない。分断すればするほど権力側は喜ぶ。
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今の安倍第二次政権のメディアコントロールについて批判してある本。外国人だから書けるのであろうか。
今の危険な状況を憂い、それでもほんの僅か見える希望に期待を寄せている。
・「脱ポチ宣言をした朝日新聞特別報道部がバラバラに解体
・日本で最もジャーナリストらしい活動をしているのは、記者ではなく弁護士
・ニューヨークタイムズの今の全体収入の55%は、紙とデジタル版双方の購読収入。デジタル版に100万人の有料読者がついているおかげで、スポンサータブーを気にせず自由に記事が書ける。
・早稲田大学ジャーナリズム研究所は、調査報道に取り組む若いジャーナリストを育てようとしている。
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2016年刊行。著者は㈶日本再建イニシアティブ主任研究員。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長。
元NY.T記者・同東京支局長の経験を活かし、日本の新聞、その新聞に圧力をかける安倍政権(殊に内閣官房)の問題点を開陳し、厳しく糾弾する。
「全く仰るとおり」という感想しか湧いてこない。NYタイムズに購読紙を変えようかと思うほど(嘘だけど)。
一番笑ったのは、朝日バッシングに際して、それを進める中、自社販促に邁進した読売新聞につき、朝日以上にその購読者実数を減らした事実である。まぁ、他の要因、ネットを含めた情報媒体の多様化に伴い、新聞講読にさしたる価値が見出せなくなった可能性も否定できないけれど…。
何はともあれ、私の拙いレビューで知るよりも、多くの人に読まれる方が良いことは確かな書である。
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奇しくも森友学園問題が明るみになった時に、読み終えました。
違和感や疑問が残りつつも、1つ言えることは、右が居れば左がいて、それでバランスが取れていたのではないでしょうか?
SNSを見ていると、左右派・与野党支持者関係なく、自分とは異なった考えや政党を支持するものに対し、言論を弾圧しているのも事実。
それを安倍総理が利用しているのであれば、我々国民にも責任があると思います。
ただ、メディアの責任はないのか?と言えばそうではなく、偏った報道をし、反日感情を煽ったのは報道する立場の人たちで、それに対し違和感や嫌悪感を抱き始めたことも事実ではないでしょうか?
この本もそうですが、私でも知っているような情報を、著者が知らないはずが無く、都合の悪いことはふたを閉めているように感じます。
報道する以上、最後まで責任を取らなければいけないはずなのに、報道の自由を振りかざし、都合が悪くなると閉ざしてしまう。
それで言論の弾圧だと騒ぐのは勝手すぎるように感じます
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日本のメディアが政権に屈している現状がつぶさに理解できた。特に印象に残ったのは、北海道猿払村がネットによる右翼からの攻撃を受け、当初計画していた朝鮮からの強制連行の被害者を悼む石碑建立を諦めた件だ。また、調査報道言う言葉やアメリカのメディアは言論弾圧に対してはライバル社であってもスクラムを組んで闘うのに、日本はバラバラであるとの指摘も記憶に残った。
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民主主義について考えさせられた…。
朝日バッシングから始まった植村氏叩きや全体主義まがいの「反日」レッテル貼り。日本のメディアの未熟さ。
ヤクザに入れ込むのはどうかと思うが。この辺は取材対象に傾倒しすぎたミイラ取りの記者クラブ記者さながら。
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安倍ちゃんの頭脳の程度は「はじめに」で紹介されている。
ニューヨークでのアウェイでの記者会見、世界では常識ではあるが、首相にとっては想定外の質問が飛び出し、すっとんきょうな答えしか言えなかったことがあった事実。
ホームにおいては、事前に周到に準備された想定問答での、準備したペーパーを丸読み。
普通、先進国の民主主義国家ではあり得ない、政府とジャーナリズムの世界の実態が冒頭に書かれている。
そんなことで、まず
第1章 安倍政権のメディア・コントロール
主な項目:安倍政権の「圧力」を前に腰砕けになった
大手メディア
日本外国特派員協会での記者会見から逃げる
自民党
ここから言えることは、結局、弱いもんいじめの内弁慶
なのだ(笑)。
第2章 メディアの自壊
朝日の不手際に際し、政府と一緒になって攻撃する
日本のメディアの得意な体質(アンビリーバブル<笑>)
第3章 ネット右翼と安倍政権
主な項目:ネット右翼=ノイジー・マイノリティに
翻弄される日本社会
言論の自由を守る戦いに右も左もない
ネット右翼の横暴に青信号を出している
安倍政権
首相には矜持のかけらもない、だからネット右翼を諭す
こともできないし、そんな気もない(涙)。
第4章 権力vs調査報道
主な項目:アメリカ司法省によるAP通信記者盗聴事件
横の連帯がない「タコツボ型ジャーナリズム」
第5章 失われる自由
主な項目:「世界報道自由度ランキングで61位に転落
した日本」
特定秘密保護法で厳しさを増すジャーナ
リズムvs国家
第6章 不確かな未来
主な項目:激減する日本の新聞発行部数
新聞配達員と販売店を切り捨てられない
ジレンマ
プロパブリカやポリティが挑戦する
ネット時代のジャーナリズム
おわりに
日本をこよなくあいするがゆえに苦言を呈する著者。
そんな外国人に愛想をつかされる経緯が多々あった。
そんなことのないよう、日本社会自体がもっともっと
考え行動していかなければなりません。
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この人は私の住んでる日本とは違うパラレルワールドの日本のことを書いているのか?
なんか、どんなに説得力のあることを言っても、証拠、噂を集めても、根本的に、どう考えても今のメディアは安倍叩きしかしていないので、まったくもってこの人が何を言っているのかわからない。
それに、所詮は外の国の人がごちゃごちゃと批判、口出しをしているだけであって、意味がない。
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ジャーナリズムは番犬watchdogであるべき、
ポチではダメ 記者クラブはダメ
第二次安倍政権は政権とジャーナリズムの関係を変えた 官僚との関係も変えた
そう言う意味ではもの凄い変革を成し遂げた内閣である
しかしこれらは「統制の強化」であり、「歴史上何を成し遂げたか」ではない
世界のグローバル化の中で、「日本の内向き」性向は「幼児化」となって現われている 結果はガラパゴス社会であり鎖国の江戸幕府体制である 社会進化は停滞する
敵か味方の二元論(31) 「冷徹な戦略の欠落」(43)
リスクをとらない「記者クラブ制度」はプロの記者を育てない
会社主義の弊害 メディアというプロ集団が確立しない 個別撃破される 分断統治
外岡秀俊 記者クラブの問題は記者が取材先と同質化する メディアの否定 権力側
調査報道の意義 付加価値を創る Qualityの競争(156)
Fact(事実)→全体像を把握していく Narrative(物語・語り)ストーリー
⇔「キャンペーン体質」はじめに結論ありき 日本の体質 権力者の思惑
思い切った改革がなければ「共倒れ」今の日本の課題(219)
アナログを捨て、デジタルへ転換する 新聞
あるいはアナログを高級ブランド化へ付加価値を高める
NY Tims デジタル100万人 紙62万人 年間2億ドルの稼ぎを実現する
日本で言えば「松井証券」最近マスコミに出ない?
世論調査の限界(NYタイムスの場合)
バイアスのレンジは±4%
ex300人調査では±10% 10千人調査では±2% コストがかかる
神奈川新聞「時代の正体」 偏っていますが、何か 偏向報道を恐れない
東京新聞