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そもそも、これ小説なのか?というとかなり怪しくはある。
小説らしさなんてなにひとつとしてないからである。
描写もへったくれもなく、簡単な解説と後はひたすらに、
「会話の応酬」である。
つまり、「会話の応酬による思想書」、というのが、
本著を端的に表わした言葉かな。
かつて、ともだちは宗教のことを、「思考停止」だと言っていた。
マルクスは、宗教のことを「癌」だか「毒」だか言っていたはず。
しかし、トルストイは思考停止に陥ってはいなかった。
ユリウスの許に現れる「医者」と友「パンフィリウス」。
この二人の間で主人公は揺れ続ける。
医者はキリスト教は欺瞞であり、瞞着だと言い、
パンフィリウスはキリスト教こそが正しいのだと言う。
最終的にユリウスはキリスト教に行くわけだが、
そのときには年をとっており、早く、改心しなかったことを、
悔やむわけだが、老人から、
「神の前では我らは卑小、んなこと関係ねーよ」と言われて、
すっかり安心するわけだ。
まあ、今で言うところの「地球論」みたいなやつですね。
「地球に比べれば俺たちは卑小、俺が死んだところで地球が、
どうなるわけでもなし、まあ、気楽にいきましょーや」って感じ。
で、トルストイが思考停止に陥っていなかったという点の、
優れているところは、会話の応酬がかなり本気入ってるからである。
例えば、聖書だとか古事記だとかってやつは、
ひたすら神に都合がいいように書かれているわけだけど、
本著はそうじゃなくて、生々しいやりとりが繰り広げられている。
「君たちは、神の教えを実践できていないじゃないか」
「じゃあ、君たちこそ、自分たちのやろうとしている事業なんかを、
思うとおりに成し遂げられているのかい?」
パンフィリウスがユリウスにこう言ったように。
あるいは、医者がユリウスにこう言ったように。
「いいかい、キリスト教のやつらが教えるのはだね、
百姓が他人に向かって、どうせ思うような量の収穫にはいたってないわけだろ?じゃあ、海に種をまけよ、とそう言ってるようなものじゃないかな?」
この物語の惜しいところは、最終的に、
ユリウスがキリスト教徒の許へ行ってしまったところだろうと思う。
彼は行くべきではなかった。
なぜなら、彼みたいに迷って迷い続ける姿こそに、
ひとってやつが生きるある意味でひたむきかつ真摯な姿があるからだ。
右往左往しているユリウスはかなり間抜けにうつるかもしれないけれど、
人間なんてそんなものだ。
むしろ、パンフィリウスみたいな思考停止に陥ってしまうのは、
やはりいただけないのだ。
ユリウスは流され思考停止をしているように見えるけれど、
彼は彼なりに悩んでいるのであってつまり思考はやめていない。
さて、最後に宗教に対する個人的な見解を。
宗教はあってもいいが、そこに入信している人々は神を盲信するのじゃなく、
宗教の意義についてあれこれ考���て疑い悩み続けるべきである。
それこそが思考停止を防ぐものでありそうすれば無理に教えを、
誰かに押しつけたりもせずにいられることだろう。
逆にそれができない宗教はなくなってしまえばいいと思う、
とまで書くと暴論かもしれないが、
しかし、トルストイみたいに一生懸命考えてもらいたいと思う。
俺にしたって、宗教を端から否定していないし、
その意義も認めている(つもり)。
実際に宗教がなければ立ち直れないひともいるし、
宗教に救われたというひとも数少ないわけじゃないのだから。
つまり、悩み苦しみから逃げるようにして入信するのじゃなく、
悩み苦しみを背負ったまま入信するか、あるいは、
満たされているが敢えて入信するか、それこそが望ましいのではないか。
ひとまず、古典について言いたいのは、
「文字を大きくしてくれ」ということ。
文字が小さいと難解に見えて読む気をなくすが、
実は読んでみれば読めたりもするのだから。
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キリスト文学なのである。説明が抽象的なのである。とにかく宗教とはなにかを私的解釈でひろげた一品。タイトルがごっついよなー。
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一行たりとも極太赤鉛筆の出番ないままだった。こういう読書は近年に例がない。序でに教徒としての素質も全くなさそうだ。
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ユリウスがパンフィリウスと謎の老人の相対する意見によって己の生き方を模索していく物語。パンフィリスの思想に傾倒する寸前で老人が現れるところは、1人の人の中にある陰と陽の部分が見え隠れする感じにも捉えられ、3人の登場人物を1人の心の中の葛藤に置き換えてもおかしくないと感じた。1800年代当時、宗教という難解でナイーブな事物に対して、パンフィリスと謎の老人の意見と言う形でトルストイが明瞭に紐解いていっているのはただただ圧巻であった。
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西暦1世紀のローマ、富裕な家庭に生まれた青年が主人公。
放蕩の結果、金銭的困窮や家族・友人との関係崩壊を招き、生き方を見直す青年。
その彼に、キリスト教徒となった親友が信仰の道を勧め、一方で、旅で行き会った男性が世俗的な個人としての責任を説く。
原始キリスト教時代を舞台に、私欲から解放され、他者愛と労働に生きる、
トルストイが到達した新しいキリスト教世界観が描かれている。
語り部分が多くそれぞれが長いが、特に読みづらくなった。
構成が分かりやすく、二つの思想が彼の中でせめぎあう様子が、躍動的に描かれている。
後半では帰結を予見される片鱗があるものの、いずれの論理にも重みが持たされており、確信がもてない。
ところが最後の2節は妙に予定調和的。
ラストにもう少し広がりがあったらと思った。
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2008年05月10日 00:10
内容どうとかじゃなくて、決心したことを人の助言でころころ変える点においてユリウスにめちゃくちゃムカついた。
無宗教の私は、この本を読んで「その通りだ!」って心底感銘をうける、みたいなことは生涯ないんだろう。
現に、この人たちの生き方はすばらしいなあとも下らないなあとも感じなかった。
ただ、ひとつのことをここまで信じきり、疑わず、自分の生きていく中心とできる、宗教うんぬんと関係なく、その生き方は純粋にすごいと思う。
ただし、ここ。
「男が女を自分と同じ一個の『人』として愛するのではなく、彼女との肉体的接触から受ける自己の快楽を愛する結果、自己の快楽のために結婚する。」
続く本文通り「ここに神意への違背がある」かどうかは定かじゃないけど少なくとも「女性への違背」です。
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最近読んだなかで一番感動した。
100年以上前に書かれてるのに自分に向けられたメッセージなんじゃないかって思わせられるのも凄い。
繰り返されるパンフィリウスとユリウスの問答が最高だね。
一字一句噛み締めるようにして読んでた。
綺麗に整理された神話的な構成には感服。
キリスト教に興味ある人には猛烈にオススメ。
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トルストイ曰く「少年老い易く、学成り難し」←違
トルストイといえば坊ちゃんで、自分ちの農奴の女性たちにじゃんじゃん手をつけて子ども産ませまくったことで有名ですが、キリストの教えではそういうのまずいんじゃ…。ねえ。
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先輩にすすめられて。
原始キリスト教と現在のキリスト教(プロテスタント)の考え方に大きな隔たりを感じた。
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トルストイの時代のロシア正教の教義とは異なる、トルストイ流のキリスト教の理想像が描かれている。自身の考える理想世界を広めたいと考えていた、思想家・宗教家としてのトルストイの姿がここにあるように思う。私有財産の否定など、共産主義的思想の影響をうけたキリスト教原理主義的思想だなというのが私の印象である。
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キリスト教に馴染みない自分にとっては正直わかりにくかった。ただ、キリスト教に関するもっと知りたいという知的好奇心が湧いた。とりあえず、短いし何度か読もう。
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国家権力、暴力を非難する箇所を除けば、トルストイの語る原始キリスト教と共産主義は似ている部分が大いにあるように思う。
だが、その根本が大いに違うところが肝要であろう。
主人公ユリウスが何度も迷いつつも、現世に立ち止まり、ついに老齢にてキリスト教に入って行く様子は、いまも同じだ。
若い日に神を覚えよとはいうが、神様が手元にお招きになるその時期は各人各様。
たとえ老齢であってもそれでよいのだと改めて思った次第。
しかしなぁ、トルストイは残念ながら、パンフィリウスの住まうところには行けなかったかもしれない。
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トルストイを読もうとしたら他はめっちゃ長かったのでとりあえずコレにした。よくやる手口。
淡々と宗教参加にゆれる男性を書いている。
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トルストイは初めて。
揺れ方は面白い。人生のそれぞれのフェーズで彼が考えたこと、パンフィリウスが言ったこと、男が言ったこと、それらが含蓄に富んでいる。
しかし、あの結論で良かったのだろうか? 男の言うことは振り切ってよかったのだろうか。結局あの境地に至るのであれば、もっと早く教団に入っていても良かったのではないか。
結論の説得力のなさは、キリスト教徒として彼が生きている時間が圧倒的に短く、描写されていないからだろう。現世で暮らしいかなる事件を受けてどう変化したかというのは克明に描かれているものの、キリスト教はその外部として、伝聞で聞くだけだ。ほかならぬユリウスがどう生きるのか、どう壁にぶつかるのか、そこを知りたかった。
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俗世間での欲を捨て去りキリスト教に入ろうとするユリウスは、そのつど引き止められ、思い直し元の生活に戻っていく。はたして彼は自分の人生に満足を得られるのか。
小説の形はしているが物語の描写より、対話として語られる、「いかに生きることが人間の真の幸福か」にほとんどが費やされている。
ユリウスのように人生の酸いも甘いも身をもって体験した後であろう、晩年のトルストイが発するメッセージとしてみるのは興味深い。戦争と平和をこの後読み返してみたらまた別の味わいがあった。
他の作品にもある説教くささも感じられるが、テーマへのアプローチが真摯で胸に迫る。突き詰めた結果が虚無ではなく「光」であったなら幸福のうちに死ねるだろう。